転生賢者のやり直し~俺だけ使える規格外魔法で二度目の人生を無双する~

「よし!」

 呆然としていた母さんが、ややあって、なにやら決意したように頷いた。

「レン、私が稽古をつけてあげますね」
「え? どうしたんですか、いきなり」
「男の子なのに魔法が使えるだけじゃなくて、『疾風連撃波<タービュランスウェイブ>』を簡単に使い、しかも、威力もとんでもない……もしかしたら、レンには魔法の才能があるのかもしれません。だとしたら、それを伸ばしてあげることが親の義務です」
「そうだな……レン、母さんに稽古をつけてもらいなさい。男だからと魔法のことは諦めていたが……もしかしたら、レンは伸びるかもしれないぞ」
「はい、よろしくおねがいします」

 素直に母さんの話を受けることにした。

 家庭に入る前の母さんは、色々な魔法を扱い、一線で活躍していたと聞く。
 俺の知らない魔法の知識、技術を持っているに違いない。
 そんな母さんに稽古をつけてもらえれば、さらに強くなることができるはずだ。

「お父さん、お母さん」

 どこか期待した様子で、エリゼが二人に声をかける。

「ん? どうしたんだ、エリゼ」
「その、あの……わ、私にも稽古をつけてほしいです。お兄ちゃんと一緒がいいです」

 稽古も一緒に、と言うエリゼは素直にかわいいと思う。

 ただ、それはどうなのか?
 エリゼは体が弱い。
 散歩くらいなら問題ないが、稽古なんてしたらどうなるか。

 父さんも同じ懸念を抱いたらしく、難しい顔に。

「うーん……エリゼのお願いならなんでも聞いてやりたいところだが、こればかりは許可できないな」
「エリゼちゃん。まずは、体を良くすることを一番に考えましょう。元気になったら、いくらでも稽古をつけてあげますから……ね?」
「……はい」

 寂しそうにエリゼは頷いた。
 エリゼも、無茶なことを言っているという自覚はあるのだろう。

 でも……

 残念そうにするエリゼを見ていると、どうにかしてあげたい、と思う。
 できることならエリゼの願いを叶えたいが、あいにく、体を強くする魔法なんてものはない。
 万能の治療薬『エリクサー』でもあれば話は別なのだけど、そんなものが都合あるわけがない。

 エリゼには悪いが、今回は諦めてもらおう。

「それじゃあ、私はレンと稽古をしますね。お父さんは、アラムを頼めますか?」
「あっ……そうだったな。わかった、任せておけ」

 今の「あっ」は、どういう意味だろうか?
 もしかして忘れていたのだろうか?
 哀れ、アラム。

 父さんは、アラムが吹き飛ばされた方に歩いて……
 そして母さんは、家の中から魔法人形を持ち出してきた。

 魔法人形というのは、魔法の訓練に使う的だ。
 魔法に対する高い耐性を持っているため、的として最適。
 さらに魔法の威力を数値化してくれるという機能付き。

 一度、使ってみたかったんだけど、俺にはまだ早いと断られていたんだよな。
 今にして思うと、俺が男だということが関係していたのだろう。

「お兄ちゃん、がんばってください!」

 エリゼは、引き続き俺の訓練を見るつもりらしい。
 訓練なんて見ても退屈だと思うが……まあいいか。

 エリゼに見られていると、不思議とやる気が出てくる。

「もう一度、確認しておきますが……レンは魔法を使えるんですよね?」
「はい、使えますよ」
「そうなのですか……改めて聞くと驚きね。しかし、どこで魔法を覚えたのかしら? 魔法書の類は与えていませんよね?」
「それは……」

 転生したからです。

 ……なんて言っても、普通、信じてくれないだろう。
 最悪、大人をからかうんじゃない、と怒られてしまうかもしれない。

 それと、男である俺が魔法を使える理由はわからない。
 謎だ。
 答えようがないんだよな。

 ここは、適当にごまかしておこう。

「姉さんが魔法を使っているところを、たまたま見て……それで覚えました。それまでは、男が魔法を使えないなんて知らなかったので。普通に、誰でも使えるものだと思っていました」
「なるほど、そういうことなのね。でも、見るだけで覚えることができるなんて……やっぱり、レンは魔法の才能があるのかもしれませんね。男の子だからと諦めていましたけど……どうやら、それは間違った判断だったみたいね」

 間違いというが、母さんの判断は仕方ないと思う。
 俺が魔法を使える方が異常なのだろう。

 この辺り、いずれ原因を突き止めた方がいいかもしれないな。

「そうなると、レンは基礎を知らないことになりますね。それはいけませんね。いいですか、レン? 直感で魔法を使うなんて、それはすごいことです。しかし、基礎を疎かにしてはいけません。自分が使っている魔法がどんなものなのかきっちり理解しないと、いつか成長が止まってしまいます。逆に言うと、ちゃんと基礎を学んでおけば、さらなる成長が期待できます」
「はい!」
「退屈かもしれませんが、まずは魔法の基礎理論について話しますね」
「退屈なんてことはありません。楽しみにしています」

 本心だ。

 あれから500年。
 女性しか魔法が使えない、という予想外の事態はあったものの……
 それは別にして、どのように魔法が進化しているのか、とても興味がある。

 ものすごく期待していた。
 期待していたのだけど……

「いいですか? レン。そもそも魔法というものは……」

 母さんが基礎の魔法理論を語る。
 その話を聞いて……俺は、軽く混乱した。

 なんだ、これは……?
 これが基礎の魔法理論だというのか?

 ありえない。

 こんなものが魔法理論だなんて……
 だって、子供でも知っているような、ママゴトみたいなレベルじゃないか。
 基礎中の基礎の、さらにその中でもレベルが低い基礎の、さらにさらに誰でも理解できるようなレベルに落とし込んだ内容で……

 要するに、母さんが話している魔法理論は、赤ちゃんレベルのものだった。
 驚くほどに低レベルだ。
 母さんは、なぜこんな低レベルな魔法理論をドヤ顔で語っているのだろうか?

 もしかして、男ということで舐められているのか?
 お前にはこのレベルがお似合いだぞ……とか?

 ……いや。
 母さんはそんなことをするような人じゃない。
 何か意味があるはずだ。

「……そうか!」

 話をする前に、母さんは基礎が大事だと言った。
 その通りだ。
 魔法に限らず、どんな物事でも基礎を疎かにしてはいけない。

 しかし、俺はどうだ?
 前世では賢者ともてはやされて……
 基礎なんて……と、疎かにしていたところがあった。

 きっと、母さんはそのことを見抜いたに違いない。
 だから、あえて基礎の中の基礎から始めることにしたんだ。
 これは、『慢心してはいけない』という教えなのだろう。

「どうしました、レン? ぼーっとしているみたいだけど……ちゃんと聞いていますか?」
「はい、大丈夫です!」

 心を入れ替えないといけないな。
 俺は、低レベルすぎる魔法理論に耳を傾けた。
 低レベルすぎて眠くなってきたが、それでも耐えて、最後まで聞いた。

「よし、魔法の基礎理論についてはこのようなところですね。いきなりでわからないことも多いかもしれませんが……どうですか?」
「はい。問題なく覚えました」
「一度聞いただけで? 本当ですか?」
「本当ですよ。なんなら復唱しましょうか?」
「いえ……疑って悪かったわ。そうよね、レンは嘘をつくような子じゃないし……だとしたら、すごいわ。調子に乗って中級の魔法理論まで踏み入ってしまったのですが、きちんと理解しているなんて」

 うん?
 今、中級の魔法理論と聞こえたような気がするが……まあ、聞き間違いだろう。
 あんな低レベルの魔法理論が中級であるわけがないからな。

「では、今の魔法理論を元に、改めて魔法を使ってみましょう。まずは、私が見本を見せますね」
「はい!」
「いきますよ」

 母さんは手の平を魔法人形に向けて、魔力を集中させる。
 そして、

「火炎槍<ファイアランス>!」

 炎の槍が放たれた。

 炎の槍はまっすぐに飛び、魔法人形を直撃した。
 ゴゥッ! という音と共に炎が荒れ狂う。

 それから、魔法人形の上に『75』という数字が表示された。
 75という数字は魔法の威力を表している。
 普通の魔法使いなら100に達するらしいから、現役を引退したことを考えると、母さんの魔法はなかなかの威力だ。

「ふう……こんなところでしょうか。どうですか?」
「はい、すごいです!」
「お母さん、かっこいいです」

 俺とエリゼに褒められて、母さんは嬉しそうな照れくさそうな、そんな笑みを浮かべた。
 子供に褒められるというのは、親にとってすごく嬉しいらしい。

「それでは、次はレンの番ですよ。今のようにやってみなさい」
「わかりました」

 手の平に魔力を収束させる。
 光の粒子が集まり、キラキラと輝いた。
 そして……それを一気に解き放つ!

「火炎槍<ファイアランス>!」

 ゴッ……ガァアアアアア!!!!!

 母さんの魔法の何倍もの巨大な炎の槍が形成されて、高速で射出された。
 魔法人形を飲み込み、紅蓮の炎を撒き散らす。

 魔法人形の上に『999』という数字が表示されるが……
 そこが限界だったらしく、次の瞬間、表示がバグって壊れてしまう。

「……」

 魔法人形が壊れるという予想外の結果を目の当たりにして、母さんは唖然とした。

「母さん、どうですか? とりあえず、今のが俺の全力なんですけど……でも、これじゃあまだまだですよね。もっともっと強くなりたいんですけど、どうすればいいと思います?」
「え? これでまだまだなんですか? もっと上を?」
「もちろんです。これくらいで満足していたらダメになってしまいますからね。俺が目指すところは、もっともっと上です」
「……あ、うん。ソウデスカ」
「母さん?」
「……レン、あなたは免許皆伝よ。私が教えられることはもう何もないわ」
「えぇ!?」
「お兄ちゃん、すごいです!」

 俺は戸惑い……
 エリゼは無邪気に俺の活躍を喜ぶのだった。
 アラムとの試合。
 そして、母さんに稽古をつけてもらった日から、数日が経っていた。

「ふむ」

 魔法書に目を通して、その内容を頭に叩き込んでいく。

 最近の俺の日課は、母さんから借りた魔法書を自室に持ち込み、勉強をすることだ。
 男だけど魔法の才能があるかもしれないということで、俺は魔法書の持ち出しを許可された。

 ようやく現代の魔法に触れることができる。

 あれからどのような進化を遂げたのか?
 女性だけが扱えるようになって、どのような変化が起きたのか?

 それを楽しみに勉強をしているのだけど……

「……まいったな」

 苦い顔をして、魔法書をパタンと閉じた。
 三十冊ほどの魔法書を隅々まで読み込んだが、成果という成果を得ることができていない状況だ。

「なんだ、この低レベルな魔法理論は?」

 魔法書に書かれている魔法理論は、どれもこれも低レベルなものばかりだ。
 間違えて子供向けのものを借りてしまったのではないかと、母さんに確認をしてみたが……
 これらの魔法書は、大人向けの本格的なものだという。

 それならばと思い、さらなる高度な魔法書を求めてみたのだけど……
 やはり、結果は変わらず。
 多少、レベルが向上しているだけで、低レベルな内容に変わりはない。

「これ、前世なら子供でも内容が理解できるレベルのものだぞ。それなのに、大人向けの難解な魔法書だって? いったい、どうなっているんだ?」

 あれこれと考えて……
 やがて、とある結論に至る。

 その結論は、なかなかに認めたくないものなのだけど……
 でも、それ以外に考えられない。

「……魔法のレベルが衰退しているな」

 心当たりはある。

 500年前、魔王が復活した。
 どこから現れたのか、その正体は何者なのか。

 なにもわからなかったけれど……
 ただ一つ。
 ヤツの目的が世界を滅ぼすこと、ということだけは理解した。

 前世の俺は魔王に戦いを挑んだ。
 別に世界を救うつもりはない。
 単純に、己の力を証明するために、最強と呼ばれていた存在に挑みたかっただけだ。

 まあ、それはどうでもいい話だ。

 で……

 500年前、魔王は盛大に暴れてくれた。
 それはもう、目を覆いたくなるほどの惨状だった。
 いくつもの国が滅び、あるいは、大陸が吹き飛んだ。

 世界滅亡の数歩手前まで進んでいたのだ。
 その影響で、たぶん、文明が停滞、衰退してしまったのだろう。

 500年かけて現状まで復興したものの……
 魔法のレベルが上がることはなくて、逆にレベルダウンしてしまった。
 そう考えると色々と辻褄が合う。

「まいったな……これじゃあ強くなることができない」

 この時代に転生した目的は、二つ。

 一つは、この時代に逃げたと思われる魔王と決着をつけること。
 今度は逃したりしない。
 真の強者を決めるため、最後までとことんやり合うつもりだ。

 もう一つは、500年の間に進化したであろう魔法を学ぶこと。
 そうすることで、俺はさらに強くなることができる。

 そう思っていたのだけど……

「進化するどころか衰退していたなんて……ホント、大誤算だ。どうする?」

 魔法書を読み漁っても意味がない。
 たぶん、どれもこれも似たようなレベルだろう。

 百年以上前の古書なら、あるいは……
 でも、そんな骨董品はウチにない。

「そうだな……人に教えてもらうのがいいかもしれないな」

 全体的に魔法のレベルは落ちているものの……
 それでも、色々な変化は起きている。
 女性しか魔法を扱うことができないなど、その最もたる例だ。

 そういう変化を重点的に学んでいけば、思わぬ発見があるかもしれない。
 そして、それは誰かに師事して教えてもらうのが一番だ。

 そんな結論に至った俺は自室を後にして、母さんのところへ向かう。

「あら? どうしたのですか、レン」

 母さんは執務室で仕事をしていた。
 のんびりと紅茶を飲んでくつろいでいるだけ……なんて貴族はいない。
 大なり小なり、貴族というものは色々な雑務に追われているものだ。

「すみません、仕事中に。今、いいですか?」
「ええ、構いませんよ。ちょうど、休憩をいれようと思っていたところですから」

 母さんはペンを置いて、俺の方を向いた。

「ちょっとお願いがあるんですけど」
「まあ、レンがお願いなんて珍しい。どうしたのですか?」
「魔法に関する家庭教師をつけてもらえませんか?」
「家庭教師を?」
「独学では限界があって。わからないところにぶつかっても、質問できる相手がいません。なので、家庭教師などをつけてもらえると助かるな、と思って」

 魔法書が低レベルすぎて役に立ちません、とはさすがに言えなかった。

「なるほど、一理ありますね。レンの場合は特殊ですし、定石通りにはいかないことも……そうですね、わかりました。お父さんと相談をして、適当な人を探してみることにします」
「本当ですか!?」
「ええ。レンには魔法の才能があるかもしれませんからね。親として、子供の才能を伸ばしてあげることは当たり前のこと。できるだけのことはしますよ」
「ありがとうございます!」

 こうして、魔法の家庭教師がつけられることになった。



――――――――――



「はじめまして。これから、私があなたの担当をさせていただきますね」
「よろしくおねがいします」

 数日後……家庭教師が見つかり、さっそく授業が行われることに。

 家庭教師は現役の冒険者だ。
 一線で活躍する魔法使いで、百を超える魔法を操るという。

 本来なら、家庭教師を引き受けているヒマなんてないのだけど……
 たまたま足を怪我してしまったらしく、その間は家庭教師をしてくれるらしい。

 一線で活躍する冒険者。
 魔法書とは違い、高度な魔法理論を理解しているかもしれない。
 それだけじゃなくて、俺が知らない技術、知識を持っているかもしれない。

 そう考えると、すごくワクワクした。

「では、まずはテストをしましょうか」
「テストですか?」
「今のあなたにどれくらいの知識、技術があるのか、最初に知っておきたいんですよ」
「なるほど」
「正直なところ……男のあなたが魔法を使えるなんて、私は信じられません。なので、その辺りを含めて、実力を見極めていきたいと思います」

 もっともな話だ。

「問題は私が作成しました。これを1時間以内に解いてみてください。あ、わからないところは空白で構いませんから」
「はい、わかりました」
「では、始め!」

 先生の合図でテストを始める。
 ペンを片手にテスト用紙と向き合い……

「あれ?」

 違和感はすぐにやってきた。

「どうしたんですか?」
「先生、この問題おかしくないですか?」
「え?」
「ほら、ここの問題。魔法術式の足りない部分を埋めろ、というやつです」
「えっと……これがどうかしましたか? 特におかしなところはないと思いますが……」
「いえ、おかしいですよ。ほら、ここのところ。他の部分をこうして、こうすれば……」

 先生が作った問題にペンを入れる。

「ほら。ここはこうした方が、より効率のいい術式になります。つまり、最初の問題は不適当ということに」
「ちょ、ちょっと待ってください……!?」

 先生は慌てて俺が修正したところを見た。

「……た、確かに。この方が術式が何倍も効率よくなって……」
「これ以上に効率がいい方法があるということは、この問題はおかしいですよね?」
「そ、そうですね……すいません。ちょっと失敗してしまいました」
「いえ、気にしていませんから」

 もしかしたら、あえてこういう問題にしたのかもな。
 問題の真意を隠して、より深い思考をさせるように仕向ける。

 さすが、一線で活躍する現役の冒険者だ。
 こういう勉強なら大歓迎だ。

「って、あれ?」
「ど、どうしました?」
「先生、この問題もおかしいですよ」
「えっ、また!?」
「ほら。ここの術式が……ここは、こう。そして、こうするべきですね」
「うっ」

 今度は単純なミスだ。
 術式の一部が別のものに入れ替わっていた。

 これじゃあ正常に魔法は発動しない。
 発動したとしても、本来の威力の半分も出ないだろう。

「ここは、こうしてこうすれば……ほら、これで正解ですよね」
「な、なんていうこと……!? まさか、このような抜け道があるなんて……」
「先生?」
「い、いえ……なんでもありません。続きをしてください」
「はい」

 ひっかけ問題が多いな。
 気を抜かず、注意して挑まないと。

「あっ、またおかしなところを見つけました」
「えぇ!?」
「ほら、こことここ。あと、ここもおかしいですね」
「う、うぅ……こんな小さな子供が。それに、男なのに……どうして、これほどまでにとんでもない知識を? わ、私の立場というものはいったい……もう、プライドがぼろぼろですよ」
「あっ、もう一つ、おかしなところを見つけました」
「すみませぇえええええんっ、もう許してくださぁあああああいっ!!!」
「あっ、先生!? 先生ーーーっ!!!?」

 なぜか、先生は泣きながら部屋を出ていってしまった。

 ……結局、先生はそのまま辞めることに。
 家庭教師の話も流れてしまう。

 どうしてこうなった?
 その後も、何人か家庭教師を雇ってもらうものの……
 いずれも『自分には無理だぁあああ!』と叫びながら出ていってしまい、魔法を教えてもらうことは叶わなかった。

「いったい、どうして?」
「「レンのせいだから」」

 父さんと母さんに、揃ってツッコミを入れられてしまった。
 俺のせいと言われても、ないもしていない。
 先生が間違った魔法理論を教えてくるから、その間違いを指摘しただけなのに。

「しかし、困りましたね」

 母さんがため息をこぼした。

 俺が魔法の勉強をすることは賛成だけど、どうやって伸ばせばいいかわからない。
 そんな感じで、難しい顔をしている。

「お父さん、どうしましょうか?」
「そうだな……ふむ、こうしてみるか」

 父さんは何か思いついた様子で、こちらを見た。

「レン。今すぐというわけにはいかないが……学校に通ってみるか?」
「学校ですか?」
「エレニウム魔法学院だ。聞いたことはあるだろう?」

 エレニウム魔法学院。
 別名、魔法使い育成学校。
 その名前の通り、魔法使いを育成することを目的として設立された学校だ。
 エリートのみが入学することを許される、超難関と聞く。

 確かに、そこなら高度な知識、技術を学ぶことができるかもしれない。
 その中に、俺が求めるものがあるかもしれない。

 しかし……

「入学できるんですか? 俺、男ですよ?」

 現代では、魔法を使えるのは女性だけ。
 ならば、学生も女性だけ。

 そんな中に、男である俺が入学できるのだろうか?

「うーん、そこなんだよな」

 父さんは難しい顔をした。
 俺と同じ懸念を抱いているらしい。

 対する母さんは気楽なものだった。

「大丈夫ではありませんか?」
「しかしだな……レンは男だぞ」
「でも、魔法が使えるんですよ? 学校に入学する方法は、試験をくぐり抜けることと、魔法を扱えること。条件はクリアーしています。レンなら試験はきっと突破できるわ」
「う、む……そうだな。男ではあるが、レンならあるいは……」
「えっと……結局、俺は学校に通えるんですか?」
「レンならきっと大丈夫よ。私が太鼓判を押してあげます」
「やった!」

 わくわくしてきた。
 学校に通うことができれば、俺はさらに強くなれるに違いない。

「じゃあ、さっそく手続きをお願いできますか!?」
「落ち着いて、レン。残念だけど、入学できるのは十五歳からなの。初等部、中等部もあるにはあるんだけど、そちらでレンが学べることは少ないと思うわ。だから、十五までは独自に勉強を重ねて、十五になったら高等部に入学する……それが一番だと思うの」
「……なるほど」
「あと10年近く待たないといけないんだけど……やっぱり、無理? どうしてもっていうのなら、初等部からでもいいんだけど……」
「ちなみに、初等部の授業はどういう内容なのか知っていますか?」
「……今まで、あなたにつけた家庭教師の授業の内容が中等部始めくらいかしら」
「……なるほど」

 そうなると、母さんの言う通り入学しても無駄だ。
 十五歳になるのを待って、高等部に入学した方がいい。

「わかりました。しばらくは自主練に励むことにします」

 父さんと母さんを困らせるつもりはない。
 もどかしさはあるものの、無茶を言わず、俺は素直に頷いた。



――――――――――



「さて、どうしたものか」

 一人になり、ふらふらと庭を散歩する。

 10年近く待たされてしまうから、その間、援助は惜しまないらしい。
 欲しい物があればなんでも言ってほしい、と母さんと父さんは言ってくれた。

 とりあえず、片っ端から魔法書を集めてもらうことにしよう。
 もしかしたら、俺の知らない知識や技術が眠っているかもしれない。
 淡い期待だが、なにもしないよりはマシだ。

 それと、自主訓練を欠かさないようにしないと。
 一日一日の積み重ねが大事だ。

 10年近く待たないといけないというのは、もどかしくはあるが……
 逆に考えよう。
 10年も研鑽を積むことができる。

「うん。しっかりと訓練を重ねていけば、きっと、前世よりも強くなれるはずだ」
「お兄ちゃん」
「そうなると、日々のトレーニングメニューを見直した方がいいな。今までは短期集中型のメニューだったから、これからは長期用のメニューに変えて……」
「お兄ちゃん、聞いていますか?」
「なに、時間があると思えばいい。一歩一歩前に進んで、必要なことを積み重ねていく。そうやって力をつけて、いずれ魔王と……」
「もうっ、お兄ちゃん!」
「うわっ!? え、エリゼ……?」

 気がついたらエリゼがすぐ近くにいた。
 頬を膨らませていて、不機嫌ですよ、と全力でアピールしている。

 いったい、いつの間に?
 どうやら、考え事に夢中になりすぎて気づかなかったみたいだ。

「どうしたんだ、エリゼ? というか、驚かさないでくれ」
「私、何度も話しかけましたよ。それなのに、お兄ちゃんが気づいてくれなかったんじゃないですか」
「悪い、ちょっとぼーっとしてた。それで、どうしたんだ?」
「お兄ちゃんと一緒にお散歩に行きたいです」
「いいよ。じゃあ、庭を……」
「違います。今日は秘密の場所に行きたいです」
「……あそこか?」

 秘密の場所というのは、街の外にある丘のことだ。
 花畑があり、とても綺麗な場所ということを覚えている。

 この街……『フラムベルク』は魔物対策として、四方を高い壁に囲まれている。
 街の外に出る時は、衛兵の検査を潜り抜けないといけないのだけど……
 壁の一部に穴が空いていて、子供なら通れるようになっている。

 以前、それを偶然見つけた俺とエリゼは、そのまま外に出て、街の外にある丘まで散歩をした……というわけだ。
 父さんや母さんに知られたら大目玉確実だ。
 故に、これは二人だけの秘密。

「お花畑に行きたいです」
「しかしだな……」

 エリゼは体が弱い。
 あまり無茶をしたら、再び寝込んでしまうかもしれない。

 強くなることが第一の目的で、他人のことはわりとどうでもいいはずなのだけど……
 でも、エリゼのことは妙に気になる。

 なんだろうな、これは?

「お兄ちゃん。今日の私、すごく体の調子がいいんです。だから、お願いできませんか?」
「うーん」
「絶対に無理はしません。お兄ちゃんの言うこともちゃんと聞きますから」
「……わかった。そこまで言うのなら」

 確かに、元気なように見えるし……
 いざという時は、魔法を使って家に戻ればいいか。

 ただ、このことがアラムにバレたら面倒なことになりそうだ。
 ギャーギャーと怒鳴り散らされるに違いない。
 まあ、あの試合以来、アラムは意気消沈して別人のようにおとなしくなっているから、そんな気力はないかもしれないが。

「じゃあ、行こうか」
「はい♪」



――――――――――



 秘密の抜け道を通り、街の外にある丘へやってきた。
 以前来た時と同じように、たくさんの花が咲いている。
 夜空の星が地上に舞い降りたかのようで、とても綺麗だ。

「わぁ」

 エリゼが目をキラキラと輝かせる。

「綺麗ですね、お兄ちゃん」
「そうだな」
「せっかくだから、花かんむりを作ってあげましょうか?」
「えっと……俺、男なんだけど」
「大丈夫です。お兄ちゃんなら、きっと似合いますよ」

 あまりうれしくない言葉だ。

「あれ?」
「どうしたんだ、エリゼ」
「あそこ……誰かが倒れています!」

 そう言って、エリゼが指さした先には……
 ボロボロのローブをまとう骸骨の姿があった。
「エリゼっ、俺の後ろに!」
「え? で、でも……」
「あれは行き倒れなんかじゃない、魔物だ!」

 リッチ。
 不死者の王と呼ばれている、非常に厄介な魔物だ。
 いくつもの強力な魔法を操り、村の一つや二つ、簡単に壊滅させるだけの力を持っている。

 前世の俺なら敵ではないのだけど……
 今の俺だとまずい。
 まだ前世に匹敵するほどの力を得ていないため、倒せるかどうか……わりとギリギリのところだ。

「先手必勝だ!」

 どうして、リッチがこんなところで寝ているのか?
 それはわからないが、ヤツが起き上がる前に勝負を決める!

 俺は、魔力を手の平に収束させて……

 キュルルルッ。

 この場にそぐわない、妙に間の抜けた音が響いた。

「は?」
「う、うぅ……」

 リッチがもぞもぞと動いて、

「は、腹が減った……」

 とんでもなく間の抜けた台詞を口にした。

 もしかして、今のは腹が鳴る音……なのか?
 骨だけなのに、どこから音が出ているのだろう?
 ついつい、そんなどうでもいいことを考えてしまう。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
「エリゼ、危ないから俺の後ろに……」
「あのガイコツさん、なんだか、かわいそうですよ」

 そんなことを言われても……どうしろと?

「うぅ……なにやらおいしそうな魔力の匂いが……」

 リッチがこちらに気がついて、顔を上げた。

「そこの子供達……すまないが、魔力を分けてくれないか? ほんの少しでいいのだ……もう何日も魔力を補給しておらず、空っぽなのだ……」
「魔物相手にそんなことをするわけないだろう」
「そ、そこをなんとか……このままでは、わしは消えてしまう……」
「お兄ちゃん……ガイコツさんが、かわいそうです」
「でも、相手は魔物だぞ?」
「それでも……やっぱり、かわいそうです」
「あー……はぁ。わかったよ」

 エリゼにお願いをされると、なぜかわからないが、断りづらい。
 俺はため息をこぼす。

「エリゼは俺の後ろに。絶対に離れないように」
「わかりました!」
「それじゃあ……」

 エリゼをかばいつつ、不意打ちを受けても対応できるように、警戒度を最大まで引き上げた。
 少しずつリッチに近づいていく。

「じっとしていろよ?」
「わかっておる……」
「ん」

 手の平をリッチにかざして、魔力を放出した。

「お、おぉ……」

 リッチの体が淡く輝いて、その顔に生気が戻り……すでに死んでいるはずなのにおかしな言葉になるが……元気になる。

「驚いたぞ……お主、男なのに魔法を使えるのか?」
「ああ、使える」
「なんと。長い間生きていると、予想外のことに巡り合うものだ」

 お前、死んでいるだろ。

「ふう……なにはともあれ、助かったぞ、少年よ。お主のおかげで、なんとか生きながらえることができた」
「妹に頼まれたからだ。でなければ、魔物なんて助けない」
「ふふふ、わかるぞ。お主、ツンデレというヤツだな?」

 したり顔のリッチに、ムカッとくる。
 殴ってやろうか?

「お兄ちゃん、お兄ちゃん。ガイコツさんは元気になりましたか?」
「ばっ……エリゼ、こっちに来るな! 危ないっ」

 リッチに近づこうとしたエリゼを慌てて背中にかばう。
 それを見たリッチが、不満そうに言う。

「おいおい、わしをなんだと思っているんだ? わしは確かに魔物だけど、恩人やその妹を襲うようなことはしないぞ?」
「怪しいな。どこまで信じられるものか」
「そもそも、わしは人を襲ったことはない。こんな体になったのは研究の結果で、元は人間だったのだ。最初から魔物だったわけではない」
「本当なのか……?」
「本当だとも。わしは、とある目的のために魔法の研究をしていてな。生前は、色々と研鑽を積み重ねてきたものだ。しかし、人に与えられた時間はあまりに短い……そこで、この体を不死者としたのだ。全ては研究を続けるために」
「あんた、女だったのか」
「ピチピチのギャルじゃぞ」

 見た目がガイコツで、こんな喋り方だからさっぱりわからん。

「その目的っていうのは?」
「うむ。それは……」

 ガイコツがなにか言おうとした時、ピィー! という鳴き声が響く。

 尾の長い青い鳥が降りてくると、ガイコツの頭に止まる。

「この鳥は……?」
「これ。今は大事な話の途中だ、邪魔をするでない」
「ピーッ!」

 そんなこと知らないとばかりに、鳥は羽を広げて鳴いてみせた。

 その姿は間抜けで……
 こんなヤツに警戒する必要はあるのか? と考えて……

「ま、いいか」

 警戒するのを止めた。
 魔物ではあるが、悪いヤツではないだろう。

「ガイコツさんの目的って、なんですか?」

 エリゼが俺の後ろから出て、そう尋ねた。
 一応、近づきすぎないように注意しておく。

「わしは動物が好きでな。世界を巡り、色々な動物の保護をしているのだ」
「動物さんの保護に、魔法の勉強が必要なんですか?」
「うむ。わしは主に、魔物に襲われている動物を助けているのだよ。魔物を追い払う、倒すのには力が必要だろう? そして、傷ついた動物を癒やすのにも魔法が必要だ。故に、魔法の研究をしていたのだよ」
「なるほどー。そこまでするなんて、本当に動物さんが好きなんですね」
「うむ、うむ! そうなのだ、わしは動物が大好きなのだよ!!!」

 ものすごい勢いで食いついてきた。

「なんといっても、まずは犬だな! 賢く凛々しく、そして主人に忠実。それでいて愛嬌があるという無敵っぷり! 対極に位置する猫も素晴らしい。気まぐれでツンデレっぽいところはあるが、それを補って有り余る可愛らしさ! その仕草一つ一つにメロメロだ! 他にも……」

 ガイコツはとてもうれしそうに動物の魅力を語る。
 俺は適当に聞き流していたが、同士のエリゼは目をキラキラさせていた。

「ガイコツさんは、どこから来たんですか?」
「あちこちを旅しているから、故郷というものはないな。旅を始めて、かれこれ数百年になるだろうか」

 ……なんだって?

「わぁ、長いんですね。一人で寂しくないんですか?」
「うむ……」

 エリゼのそんな問いかけに、ガイコツは寂しそうな顔をした……ような気がした。
 顔が骨なので、表情の判断がつかない。

「一人は寂しいな。生前はそのようなことは思わなかったが……このような身になって、本当の独り身となり、寂しさを痛感したよ」
「ガイコツさん、かわいそうです……」
「まあ、動物が寂しさを癒やしてくれるから、気にすることはない。それと、そのガイコツというのはやめてくれないか? わしには、エルという名前があるのだよ」
「わかりました、エルさん! 私はエリゼっていいます」
「うむ。よろしくな、エリゼ嬢」

 もう名前で呼び合う仲になっていた。
 妹のコミュ力半端ない。

「俺はレンだ。わかっているかもしれないが、エリゼの兄だ」

 エリゼが自己紹介をしたので、俺も自分の名前を告げておいた。

「ふむ、レン坊か」
「坊はやめてくれ。呼び捨ての方がいい」
「わかったぞ、レンよ」

 リッチ改め、エルが手を差し出してきたので、握手に応じた。

「助けてくれてありがとう。ぜひ、礼をしたいのだが……うーむ」
「どうした?」
「あいにく、人間の金は持っていなくてな。このような体だから、街に寄ることもないし大したものも持っていない。さて、どうしたものか」
「別に礼なんていらないって。エリゼに言われたから助けただけだし」
「それでも、恩を受けた以上、しっかりと返さなくては。貸し借りはしっかりとしないといけないのだぞ?」

 意外と律儀なガイコツだった。

「うーむ、うーむ……なにをすればいいものか? わしが持っているものといえば、魔法の知識くらいしかないが」

 その言葉に、俺はピクリと反応した。

「そういえば、魔法の研究をしているとか言ってたな。それは、どんなものなんだ?」
「色々な研究をしているが……そうだな。最近は、闇属性の魔法の研究をしているぞ」
「闇属性!」

 魔法は六つの属性に分かれている。
 『火』『水』『土』『風』『光』『闇』……だ。

 これらの属性のうち、才能にもよるが、人が使える魔法は闇属性を除いた五つだ。
 闇属性の魔法は魔物専用と言われていて、人間が扱うことはできない。

 しかし、俺の考えは違う。
 人間でも、闇属性の魔法も扱うことはできるはず。
 ただ、そのためのトリガーが見つからず、使えないと思われているだけ……そう考えていた。

 前世でも闇属性の魔法の研究は進めていたものの……
 結局、習得できなかった。

「恩を返したいっていうのなら、俺に闇属性の魔法を教えてくれないか!?」
「む? なんだ、レンは闇属性の魔法に興味があるのか?」
「ものすごくある!」

 新しい属性の魔法を習得すれば、さらに強くなれるはずだ。

「それとも、人間には習得できないものなのか?」
「いや、そんなことはないぞ。リッチになったからこそわかったのだが……闇属性の魔法は、普通の人間でも習得することができる。ただ、ちと面倒なだけだ」
「なら、それを教えてくれないか?」
「ふむ。習得にはそれなりの才能を必要とするが……まあ、教えろと言うのならば教えよう。しかし、習得できなかったとしても、わしを恨まないでくれよ?」
「必ず習得してみせるよ」
「うむ、その意気やよし。今日から、レンはわしの弟子だ!」

 こうして、俺は成り行きでリッチに弟子入りすることになった。

「むー……お兄ちゃんだけずるいです。私も魔法を習いたいです」

 仲間はずれにされたと思ったらしく、エリゼが頬を膨らませた。

「では、エリゼ嬢も魔法を習うかね?」
「習いたいです! お兄ちゃんと一緒がいいです!」
「おい、エリゼ。あまり無理を言って、師匠を困らせるな」
「だってだって、私もお兄ちゃんと一緒に魔法を習いたいです……」

 上目遣いに俺を見るエリゼ。
 そんな顔をされたら、反対できないじゃないか。

「わしは構わないぞ。一人も二人も、教えるのに大差はないからな」
「まあ、師匠がそういうのなら」
「やった……えへへ、おねがいします」

 エリゼも一緒に弟子入りすることになり……
 リッチの師匠による魔法修行が始まるのだった。
 それから、週に一度のペースでエル師匠から魔法を教わることになった。

 エル師匠はリッチなので、街に入ることはできない。
 街の外の丘で待ち合わせをしているのだけど……
 毎日街を抜け出していたら、いつか父さんと母さんにバレてしまうかもしれない。
 そんな懸念から週に一度のペースにしたのだ。

 週に一度、直接指導してもらい……
 残りの日々は課せられた課題をコツコツとこなす。

 地味な作業なのだけど、新しい魔法を覚えるためなのでぜんぜん苦にならない。
 むしろ、毎日が充実していた。

「では、今日の講義を始めるとしよう」
「「はいっ」」

 エル師匠の講義も、これで四度目。
 つまり、魔法修行が始まり一ヶ月が経っていた。

 驚きなのは、エリゼがしっかりと授業についてきていることだ。
 魔法の才能があったらしく、エル師匠が教えることをどんどん吸収して、自分のものにしている。

 俺も負けていられないな。
 エリゼの手本になれるように、がんばらないと。



――――――――――



「よし、では今日から実技に移ろう」

 講義が終わると、エル師匠がそんなことを口にした。

 実技!

 講義は講義で面白いのだけど……
 やはり、体を動かしたいという思いはある。
 楽しみだ。

「まずは、魔法人形を設置しよう」

 エル師匠が自分の影に手をつっこみ、そこから魔法人形を取り出した。
 闇属性の魔法の一つで、影にアイテムを収納できるらしい。
 便利だ。
 ぜひ、俺も習得したい。

「そうだな……では、エリゼ嬢からにしようか」
「わ、私ですか……?」
「うむ。エリゼ嬢は才能がある。普通なら、一ヶ月の訓練だけで魔法を使えるようにはならないのだが……エリゼ嬢なら問題ないだろう。さあ、やってみたまえ」
「……わかりました!」

 エリゼが小さな拳をぐっと握り、気合を入れる。
 それから、両手を魔法人形へ向けた。

「火炎槍<ファイアランス>!」

 赤い尾を引きながら、火炎の槍が宙を走る。
 そして、着弾。
 魔法人形の上に、『83』という数値が表示された。

 母さんが確か『75』だったよな?
 それに、エリゼはこれが初めての『火炎槍<ファイアランス>』だ。

 それらのことを考えると、実はすごい数値じゃないだろうか?

「で、できた……」

 初めて魔法を使うことができたエリゼは、感動するように己の手を見た。
 何度か手を握ったり開いたりして……
 それから、花が咲いたような笑顔になる。

「お兄ちゃん、私、やりました! やりましたよ!?」
「ああ、見ていたぞ。すごいな、エリゼは」
「えへへ♪」

 頭をなでてやると、エリゼは頬を染めた。
 ちょっと照れているのかもしれないが、でも、うれしそうだ。

「ふむ?」
「エル師匠?」

 せっかくエリゼの魔法が成功したというのに、エル師匠は難しい顔をしていた。
 いや、ガイコツだから表情はわからないし、そんな雰囲気、と言うのが正解なのだろうが。

「どうしたんですか?」
「いや……エリゼ嬢ならば、もっと上の数値を叩き出すものだと思っていたのだが……ふむ、見誤っただろうか?」
「確かに、才能はあると思いますね」
「レンは兄バカなのだな」
「そう……なんですかね?」

 初めてそんなことを言われたような気がする。
 ただ、わからない。

 エリゼのことは大事な妹と思っているが……
 それは、どれくらい『大事』なのだろう?

「……ふむ。もしかしたら」

 なにか思いついた様子で、エル師匠がエリゼを見る。

「エリゼ嬢。この前、回復魔法も教えただろう? 今度は、それを使ってみてくれないかね?」
「はい、わかりました!」

 エル師匠のことだから、何か考えがあるのだろう。
 おとなしくエリゼを見守る。

「治癒光<ヒール>!」

 優しい光が魔法人形を包み込んだ。
 この魔法人形は攻撃魔法だけではなくて、ありとあらゆる魔法の威力を測定して、数値化できるという優れものだ。

 果たして、エリゼの回復魔法の威力は?

「『230』か……普通の魔法使いで100。熟練で200って聞くから、かなりのものだな」
「ふむ。どうやら、エリゼ嬢は回復魔法の方が得意みたいだな」
「私にそんな才能が……」
「回復魔法の使い手は少ない。貴重な才能だ。その力をきっちり伸ばすといいだろう」
「はい、わかりました!」

 エリゼはうれしそうな笑顔で、元気よく返事をした。

 エリゼは体が弱いから、今まで誰かに守られてばかりだった。
 でも、自分の魔法で誰かを助けることができるかもしれない。
 それが誇らしいのだろう。

 エリゼの笑顔を見ていたら、自然とやる気が出てきた。
 よし、俺もがんばろう!

「じゃあ、次は俺の番ですね!」
「うむ。がんばれ」
「せっかくなので、今日は闇属性の魔法を試してみますね」
「闇属性の魔法を? それはまだ早いぞ」
「でも、理論は覚えたので、初級ならたぶん使えると思うんですよね」

 魔法を使う時は、精霊に語りかけて、その力を貸してもらう必要がある。
 火属性の魔法なら、イフリート。
 水属性の魔法なら、ウンディーネ。
 そんな感じで、それぞれの属性の精霊に語りかけることで、初めて魔法を使うことができるのだ。

 しかし、闇属性の精霊に語りかけることに成功した者はいない。
 なぜかわからないが、闇の精霊シャドウは人の呼びかけに応えてくれないのだ。

 その理由は、シャドウは魔物に味方する存在だから。
 故に人に手を貸すことはない。
 力を貸すのは魔の存在だけ……と、言われていた。

 でも、エル師匠によると、それは誤った認識らしい。
 シャドウも人の呼びかけにきちんと応える。
 ただ、他の精霊とはまったく違うアプローチが必要で、なおかつ、消費する魔力量も桁違いなのだ。
 それ故に、誰もシャドウに語りかけることができず、失敗が続いて……そして、誤った認知士気が広がってしまったらしい。

 俺は、エル師匠から正しいアプローチの方法を教えてもらった。
 魔力量にも自信がある。
 きっと、闇属性の魔法を使うことができるはずだ。

「ふむ……まあ、試してみるだけなら自由か」
「ありがとうございます」
「先に言っておくが、失敗したからといって落ち込む必要はないぞ? むしろ、失敗するのが当たり前だと思った方がいい。ましてやレンは男だからな、普通の人よりも難しいだろう。わしでも、理論を学んでから使えるようになるまで、数年の歳月を要して……」
「暗黒槍<ダークランス>!」

 無から闇が生まれて、槍の形を取る。
 ゴゥッ! と漆黒の槍が射出された。

 それは魔法人形の頭部に突き刺さり、荒れ狂う炎のように闇を撒き散らす。
 魔法人形の上に、『780』という数字が表示された。

「よし、できた!」
「……」
「でも、扱いに難しいですね……微妙にコントロールに失敗してしまいました」
「……」
「数値はもっと欲しいんだよな。うーん……これは要練習だな」
「……」
「あれ? どうしたんですか、エル師匠?」
「なんでやねん!?」
「エル師匠!?」

 大変だ! エル師匠が壊れた!?

「わしでも数年かかったのに、なんで六歳の子供が一ヶ月で使えるようになるのだ!? ありえないだろう!? ありえないぞ!? ありえなさすぎる!? いったい、どうなっているのだ!? なんでやねん!!!」
「エル師匠、落ち着いて」
「わし、自信なくなってきた……こんな子供に負けるなんて。もう無理だ……そうだな、無理だな。山へ帰ろう、そこで動物達と静かに暮らそう……」
「ちょっ……エル師匠!? どこへ行こうとしているんですか!?」
「山へ帰る……ぐすん」
「師匠ぉおおおーーー!?」

 俺が必死になってエル師匠をなだめている間、

「やっぱり、お兄ちゃんはすごいです♪」

 エリゼはキラキラとした顔で、俺と師匠のやりとりを見守るのだった。
 闇属性の魔法を使えるようになったけれど、全てを極めたわけじゃない。
 初級を使えるようになっただけなので、まだまだ先は長い。
 これからがスタートなので、今まで以上にがんばらないと。

 そんなわけで……

 俺とエリゼは、その後もエル師匠の元で修行を積んだ。
 人を捨ててリッチになるほどなので、エル師匠の知識はすごいものが。
 俺の知らない魔法理論をたくさん知っていて、色々なことを吸収することができた。

 エリゼも才能を開花させて、次々と回復魔法を習得していく。
 将来は、優秀は治癒師になれるかもしれない。

 そうして訓練を続けて……
 あっという間に三ヶ月が経った。



――――――――――



「お兄ちゃん、今日はどんなことを教えてもらえるんでしょうね?」
「んー……どうだろうな」

 いつものようにエリゼと一緒に街を抜け出して、エル師匠が待つ丘へ向かう。
 その途中、俺は考え事をしていた。

 たまにだけど、訓練中に視線を感じるんだよな。
 その視線の主は……最初、エル師匠の頭に止まった青い鳥だ。

 気の所為かもしれないが、じっとこちらを見ている時がある。
 その視線に、意思のようなものを感じる……かもしれない。

 なんともいえない、微妙な感じだ。

「……なんなんだろうな、あの鳥は」
「お兄ちゃん?」
「いや、なんでもない。早く行こう、エル師匠が待っている」
「はい」

 丘へ移動すると、いつもいるはずのエル師匠の姿がない。
 代わりに、犬や猫、狐や狸……たくさんの動物がいた。

 動物達は俺とエリゼに気がつくと、一斉に駆けてきた。
 尻尾を振ったりしつつ、遊んで遊んでとじゃれてくる。

「お、おい。やめろって。俺は修行をしに来ただけで、遊んでいるヒマなんてないんだ」
「わぁ♪ もふもふです」

 エリゼは、一瞬で動物達の虜に。
 とてもごきげんな様子で、動物達を撫でている。

「少しくらい遊んでもいいですよね?」
「でも、それより修行を……」
「……お兄ちゃん……」
「……はぁ、わかった」

 どうにもこうにも、エリゼにお願いをされると弱い。
 謎の力が働いているかのようで、無条件で従いたくなってしまう。

「師匠もいないし、少し遊ぶか」
「はい!」

 俺は手の平を上に向けて、魔力を収束させる。

「<水珠>ウォーターボール」

 魔法で水を使ったボールを作り出した。
 ちょっとブヨブヨしているものの、すぐに割れたり消えたりすることはなく、普通のボールとして使うことができる。

「そら、取ってこい!」
「「「オンッ!!!」」」

 犬と狸と狐。
 さらに猫と猪……動物達が一斉にボールを追いかけた。

 そんなに好きなのか?

「動物さん達、すごく喜んでいますね」
「最近は、俺達がエル師匠を独占していたから、遊び相手に飢えていたのかもな」

 だとしたら悪いことをした。
 強くなるためとはいえ、さすがに、他人の楽しみを邪魔するつもりはない。

 仕方ない。
 今日はとことん遊ぶとするか。

 そんなことを考えていると、犬がボールを咥えて戻ってきた。
 尻尾をブンブンと振っていて、また投げて? と目で訴えている。

「よし、いけ!」
「「「オンッ!!!」」」

 ボールを投げて、取ってきてもらう。
 ただそれだけなのだけど、動物達はすごく楽しいらしい。
 とても生き生きとした様子で野原を駆けている。

「ん?」

 何度かボールを投げていると、ふと、青い鳥が俺の肩に降りてきた。
 エル師匠と一緒にいる、なんだか不思議な鳥だ。

「ピー」
「いて」

 くちばしでツンツンと突かれた。

「なんだよ、お前も遊んでほしいのか?」
「ピー」
「よしよし」

 指先で頭を撫でてやると、鳥はうれしそうに鳴いた。
 喜んでいるのだろうか?

「ほう。そやつが懐くとは珍しいな」
「エル師匠」

 丘の反対側からエル師匠が姿を見せた。

「すまないのう、遅れてしまった」
「いえ、大丈夫です。それより、なにかあったんですか?」
「なに。ちょっとした野暮用だよ。それよりも、今日は実技をしようと思う。レン、この前教えた魔法を使ってみてほしい」

 そう言いながら、エル師匠は魔法人形を設置した。

 なんだろう?
 うまく言葉にできないのだけど、エル師匠の様子がいつもと違うような気がする。
 気になるが、師匠の言葉を無視することはできない。

 とにかくも、手の平に魔力を収束させた。
 使用するのは、闇属性の中級魔法。
 最初は初級だけしか使えなかったのだけど、今は中級まで使用できるようになっていた。

「魔炎疾風牙<デモンパニッシャー>!」

 影が隆起して、無数の槍となって地面から生えてきた。
 それらは意思を持つように動いて、魔法人形を串刺しにする。
 『999』という数値が表示された後、魔法人形は壊れてしまう。

「どうですか、エル師匠?」
「うむ……すばらしいな。文句のつけようがない」
「ありがとうございます」
「レン」

 エル師匠の雰囲気が変わる。
 じっとこちらを見つめて、どこか寂しそうな、それでいてうれしそうな……
 複雑な感情を見せた。

「おめでとう。今日で、免許皆伝だ」
「え?」

 予想外の言葉に、思わず間の抜けた顔をしてしまう。
 今、エル師匠はなんて……?

「レン。君の成長は、わしの想像を遥かに上回っていた。わしの一生と、さらにリッチになった後に学んだ技術の全てを、この三ヶ月で全て習得してみせた。これ以上、教えられることはなにもない」
「そんなことは……」
「そんなことあるのだよ。わしは、わしの持てる全てをレンに教えた。だから、免許皆伝なのだ」
「……エル師匠……」

 つまり、エル師匠と過ごす日はこれで終わり……ということか。

 それは俺が強くなることができた証。
 本来なら喜ぶべきことなのだけど……

 どうしてだろう?
 今まで、当たり前のように過ごしていた日々が、唐突に終わりを迎える。
 ひどく寂しいと感じてしまう。

「そして、エリゼ嬢。同じく、君も免許皆伝だ」
「そうなんですか?」
「本来なら、もっと色々なことを教えられればいいのだが……あいにく、わしは回復魔法が苦手なのだ。リッチなのでな。これ以上、教えられることはないのだよ。なに、心配することはない。わしではなくて、他の師を見つければいい。そうすれば、さらなる高みへ届くだろう」
「でも、私、お兄ちゃんみたいな才能はないのに……うまくやっていけるんでしょうか?」
「そう自分を卑下するな。エリゼ嬢も、レンに負けないくらいの才能があるぞ。特に、回復魔法が優れている。鍛えれば、きっと一流の治癒術士になれるだろう」
「が、がんばりますっ」
「うむ、精進するがいい」
「エル師匠は……これから、どうするんですか?」

 エル師匠の今後が気になり、そんなことを尋ねた。

「うむ、そうだな……二人を子供としてではなくて、一人の人間として扱うからこそ、辛いかもしれないが真実を話そう」

 そう言うエル師匠は、とても神妙な雰囲気をまとっていた。
 こんなエル師匠、今まで見たことがない。

「わしらが最初に出会った日、わしの目的を話しただろう?」
「えっと……動物達の保護、でしたよね?」
「うむ。わしは動物が好きだ。そのために力を求めて、リッチにさえなった。ただ……リッチというものは、自然の……世界の摂理を捻じ曲げているような存在だ。ずっと存在することはできん」
「まさか……」

 嫌な予感が思い浮かび……
 そして、それは的中する。

「わしは、そろそろ天に召されるだろう」
「「っ!?」」
「すまないな、驚かせて。あと、そんなに悲しそうな顔をするな。二人のことを子供ではなくて、一人前だと思ったからこそ、適当にごまかすことなく、真実を告げたのだ。しっかりと受け止めてほしい」
「それは……」

 ずるい。
 そんなことを言われたら、引き止めることも泣くこともできないじゃないか。

 って……
 俺は今、すごく悲しく思っている?
 寂しく思っている?

 強くなることだけを考えてきたはずなのに、それなのに……?

「今日遅れたのは、ここにいる動物達の引き取り先を見つけてきたのだよ。わしがいなくなると、大変なことになるからな」

 リッチのエル師匠が、どうやってそんなことをしたのか?

 気になるけれど……
 まあ、エル師匠のことだ。
 リッチとばれることなく、うまくやったのだろう。

「ただ、一つだけ心残りがあってのう」
「それは……なんですか?」
「その子じゃよ」

 エル師匠は、俺の頭の上にとまる青い鳥を指差した。

 こいつ、実技の際も離れなかったんだよな。
 普通の鳥は、魔法を使ったりすると驚いて飛び去るものだけど……
 肝が座っているのか、まったく離れなかった。

「その子は、わしが今まで出会った動物の中でも特別というか……とびきり変わっていてのう。人に気を許さず、わしも、なかなか近づくことができなかった」
「エル師匠が……」

 動物が好きで、動物にも好かれている。
 そんなエル師匠が苦戦するなんて、どんな性格をしているのだろう?

「その子のことが気がかりで、今まで天に旅立つわけにはいかなかったが……しかし、これなら安心できそうだ」
「もしかして……」
「その子を、レンとエリゼ嬢に預けてもいいか?」
「……」

 エル師匠のまっすぐな想いを感じた。

 それから、今度は肩に移動した鳥を見る。
 目がバッチリと合う。

 ただの鳥のはずなのに、深い知性を感じられて……
 なんていうか、こうして目を見ていると不思議な気分になる。

「お前は……俺のところに来るか?」
「ピー!」

 俺の言葉がわかっているかのように、鳥は翼を広げて大きく鳴いた。

「よし。それなら、今日からお前はストライン家の一員だ」
「わー、鳥さんと一緒です! 今日は一緒に寝ましょうね」

 エリゼは無邪気に喜んでいた。

「名前をつけてくれるか?」
「つけてないんですか?」
「いずれ、こうなることを予想していたからのう……名は、本当の飼い主がつけるべきだろう?」
「なら……」

 少し考えて口を開く。

「ニーア、なんてどうだ?」

 古代語で『空』という意味だ。

「ピーッ!」

 気に入ってくれたらしく、鳥……ニーアは高く鳴いた。

「よしよし」

 ニーアの行き先が決まったことは良いことだと思う。
 でも、それは同時にエル師匠の未練が完全になくなるということで……

「うむ。これで、もう心残りはない」
「……あ……」

 俺達の様子を見届けたエル師匠は、満足そうに何度も頷いていた。
 その体は……うっすらと透けていき、光がこぼれていく。

「……エル師匠……」
「……うぅ……」
「二人共、そう悲しそうな顔をするな。わしは、とっくの昔に死んだ身。本来なら、あるはずのない出会いなのだから、最初からなかったことと思えばいい」
「そんな風に……割り切れませんよ」
「この子、絶対に大事にします! すっごくすっごくかわいがりますね!!!」
「うむ、エリゼ嬢がそう言うのならば安心だ」

 ガイコツだから表情はわからない。
 でも、エル師匠は優しく笑ったような気がした。

「エリゼ嬢。先も言ったが、君には魔法の才能がある。回復魔法の才能だ。極めれば、死者蘇生すら可能になるかもしれん。だから、がんばれ。がんばれ」
「はい……!」
「わしは、いつでも応援しているぞ。うむ。がんばれ!」
「はいっ……!!!」

 エリゼは涙を堪えつつ、何度も頷いてみせた。

 病弱で、か弱いと思っていたのだけど……
 でも、そんなことはないんだな。
 エリゼもきちんと成長している。

「そして、レン」
「はい」
「一つ、聞きたいのだが……レンは、どうして力を求めるのだ? その歳なのに、どうしてそんなに焦るように力を求める?」
「それは……」

 前世で果たすことができなかった、魔王と決着をつけるためだ。
 しかし、そんな話をしても信じてもらえるかどうか。

「ふむ……沈黙ということは、話せないということか」
「すみません……」
「いや、かまわない。レンにはレンの事情があるのだろう」

 エル師匠は優しい声で言い……
 次いで、こちらを気遣うような感じで言葉を続ける。

「ただ、これだけは覚えておいてほしい……わしのようになるな」

 そう言うエル師匠は、どこか自嘲めいていた。

「それは、どういう……?」
「一人になるな、ということだ」
「一人に……?」

 どういう意味なのだろう?
 不思議そうな顔をする俺に、エル師匠は静かに言葉を重ねる。

「レンは、なにかしら目的があるのだろう? そのために力を求めているのだろう?」
「それは……」
「話せないのなら話さなくていい。ただ、力だけを求めてはいけない。力だけではなくて、絆を求めるのだ」
「絆?」
「人は一人で行きられない生き物だ。孤独を恐れなくなったら、それはもう終わりだ。どこかが壊れているとしか言いようがない。目的を達成したとしても、そんな状況に陥ってしまえば意味がないだろう?」
「……」
「それに、絆というものはバカにできないぞ。時に、とんでもない力を生み出すことができる。こればかりは言葉で説明することはできないが……確かに、絆から生まれる力というものは存在するのだ。それは、どんなものよりも強い力だ」
「絆の力……」
「だから、一人になるな。孤独に慣れることを恐れろ。わしは一人でなんでも解決しようとして、結果、人を捨ててしまったからな」

 エル師匠の言っていることは、正直、よくわからない。

 前世の俺は一人だった。
 賢者と崇められて、でも、人々から距離をおかれて……近づいてくる者なんていなかった。

 だから、すでに孤独に慣れていた。
 孤独を恐れていなかった。

 エル師匠の言うことはわからない。
 もう手遅れなのかもしれない。

 でも、不思議と胸に刺さるものがあり……

「わかりました」

 気がついたら自然と頷いていた。
 そうさせるだけの言葉の力が、エル師匠にはあった。

「うむ。今のが、わしからの最後の教えだ。きっちりと守るように」
「努力します」
「それと……」

 エル師匠がそっと近づいてきて、俺にだけ聞こえる声で言う。

「……この世界は平和そうに見えるが、しかし、仮初の平和なのだ」
「……それはどういう?」
「……魔王と呼ばれていた存在がいる」

 それは!?

「……一部の者しか知らないだろうが、とんでもない力を持つ化け物だ。冗談でも誇張でもなくて、魔王は世界を滅ぼす力を持つ。できることならば、魔王から動物達を守っておくれ」
「……どうして、そんな話を俺に?」
「……なぜだろうな。レンなら、なんとかしてくれるのではないかと思ったのだよ」

 エル師匠はそっと離れて、小さく笑う。

 温かい感情。
 それは、エル師匠からの信頼なのだろう。

「さて……そろそろお別れだな」

 エル師匠の体が足からゆっくりと消えていく。
 いよいよ世界から旅立ってしまうのだろう。

「……エル師匠……」
「……うぅ……」

 エリゼは我慢できず、ぽろぽろと涙をこぼしてしまう。
 それにつられてしまい、俺も泣いてしまいそうになった。

 別れを惜しむなんて、前世ではなかったのに……
 こんな感情、どうでもいいと思っていたのに……
 でも、今はひどく胸が痛い。

「そう悲しまないでくれ。わしは満足なのだ。大好きな動物達を助けることができて、そして、心残りだったその子も託すことができた。満足だ……ああ、本当に悔いはない」

 俺達を気遣っているわけじゃなくて、心底そう思っている様子だった。

 だからこそ。
 余計に胸が痛くなる。

 できることなら、エル師匠ともっと一緒にいたいと思った。
 魔法の修行とか関係なく、ずっと一緒に……
 そんな優しい感情。

「最後の別れは笑顔にしようではないか。その方が、良い思い出となる」
「……はい」
「……ひっぐ……」

 エリゼは泣いていたけど、でも、頷いてみせた。
 強い子だ。

「では……」

 エル師匠は、そっと手を差し出してきた。
 俺は笑顔でその手を握る。

「元気でな。この三ヶ月、充実した時間を過ごすことができた。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
「では、さらばだ」

 そして……
 エル師匠は光に包まれて消えた。
 エル師匠との別れから一週間。

「……」

 特になにをするわけではなくて、俺は自室でぼーっと過ごしていた。
 エル師匠の言葉が胸に引っかかっている。

 一人になるな。
 孤独を恐れろ。
 絆を結べ。

「そんなもの……」

 強くなるために必要なのだろうか?
 切り捨ててしまった方が効率的なのではないか?

 そう考えるものの……

 でも、最後にエル師匠と握手を交わした、あの温かさを忘れることはできない。
 あの時に得た温もりは、正直、強くなることと関係はないだろう。
 それでも、とても大事なもののような気がして……

「ふう」

 俺は、今日も頭を悩ませていた。



――――――――――



 迷いを抱いた時は、体を動かすに限る。
 そんなわけで、俺は、トレーニングの一環として家の周りを走っていた。

「ふう」

 十周したところで足を止めて、肩にかけておいたタオルで汗を拭う。

「気晴らしにはなったかな」

 思い切り汗をかいたことで、いくらかスッキリした。

 悩みや迷いが消えたわけではないが……
 今すぐに解決しないといけないものでもない。
 ゆっくりと考えていこう。

 そう割り切ったところで、家の中へ戻り、シャワーを浴びる。

 ラフな格好になったところで、キッチンで冷たい水をもらい、一気飲み。
 それから自室へ……

「あ……お兄ちゃん」

 エリゼの部屋の扉が開いて、妹が顔を見せた。

「おはよう、エリゼ」
「はい……おはよう、ございます……」

 そう応えるエリゼは元気がない。
 よく見てみると、顔色も良くない。

「どうしたんだ、エリゼ? なんだか元気がないみたいだけど……風邪か?」
「わからないです……なんだか、体が重くて……頭もぼーっとして……」
「大丈夫か?」
「大丈夫……です……」

 エリゼは強がるように笑って見せて……
 しかし、それは長続きせず、苦しそうに顔を歪ませる。

 そして……

 ドサリ、と倒れてしまう。

「エリゼっ!!!?」

 悲鳴をあげるのなんて、いつ以来だろう……?



――――――――――



「はぁ……はぁ……はぁ……」

 ベッドの上でエリゼが苦しそうに息をこぼしていた。
 その顔は赤く、高熱があることがうかがえる。

 あの後……

 エリゼをベッドに運び、すぐに父さんと母さんを呼んだ。
 それからすぐに医者がやってきて、エリゼを診てくれる。

「むぅ……」

 エリゼを診た医者は、難しい顔をした。

「うちの娘はどうなんですか!?」
「……ここではなんですから、別の部屋でお話しましょう」

 医者の言葉で、俺達家族は別室に移動した。
 一応、アラムもいる。

「エリゼは大丈夫ですよね? ただの風邪とか疲労とか、そういうものですよね?」

 別室に移動すると、真っ先に母さんがそう尋ねた。
 それに対して医者は、難しい表情を返す。

「残念ですが……そういう軽いものではありません。高熱に手足の痺れ、呼吸障害……あの症状は、オロゾ病に間違いないでしょう」
「そ、そんな……」
「エレン!」

 ショックを受けた様子で母さんがよろめいて、父さんが慌てて支えた。
 そのまま、父さんは母さんを椅子に座らせる。

「父さん、オロゾ病って……?」

 魔法に関する勉強ばかりしていたせいで、一般知識が疎くなっていた。
 これは反省点だな。

「……厄介な病気だ。女性にだけかかる病気のため、魔法となにかしらの因果関係があるのではないかと言われているが、まだ解明されていない」
「症状は?」
「高熱と体の痺れが続いて……やがて、死に至る」
「そんな……」

 エリゼが死ぬ?
 思いもしなかったことを言われて、一瞬、頭が真っ白になってしまう。

「お父様っ、治療方法は!?」

 アラムが俺の聞きたいことを代わりに聞いてくれた。
 最近はおとなしかったアラムだけど、エリゼのピンチとあって、元気を取り戻したみたいだ。

「それは……」
「オロゾ病の治療方法は……ありません」
「……え? え?」
「オロゾ病にかかる人は滅多にいない。それ故に研究が進まず、治療方法が確率されていない。未知の部分が多い病なんだ。だから……どうすることもできない」
「そんな……」

 それは、つまり……
 このままだと、エリゼは死んでしまう?

 その時のことを想像して、どうしようもない絶望感と無力感に襲われた。

 なぜだろう?
 俺の目的は魔王に勝つこと。
 そのために、わざわざ転生をして、魔王が逃げたと思われるこの時代まで追いかけてきた。

 魔王に勝利することが至上の目的で……
 言ってしまえば、他のことはどうでもいい。
 家族ができたものの、俺の目的に絡んでくることはない。

 どうでもいい。

 その……はず、だったのに……

「……くっ!」

 どうして、こんなにも無力感を味わうのだろう?
 どうして、こんなにも心がざわつくのだろう?

 イヤだ。
 エリゼに死んでほしくなんてない。
 生きてほしい。
 また、あの笑顔を見せてほしい。

 そんな想いが次から次に湧き上がってきた。


「だが、まだ希望はある」

 なにかしら考えがあるらしく、父さんはそう言った。

「どんな病も直してしまう、伝説の霊薬……エリクサーだ。それがあれば、エリゼを治すことができる」
「でも、父さん。伝説なのに手に入れることができるんですか?」
「街の外にあるダンジョンにあると聞いている。未踏破のダンジョンなので、危険は大きいが……しかし、この際、そのようなことは気にしていられない」

 父さんは、危険を気にすることなく、ダンジョンへ潜るつもりなのだろう。
 それに対して、俺は……どうする?
「それじゃあ、行ってくる」
「あなた……気をつけてくださいね」

 父さんは、冒険者時代の装備を取り出して完全武装した。
 そして、雇った三人の冒険者と一緒に家を出る。

 ちなみに、アラムも一緒だ。
 自分にもなにかできることがあるはずだと必死に訴えて、同行を許可された。

 俺は……

「……」

 どうしたいのか?
 どうしたらいいのか?

 わからず、迷い、足を止めている。

「さあ、レン。私達はお父さんとアラムが無事に戻ってくるのを祈り、エリゼと一緒に待っていましょう」
「……はい」

 迷う俺は、母さんに言われるままエリゼの部屋へ。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 ベッドの上では、エリゼが苦しそうな表情をして寝ていた。
 吐息がさっきよりも荒くなっているような気がする。

「<治癒光>ヒール」

 母さんは、少しでも楽になってほしいと、エリゼに治癒魔法をかける。
 無駄だとわかっていても、そうせざるをえない。
 立派な母親だ。

 それに対して俺は……

「おにい……ちゃん……」
「エリゼ!?」

 エリゼがうっすらと目をあけた。
 そして、ふらふらとこちらに手を伸ばす。

 慌てて駆け寄り、その手を掴んだ。

「どうした? 大丈夫か?」
「大丈夫……です……」

 どう考えても大丈夫じゃないのに、エリゼは笑ってみせた。
 俺達に心配をかけまいと、笑ってみせる。

「……お兄ちゃん……」
「なんだ?」
「私……怖い、です……」
「っ!?」
「どう、なっちゃうんだろう……って……私、私……」
「……大丈夫だ」

 エリゼの手を強く握る。

 俺はなにを迷っていたんだ?
 バカなのか?

 魔王とかどうでもいい。
 勝利とか強くなるとか、そんなことはどうでもいい。
 それよりも、もっと大事なことがあるじゃないか!

「俺がエリゼを治してみせる。だから、待っていてくれ」
「……はい」

 エリゼは、弱々しいながらも小さく笑い……
 そこで限界に達したのか、再び意識を手放してしまう。

 そっと、俺は繋いだ手を離す。

「母さん。エリゼのこと、お願いします」
「レン? あなた……」
「いってきます」
「レン!?」

 母さんの引き止めるような声が飛んできたものの、足は止まらない。

 俺は……
 エリゼを助ける!



――――――――――



「……あそこか」

 すぐに家を出て父さん達を追いかけたものの、合流することはできなかった。
 ただ、迷うことなくダンジョンを発見することができた。

 ダンジョンは、街から歩いて数時間ほどの距離にあった。

 一見すると、そこは神殿のようだ。
 建物は石造りで、とても大きい。
 見るものを威圧するような作りで、用のない人が近づくことはないだろう。

 子供が間違って迷い込まないように。
 あるいは冒険者でない者を立ち入らせないために、入り口には門番が配置されている。
 入り口に二人、さらにその奥に二人。
 計四人。

 さらに詰め所らしき建物があり、そこにも数人の兵士が待機していると思われる。
 なかなか厳重な警備だ。
 真正面から行けば、普通に追い返されてしまうだろう。
 こっそり忍び込もうとしてもすぐに見つかってしまう。

「でも、今の俺なら問題ない」

 見つからないギリギリのところまで近づいたところで、魔法を詠唱する。

「影移動<シャドウシーカー>」

 エル師匠から教わった闇属性の魔法で、影から影へ渡ることができる。
 移動距離は目視できる範囲に限られているが、今は問題ない。

 姿を消して、気配を完全に殺すことができるため……
 誰にも気づかれることなく、俺は建物の内部に踏み入ることに成功した。

「よし。奥に兵士はいないみたいだな」

 奥に行くとダンジョン内に足を踏み入れることになるから、警備は入り口だけなのだろう。

 若干、考えが甘いような気がするのだけど……
 俺にとって都合が良いから、これはこれで良しとしておこう。

 念の為、周囲を警戒しつつ通路を進む。
 問題なく奥へ進むことができたため、ダンジョンへ繋がる階段を降りた。

「……ここがダンジョンか」

 石畳に石の壁、石の天井。
 等間隔に光を放つ魔法具が設置されていて、通路をぼんやりと照らしている。

 通路の広さはそこそこで、人が五人並んで歩けるくらいだ。
 天井も高い。
 ところどころ、見たことのない模様が壁や床に刻まれていた。

 明らかな人工物だ。
 しかし、誰がなんのために作ったのか未だ解明されていないという。

 ダンジョン内は多数の魔物が徘徊していて……
 その代わりといってはなんだけど、財宝もあちらこちらに眠っている。

 ……らしい。
 今の時代のダンジョンは初めて入るため、全て聞いた話だ。

「こんな時じゃなかったら、じっくりと探索したいところなんだけど……」

 今は、エリクサーを手に入れることだけを考えないと。

「父さん達に追いつければいいんだけど……」

 理想は父さん達と合流して、一緒にエリクサーを探すことだ。

 子供だからと置いていかれたけど……
 ここまで来たら追い返すようなことはしないだろう。
 逆に目の見える範囲に置いておこうとするはず。

 合流できない場合は……

「まあ、それはその時か」

 俺一人でもエリクサーを探す。
 なんとしても見つけてみせる。

 そして……
 絶対にエリゼを助けるんだ!

 前世の時には味わったことのない強い使命感が湧き上がってきた。
 うん。
 今ならなんでもできそうだ。

「前世の俺に足りなかったもの。エル師匠が言いたかったこと……これなのかもな」

 そんなつぶやきをこぼしつつ、俺は、ダンジョンの探索を開始した。

 幸いというべきか、すぐに地下二階へ続く階段を見つけることができた。
 エリクサーがあるのは、おそらく最下層だろう。
 テンポ良く進んでいかないとな。

 そして、さらに地下三階へ。

「今のところ順調に進んでいるな」

 父さん達を見つけることはできていないが、魔物と遭遇もしていない。
 このまま楽をさせてもらえるとうれしいのだけど……

「さすがに、そういうわけにはいかないか」

 魔物の気配が近づいてきた。
 ほどなくして、錆びた短剣などで武装したゴブリンが三匹、姿を見せる。

 俺が子供だからなのだろう。
 ゴブリン達は、良い獲物を見つけたとばかりにケタケタと笑い、無防備にこちらに近づいてくる。

「悪いが、狩られるのはお前達の方だ!」

 一匹のゴブリンが飛びかかってくるが……
 遅い。

「火炎槍<ファイアランス>!」

 炎の槍がゴブリンの腹を貫いた。
 ゴォッ! と炎が燃え上がり、そのままゴブリンを消し炭にする。

 あっけなく仲間がやられてしまい、残りのゴブリン達が動揺するような声をあげた。
 それは致命的な隙だ。

「風嵐槍<エアロランス>!」

 空気を巻き込むように、風の槍が撃ち出された。
 二匹のゴブリンをまとめて切り刻み、その体をズタズタにする。

「ふぅ」

 戦闘が終わり、俺は小さな吐息をこぼした。

 考えてみれば、転生してから初めての実戦だ。
 ゴブリンなんかに遅れをとるつもりはないが……
 それでも久しぶりの実戦なので、多少、緊張していたのかもしれない。

 軽く深呼吸を。
 それから、無駄な力を抜く。

「よし」

 まだまだいけるが……
 この先は分かれ道になっているな。
 どっちにいこう?

「ピー!」
「えっ、ニーア!?」

 どこからともなくニーアが飛んできて、俺の肩に止まる。
 どうやら、追いかけてきてしまったらしい。

「お前、けっこう大胆だな……」
「ピー」

 呆れる俺を気にせずに、ニーアは右の方を翼で指した。
 あっちに行け、ということか?

「……よし、任せた」
「ピー」

 どうせ道はわからない。
 なら、ニーアを信じてみよう。

 そうして足を進めていくと……

「ひいいいっ!?」

 その時、覚えのある悲鳴が聞こえてきた。
 すぐ近くだ。

 この声、アラムだよな?
 もしかして、父さん達が近くに?

「いってみるか!」

 俺は悲鳴がした方に駆け出した。