事態を聞いた米澤赤福は私を化学準備室に案内した。もちろん藤子ちゃんもついてくる。
前任の化学の先生は几帳面で綺麗好きで、たまに覗く化学準備室はいつも片付いていた。それがこの米澤赤福が来てから化学準備室は散らかった様子しか見たことがない。
「散らかってますね…。」
「掃除は教員の仕事ではない! で、用件は?」
生徒相手となるとこの態度だ。きっとこのいじめ対応も「教員の仕事ではない!」と言ってなるべく距離を取りたいのだろう。低く怒ったような声でこちらに背を向けながら聞いてくる。
「SNSで悪口を言われました。」
「それも、悪口ってレベルじゃないんです!」
理科室の丸いすに座って細々と答える私に、立ち見の藤子ちゃんから援護が入る。米澤赤福は相変わらずプリントの山に手をつけては放り投げを繰り返している。
「なんて言われたんだ。」
「その、思い出すのも嫌なんですけど、○ね、ブス、○ろす、生きている価値なし…。」
「あ? よく聞こえないんだけど。」
米澤赤福の声は無駄にデカい。私が浴びた悪口と同じくらいの存在感のデカさがある。この声に圧倒されていては犯人を見つけることはおろか懲らしめるなどできない。
「だから、悪口を言われて、勉強も手につかないくらい、困ってるんです。誰が言ったのか突き止めて、懲らしめてください!」
語尾が少々キツくなってしまったのは子どもっぽいかもしれない。まあ米澤赤福に比べれば全然だが。そして勢いそのままSNSの画面を水戸黄門の印籠のように差し出して見せた。
「え、どこが? は?」
差し出した画面にはベビーピンクのホーム画面が映し出されている。
「ベビーフェイスが暴言とか、あり得ないし。自意識過剰じゃね?」
「え、あ! すみません、こっちです、こっち!」
危なかった。心臓がバクバク飛び出してきそうだ。まあここは私もベビーピンクのファンという体で聞かれたら答え、私の、「さお」のアカウント画面を開こう。まさか学校でアカウントの開き間違いを起こすとは想定外で、びっくりして指が震えている。
私がモタモタしているのを見かねて、米澤赤福はお茶セットの方に体を移す。カレーを食べるような大きいスプーンを右手に、左手で取ったのはコーヒーに入れるクリームの粉。米澤赤福はビンごとそれを舐めて見せたのだ。
「え、まじ?」
「どうしたの、さおりちゃん。」
米澤赤福のギョロっとした目がクリームのビンと共にこちらを向く。
「ない。」
「え」と2人とも言っているのが、声は聞こえないけど表情から聞こえてくる。でも、ないものはない。
さっきまで「さお」のアカウントを開くと、一番上に例の悪口のメッセージがあって、他の投稿を見ようにもアカウントを変更しようにも、とにかくそのメッセージを見なくてはならない状況だったのに、今は全く見当たらない。どれだけスクロールしてもそのメッセージが見当たらない。
「スクショとか、撮ってないの?」
「そんな、キミ悪くてできないよ。」
メッセージの送り主は「送信取り消し」をすることができる。多くの人に見える投稿なら「投稿削除」ができる。私が受け取った悪口はずっとここに存在していると思ったけど、そんなことはない。相手が引き下げればそれは最初から無かったことになる。
「ないじゃないか。」
「ないです…。でも言われたのは本当で、言ってきたアカウントも見つけたんです。『そんなバナナ』って。」
「そのアカウント、本当にあるのか?」
私が何も言えずに固まっていると、隣で藤子ちゃんが調べてくれていた。藤子ちゃんは小さく首を横に振る。アカウントも消されるとは。
「ないんだろ? メッセージもアカウントも。じゃあ、いじめは無しだ。」
相変わらずクリームを食べながら米澤赤福は私たちを追い払う仕草をしてみせる。
「でも、本当に…。」
私はここで引き下がれるほど中途半端な気持ちではなくなっていた。どうしてもと訴える私に米澤赤福は右手をヒョイと差し出して見せた。
「じゃあ、スマホ、貸しなさい。どのアカウントでどんなやり取りをしていたのか、調べる人が調べれば全部わかる。」
それは、それだけは…。私が出し渋っていると米澤赤福は大きく手を払って私たちを追い払った。
「ほら、5時間目はMV鑑賞なんだ。帰った帰った!」
ここにメッセージが残っていなくたって、相手はアカウントを消して存在しなかったことにしてしまったって、私の心に傷をつけたことには変わりない。その傷に名前もつけることができずこんなに無下に扱われるのが悔しかった。
出口近くにある米澤赤福のロッカーが少し空いていた。アイドルグッズによくあるフード付きのトレーナーやタオルがかかっているのが見える。しかも私の担当カラーのピンク色。ま、ピンク担当のアイドルなんて、数えきれないほどいるものね。
「今度ベビーフェイスをけなしたら、許さないからな。」
低くボソボソとした声でそう言った気がする。
化学準備室のドアを閉めると、爆音の「満腹ショートケーキ」が漏れ聞こえてきた。しかもベビーピンクの掛け声入り。
・・・ってことは、米澤赤福は、ベビーピンク推し!?
前任の化学の先生は几帳面で綺麗好きで、たまに覗く化学準備室はいつも片付いていた。それがこの米澤赤福が来てから化学準備室は散らかった様子しか見たことがない。
「散らかってますね…。」
「掃除は教員の仕事ではない! で、用件は?」
生徒相手となるとこの態度だ。きっとこのいじめ対応も「教員の仕事ではない!」と言ってなるべく距離を取りたいのだろう。低く怒ったような声でこちらに背を向けながら聞いてくる。
「SNSで悪口を言われました。」
「それも、悪口ってレベルじゃないんです!」
理科室の丸いすに座って細々と答える私に、立ち見の藤子ちゃんから援護が入る。米澤赤福は相変わらずプリントの山に手をつけては放り投げを繰り返している。
「なんて言われたんだ。」
「その、思い出すのも嫌なんですけど、○ね、ブス、○ろす、生きている価値なし…。」
「あ? よく聞こえないんだけど。」
米澤赤福の声は無駄にデカい。私が浴びた悪口と同じくらいの存在感のデカさがある。この声に圧倒されていては犯人を見つけることはおろか懲らしめるなどできない。
「だから、悪口を言われて、勉強も手につかないくらい、困ってるんです。誰が言ったのか突き止めて、懲らしめてください!」
語尾が少々キツくなってしまったのは子どもっぽいかもしれない。まあ米澤赤福に比べれば全然だが。そして勢いそのままSNSの画面を水戸黄門の印籠のように差し出して見せた。
「え、どこが? は?」
差し出した画面にはベビーピンクのホーム画面が映し出されている。
「ベビーフェイスが暴言とか、あり得ないし。自意識過剰じゃね?」
「え、あ! すみません、こっちです、こっち!」
危なかった。心臓がバクバク飛び出してきそうだ。まあここは私もベビーピンクのファンという体で聞かれたら答え、私の、「さお」のアカウント画面を開こう。まさか学校でアカウントの開き間違いを起こすとは想定外で、びっくりして指が震えている。
私がモタモタしているのを見かねて、米澤赤福はお茶セットの方に体を移す。カレーを食べるような大きいスプーンを右手に、左手で取ったのはコーヒーに入れるクリームの粉。米澤赤福はビンごとそれを舐めて見せたのだ。
「え、まじ?」
「どうしたの、さおりちゃん。」
米澤赤福のギョロっとした目がクリームのビンと共にこちらを向く。
「ない。」
「え」と2人とも言っているのが、声は聞こえないけど表情から聞こえてくる。でも、ないものはない。
さっきまで「さお」のアカウントを開くと、一番上に例の悪口のメッセージがあって、他の投稿を見ようにもアカウントを変更しようにも、とにかくそのメッセージを見なくてはならない状況だったのに、今は全く見当たらない。どれだけスクロールしてもそのメッセージが見当たらない。
「スクショとか、撮ってないの?」
「そんな、キミ悪くてできないよ。」
メッセージの送り主は「送信取り消し」をすることができる。多くの人に見える投稿なら「投稿削除」ができる。私が受け取った悪口はずっとここに存在していると思ったけど、そんなことはない。相手が引き下げればそれは最初から無かったことになる。
「ないじゃないか。」
「ないです…。でも言われたのは本当で、言ってきたアカウントも見つけたんです。『そんなバナナ』って。」
「そのアカウント、本当にあるのか?」
私が何も言えずに固まっていると、隣で藤子ちゃんが調べてくれていた。藤子ちゃんは小さく首を横に振る。アカウントも消されるとは。
「ないんだろ? メッセージもアカウントも。じゃあ、いじめは無しだ。」
相変わらずクリームを食べながら米澤赤福は私たちを追い払う仕草をしてみせる。
「でも、本当に…。」
私はここで引き下がれるほど中途半端な気持ちではなくなっていた。どうしてもと訴える私に米澤赤福は右手をヒョイと差し出して見せた。
「じゃあ、スマホ、貸しなさい。どのアカウントでどんなやり取りをしていたのか、調べる人が調べれば全部わかる。」
それは、それだけは…。私が出し渋っていると米澤赤福は大きく手を払って私たちを追い払った。
「ほら、5時間目はMV鑑賞なんだ。帰った帰った!」
ここにメッセージが残っていなくたって、相手はアカウントを消して存在しなかったことにしてしまったって、私の心に傷をつけたことには変わりない。その傷に名前もつけることができずこんなに無下に扱われるのが悔しかった。
出口近くにある米澤赤福のロッカーが少し空いていた。アイドルグッズによくあるフード付きのトレーナーやタオルがかかっているのが見える。しかも私の担当カラーのピンク色。ま、ピンク担当のアイドルなんて、数えきれないほどいるものね。
「今度ベビーフェイスをけなしたら、許さないからな。」
低くボソボソとした声でそう言った気がする。
化学準備室のドアを閉めると、爆音の「満腹ショートケーキ」が漏れ聞こえてきた。しかもベビーピンクの掛け声入り。
・・・ってことは、米澤赤福は、ベビーピンク推し!?



