なぜだ? なぜ、奴には効かない……。
「僕の……師匠の技がなぜ、効かないんだ!」
 焦っていた。
 森の樹の下で影を潜めつつ、相手の動きを探る。

 もう、夜が明けてしまった。
 戦闘中に何度も、地面に転んだせいで顔は泥だらけ。手にも血がこびりついてとれない。
 せっかく、師匠からもらった黒いスーツもボロボロ。

「満身創痍か……」
 ドラムとの戦いは何時間も続いた。

 奴には月花流の術が全く効かない。
 僕は自分のことを、まだ未熟だと思っている。
 少なくとも、自惚れてなどいないと思う。

 でも、師匠の術は……自分で言うのもなんだが、数ある仙術の中では最強だ。
 月花流は暗黒術。

 化け物を退治するような仙術などは基本的に封印術が多いものだ。
 だが、そのような正道と呼ばれる術とは違い、月花流は抹殺術が大半を占める。
 抹殺術とはその名の通り、化け物を封印するなどという生半可ものではなく、終わらない。
 その命を強制的にこの世から葬る技である。

 つまり、化け物には一切の情けをかけないということだ。
 僕は残り少ない符の中から三枚を取り出し、その符に長い針を一本ずつ刺した。

「先生、僕にお力をください……」
 祈りながら、針の刺ささった符を、誰もいない森の闇へ放り投げた。
双頭邪(そうとうじゃ)……吸震撃(きゅうしんげき)!」
 投げられた符は地面に落ち、針が土に突き刺さって震えた。
 やがて、針がもぐらのように土の中へと潜り、「もこもこ」と音を立てると、二本の首を持った大きな蛇が地面から出てきた。

 蛇は符と同じ数だけ、現れた。
 僕はそっと足音をたてずに動いた。

 しばらくすると、ある一点から強い邪気を感じた。

「そこか!」
 僕は三匹の蛇をその邪気が感じられる場所に走らせた。
 すると、木の影からドラムが現れた。
「蛇は嫌いだ……」

 今だ!

 軽く息を吸い込んで、唱える。
「ひゅう……爆!」
 ドラムの体に、一斉に噛みついた蛇達が風船のように丸く膨らんで爆発した。
 森が震え、燃えた木が地面に倒れる。
 辺りに黒い煙が濛濛と立ち昇った。

「これじゃ、何も見えない……」
 僕は目を覆って一歩、後退りした。
 その時だった。ドラムが黒い煙からその大きな身体を見せた。
 咄嗟に拳を突き出したが、遅かった。

 僕の拳よりも先に、ドラムの光る腕が僕の胸を突き破った。
「ぐわああああああ!」
「今一度、問う。なぜ、そうまでして魔族を嫌う、憎むのだ?」
 口からたくさんの血を吐きながらつぶやいた。

「お、お前に何が分かる……。ぼ、僕の妹はまだ、小さかったんだ。僕はあの日、妹を引き取った日、必ずこの子を立派な大人に育てようと誓ったんだ。僕に残された夢だったんだ。たった一つの生きがいだった。それを……お前は……お前らは!」
 ドラムは自身の腕を空に掲げた。
 それと同時に僕の足も宙に浮ぶ。
 じっと、僕の目を不思議そうに見つめている。

「それは少し、おかしいぞ。お前はそういう風に考えていたかもしれんが、本人は違う考えを持っていたかもしれん。例え、短い時間でも、お前と一緒に同じ時を過ごしたというだけでも、幸福だったと……」
 ドラムにそう言われて、僕は心のどこかで安心していた。
 確かに、ホッとしていた自分がいた。
 だが、僕はそう思ったことを許せなかった。
 歯痒い気分でドラムを睨みつける。

「お前なんかに分かってたまるか!」
 僕は残り全部の符を、自らの口の中に放り込んだ。そして、飲み込む。
「これで終わりだ!」
 くるみ……すまない。兄ちゃん、途中で諦めてしまうけど、許してくれ。
 術を唱え始めると、全身に経が浮び上がった。

 絶対に使ってはならないと教えられた術……。
 師匠との約束をこんなに早く破ってしまうとは思わなかった。
 先生、ごめんなさい……。
 僕は目をつぶった。

止錠命(どじょうめい)……自砕(じさい)……」

 しかし、術は途中で、強制的に止められた。
 目を開くと、大きなドラムの拳が僕の口の中に入っていた。
 それが術を唱えるのを邪魔している。

「やめろ、自害など、無意味だ」
「ううう……じなぜでぐれ……ぼ、ぼがぁ、バガだっだんだ……」
 気がつくと、僕は泣いていた。
 一年ぶりの涙だった。

 師匠と初めて会った日以来のことだ。
 しかも、一番こんな情けない姿を見せたくない相手に……化け物に見られるなんて……。

 ドラムは依然、無表情のままでいる。
 しばらく、黙って僕の目を見つめたあと、こう言った。

「お前が弱いわけではない……お前の使う術が未完成なのだ」
 僕は耳を疑った。
 なぜ、ドラムがこの術のことを知っているかは分からない。
 だが……確かに、彼は僕のことを気遣ってくれているように見えた。