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私が小学校6年生の夏だったと思う。そのころには当然のように母のことはもう嫌いで、数えることすらやめた何人目かの父親がいた。とても背の高い人でおそらく185センチはあっただろう。母は私に似て、(というより私が母に似てだが、)小柄なタイプだったのでデコボコした気が合わない2人なんだろうなと勝手に思っていた。しかし、その父親は他の男たちよりも長い期間を私の家で過ごしていた。名前は佐といった。きっと人を助ける人になってほしいという親の願いの入った名前なのだろう。
その父親と母と私で近所の海に遊びに行ったことがあった。歩いて30分ほどの近場とはいえ、私にとって記憶にある唯一の家族旅行と言っていい代物だった。
母が海の家に昼食を買いに行ったとき、その父親と二人きりになった。いくら期間が長いとはいえ、ほとんど会話をしたことはなかったから私は目を閉じて、遊び疲れて眠ったふりをしていた。
「淑乃さんのことは嫌い?」
男はもしかしたら眠っていてもかまわないという気持ちで口に出していたのかもしれない。それくらい誰かの耳に届けようとする気のこもっていない言葉だった。
そのことを意外に感じ、思わず目を開けて横を見上げると男とバッチリ目が合ってしまった。
淑乃とは私の母のことだ。あの母に「淑やか」という字が用いられていることに因縁めいたものを感じずにはいられない。
しかし母側の人間であるその父親に馬鹿正直に打ち分けるわけにはいかず、私は適当にお茶を濁した。
「別に。そんなこともないけど」
「フフフッ。正直でいいね」
まだ母が戻ってくる気配はなかった。
「ごめんごめん。嘲るつもりはこれっぽっちもないんだ。でも覚えておいて、『そんなこともない』は『その通りである』とほとんど同じなんだよ」
「はあ」
「そっかあ、淑乃さんのこと嫌いかあ」
男は口調ほど深刻にとらえてないように聞こえた。それはまるで中学生の娘が彼氏と別れたと報告してきたときのような長閑さだった。
膝を抱えていた手を後ろにつくように伸びて、海開きに最適な太陽の下で気持ちよさそうに長い息を吐いた。
「でも芽衣ちゃんも、どこかに淑乃さんを好きな気持ちは必ず持っているよ。今はおじさんとか、前のおじさんとか、前の前のおじさんとかが邪魔して見えなくなってるかもしれないけど。嫌いな原因ってほとんどおじさんたちでしょ? でももしいつか、淑乃さんと正面から向き合ってみたときに芽衣ちゃん自身で気づくときが来ると思うよ。お母さんのことは誰もが嫌いで誰もが好きだからさ。そして気づいたときは……」
そこで男は一旦言葉を区切ると、遠くを指さした。
「ああやって淑乃さんは大きく手を振って待っていてくれるよ」
両手にプラスチック製の容れ物に入った焼きそばを抱えた母が指の先にいた。水着だらけの家族連れや中高生のカップルの間から母は確かに主張していた。両手がふさがっているから当然手は振っていないのだけれど、肩や首や腰を揺らして手を振っていたように私には見えた。
焼きそばを持って戻ってきた母が、
「二人で何話していたの?」
と聞いたら、父が
「Girls, be ambitiousみたいなことだよ」
と答えていた。けれど、北の大地の名言は無知な母の辞書には入っていなかったみたいだった。そんなことも気にせず、言った本人はおいしそうに焼きそばをほおばっていた。
結局日が暮れるまで私たちは海にいた。
海水に浸かりすぎてふやけそうだった。家に帰る道でペタペタと残るサンダルの足跡が面白くて無駄に足踏みした。灼けた背中がジンジンと痛むからシャワーはそっと浴びた。
なんだろう。
思い出せば思い出すほど、この1日だけは楽しんでいたような気がする。