「アリーシャちゃん!?」
「待て、エリゼ!」

 エリゼが慌てて駆け寄ろうとするが、それを手で制した。

 アリーシャは剣の柄に手をかけていた。
 錯乱しているようだから、下手をしたら攻撃されてしまう。

「俺に任せろ」
「お兄ちゃん、アリーシャちゃんを……!」
「わかっている、傷つけたりしないから」

 妹の信頼を裏切ることはできないな。

 幸いというか、アリーシャの状態に心当たりがある。
 パニック状態に陥る、状態異常を受けたのだろう。
 なら治療方法はある。

「解毒<クリア>!」

 淡い光がアリーシャを包み込んだ。
 ホタルのように優しく彼女を抱きしめて……そして、その瞳を正気に戻る。

「……あ……」

 アリーシャの膝から力が抜けて、そのまま崩れ落ちる。

「アリーシャちゃん!」
「大丈夫か?」

 慌てて駆け寄る。
 見た感じ、怪我はない。
 でも、見ただけでわからないだけで、重要な問題が隠されているかもしれない。

「アリーシャちゃん、大丈夫ですか? アリーシャちゃん!」
「……近くでそんなに叫ばないで」

 アリーシャはふらふらしつつも、ゆっくりと立ち上がる。
 ただ、すぐ壁に寄りかかってしまう。

「無理はしない方がいい。少し休もう」
「でも、試験が……」
「良いペースで攻略が進んでいたから、少しなら問題ないさ。それよりも、今はアリーシャの方が心配だ」
「……ごめんなさい」

 そこは、ありがとう、と言ってほしかったのだけど……
 まだそこまで心は許してもらっていないか。

「ほら、水」
「……」

 アリーシャは無言で水筒を受け取り、それに口をつけた。
 少し落ち着いたらしく、さきほどより表情が柔らかくなる。

「お兄ちゃん、アリーシャちゃんは大丈夫ですか……?」
「ああ、問題はないよ。ちょっとしたトラップに引っかかっただけだ」
「トラップ?」
「スライムが霧のようなものを吐き出していただろう? あれはたぶん、幻覚作用を見せるものなんだ。対象のトラウマを刺激するとか、そういう類の質の悪いものだ」
「あ、それで……」

 エリゼは心当たりがある様子を見せた。
 先程、意識を失っている間にトラウマを見せられていたのだろう。

「お兄ちゃんは大丈夫だったんですか?」
「まあ……なんとか」

 前世を含めて、わりと好き勝手生きてきたから、トラウマになるようなことないんだよな。

 ただ、ぼんやりとだけどエリゼの姿が見えた。
 エリゼがいなくなるとか、そういう悪い幻覚を見せられた可能性もあったのかもしれない。

「ったく、悪質なトラップを用意するんだな」

 試験とはいえ、少しやりすぎじゃないだろうか?

 なんていうか、手慣れていない感じがするな。
 学院の教師達に任せていたら、なんか、とんでもないことが起こりそうだった。



――――――――――



「大丈夫か?」
「……」

 休憩中。
 声をかけるものの、アリーシャの返事はない。

 ぷくーっと、エリゼが頬を膨らませた。

「アリーシャちゃん、返事は大事ですよ」
「……そう」
「むう」

 さっきよりも態度が頑なになっている。
 さきほどの問題に触れてくれるな、とそう言っているかのようだ。
 エリゼもそれを感じているから、踏み込んでいいか迷っているのだろう。

 なので、

「アリーシャはどんなトラウマを見たんだ?」

 俺が踏み込んでみることにした。
 ギロリと睨まれるものの、大して怖くない。
 前世には、もっと厄介で面倒な人がいたものだ。
 そいつらと比べると、アリーシャなんてかわいいもの。

「あなた、図々しいとか言われない?」
「そんなことないよ」
「白々しいわね……話す必要が?」
「無理に聞くつもりはないけど……」

 エリゼが気にしている。
 それに……

「……気になるんだよ」

 アリーシャは家族じゃない。
 出会ったばかりで、大事な人というわけでもない。

 でも……
 目を離すことができないというか、ついつい気になってしまう。
 エリゼの影響を受けているのかもしれない。

「……私は死神に魅入られているの」

 迷うような間を挟んだ後、アリーシャはそう言った。

「それって、試験の前にも言ってたけど……」
「比喩じゃないわ。本当のことよ」

 アリーシャは剣をこちらに差し出してきた。

 綺麗な装飾が施されているが、やや過剰な気がした。
 剣を軽く抜いてみると、ゾクリと背中に悪寒が走る。
 なんだ、この感覚は……?

「この剣……すごく嫌な感じがします」
「見る目あるのね」
「どういう意味ですか?」
「その剣は、死神が宿っているの」
「死神……ですか?」

 エリゼが剣を二度見する。
 ただ、死神なんてものは出てこない。

「どういうことなんだ?」
「その剣には死神が宿っていた、時々だけど、あたしは体を勝手に使われるの」
「そんなことが……」
「その剣のせいで、あたしは一人になった。家族も友達も……みんな死んだ」

 その時のことを思い返しているのか、アリーシャは血が出そうなほど拳を握りしめていた。

 死神の真偽はわからない。
 でも、彼女が嘘を吐いていないことは、その様子を見れば明らかだ。

「剣を手放すことは?」
「できないわ。呪われた装備、っていうのかしら? 捨てることは無理。壊そうとしたこともあったけど、無理だったわ」
「そっか」
「せめて制御できるようになりたいって、剣の腕を磨いたの。でも、うまくいかなくて……魔法学院に入学してさらに強くなれば、うまくいくんじゃないか、って」
「だから試験を?」
「そうよ」

 力を求めるところは、俺と似ている気がした。

 でも、彼女の場合は、根本にある想いはまったく違う。
 生きていくため。
 そして、誰も傷つけないようにするため。

 アリーシャは、きっと、とても優しい女の子だ。