「エリゼっ、俺の後ろに!」
「え? で、でも……」
「あれは行き倒れなんかじゃない、魔物だ!」
リッチ。
不死者の王と呼ばれている、非常に厄介な魔物だ。
いくつもの強力な魔法を操り、村の一つや二つ、簡単に壊滅させるだけの力を持っている。
前世の俺なら敵ではないのだけど……
今の俺だとまずい。
まだ前世に匹敵するほどの力を得ていないため、倒せるかどうか……わりとギリギリのところだ。
「先手必勝だ!」
どうして、リッチがこんなところで寝ているのか?
それはわからないが、ヤツが起き上がる前に勝負を決める!
俺は、魔力を手の平に収束させて……
キュルルルッ。
この場にそぐわない、妙に間の抜けた音が響いた。
「は?」
「う、うぅ……」
リッチがもぞもぞと動いて、
「は、腹が減った……」
とんでもなく間の抜けた台詞を口にした。
もしかして、今のは腹が鳴る音……なのか?
骨だけなのに、どこから音が出ているのだろう?
ついつい、そんなどうでもいいことを考えてしまう。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
「エリゼ、危ないから俺の後ろに……」
「あのガイコツさん、なんだか、かわいそうですよ」
そんなことを言われても……どうしろと?
「うぅ……なにやらおいしそうな魔力の匂いが……」
リッチがこちらに気がついて、顔を上げた。
「そこの子供達……すまないが、魔力を分けてくれないか? ほんの少しでいいのだ……もう何日も魔力を補給しておらず、空っぽなのだ……」
「魔物相手にそんなことをするわけないだろう」
「そ、そこをなんとか……このままでは、わしは消えてしまう……」
「お兄ちゃん……ガイコツさんが、かわいそうです」
「でも、相手は魔物だぞ?」
「それでも……やっぱり、かわいそうです」
「あー……はぁ。わかったよ」
エリゼにお願いをされると、なぜかわからないが、断りづらい。
俺はため息をこぼす。
「エリゼは俺の後ろに。絶対に離れないように」
「わかりました!」
「それじゃあ……」
エリゼをかばいつつ、不意打ちを受けても対応できるように、警戒度を最大まで引き上げた。
少しずつリッチに近づいていく。
「じっとしていろよ?」
「わかっておる……」
「ん」
手の平をリッチにかざして、魔力を放出した。
「お、おぉ……」
リッチの体が淡く輝いて、その顔に生気が戻り……すでに死んでいるはずなのにおかしな言葉になるが……元気になる。
「驚いたぞ……お主、男なのに魔法を使えるのか?」
「ああ、使える」
「なんと。長い間生きていると、予想外のことに巡り合うものだ」
お前、死んでいるだろ。
「ふう……なにはともあれ、助かったぞ、少年よ。お主のおかげで、なんとか生きながらえることができた」
「妹に頼まれたからだ。でなければ、魔物なんて助けない」
「ふふふ、わかるぞ。お主、ツンデレというヤツだな?」
したり顔のリッチに、ムカッとくる。
殴ってやろうか?
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。ガイコツさんは元気になりましたか?」
「ばっ……エリゼ、こっちに来るな! 危ないっ」
リッチに近づこうとしたエリゼを慌てて背中にかばう。
それを見たリッチが、不満そうに言う。
「おいおい、わしをなんだと思っているんだ? わしは確かに魔物だけど、恩人やその妹を襲うようなことはしないぞ?」
「怪しいな。どこまで信じられるものか」
「そもそも、わしは人を襲ったことはない。こんな体になったのは研究の結果で、元は人間だったのだ。最初から魔物だったわけではない」
「本当なのか……?」
「本当だとも。わしは、とある目的のために魔法の研究をしていてな。生前は、色々と研鑽を積み重ねてきたものだ。しかし、人に与えられた時間はあまりに短い……そこで、この体を不死者としたのだ。全ては研究を続けるために」
「あんた、女だったのか」
「ピチピチのギャルじゃぞ」
見た目がガイコツで、こんな喋り方だからさっぱりわからん。
「その目的っていうのは?」
「うむ。それは……」
ガイコツがなにか言おうとした時、ピィー! という鳴き声が響く。
尾の長い青い鳥が降りてくると、ガイコツの頭に止まる。
「この鳥は……?」
「これ。今は大事な話の途中だ、邪魔をするでない」
「ピーッ!」
そんなこと知らないとばかりに、鳥は羽を広げて鳴いてみせた。
その姿は間抜けで……
こんなヤツに警戒する必要はあるのか? と考えて……
「ま、いいか」
警戒するのを止めた。
魔物ではあるが、悪いヤツではないだろう。
「ガイコツさんの目的って、なんですか?」
エリゼが俺の後ろから出て、そう尋ねた。
一応、近づきすぎないように注意しておく。
「わしは動物が好きでな。世界を巡り、色々な動物の保護をしているのだ」
「動物さんの保護に、魔法の勉強が必要なんですか?」
「うむ。わしは主に、魔物に襲われている動物を助けているのだよ。魔物を追い払う、倒すのには力が必要だろう? そして、傷ついた動物を癒やすのにも魔法が必要だ。故に、魔法の研究をしていたのだよ」
「なるほどー。そこまでするなんて、本当に動物さんが好きなんですね」
「うむ、うむ! そうなのだ、わしは動物が大好きなのだよ!!!」
ものすごい勢いで食いついてきた。
「なんといっても、まずは犬だな! 賢く凛々しく、そして主人に忠実。それでいて愛嬌があるという無敵っぷり! 対極に位置する猫も素晴らしい。気まぐれでツンデレっぽいところはあるが、それを補って有り余る可愛らしさ! その仕草一つ一つにメロメロだ! 他にも……」
ガイコツはとてもうれしそうに動物の魅力を語る。
俺は適当に聞き流していたが、同士のエリゼは目をキラキラさせていた。
「ガイコツさんは、どこから来たんですか?」
「あちこちを旅しているから、故郷というものはないな。旅を始めて、かれこれ数百年になるだろうか」
……なんだって?
「わぁ、長いんですね。一人で寂しくないんですか?」
「うむ……」
エリゼのそんな問いかけに、ガイコツは寂しそうな顔をした……ような気がした。
顔が骨なので、表情の判断がつかない。
「一人は寂しいな。生前はそのようなことは思わなかったが……このような身になって、本当の独り身となり、寂しさを痛感したよ」
「ガイコツさん、かわいそうです……」
「まあ、動物が寂しさを癒やしてくれるから、気にすることはない。それと、そのガイコツというのはやめてくれないか? わしには、エルという名前があるのだよ」
「わかりました、エルさん! 私はエリゼっていいます」
「うむ。よろしくな、エリゼ嬢」
もう名前で呼び合う仲になっていた。
妹のコミュ力半端ない。
「俺はレンだ。わかっているかもしれないが、エリゼの兄だ」
エリゼが自己紹介をしたので、俺も自分の名前を告げておいた。
「ふむ、レン坊か」
「坊はやめてくれ。呼び捨ての方がいい」
「わかったぞ、レンよ」
リッチ改め、エルが手を差し出してきたので、握手に応じた。
「助けてくれてありがとう。ぜひ、礼をしたいのだが……うーむ」
「どうした?」
「あいにく、人間の金は持っていなくてな。このような体だから、街に寄ることもないし大したものも持っていない。さて、どうしたものか」
「別に礼なんていらないって。エリゼに言われたから助けただけだし」
「それでも、恩を受けた以上、しっかりと返さなくては。貸し借りはしっかりとしないといけないのだぞ?」
意外と律儀なガイコツだった。
「うーむ、うーむ……なにをすればいいものか? わしが持っているものといえば、魔法の知識くらいしかないが」
その言葉に、俺はピクリと反応した。
「そういえば、魔法の研究をしているとか言ってたな。それは、どんなものなんだ?」
「色々な研究をしているが……そうだな。最近は、闇属性の魔法の研究をしているぞ」
「闇属性!」
魔法は六つの属性に分かれている。
『火』『水』『土』『風』『光』『闇』……だ。
これらの属性のうち、才能にもよるが、人が使える魔法は闇属性を除いた五つだ。
闇属性の魔法は魔物専用と言われていて、人間が扱うことはできない。
しかし、俺の考えは違う。
人間でも、闇属性の魔法も扱うことはできるはず。
ただ、そのためのトリガーが見つからず、使えないと思われているだけ……そう考えていた。
前世でも闇属性の魔法の研究は進めていたものの……
結局、習得できなかった。
「恩を返したいっていうのなら、俺に闇属性の魔法を教えてくれないか!?」
「む? なんだ、レンは闇属性の魔法に興味があるのか?」
「ものすごくある!」
新しい属性の魔法を習得すれば、さらに強くなれるはずだ。
「それとも、人間には習得できないものなのか?」
「いや、そんなことはないぞ。リッチになったからこそわかったのだが……闇属性の魔法は、普通の人間でも習得することができる。ただ、ちと面倒なだけだ」
「なら、それを教えてくれないか?」
「ふむ。習得にはそれなりの才能を必要とするが……まあ、教えろと言うのならば教えよう。しかし、習得できなかったとしても、わしを恨まないでくれよ?」
「必ず習得してみせるよ」
「うむ、その意気やよし。今日から、レンはわしの弟子だ!」
こうして、俺は成り行きでリッチに弟子入りすることになった。
「むー……お兄ちゃんだけずるいです。私も魔法を習いたいです」
仲間はずれにされたと思ったらしく、エリゼが頬を膨らませた。
「では、エリゼ嬢も魔法を習うかね?」
「習いたいです! お兄ちゃんと一緒がいいです!」
「おい、エリゼ。あまり無理を言って、師匠を困らせるな」
「だってだって、私もお兄ちゃんと一緒に魔法を習いたいです……」
上目遣いに俺を見るエリゼ。
そんな顔をされたら、反対できないじゃないか。
「わしは構わないぞ。一人も二人も、教えるのに大差はないからな」
「まあ、師匠がそういうのなら」
「やった……えへへ、おねがいします」
エリゼも一緒に弟子入りすることになり……
リッチの師匠による魔法修行が始まるのだった。
それから、週に一度のペースでエル師匠から魔法を教わることになった。
エル師匠はリッチなので、街に入ることはできない。
街の外の丘で待ち合わせをしているのだけど……
毎日街を抜け出していたら、いつか父さんと母さんにバレてしまうかもしれない。
そんな懸念から週に一度のペースにしたのだ。
週に一度、直接指導してもらい……
残りの日々は課せられた課題をコツコツとこなす。
地味な作業なのだけど、新しい魔法を覚えるためなのでぜんぜん苦にならない。
むしろ、毎日が充実していた。
「では、今日の講義を始めるとしよう」
「「はいっ」」
エル師匠の講義も、これで四度目。
つまり、魔法修行が始まり一ヶ月が経っていた。
驚きなのは、エリゼがしっかりと授業についてきていることだ。
魔法の才能があったらしく、エル師匠が教えることをどんどん吸収して、自分のものにしている。
俺も負けていられないな。
エリゼの手本になれるように、がんばらないと。
――――――――――
「よし、では今日から実技に移ろう」
講義が終わると、エル師匠がそんなことを口にした。
実技!
講義は講義で面白いのだけど……
やはり、体を動かしたいという思いはある。
楽しみだ。
「まずは、魔法人形を設置しよう」
エル師匠が自分の影に手をつっこみ、そこから魔法人形を取り出した。
闇属性の魔法の一つで、影にアイテムを収納できるらしい。
便利だ。
ぜひ、俺も習得したい。
「そうだな……では、エリゼ嬢からにしようか」
「わ、私ですか……?」
「うむ。エリゼ嬢は才能がある。普通なら、一ヶ月の訓練だけで魔法を使えるようにはならないのだが……エリゼ嬢なら問題ないだろう。さあ、やってみたまえ」
「……わかりました!」
エリゼが小さな拳をぐっと握り、気合を入れる。
それから、両手を魔法人形へ向けた。
「火炎槍<ファイアランス>!」
赤い尾を引きながら、火炎の槍が宙を走る。
そして、着弾。
魔法人形の上に、『83』という数値が表示された。
母さんが確か『75』だったよな?
それに、エリゼはこれが初めての『火炎槍<ファイアランス>』だ。
それらのことを考えると、実はすごい数値じゃないだろうか?
「で、できた……」
初めて魔法を使うことができたエリゼは、感動するように己の手を見た。
何度か手を握ったり開いたりして……
それから、花が咲いたような笑顔になる。
「お兄ちゃん、私、やりました! やりましたよ!?」
「ああ、見ていたぞ。すごいな、エリゼは」
「えへへ♪」
頭をなでてやると、エリゼは頬を染めた。
ちょっと照れているのかもしれないが、でも、うれしそうだ。
「ふむ?」
「エル師匠?」
せっかくエリゼの魔法が成功したというのに、エル師匠は難しい顔をしていた。
いや、ガイコツだから表情はわからないし、そんな雰囲気、と言うのが正解なのだろうが。
「どうしたんですか?」
「いや……エリゼ嬢ならば、もっと上の数値を叩き出すものだと思っていたのだが……ふむ、見誤っただろうか?」
「確かに、才能はあると思いますね」
「レンは兄バカなのだな」
「そう……なんですかね?」
初めてそんなことを言われたような気がする。
ただ、わからない。
エリゼのことは大事な妹と思っているが……
それは、どれくらい『大事』なのだろう?
「……ふむ。もしかしたら」
なにか思いついた様子で、エル師匠がエリゼを見る。
「エリゼ嬢。この前、回復魔法も教えただろう? 今度は、それを使ってみてくれないかね?」
「はい、わかりました!」
エル師匠のことだから、何か考えがあるのだろう。
おとなしくエリゼを見守る。
「治癒光<ヒール>!」
優しい光が魔法人形を包み込んだ。
この魔法人形は攻撃魔法だけではなくて、ありとあらゆる魔法の威力を測定して、数値化できるという優れものだ。
果たして、エリゼの回復魔法の威力は?
「『230』か……普通の魔法使いで100。熟練で200って聞くから、かなりのものだな」
「ふむ。どうやら、エリゼ嬢は回復魔法の方が得意みたいだな」
「私にそんな才能が……」
「回復魔法の使い手は少ない。貴重な才能だ。その力をきっちり伸ばすといいだろう」
「はい、わかりました!」
エリゼはうれしそうな笑顔で、元気よく返事をした。
エリゼは体が弱いから、今まで誰かに守られてばかりだった。
でも、自分の魔法で誰かを助けることができるかもしれない。
それが誇らしいのだろう。
エリゼの笑顔を見ていたら、自然とやる気が出てきた。
よし、俺もがんばろう!
「じゃあ、次は俺の番ですね!」
「うむ。がんばれ」
「せっかくなので、今日は闇属性の魔法を試してみますね」
「闇属性の魔法を? それはまだ早いぞ」
「でも、理論は覚えたので、初級ならたぶん使えると思うんですよね」
魔法を使う時は、精霊に語りかけて、その力を貸してもらう必要がある。
火属性の魔法なら、イフリート。
水属性の魔法なら、ウンディーネ。
そんな感じで、それぞれの属性の精霊に語りかけることで、初めて魔法を使うことができるのだ。
しかし、闇属性の精霊に語りかけることに成功した者はいない。
なぜかわからないが、闇の精霊シャドウは人の呼びかけに応えてくれないのだ。
その理由は、シャドウは魔物に味方する存在だから。
故に人に手を貸すことはない。
力を貸すのは魔の存在だけ……と、言われていた。
でも、エル師匠によると、それは誤った認識らしい。
シャドウも人の呼びかけにきちんと応える。
ただ、他の精霊とはまったく違うアプローチが必要で、なおかつ、消費する魔力量も桁違いなのだ。
それ故に、誰もシャドウに語りかけることができず、失敗が続いて……そして、誤った認知士気が広がってしまったらしい。
俺は、エル師匠から正しいアプローチの方法を教えてもらった。
魔力量にも自信がある。
きっと、闇属性の魔法を使うことができるはずだ。
「ふむ……まあ、試してみるだけなら自由か」
「ありがとうございます」
「先に言っておくが、失敗したからといって落ち込む必要はないぞ? むしろ、失敗するのが当たり前だと思った方がいい。ましてやレンは男だからな、普通の人よりも難しいだろう。わしでも、理論を学んでから使えるようになるまで、数年の歳月を要して……」
「暗黒槍<ダークランス>!」
無から闇が生まれて、槍の形を取る。
ゴゥッ! と漆黒の槍が射出された。
それは魔法人形の頭部に突き刺さり、荒れ狂う炎のように闇を撒き散らす。
魔法人形の上に、『780』という数字が表示された。
「よし、できた!」
「……」
「でも、扱いに難しいですね……微妙にコントロールに失敗してしまいました」
「……」
「数値はもっと欲しいんだよな。うーん……これは要練習だな」
「……」
「あれ? どうしたんですか、エル師匠?」
「なんでやねん!?」
「エル師匠!?」
大変だ! エル師匠が壊れた!?
「わしでも数年かかったのに、なんで六歳の子供が一ヶ月で使えるようになるのだ!? ありえないだろう!? ありえないぞ!? ありえなさすぎる!? いったい、どうなっているのだ!? なんでやねん!!!」
「エル師匠、落ち着いて」
「わし、自信なくなってきた……こんな子供に負けるなんて。もう無理だ……そうだな、無理だな。山へ帰ろう、そこで動物達と静かに暮らそう……」
「ちょっ……エル師匠!? どこへ行こうとしているんですか!?」
「山へ帰る……ぐすん」
「師匠ぉおおおーーー!?」
俺が必死になってエル師匠をなだめている間、
「やっぱり、お兄ちゃんはすごいです♪」
エリゼはキラキラとした顔で、俺と師匠のやりとりを見守るのだった。
闇属性の魔法を使えるようになったけれど、全てを極めたわけじゃない。
初級を使えるようになっただけなので、まだまだ先は長い。
これからがスタートなので、今まで以上にがんばらないと。
そんなわけで……
俺とエリゼは、その後もエル師匠の元で修行を積んだ。
人を捨ててリッチになるほどなので、エル師匠の知識はすごいものが。
俺の知らない魔法理論をたくさん知っていて、色々なことを吸収することができた。
エリゼも才能を開花させて、次々と回復魔法を習得していく。
将来は、優秀は治癒師になれるかもしれない。
そうして訓練を続けて……
あっという間に三ヶ月が経った。
――――――――――
「お兄ちゃん、今日はどんなことを教えてもらえるんでしょうね?」
「んー……どうだろうな」
いつものようにエリゼと一緒に街を抜け出して、エル師匠が待つ丘へ向かう。
その途中、俺は考え事をしていた。
たまにだけど、訓練中に視線を感じるんだよな。
その視線の主は……最初、エル師匠の頭に止まった青い鳥だ。
気の所為かもしれないが、じっとこちらを見ている時がある。
その視線に、意思のようなものを感じる……かもしれない。
なんともいえない、微妙な感じだ。
「……なんなんだろうな、あの鳥は」
「お兄ちゃん?」
「いや、なんでもない。早く行こう、エル師匠が待っている」
「はい」
丘へ移動すると、いつもいるはずのエル師匠の姿がない。
代わりに、犬や猫、狐や狸……たくさんの動物がいた。
動物達は俺とエリゼに気がつくと、一斉に駆けてきた。
尻尾を振ったりしつつ、遊んで遊んでとじゃれてくる。
「お、おい。やめろって。俺は修行をしに来ただけで、遊んでいるヒマなんてないんだ」
「わぁ♪ もふもふです」
エリゼは、一瞬で動物達の虜に。
とてもごきげんな様子で、動物達を撫でている。
「少しくらい遊んでもいいですよね?」
「でも、それより修行を……」
「……お兄ちゃん……」
「……はぁ、わかった」
どうにもこうにも、エリゼにお願いをされると弱い。
謎の力が働いているかのようで、無条件で従いたくなってしまう。
「師匠もいないし、少し遊ぶか」
「はい!」
俺は手の平を上に向けて、魔力を収束させる。
「<水珠>ウォーターボール」
魔法で水を使ったボールを作り出した。
ちょっとブヨブヨしているものの、すぐに割れたり消えたりすることはなく、普通のボールとして使うことができる。
「そら、取ってこい!」
「「「オンッ!!!」」」
犬と狸と狐。
さらに猫と猪……動物達が一斉にボールを追いかけた。
そんなに好きなのか?
「動物さん達、すごく喜んでいますね」
「最近は、俺達がエル師匠を独占していたから、遊び相手に飢えていたのかもな」
だとしたら悪いことをした。
強くなるためとはいえ、さすがに、他人の楽しみを邪魔するつもりはない。
仕方ない。
今日はとことん遊ぶとするか。
そんなことを考えていると、犬がボールを咥えて戻ってきた。
尻尾をブンブンと振っていて、また投げて? と目で訴えている。
「よし、いけ!」
「「「オンッ!!!」」」
ボールを投げて、取ってきてもらう。
ただそれだけなのだけど、動物達はすごく楽しいらしい。
とても生き生きとした様子で野原を駆けている。
「ん?」
何度かボールを投げていると、ふと、青い鳥が俺の肩に降りてきた。
エル師匠と一緒にいる、なんだか不思議な鳥だ。
「ピー」
「いて」
くちばしでツンツンと突かれた。
「なんだよ、お前も遊んでほしいのか?」
「ピー」
「よしよし」
指先で頭を撫でてやると、鳥はうれしそうに鳴いた。
喜んでいるのだろうか?
「ほう。そやつが懐くとは珍しいな」
「エル師匠」
丘の反対側からエル師匠が姿を見せた。
「すまないのう、遅れてしまった」
「いえ、大丈夫です。それより、なにかあったんですか?」
「なに。ちょっとした野暮用だよ。それよりも、今日は実技をしようと思う。レン、この前教えた魔法を使ってみてほしい」
そう言いながら、エル師匠は魔法人形を設置した。
なんだろう?
うまく言葉にできないのだけど、エル師匠の様子がいつもと違うような気がする。
気になるが、師匠の言葉を無視することはできない。
とにかくも、手の平に魔力を収束させた。
使用するのは、闇属性の中級魔法。
最初は初級だけしか使えなかったのだけど、今は中級まで使用できるようになっていた。
「魔炎疾風牙<デモンパニッシャー>!」
影が隆起して、無数の槍となって地面から生えてきた。
それらは意思を持つように動いて、魔法人形を串刺しにする。
『999』という数値が表示された後、魔法人形は壊れてしまう。
「どうですか、エル師匠?」
「うむ……すばらしいな。文句のつけようがない」
「ありがとうございます」
「レン」
エル師匠の雰囲気が変わる。
じっとこちらを見つめて、どこか寂しそうな、それでいてうれしそうな……
複雑な感情を見せた。
「おめでとう。今日で、免許皆伝だ」
「え?」
予想外の言葉に、思わず間の抜けた顔をしてしまう。
今、エル師匠はなんて……?
「レン。君の成長は、わしの想像を遥かに上回っていた。わしの一生と、さらにリッチになった後に学んだ技術の全てを、この三ヶ月で全て習得してみせた。これ以上、教えられることはなにもない」
「そんなことは……」
「そんなことあるのだよ。わしは、わしの持てる全てをレンに教えた。だから、免許皆伝なのだ」
「……エル師匠……」
つまり、エル師匠と過ごす日はこれで終わり……ということか。
それは俺が強くなることができた証。
本来なら喜ぶべきことなのだけど……
どうしてだろう?
今まで、当たり前のように過ごしていた日々が、唐突に終わりを迎える。
ひどく寂しいと感じてしまう。
「そして、エリゼ嬢。同じく、君も免許皆伝だ」
「そうなんですか?」
「本来なら、もっと色々なことを教えられればいいのだが……あいにく、わしは回復魔法が苦手なのだ。リッチなのでな。これ以上、教えられることはないのだよ。なに、心配することはない。わしではなくて、他の師を見つければいい。そうすれば、さらなる高みへ届くだろう」
「でも、私、お兄ちゃんみたいな才能はないのに……うまくやっていけるんでしょうか?」
「そう自分を卑下するな。エリゼ嬢も、レンに負けないくらいの才能があるぞ。特に、回復魔法が優れている。鍛えれば、きっと一流の治癒術士になれるだろう」
「が、がんばりますっ」
「うむ、精進するがいい」
「エル師匠は……これから、どうするんですか?」
エル師匠の今後が気になり、そんなことを尋ねた。
「うむ、そうだな……二人を子供としてではなくて、一人の人間として扱うからこそ、辛いかもしれないが真実を話そう」
そう言うエル師匠は、とても神妙な雰囲気をまとっていた。
こんなエル師匠、今まで見たことがない。
「わしらが最初に出会った日、わしの目的を話しただろう?」
「えっと……動物達の保護、でしたよね?」
「うむ。わしは動物が好きだ。そのために力を求めて、リッチにさえなった。ただ……リッチというものは、自然の……世界の摂理を捻じ曲げているような存在だ。ずっと存在することはできん」
「まさか……」
嫌な予感が思い浮かび……
そして、それは的中する。
「わしは、そろそろ天に召されるだろう」
「「っ!?」」
「すまないな、驚かせて。あと、そんなに悲しそうな顔をするな。二人のことを子供ではなくて、一人前だと思ったからこそ、適当にごまかすことなく、真実を告げたのだ。しっかりと受け止めてほしい」
「それは……」
ずるい。
そんなことを言われたら、引き止めることも泣くこともできないじゃないか。
って……
俺は今、すごく悲しく思っている?
寂しく思っている?
強くなることだけを考えてきたはずなのに、それなのに……?
「今日遅れたのは、ここにいる動物達の引き取り先を見つけてきたのだよ。わしがいなくなると、大変なことになるからな」
リッチのエル師匠が、どうやってそんなことをしたのか?
気になるけれど……
まあ、エル師匠のことだ。
リッチとばれることなく、うまくやったのだろう。
「ただ、一つだけ心残りがあってのう」
「それは……なんですか?」
「その子じゃよ」
エル師匠は、俺の頭の上にとまる青い鳥を指差した。
こいつ、実技の際も離れなかったんだよな。
普通の鳥は、魔法を使ったりすると驚いて飛び去るものだけど……
肝が座っているのか、まったく離れなかった。
「その子は、わしが今まで出会った動物の中でも特別というか……とびきり変わっていてのう。人に気を許さず、わしも、なかなか近づくことができなかった」
「エル師匠が……」
動物が好きで、動物にも好かれている。
そんなエル師匠が苦戦するなんて、どんな性格をしているのだろう?
「その子のことが気がかりで、今まで天に旅立つわけにはいかなかったが……しかし、これなら安心できそうだ」
「もしかして……」
「その子を、レンとエリゼ嬢に預けてもいいか?」
「……」
エル師匠のまっすぐな想いを感じた。
それから、今度は肩に移動した鳥を見る。
目がバッチリと合う。
ただの鳥のはずなのに、深い知性を感じられて……
なんていうか、こうして目を見ていると不思議な気分になる。
「お前は……俺のところに来るか?」
「ピー!」
俺の言葉がわかっているかのように、鳥は翼を広げて大きく鳴いた。
「よし。それなら、今日からお前はストライン家の一員だ」
「わー、鳥さんと一緒です! 今日は一緒に寝ましょうね」
エリゼは無邪気に喜んでいた。
「名前をつけてくれるか?」
「つけてないんですか?」
「いずれ、こうなることを予想していたからのう……名は、本当の飼い主がつけるべきだろう?」
「なら……」
少し考えて口を開く。
「ニーア、なんてどうだ?」
古代語で『空』という意味だ。
「ピーッ!」
気に入ってくれたらしく、鳥……ニーアは高く鳴いた。
「よしよし」
ニーアの行き先が決まったことは良いことだと思う。
でも、それは同時にエル師匠の未練が完全になくなるということで……
「うむ。これで、もう心残りはない」
「……あ……」
俺達の様子を見届けたエル師匠は、満足そうに何度も頷いていた。
その体は……うっすらと透けていき、光がこぼれていく。
「……エル師匠……」
「……うぅ……」
「二人共、そう悲しそうな顔をするな。わしは、とっくの昔に死んだ身。本来なら、あるはずのない出会いなのだから、最初からなかったことと思えばいい」
「そんな風に……割り切れませんよ」
「この子、絶対に大事にします! すっごくすっごくかわいがりますね!!!」
「うむ、エリゼ嬢がそう言うのならば安心だ」
ガイコツだから表情はわからない。
でも、エル師匠は優しく笑ったような気がした。
「エリゼ嬢。先も言ったが、君には魔法の才能がある。回復魔法の才能だ。極めれば、死者蘇生すら可能になるかもしれん。だから、がんばれ。がんばれ」
「はい……!」
「わしは、いつでも応援しているぞ。うむ。がんばれ!」
「はいっ……!!!」
エリゼは涙を堪えつつ、何度も頷いてみせた。
病弱で、か弱いと思っていたのだけど……
でも、そんなことはないんだな。
エリゼもきちんと成長している。
「そして、レン」
「はい」
「一つ、聞きたいのだが……レンは、どうして力を求めるのだ? その歳なのに、どうしてそんなに焦るように力を求める?」
「それは……」
前世で果たすことができなかった、魔王と決着をつけるためだ。
しかし、そんな話をしても信じてもらえるかどうか。
「ふむ……沈黙ということは、話せないということか」
「すみません……」
「いや、かまわない。レンにはレンの事情があるのだろう」
エル師匠は優しい声で言い……
次いで、こちらを気遣うような感じで言葉を続ける。
「ただ、これだけは覚えておいてほしい……わしのようになるな」
そう言うエル師匠は、どこか自嘲めいていた。
「それは、どういう……?」
「一人になるな、ということだ」
「一人に……?」
どういう意味なのだろう?
不思議そうな顔をする俺に、エル師匠は静かに言葉を重ねる。
「レンは、なにかしら目的があるのだろう? そのために力を求めているのだろう?」
「それは……」
「話せないのなら話さなくていい。ただ、力だけを求めてはいけない。力だけではなくて、絆を求めるのだ」
「絆?」
「人は一人で行きられない生き物だ。孤独を恐れなくなったら、それはもう終わりだ。どこかが壊れているとしか言いようがない。目的を達成したとしても、そんな状況に陥ってしまえば意味がないだろう?」
「……」
「それに、絆というものはバカにできないぞ。時に、とんでもない力を生み出すことができる。こればかりは言葉で説明することはできないが……確かに、絆から生まれる力というものは存在するのだ。それは、どんなものよりも強い力だ」
「絆の力……」
「だから、一人になるな。孤独に慣れることを恐れろ。わしは一人でなんでも解決しようとして、結果、人を捨ててしまったからな」
エル師匠の言っていることは、正直、よくわからない。
前世の俺は一人だった。
賢者と崇められて、でも、人々から距離をおかれて……近づいてくる者なんていなかった。
だから、すでに孤独に慣れていた。
孤独を恐れていなかった。
エル師匠の言うことはわからない。
もう手遅れなのかもしれない。
でも、不思議と胸に刺さるものがあり……
「わかりました」
気がついたら自然と頷いていた。
そうさせるだけの言葉の力が、エル師匠にはあった。
「うむ。今のが、わしからの最後の教えだ。きっちりと守るように」
「努力します」
「それと……」
エル師匠がそっと近づいてきて、俺にだけ聞こえる声で言う。
「……この世界は平和そうに見えるが、しかし、仮初の平和なのだ」
「……それはどういう?」
「……魔王と呼ばれていた存在がいる」
それは!?
「……一部の者しか知らないだろうが、とんでもない力を持つ化け物だ。冗談でも誇張でもなくて、魔王は世界を滅ぼす力を持つ。できることならば、魔王から動物達を守っておくれ」
「……どうして、そんな話を俺に?」
「……なぜだろうな。レンなら、なんとかしてくれるのではないかと思ったのだよ」
エル師匠はそっと離れて、小さく笑う。
温かい感情。
それは、エル師匠からの信頼なのだろう。
「さて……そろそろお別れだな」
エル師匠の体が足からゆっくりと消えていく。
いよいよ世界から旅立ってしまうのだろう。
「……エル師匠……」
「……うぅ……」
エリゼは我慢できず、ぽろぽろと涙をこぼしてしまう。
それにつられてしまい、俺も泣いてしまいそうになった。
別れを惜しむなんて、前世ではなかったのに……
こんな感情、どうでもいいと思っていたのに……
でも、今はひどく胸が痛い。
「そう悲しまないでくれ。わしは満足なのだ。大好きな動物達を助けることができて、そして、心残りだったその子も託すことができた。満足だ……ああ、本当に悔いはない」
俺達を気遣っているわけじゃなくて、心底そう思っている様子だった。
だからこそ。
余計に胸が痛くなる。
できることなら、エル師匠ともっと一緒にいたいと思った。
魔法の修行とか関係なく、ずっと一緒に……
そんな優しい感情。
「最後の別れは笑顔にしようではないか。その方が、良い思い出となる」
「……はい」
「……ひっぐ……」
エリゼは泣いていたけど、でも、頷いてみせた。
強い子だ。
「では……」
エル師匠は、そっと手を差し出してきた。
俺は笑顔でその手を握る。
「元気でな。この三ヶ月、充実した時間を過ごすことができた。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
「では、さらばだ」
そして……
エル師匠は光に包まれて消えた。
エル師匠との別れから一週間。
「……」
特になにをするわけではなくて、俺は自室でぼーっと過ごしていた。
エル師匠の言葉が胸に引っかかっている。
一人になるな。
孤独を恐れろ。
絆を結べ。
「そんなもの……」
強くなるために必要なのだろうか?
切り捨ててしまった方が効率的なのではないか?
そう考えるものの……
でも、最後にエル師匠と握手を交わした、あの温かさを忘れることはできない。
あの時に得た温もりは、正直、強くなることと関係はないだろう。
それでも、とても大事なもののような気がして……
「ふう」
俺は、今日も頭を悩ませていた。
――――――――――
迷いを抱いた時は、体を動かすに限る。
そんなわけで、俺は、トレーニングの一環として家の周りを走っていた。
「ふう」
十周したところで足を止めて、肩にかけておいたタオルで汗を拭う。
「気晴らしにはなったかな」
思い切り汗をかいたことで、いくらかスッキリした。
悩みや迷いが消えたわけではないが……
今すぐに解決しないといけないものでもない。
ゆっくりと考えていこう。
そう割り切ったところで、家の中へ戻り、シャワーを浴びる。
ラフな格好になったところで、キッチンで冷たい水をもらい、一気飲み。
それから自室へ……
「あ……お兄ちゃん」
エリゼの部屋の扉が開いて、妹が顔を見せた。
「おはよう、エリゼ」
「はい……おはよう、ございます……」
そう応えるエリゼは元気がない。
よく見てみると、顔色も良くない。
「どうしたんだ、エリゼ? なんだか元気がないみたいだけど……風邪か?」
「わからないです……なんだか、体が重くて……頭もぼーっとして……」
「大丈夫か?」
「大丈夫……です……」
エリゼは強がるように笑って見せて……
しかし、それは長続きせず、苦しそうに顔を歪ませる。
そして……
ドサリ、と倒れてしまう。
「エリゼっ!!!?」
悲鳴をあげるのなんて、いつ以来だろう……?
――――――――――
「はぁ……はぁ……はぁ……」
ベッドの上でエリゼが苦しそうに息をこぼしていた。
その顔は赤く、高熱があることがうかがえる。
あの後……
エリゼをベッドに運び、すぐに父さんと母さんを呼んだ。
それからすぐに医者がやってきて、エリゼを診てくれる。
「むぅ……」
エリゼを診た医者は、難しい顔をした。
「うちの娘はどうなんですか!?」
「……ここではなんですから、別の部屋でお話しましょう」
医者の言葉で、俺達家族は別室に移動した。
一応、アラムもいる。
「エリゼは大丈夫ですよね? ただの風邪とか疲労とか、そういうものですよね?」
別室に移動すると、真っ先に母さんがそう尋ねた。
それに対して医者は、難しい表情を返す。
「残念ですが……そういう軽いものではありません。高熱に手足の痺れ、呼吸障害……あの症状は、オロゾ病に間違いないでしょう」
「そ、そんな……」
「エレン!」
ショックを受けた様子で母さんがよろめいて、父さんが慌てて支えた。
そのまま、父さんは母さんを椅子に座らせる。
「父さん、オロゾ病って……?」
魔法に関する勉強ばかりしていたせいで、一般知識が疎くなっていた。
これは反省点だな。
「……厄介な病気だ。女性にだけかかる病気のため、魔法となにかしらの因果関係があるのではないかと言われているが、まだ解明されていない」
「症状は?」
「高熱と体の痺れが続いて……やがて、死に至る」
「そんな……」
エリゼが死ぬ?
思いもしなかったことを言われて、一瞬、頭が真っ白になってしまう。
「お父様っ、治療方法は!?」
アラムが俺の聞きたいことを代わりに聞いてくれた。
最近はおとなしかったアラムだけど、エリゼのピンチとあって、元気を取り戻したみたいだ。
「それは……」
「オロゾ病の治療方法は……ありません」
「……え? え?」
「オロゾ病にかかる人は滅多にいない。それ故に研究が進まず、治療方法が確率されていない。未知の部分が多い病なんだ。だから……どうすることもできない」
「そんな……」
それは、つまり……
このままだと、エリゼは死んでしまう?
その時のことを想像して、どうしようもない絶望感と無力感に襲われた。
なぜだろう?
俺の目的は魔王に勝つこと。
そのために、わざわざ転生をして、魔王が逃げたと思われるこの時代まで追いかけてきた。
魔王に勝利することが至上の目的で……
言ってしまえば、他のことはどうでもいい。
家族ができたものの、俺の目的に絡んでくることはない。
どうでもいい。
その……はず、だったのに……
「……くっ!」
どうして、こんなにも無力感を味わうのだろう?
どうして、こんなにも心がざわつくのだろう?
イヤだ。
エリゼに死んでほしくなんてない。
生きてほしい。
また、あの笑顔を見せてほしい。
そんな想いが次から次に湧き上がってきた。
「だが、まだ希望はある」
なにかしら考えがあるらしく、父さんはそう言った。
「どんな病も直してしまう、伝説の霊薬……エリクサーだ。それがあれば、エリゼを治すことができる」
「でも、父さん。伝説なのに手に入れることができるんですか?」
「街の外にあるダンジョンにあると聞いている。未踏破のダンジョンなので、危険は大きいが……しかし、この際、そのようなことは気にしていられない」
父さんは、危険を気にすることなく、ダンジョンへ潜るつもりなのだろう。
それに対して、俺は……どうする?
「それじゃあ、行ってくる」
「あなた……気をつけてくださいね」
父さんは、冒険者時代の装備を取り出して完全武装した。
そして、雇った三人の冒険者と一緒に家を出る。
ちなみに、アラムも一緒だ。
自分にもなにかできることがあるはずだと必死に訴えて、同行を許可された。
俺は……
「……」
どうしたいのか?
どうしたらいいのか?
わからず、迷い、足を止めている。
「さあ、レン。私達はお父さんとアラムが無事に戻ってくるのを祈り、エリゼと一緒に待っていましょう」
「……はい」
迷う俺は、母さんに言われるままエリゼの部屋へ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ベッドの上では、エリゼが苦しそうな表情をして寝ていた。
吐息がさっきよりも荒くなっているような気がする。
「<治癒光>ヒール」
母さんは、少しでも楽になってほしいと、エリゼに治癒魔法をかける。
無駄だとわかっていても、そうせざるをえない。
立派な母親だ。
それに対して俺は……
「おにい……ちゃん……」
「エリゼ!?」
エリゼがうっすらと目をあけた。
そして、ふらふらとこちらに手を伸ばす。
慌てて駆け寄り、その手を掴んだ。
「どうした? 大丈夫か?」
「大丈夫……です……」
どう考えても大丈夫じゃないのに、エリゼは笑ってみせた。
俺達に心配をかけまいと、笑ってみせる。
「……お兄ちゃん……」
「なんだ?」
「私……怖い、です……」
「っ!?」
「どう、なっちゃうんだろう……って……私、私……」
「……大丈夫だ」
エリゼの手を強く握る。
俺はなにを迷っていたんだ?
バカなのか?
魔王とかどうでもいい。
勝利とか強くなるとか、そんなことはどうでもいい。
それよりも、もっと大事なことがあるじゃないか!
「俺がエリゼを治してみせる。だから、待っていてくれ」
「……はい」
エリゼは、弱々しいながらも小さく笑い……
そこで限界に達したのか、再び意識を手放してしまう。
そっと、俺は繋いだ手を離す。
「母さん。エリゼのこと、お願いします」
「レン? あなた……」
「いってきます」
「レン!?」
母さんの引き止めるような声が飛んできたものの、足は止まらない。
俺は……
エリゼを助ける!
――――――――――
「……あそこか」
すぐに家を出て父さん達を追いかけたものの、合流することはできなかった。
ただ、迷うことなくダンジョンを発見することができた。
ダンジョンは、街から歩いて数時間ほどの距離にあった。
一見すると、そこは神殿のようだ。
建物は石造りで、とても大きい。
見るものを威圧するような作りで、用のない人が近づくことはないだろう。
子供が間違って迷い込まないように。
あるいは冒険者でない者を立ち入らせないために、入り口には門番が配置されている。
入り口に二人、さらにその奥に二人。
計四人。
さらに詰め所らしき建物があり、そこにも数人の兵士が待機していると思われる。
なかなか厳重な警備だ。
真正面から行けば、普通に追い返されてしまうだろう。
こっそり忍び込もうとしてもすぐに見つかってしまう。
「でも、今の俺なら問題ない」
見つからないギリギリのところまで近づいたところで、魔法を詠唱する。
「影移動<シャドウシーカー>」
エル師匠から教わった闇属性の魔法で、影から影へ渡ることができる。
移動距離は目視できる範囲に限られているが、今は問題ない。
姿を消して、気配を完全に殺すことができるため……
誰にも気づかれることなく、俺は建物の内部に踏み入ることに成功した。
「よし。奥に兵士はいないみたいだな」
奥に行くとダンジョン内に足を踏み入れることになるから、警備は入り口だけなのだろう。
若干、考えが甘いような気がするのだけど……
俺にとって都合が良いから、これはこれで良しとしておこう。
念の為、周囲を警戒しつつ通路を進む。
問題なく奥へ進むことができたため、ダンジョンへ繋がる階段を降りた。
「……ここがダンジョンか」
石畳に石の壁、石の天井。
等間隔に光を放つ魔法具が設置されていて、通路をぼんやりと照らしている。
通路の広さはそこそこで、人が五人並んで歩けるくらいだ。
天井も高い。
ところどころ、見たことのない模様が壁や床に刻まれていた。
明らかな人工物だ。
しかし、誰がなんのために作ったのか未だ解明されていないという。
ダンジョン内は多数の魔物が徘徊していて……
その代わりといってはなんだけど、財宝もあちらこちらに眠っている。
……らしい。
今の時代のダンジョンは初めて入るため、全て聞いた話だ。
「こんな時じゃなかったら、じっくりと探索したいところなんだけど……」
今は、エリクサーを手に入れることだけを考えないと。
「父さん達に追いつければいいんだけど……」
理想は父さん達と合流して、一緒にエリクサーを探すことだ。
子供だからと置いていかれたけど……
ここまで来たら追い返すようなことはしないだろう。
逆に目の見える範囲に置いておこうとするはず。
合流できない場合は……
「まあ、それはその時か」
俺一人でもエリクサーを探す。
なんとしても見つけてみせる。
そして……
絶対にエリゼを助けるんだ!
前世の時には味わったことのない強い使命感が湧き上がってきた。
うん。
今ならなんでもできそうだ。
「前世の俺に足りなかったもの。エル師匠が言いたかったこと……これなのかもな」
そんなつぶやきをこぼしつつ、俺は、ダンジョンの探索を開始した。
幸いというべきか、すぐに地下二階へ続く階段を見つけることができた。
エリクサーがあるのは、おそらく最下層だろう。
テンポ良く進んでいかないとな。
そして、さらに地下三階へ。
「今のところ順調に進んでいるな」
父さん達を見つけることはできていないが、魔物と遭遇もしていない。
このまま楽をさせてもらえるとうれしいのだけど……
「さすがに、そういうわけにはいかないか」
魔物の気配が近づいてきた。
ほどなくして、錆びた短剣などで武装したゴブリンが三匹、姿を見せる。
俺が子供だからなのだろう。
ゴブリン達は、良い獲物を見つけたとばかりにケタケタと笑い、無防備にこちらに近づいてくる。
「悪いが、狩られるのはお前達の方だ!」
一匹のゴブリンが飛びかかってくるが……
遅い。
「火炎槍<ファイアランス>!」
炎の槍がゴブリンの腹を貫いた。
ゴォッ! と炎が燃え上がり、そのままゴブリンを消し炭にする。
あっけなく仲間がやられてしまい、残りのゴブリン達が動揺するような声をあげた。
それは致命的な隙だ。
「風嵐槍<エアロランス>!」
空気を巻き込むように、風の槍が撃ち出された。
二匹のゴブリンをまとめて切り刻み、その体をズタズタにする。
「ふぅ」
戦闘が終わり、俺は小さな吐息をこぼした。
考えてみれば、転生してから初めての実戦だ。
ゴブリンなんかに遅れをとるつもりはないが……
それでも久しぶりの実戦なので、多少、緊張していたのかもしれない。
軽く深呼吸を。
それから、無駄な力を抜く。
「よし」
まだまだいけるが……
この先は分かれ道になっているな。
どっちにいこう?
「ピー!」
「えっ、ニーア!?」
どこからともなくニーアが飛んできて、俺の肩に止まる。
どうやら、追いかけてきてしまったらしい。
「お前、けっこう大胆だな……」
「ピー」
呆れる俺を気にせずに、ニーアは右の方を翼で指した。
あっちに行け、ということか?
「……よし、任せた」
「ピー」
どうせ道はわからない。
なら、ニーアを信じてみよう。
そうして足を進めていくと……
「ひいいいっ!?」
その時、覚えのある悲鳴が聞こえてきた。
すぐ近くだ。
この声、アラムだよな?
もしかして、父さん達が近くに?
「いってみるか!」
俺は悲鳴がした方に駆け出した。
通路を一気に駆け抜けると、大きな広場に出た。
ちょっとしたスポーツができるほどに広い大部屋は、大量の魔物があふれていた。
ゴブリン、スライム、オーク……よりどりみどりだ。
そして……
アラムがそれらの魔物に囲まれていた。
なぜ? と考えている時間はない。
ほとんど反射的に体が動く。
「能力強化<アクセル>!」
アラムを巻き込んでしまうかもしれないから、攻撃魔法は使えない。
代わりに、身体能力を強化する魔法を使う。
体が羽のように軽くなり、さらに力がみなぎってきた。
アラムを囲う魔物の群れに突撃して……
まずは、一番手前にしたゴブリンの頭部を蹴り飛ばしてやる。
ゴブリンは悲鳴をあげて吹き飛ぶ。
そのまま壁に激突して、首がイヤな角度に曲がり絶命した。
続けてスライムを踏み抜いた。
パチンッ、とスライムの体液が弾け飛ぶ。
ねばねばとした感触が気持ち悪いが、文句なんて言っていられない。
「グルァッ!!!」
オークが丸太のような腕を振り下ろしてきた。
直撃すれば大ダメージは免れない。
なら、直撃しなければいい。
身体能力を強化しているため、オークの攻撃はスローモーションのように、ハッキリと見えていた。
蚊が止まるほどに遅い。
まずは体を半身にして、必要最低限の動作でオークの一撃を避ける。
必殺を確信していたのか、オークが驚いていた。
すぐに腕を引いて二撃目に繋げようとするが、それは許さない。
オークに飛びついて、その腕に足を絡ませる。
そのまま全身を回転させて、骨をへし折る。
「ギャウウウッ!?」
オークが悲鳴をあげてよろめいた。
アラムから離れたことを確認したところで、俺もオークから離れる。
そして、トドメの一撃。
「火炎槍<ファイアランス>!」
必殺の炎がオークを骨まで炭に変えた。
「さて……まだやるヤツはいるか?」
残りの魔物を睨みつけると、俺が敵わない相手だと思い知ったらしく慌てて逃げ出した。
「ふぅ」
魔法を使わない近接戦闘も初めてなのだけど、意外とうまくいくものだな。
これも日々のトレーニングのおかげだ。
あと、前世の経験が大きい。
魔力や身体能力はリセットされてしまったものの、経験と技術はそのまま継承している。
故に、今のように相手を翻弄して戦うことができた。
これらの技術をもっともっと昇華させていたきたいが……
それは後回し。
今はエリクサーの入手がなによりも優先される。
「大丈夫ですか、姉さん」
尻もちをついたままのアラムに手を差し出した。
「あ、あんた……ど、どうしてここに……?」
「あー……」
やっぱり、そういう話になるよな。
ここまできたら、ごまかしはきかないだろう。
仕方ない。
素直に本当のことを話すか。
「じっとしていられなかったので、こっそり後をつけてきたんですよ」
「こっそりと? そんなバカなこと……いったいどうやって。ダンジョンの入口には、門番が配置されてるのよ」
「ちょうど席を外している時を見て、中に入ったんですよ。運が良かったです」
こっそりと侵入しました、と言うと面倒なことになりそうなので、そこは適当にごまかしておいた。
「なによそれ、仕事しなさいよ門番」
魔物に襲われたというのに、アラムは元気そうだった。
この分なら、怪我はしてなさそうだな。
「家に帰りなさい」
アラムは立ち上がると、俺を睨みつけながらそう言った。
「あなたみたいな男がいても、足手まといになるだけよ」
助けてもらったというのに、この口ぶり。
こいつの頭は、スポンジかなにかでできているのだろうか?
「その足手まといに助けてもらったのは、いったいどこの誰でしょうね?」
「ぐっ」
「……はぁ」
ムカッとなり、つい言い返してしまったものの……
口論している時間すら惜しい。
今は冷静に話をして、アラムを納得させないと。
「俺のことはひとまず置いておいて……今は、エリゼのことだけを考えませんか?」
「なんですって?」
「見ての通り、俺もそれなりの戦力になります。なら、一緒に行動することで、エリクサーを入手できる可能性が上がる。だから、俺の同行を許可する。それが一番良いと思いませんか?」
「むぅ」
アラムが迷うような顔を作る。
俺のことは気に食わないけれど……
エリゼが絡んでくるとなると、無碍にすることもできないだろう。
「……わかったわ。特別に、本当に特別に、仕方なく同行を許可してあげるわ」
「……ありがとうございます」
話なんてしていないで、はったおした方が早かったかもしれない。
そんなことを思った。
でも、ここでキレたりなんてしないぞ。
なにしろ、前世と合わせれば精神年齢は100を超えているからな。
こんな子供相手にムキになるなんて恥ずかしいだけだ。
「ところで、どうして姉さんはこんなところに? 父さん達は?」
「うっ」
アラムが気まずそうに視線を逸らした。
なんだろう。
どうにもこうにも嫌な予感がする。
「どういうことなんですか。姉さん、答えてください」
「そ、それは……」
「今はこうして話している時間も惜しいです。こんなところで時間を潰していられないんです。だから、早く!」
「わ、わかったわよ……話せばいいんでしょう、話せば」
アラムは、どこかふてくされたような感じで口を開いた。
「……とんでもない魔物が現れたのよ」
「とんでもない魔物?」
「大量のゾンビを率いたリッチよ」
リッチと聞いて、一瞬、エル師匠の顔が思い浮かんだ。
エル師匠……俺、がんばっていますよ。
それにしても、リッチか……
この時代は、全体的に魔法が弱体化している。
だとしたら、リッチを相手にすると苦労するだろう。
「リッチも問題だけど、部屋を埋め尽くすほどのゾンビも厄介で……私は救援を求めるために別行動をして、他の冒険者を探していたところよ」
逃げてきたわけじゃなさそうだ。
さすがのアラムも、親を見捨てるほどバカじゃないか。
「父さん達と別れて、どれくらいの時間が?」
「そんなに経っていないはずだけど……それがどうしたの?」
「早く助けにいかないと」
「わかっているわよ。だからこうして、他の冒険者を探しているんじゃない」
「いるかどうかわからない相手を探していたら、日が暮れてしまいますよ。それに……冒険者を探す必要はありません」
「なんですって?」
「俺がいます」
「え? え……?」
アラムが困惑するが、いちいち説明したり納得させたりしている時間はない。
話を聞いた限り、相当なピンチのようだ。
急がないと。
「父さん達はどこに?」
「ち、地下四階の広場だけど……」
「階段はどこに? 案内してください」
「ど、どうするつもりなの? 私達だけなのに……」
「俺がいるから十分です」
「そ、それは……でも……」
「案内してください。早く!」
「え、ええ」
俺の勢いに押された様子で、アラムがコクコクと頷いた。
「ちっ!」
グレアム・ストラインは大きく舌打ちをした。
それと同時に、身の丈ほどもある大剣を横に薙ぐ。
彼に襲いかかろうとしていたゾンビが両断されて、体を二つに分かたれた。
それでもゾンビは生きていた。
残った上半身だけで這いながら、悪意を突き立てようとする。
「しぶとい!」
グレアムはゾンビの頭を踏み潰した。
今度こそ活動を停止する。
しかし、安心はしていられない。
ゾンビは、まだまだたくさん……数え切れないほどいるのだから。
そして、そのゾンビの群れに完全に囲まれてしまっているのだから。
「大将っ、こいつはまずいですよ!」
「これ以上は……!」
グレアムが雇った冒険者達は、ゾンビと交戦しつつ、悲鳴じみた声をあげた。
それは、実際に悲鳴だったのかもしれない。
倒しても倒してもゾンビが湧いて出てくる。
キリがない。
その原因は……
「くっ……あのリッチめ!」
グレアムは、ゾンビの群れの奥にいるリッチを睨みつけた。
ヤツがゾンビを際限なく召喚しているのだ。
すぐに元凶を絶ちたいところだけど、ゾンビの群れが邪魔をして、それができない。
防戦一方となり……
現状維持が精一杯だった。
しかし、それも長くは続かないだろう。
すでに退路は絶たれた。
体力も永遠には続かない。
いずれ押し切られてしまい、ゾンビの群れに飲み込まれてしまうだろう。
アラムに応援を呼んできてもらおうように頼んだが……
あれは口実で、この場から娘を逃がすための行為だ。
「だが、このまま終わってたまるものか!」
賭けに出るしかない。
グレアムは決意した。
「一瞬でいい! ヤツの気を引いてくれっ」
「了解です!」
冒険者の一人が応じて、魔法を唱える。
「閃光弾<フラッシュ>!」
一瞬、世界が白に染まる。
強烈な閃光に目を焼かれて、ゾンビ達が苦悶の声をあげた。
リッチも同様に、目をおさえてよろめいていた。
「今だっ、ぬぅうううううんっ!!!」
グレアムは全身の筋肉を使い、大剣を矢のように射出した。
ゴォッ!!!
風を巻き込むようにしつつ大剣が飛び、リッチの腹部を貫いた。
リッチは苦悶の声をあげて……
……しかし、それだけだ。
怒りを示すように赤い瞳を輝かせる。
リッチは通常の魔物と違い、頭部を破壊しない限り、その活動が停止することはない。
腹部を貫かれたとしても、大して問題はないのだ。
「くっ……失敗したか」
わずかな隙をついた、一か八かの作戦。
しかし、それも失敗してしまった。
それだけではなくて武器も失ってしまった。
リッチの怒りも買ってしまった。
もうリッチは油断しないだろう、遊ばないだろう。
ゾンビ達に命令を下して、一気にグレアム達を押し潰すだろう。
……死が目の前に迫っていた。
グレアムは予備のショートソードを抜いて、構える。
「……すまない」
グレアムは愛する家族達の顔を思い浮かべた。
心の中で別れを済ませる。
そして最後に、リッチに一矢報いるために命を賭けた突撃を……
ゴォオオオオオッ!!!!!
「……なんだと?」
突撃をしようとしたところで、目の前に迫るゾンビの群れが、十数体、まとめて吹き飛んだ。
――――――――――
地下四階の広場に駆けつけると、父さん達が大量のゾンビに囲まれていた。
そして、奥にゾンビの召喚主であろうリッチが見えた。
エル先生とは似ても似つかない、邪悪なオーラをまとっている。
エル先生と似ていたら、手が鈍ってしまうかもしれないと思っていたが……
安心だ。
これなら遠慮なく、思う存分にやれる。
「紅蓮嵐<フレアストーム>!」
父さん達を巻き込まないように注意しつつ、火属性の中級魔法を唱えた。
炎が渦を巻いて、下から上に立ち上がる。
紅蓮の舌に絡め取られたゾンビ達は、抵抗することを許されず、その体を燃やし尽くされた。
「父さん!」
「レン!? まさか、今のはお前が……? いったい、どうやったらそんな威力の魔法を……」
「そんな疑問は後でいいです! 怪我はないですか?」
「あ、ああ……軽い傷はいくつもあるが、致命傷はない。大丈夫だ。仲間達も無事だ」
「よかった……じゃあ、後は俺に任せてください」
「任せろ、って……いったい、なにを……?」
「いいから、父さん達はじっとしててください。ほら、姉さんもこっちへ」
アラムが慌ててこちらに移動した。
そんなアラムに、父さんが疑問を投げかける。
「アラム、これはいったいどういうことだ? まさか、レンが援軍だというのか?」
「そ、そんなつもりはないのですが……あの子、どうしてもお父様のところへ行くと行ってきかなくて……」
「二人共、伏せてください!」
なにやら話をする二人に鋭い声を飛ばした。
その後、魔法を唱える。
「<烈風爆陣円<テンペストエッジ>!」
今度は、風属性の中級魔法だ。
俺を中心にして、放射状に風が広がっていく。
それはただの風じゃない。
触れるものを全て切り刻む、刃の嵐だ。
一体、また一体とゾンビが細切れにされていく。
それでも嵐は収まることなく……
むしろ、より強大により残虐に暴れ狂う。
ゴォオオオッ! という轟音と共に、風の刃が踊り、暴れ、舞い……
部屋いっぱいにあふれていたゾンビが駆逐されるのに、さほど時間はかからなかった。
「……」
突然、危機が去ったことが信じられないらしく、父さん達は唖然としていた。
「もう大丈夫ですよ、父さん」
「こ、これも……レン、お前が……?」
「はい。余計なお世話かもしれませんが、ちょっと危なそうだったので……でも、やっぱり横槍がすぎましたかね? これくらい、父さん達なら問題なく撃退できたでしょうし……」
「「「できないから!?」」」
揃ってツッコミを入れられてしまった。
むう……おかしいな?
これくらいの魔法、前世ならば、少し訓練すれば誰でも使えたのだけど……
って、そうか。
この時代は魔法が衰退していて、しかも、男は魔法が使えないんだった。
未だその事実に慣れていないから、ついつい忘れがちに。
父さんからしたら、俺は、男なのになぜか魔法を使うことができる。
それだけじゃなくて、高威力の魔法を連発している。
そんなことはありえないと驚いているのだろう。
……少し加減した方がいいか?
やりすぎると変に注目されるかもしれない。
目立つことは好きじゃないんだよな。
「っ!? レン、まだだ!」
父さんが鋭い声を発した。
それに反応して振り返ると、リッチが杖をかざしていた。
その動きに反応するように、次々とゾンビが湧いてくる。
なるほど。
あいつを倒さない限り終わりはない、っていうことか。
リッチは防備を固めるために、慌ててゾンビを召喚しているみたいだが……
それは悪手というものだ。
「遅い! 火炎槍<ファイアランス>!」
全力の一撃を、正確無比にリッチの頭部に叩き込んだ。
ダンジョン全体を揺るがすほどの振動が響いて……
そして、リッチは跡形もなく吹き飛んだ。
それに合わせて、召喚されたゾンビ達も消えていく。
「ふぅ」
完全に敵がいなくなり、体の力を抜いた。
「もう大丈夫ですよ、父さん。これで……父さん?」
「まさか、リッチを一撃で……? どうすればそんなことが……」
「おいおい、リッチは上位の魔物なんだぞ? それなのに……」
「男が魔法を使っている? 私は今、夢を見ているの……?」
しばらくの間、父さん達はそんなことをぶつぶつと呟くのだった。
うーん……
やっぱり、色々と控えた方がいいのかもしれない。
そんなことを思う俺だった。
その後……
俺がダンジョンにいる理由と経緯を説明して、同行を申し出た。
最初、父さんは反対したけれど……
俺に助けられたところを突かれるとなにも言えず、最終的に、同行を許可してくれた。
最初からこうしていればよかったのかもしれない。
そして、再びダンジョン攻略を再開。
エリクサーの入手を目指して、ひたすらに深部を目指していく。
そして……
「見つけたぞ!」
地下十階にたどり着いたところで、父さんが歓喜の声をあげた。
見ると、広場の中央に小さな泉がある。
その泉はエメラルドグリーンで、淡く光り輝いていた。
「これがエリクサーなんですか……?」
「ああ、そうだ。ありとあらゆる病を癒すという、伝説の霊薬……うん。資料とまったく一緒だから、まず間違いないだろう。これでエリゼを治すことができる!」
父さんはあふれる笑顔で、あらかじめ用意しておいた小瓶にエリクサーを入れた。
これだけあるのだから、全部持っていってしまっては? と思わないのでもないが……
特殊な加工を施した瓶でないと、その効力を失ってしまうそうだ。
そして、その製法は極めて難しく、小瓶を用意するので精一杯なのだとか。
ふむ。
この時代のエリクサーは、そういう風になっているのか。
昔は、わりと使い放題だったのだけど……
新しい知識を仕入れることができて、ちょっと満足だ。
まあ、知識なんてどうでもいいか。
これでエリゼが助かるのなら……
「……よかった」
自然と安堵の吐息がこぼれた。
よかった……よかった。
本当によかった。
エリゼの笑顔を失うことはない。
また、天使のような笑顔を向けてくれるに違いない。
これからも……一緒にいることができる。
そう考えると、涙が出てきそうになった。
……その時。
「グルァアアアアアッ!!!」
通路の奥からおぞましい唸り声が響いてきた。
それと同時に、ズシンズシンと重い足音が近づいてくる。
姿を現したのは……
「ど、どどど……ドラゴンっ!!!?」
アラムが悲鳴をあげた。
父さん達は悲鳴こそあげていないものの、思い切り顔をひきつらせている。
「バカな!? ど、どうしてこんなところにドラゴンが……!? ダンジョンを住処にするドラゴンなんて、聞いたことがないぞ!」
「ぜ、絶対にないとは言い切れません。獲物を追いかけてきたとか、他の冒険者を追いかけてきたとか……そういう理由で、生息外の魔物がダンジョンに現れることは、ごく稀にあることですから」
「くっ、だからといって、どうしてこのようなタイミングで……!」
父さんと冒険者達、そしてアラムは顔を真っ青にしていた。
一方の俺は、そんな彼らを不思議そうに見る。
「えっと……父さん。どうして、そんなに慌てているんですか?」
「レンはあいつが見えないの? ドラゴンよ、ドラゴン! ああもうっ、私達はもう終わりよっ!!!」
なにやらアラムが発狂しているが、無視無視。
「レン……動けるか?」
「はい? ええ、まあ。もちろん動けますよ。怪我はしていませんから」
「なら、アラムと仲間達を連れて逃げてくれ。エリクサーも頼む。ここは……俺が食い止める!」
「そんな、大将!」
「無謀ですよ!」
「無謀だろうと、やらねばならんのだ! 俺には、家族と仲間を守る義務がある!!!」
父さん達は悲壮な顔をしているが……どうしたのだろう?
相手は、ただのドラゴン。
多少の強敵ではあるものの、そこまで絶望的になることはないだろうに。
……いや、待てよ?
「父さん、少し聞きたいんですけど……ドラゴンって強いんですか?」
「当たり前だろう!? 上位の魔物で、さらに、その中でも特に優れた力を持っているんだ! 個人で遭遇したら死を覚悟するしかないし、仲間がいても、やはり死を覚悟するしかない。討伐を考えるのなら、軍を動かすくらいのことをしないといけないんだぞ!」
「ただのドラゴンなのに?」
「な、なに……?」
「見た感じ、グリーンドラゴンですね。ドラゴンといっても、その中では最低ランクで、それほど警戒する相手ではありません。エンシェントドラゴンとかカオスドラゴンだったら、さすがに俺も慌てますけど……あれ、ただのでかいトカゲじゃないですか」
「で、でかいトカゲ……?」
「は、はぁ……?」
父さんとアラムがぽかんとした。
他の冒険者達もぽかんとした。
その反応を見る限り、グリーンドラゴンだとしても、父さん達にとっては死を覚悟するほどの脅威なのだろう。
前世と現代では、色々と違いがあることは承知していたが……
まいったな。
ここの認識もズレているのか。
色々とズレがあることは感じていたが、思っていた以上に価値観が違うみたいだ。
あれから500年経っているとはいえ、どうしてこんなことに?
改めて、ここまでの大きな変化に違和感を覚えた。
「レン、どうしてしまったんだ? 恐怖のあまりおかしくなってしまったのか?」
「いやいや、人を勝手におかしい人扱いしないでくださいよ」
「し、しかし……」
「とにかく、俺は大丈夫です。ドラゴンの相手は俺がするから、父さん達は後退してください。今は、エリゼにエリクサーを届けることが最優先です」
「なにをバカなことを!? レンが一人でドラゴンの相手をするなんて。それは俺の役目で……はっ!? まさか、レン……そういうこと、なのか? お前も、エリゼのために命を賭けると……? そんな覚悟を持って……」
うん?
父さんはなにを言っているんだろう?
なにか、ものすごい勘違いをしているような気がした。
「……わかった。レンも男だ。そこまでの覚悟を持っているのならば、もはやなにも言うまい」
「はぁ」
「本来なら、ドラゴンを食い止めるのは俺がやるべきことだが……そこまでの覚悟を決めているのならば、レンに任せよう。大した武器のない俺よりは、魔法を使えるレンの方が時間を稼げるかもしれないからな……くっ、なんて情けない父親だ。我が子を助けるために、我が子を犠牲にしなければいけないなんて……」
「いや、あの……」
「レン、恨んでくれていい。だが、約束する。エリゼは絶対に助ける。お前の犠牲は決して無駄にしない」
「勝手に殺さないでください。ちゃんと生きて帰りますよ」
「こんな時でも強がりを言えるとは……レンは、俺よりも強いのだな。お前という息子を持つことができて、とても誇りに思うぞ」
父さんと冒険者達は撤退の準備に入る。
アラムもそれに続いて……
「……」
なにか言いたそうに、ちらりとこちらを見た。
ただ、それ以上はなにもなくて、立ち去ってしまう。
「いくぞ!」
「し、しかし……いいんですか?」
「構わない。息子も男だ、覚悟は決めているだろう」
「……わかりました」
冒険者達が、なにやら神妙な顔で頷いた。
そして、泣きそうな顔で俺の頭を撫でてくる。
「君はすごいな……そんな小さな体なのに、俺達の誰よりも大きい」
「えっと……」
「気にするな、って言いたいのか? 本当にすごいな。心もできている。君という子を失うなんて、なんて損失になるんだろう……己の無力が恨めしい」
「とりあえず、早く行った方がいいですよ? 巻き込まれるので」
「ああ……君のその心意気、決して無駄にはしない」
「レン……もう一度言うぞ。お前は、私の誇りだ」
父さん達は、なにかをぐっと堪えるような顔をして……
そして、走り出した。
その背中に手を振り、見送る。
「すぐに追いつきますから、また後でー」
父さん達の背中が見えなくなったところで、ドラゴンと対峙する。
「さてと……それじゃあ、やるとするか。ちょうどいいから、魔法の実験に付き合ってもらうぞ?」
――――――――――
戦闘が始まったらしく、背後から轟音が聞こえてきた。
グレアムは、足を止めて戻りたいという気持ちに駆られる。
しかし、心を鬼にして我慢した。
ここで戻ればレンの思いを無駄にしてしまう。
それに、戻ったとしても大した力になれない。
魔法を使えない自分では、レンの足を引っ張ってしまうだけ。
「くそっ!」
やりきれない思いを抱えながら、グレアムはダンジョンの出口に向かい、駆けた。
走り、走り、走り……
そして、入口に戻る。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
もう安全だ。
ここまで逃げれば、そうそう簡単に追いつかれることはない。
「どうしたんですか?」
グレアムの様子に気がついて、門番が怪訝そうに声をかけてきた。
「ダンジョンにドラゴンが出た!」
「な、なんですって!?」
「急いで討伐隊を送ってくれ! あと、救助部隊を! まだ、あそこにはレンが……」
「呼びました?」
「俺の息子が残って……は?」
グレアムはゆっくりと振り返る。
そこには、煤などで少し汚れたレンの姿があった。
血で服が濡れているということはなくて、多少、埃をかぶっているくらいだ。
「レン……? お前、どうして……ドラゴンは……あ、あぁ。なんとか逃げられたのか。よかった、よかった……」
「いえ、逃げてなんかいませんよ?」
「え?」
「普通に倒してきましたけど」
「え? 倒した?」
「はい」
「ドラゴンを?」
「はい」
「この短時間で?」
「はい」
「………………」
グレアムは、たっぷりと一分近く沈黙して……
「色々とおかしいだろおおおおおぉっ!!!!!?」
心の叫びを響かせるのだった。