「マザー、だと……」

 困惑する俺をおいて、婦子羅姫は、蓄音機の前に立った。
 そっと、何かを取り出す。

 それは、小さな薄い円盤だった。
 なんてことのない、ただのレコード。

「レコードか?」
「うむ……。べるりおーずの『幻想交響曲』じゃ」
「ベルリオーズ? そーいや、音楽の授業で習ったような……」

 婦子羅姫は、蓄音機にレコードをのせ、針をかけた。

「しかし、驚いたな。妖怪でも、クラシックとか聴くんだな」
 ちゃかす俺を無視して、姫は話を続けた。

「この『幻想交響曲』は正に、人間そのものじゃ。このようなものは、妖怪には作れない代物じゃ……。第一楽章は夢と情熱、第二楽章は舞踏会、第三楽章は野辺の風景、そして、第四楽章、断頭台への行進、ここで男は愛人を殺してしまい、死刑を宣告され、断頭台へ向かって引かれていく……。第五楽章、魔女の夜宴の夢は、地獄に堕ちた男が、自分が殺した愛人と再会するのじゃ。じゃが、愛人は下品な娼婦へと成り変っていた。残ったものは絶望……それだけじゃ」

 言いながら、蓄音機を作動させる。

「この蓄音機は……れこうどを奏でる……。ただ、奏でるのではない。曲を具現化するのじゃ。本当の事になるのじゃ……」

 大きな雷が城に落ちた。ガラガラと音をたてて、城壁が崩れる。
 その直後に、城が大きく揺れ始めた。
 どうやら浮上したようだ。

「ちょ、ちょっと、待ってくれ! こいつはどうなってんだ?」
 婦子羅姫は、黙って目をつぶっている。
 蓄音機から流れる音楽を聴いているようだ。

「慌てるでない……。動き始めたのじゃ。〝悪魔の蓄音機〟が……」
 曲は、第一楽章と第二楽章と第三楽章が終わり、第四楽章が始まろうとしていた。
 その時だった。城がゆっくりと動き始めた。

「さあ、始まるぞ。転生じゃ!」

 婦子羅姫の笑顔は、歪んでいた……。
 その時、俺は思った。
 彼女は、何かに縛られている。
 そして、それから、逃げられないでいる。

 第四楽章に入ると、曲のテンポも速くなり、音も凄まじくなる。
 ふと見ると婦子羅姫は、笑いながら、舞っている。
 俺はと言えば呆然としていた。彼女が狂ったのではないかと……。

「姫! どうしたっていうんだ!」
「ハハハハッ、黒王よ。そなたも、踊らぬか」

 俺は、そんな彼女を見ていれず、思わず、彼女の頬を引っ叩いた。
 姫はハッとした顔で、俺を見た。

「黒王……」
「一体、どうしたっていうんだよ? らしくないぜ、姫! あんた、日本の妖怪の長なんだろ? 今が大事な時なんだろ? ビシッとしろよ」
 彼女は、俯いて部屋の壁にもたれかかった。

「そなたには、わからぬ……妾の苦しみを……」
 その言葉にカチンときた。
「ああ、わかんねぇな! 今のあんたは、マジでわかんねぇよ!」
 婦子羅姫の頬に、涙が流れる。

 気がつくと、曲は第五楽章になっていた。
 第五楽章が始まると同時に、蓄音機から銀色の光りが放たれた。

「始まりおった、地獄の輪舞じゃ……」
 蓄音機から放たれた銀色の光りは、パイプを通じて、城全体に広がる。

「何が始まるんだ……」
 俺は恐る恐る、窓から外の景色を見た。
「なんだ、こいつは!」

 窓から見えた景色は、一面、火の海……。
 蓄音機から流れる音色は、灼熱の炎に変換され、地上を襲ったのだ。

 下界は、炎で覆いつくされた。
 美しかった緑の森も全て炎で赤く染まった。
 森の住人、魔族や動物たちの悲鳴もここまで届いてきた

「おい! 姫、どうなってんだよ!」
「浄化しておるのじゃ……」
「じょうか……だと!」
「そうじゃ。一度、世界を元の姿へと戻すのじゃ……」
 婦子羅姫は、近寄って、俺の頬をそっと撫でる。

「そして、新しい妖怪の世界を創るのじゃ」
 俺は愕然とした。
「な、なにいってんだよ。そんなことしたら、人間も動物たちも死ぬし、それこそ、今、戦っているミノや残された妖怪達まで、この城の業火で死んじまうぞ!」
 彼女は涙を流しながらも、必死に笑って答えた。
「それは、皆、承知じゃ……」
「なんだと! みんな、知っていて、そんなことするのかよ! 何の意味があんだよ!」

「知ってのとおり、我が国の妖怪は絶滅の危機にさらされている……。弱体化した今の妖怪達は人間達に住む場所も追いつめられている状態じゃ。昔のような力は残っていない。時代というものは恐ろしい。妾も、妖怪の長などと、言っておるが、父上から受け継いだだけじゃ。力などない。そこで、一度、地球を壊すのじゃ。この地球、別名マザーは過去に何度も、崩壊して、その度に再生して来た。その力を、利用するのじゃ。妾とそなた以外の生き物を全て抹殺する……幸い、この城だけは生き残れる。そして、誰もいない地球が再生し始めた時、妾とそなたの間に生まれた子供達がより良い世界を生み出す」
「じゃあ、なんで、他の妖怪達は消されるんだよ!」
「今の弱体化した妖怪達では、来世に立ち向かうことはできん。だから、魔王の力を持つそなたの子供を妾が生み、最強の妖怪達を創る」

 俺は婦子羅姫の話を聞いていて、胸が張り裂けそうだった。
 こいつらも、かわいそうだ。
 悲しい……だけど、こんなの間違ってる。
 絶対に間違ってる。俺はこんなこと、認めない。

「本当に、そう思ってんのかよ? 最初から、諦めていいのかよ? こんなんで、あんたは満足なのかよ?」
「仕方ない……」
「そうか……じゃあ、俺はおりるぜ」
「な、なぜじゃ! 妾のことが嫌いなのか?」
「んなわけないだろ……でもよ、この地球は、俺が好きだった人間達が住んでたし、みんな、愛していた……いや、違う。こんなこと、言いたいんじゃない……」

 話している途中で、婦子羅姫が言った。
「妾ではない、他の女を想っているのか?」
 言われて、アイツのにっこりとした笑顔を思い出した。
「ああ……。忘れられないヤツがいるんだ……」
 婦子羅姫は、無表情で俺を見ていた。
「そうか。好きな女がいたのか……」
「だから……俺はあんたとは行けない」
 彼女に背を向けると、歩き始める。

「待て!」
 呼び止められて振り返ると、婦子羅姫が胸元に隠していた小刀を取り出して、構えていた。

「妾と戦え! 妾とて、妖怪の長じゃ、恥をかかせるな」
 俺は微笑って、槍を強く握った。
「そう……だよな……そんなに甘くないよな……」
 姫は真剣な眼差しで、俺を見つめる。

「黒王、妾と戦え」
「なあ、鉄仮面、被っていいか? 俺、これないと、ダメなんだ」
「好きにするがよい」
 鉄仮面を被ると視界が闇一色になる。
 俺は槍を持って、構えた。

「ええぃ!」
 最初に向かってきたのは、婦子羅姫だった。
 小さな小刀で、俺に飛び掛ってくる。
 俺はすっと、身を乗り出した。

 勝負は一瞬で決まった。
 真っ黒な槍が、小さな胸を貫いていた。
 婦子羅姫は、笑ってこう呟いた。

「……ありがとう……私の黒王……」 
 俺は耐えられず、槍を抜くと、投げ捨てる。
 倒れ掛かった彼女を抱きかかえた。
「姫……」
 俺の涙が、ぽたぽたと、婦子羅姫の顔に落ちる。
「くそおおおおおお!」

 どくん……どくん……どくん……どくん……。

 また、この音か……。
 そうか……この音は、魔王が甦る音か……。
「もう……どうでも……いいや……」