俺の手に握られていたのは今日、海峡で行われる港祭りのチケット。

 今日はアイツと、デートか。
 普段ジャージしか着ないので、姉貴から「あんた、女の子に会いに行くんだから、もっとマシな格好してよね」と言われ、あれこれ着せられた。
 いま流行りの服らしい。

 家を出たのはいいものの、俺は熱血根性を捨てきれず、海峡に行く前に高校に寄ってグラウンドでランニングを始めた。

「駅伝、優勝できるかな……」

 走っていると何もかも忘れられる。
 とても、気持ちがいい。
 しばらく走っていると苦しくなるが、その苦しみを乗り越えれば、頭がポワーンとして麻薬の幻覚症状みたいになる。
 ランナーズハイとかいうやつだ。

 俺が走り出したのは、小学六年生の時だ。初めて走ったのは父さんと母さんが死んだ日。
 葬式で泣き崩れる姉さんを残して、俺は会場から逃げ出し、必死で走った。

 父さん、母さん。俺、ちゃんと、走ってるよね! 頑張ってるよね! 前に進んでるよね!

 今でも、その時の声が頭から離れない。

「そろそろ、時間か……」

 グラウンドの裏で汗臭いシャツを脱ごうとした時、校舎の方からガラスの割れる音がした。

 俺は着替えるのをやめて、校舎の方に向かった。
 中庭には窓ガラスの破片と黒い塊りが落ちていた。
 近づいてみると、それはグロテスクな化け物の首だった。

「うわぁっ!」

 俺は抑えきれずにその場で吐いた。
 吐いている間、頭上から悲鳴があがった。
 その直後にまた、黒い塊りが上から降ってきた。
 今度は巨大な腕だった。

「なんなんだよ!」

 俺は訳も分からず、校舎に入って向かい土足で階段を上っていった。

 不気味な肉塊が降ってきた教室を探す。
 激しい胸の音を抑え、一気に扉を開いた。だが、一つ目、二つ目の教室には誰もいなかった……。

 そして、三つ目の教室、理科室にそいつらはいた。

 教室の中には一人の金髪の少年と、化け物が五匹いた。
 化け物達は見たことのないようなデコボコした奇形の顔を持っている。
 それに対して金髪の生徒は、白い肌に蒼い瞳を光らせている。
 手には古ぼけた青銅の槍がある。

「ショーン!」
「俊介?」

 俺が呆然と立ち尽くしていると、一匹の化け物が俺に襲い掛かってきた。

「ふせろ!」

 叫ばれて俺は言われたとおりに、床に身をふせた。
 間一髪で、青銅の槍が化け物の脳天を突いた。
 古い槍とは思えないほどの威力で、化け物の頭が一気に吹き飛んだ。

「大丈夫か! 俊介」
「ショ、ショーン……」

 金髪の生徒、ショーンは俺の幼なじみだ。
 ちょうど、俺の父さんと母さんが死んだ次の日にアメリカから転校してきたハーフの帰国子女だ。
 とてもいいヤツで、両親のいない俺に優しくしてくれた。
 見た目は外国人だから、俺も最初は戸惑ったけど、徐々に打ち解けあって、今では親友と呼べる仲だ。

 しかしなぜ、ショーンが……。

「理由はあとで話す! 僕が突破口を開くから、一気に突き進むぞ!」
「つ、突き進むって、ここは三階だぜ。さっきの化け物みたいになりたくないよ……って、まさか……」
「そのまさかだよ」

 ショーンは俺を引き連れて、化け物に突っこんで行った。
 一匹の化け物は簡単に右腕を吹き飛ばされ、二匹目は無残にも串し刺しにされ、最後の一匹はショーンのジャンプ台代わりに踏み潰された。

 ガラスを突き破って、宙に飛ぶ。俺は怖くなって、目を塞いだ。
 目を開けると、グラウンドに戻っていた。

「ショ、ショーン。こりゃ、一体どういうことなんだ!」
「僕もよく分からないんだけど……奴らに追われているんだ。いや、狙われているのが正しい言い方かな?」
「かな? じゃねぇよ! なんで狙われてるんだよ!」
「一つだけ明確なのは、化け物達が僕の肉を求めているということさ」
「肉?」
「そうだ……僕の父さんの……魔王の心臓だ」

 俺とショーンが話している間にも、さっきみたいな不気味な化け物がウジャウジャ出て来た。

 口を裂けるほど開いた化け物が、黒い翼を広げて空から。
 ボコっと、音を上げると、黄色の腕がグラウンドの土から。
 グラウンドから少し離れたプールの水道管が破裂して、大量の水と一緒に、トカゲのような巨大な化け物が。

 俺は様々な種類の生き物……ではなく、化け物に直面した。

「なんだ、こいつら……」
「正に、四面楚歌だな。この見慣れない生き物達は魔族……昔、僕の父さんの部下だった奴らさ」
「お前の、父さんの……」
「僕の父さん、前科千犯はあるよ」

 そう言って、ショーンは化け物の群れに飛び込んで行った。
 ショーンは強かった……。
 槍一本で、次々に化け物達を倒していった。
 俺はただ、ぼーっと見ているだけ。

 その間もショーンは化け物の周りを駆け回っている。
 その戦いは素人の俺から見れば、優勢に見えた。
 だが、化け物達の数も半端ではない。
 数匹の化け物が倒されても、また新しい化け物達が現れ、ショーンに休む暇を与えなかった。

 やがて、一匹の化け物が空からショーンに向けて、一本の銀の矢を放った。
 矢は右足に命中し、ショーンはバランスを崩した。
 そして、もう一匹の化け物がその隙を狙って、ショーンの懐に飛び込み、ショーンの左腕を食いちぎる。
 思わず、ショーンの顔に苦悶の表情が浮ぶ。

「ショーン!」

 俺の叫び声がスイッチとなったのか、化け物達が一斉にショーンへと襲い掛かった。
「ぐわあ!」
 ショーンの悲痛な叫び声が響き渡る。
 大量の血液が体内から吹き上げた。

 化け物達はカラスがゴミ捨て場で、エサを貪るようにショーンの肉体を貪り、辺りに肉塊をばら撒いた。
 俺がもうダメだと思った時、ショーンから眩しい光りが一閃した。

 周りにいた化け物達が金色の光りに覆われる。
 瞬間、化け物達は瞬く間に消え去った。
 金色の光りは更にグラウンド全体を覆い込み、化け物達を全て呑み込むと、空高く天へと昇っていった。
 
 俺は慌てて、ショーンのところへ駆け寄ると、彼の変わり果てた姿を見て言葉を失った。

「しゅ、俊介……」

 彼は全身を化け物達に食いちぎられ、もう既に首と胴体しかなかった。
 だが不思議と生きている。

「ショーン!」
 俺はショーンを抱きかかえた。

「俊介……僕はもう……。頼む、僕の頼みを聞いてくれ」
「な、なんだ?」
「ぼ、僕の心臓を食べてくれ」
 冗談を言っている余裕はない。
 ショーンは真剣な眼差しで俺をしっかりと見つめている。

「そ、そんなことできるかよ! なに言ってんだよ」
「俊介! 時間がないんだ……頼む。僕の心臓が……この恐ろしい力が魔族の手に渡るのは嫌なんだ……いや、ダメなんだよ。そんな汚い奴らに渡されるより、お前に……信頼できるお前に……大好きなお前に、僕の心臓を食べて欲しいんだ」
 気がつくと、俺は涙を流していた。

「ふざけんなよ! 俺達、まだこれからじゃん。お前を絶対死なせるかよ!」
「俊介……ありがとう。だが、もう時間がない。新たな化け物達が直ぐにやってくる。そうなれば、この町は、僕達が育ったこの町は……」
「クソ、クソ、クソ!」
 俺はもう、何もできないのかよ!
 涙を拭いて、ショーンを抱き上げた。

「ショーン、俺たちの町を見てくれよ」
 微笑を浮かべて、グラウンドから見えると海峡と夕焼けで赤く染まった海を眺めた。
「ああ、本当にきれいだ……。すまない、俊介。僕は君に黙っていたことがある。実は僕も『あの子』のことが……」
 言いかけて力尽きた。
「ショ、ショーン!」
 俺は必死に彼の身体を揺さぶった。
 だが、ショーンの身体は俺の腕の中で徐々に冷たくなっていく。

「ショーン、ショーン!」
 ふざけやがって! 何が魔族だ! 何が魔王だ!
 憎しみが俺の全身を駆け回る。
 もう、何もかもぶち壊してやりたい。そんな怒りがこみ上げてきた。
 海峡の方を見ると、港祭りが始まろうとしていた。

「なんて、初デートだ……」
 やるせない思いで空を見上げると、海峡の方に真っ黒な雲が近づいているのに気がついた。
 あれは……雲なんかじゃねぇ! 化け物達だ!

「ダ、ダメだ……あそこには『アイツ』がいるんだ」
 俺は一度、自分の右手を見て確かめた。
 まだ、人間だ……。
 もう、アイツとは手をつなげないかもしれない。会えなくなるかもしれない。
 でも、それでもやらなきゃ、アイツをこの町を守んなきゃ全てが終わってしまう。

 俺は……今日からバケモンの仲間入りだ。
 しかも、とびきりのバケモン、魔王。

「すまない……」

 冷たくなりかけたショーンの胸の中にに手を入れる。
 それから後の事はよく憶えていない……。
 ただ、アイツのもとへ。
 海峡へ行かなければいけないと、ただそう思っていた。

 そして、薄っすら記憶に残っているのは……。
 大勢の人たちの足音、叫び声、泣き出す子供、それをかばう大人。
 みんな、みんな逃げたがっていた。恐がっていた。泣いていた。

 そして、なぜか、俺も寂しそうに泣いていた……。