氷月がこの烏賀陽(うがひ)の屋敷に来てから、三年が経とうとしていた。義務教育も終わり、そのまま私立の高校へと進学する。もちろん、霜月(しもつき)も同じ高校だ。氷月(ひょうげつ)が通うことになった私立高校というのは、成績が悪くてもお金さえあれば入学できる、という高校のようだ。そこでいつかの葉月(はづき)を思い出す。氷月がこの高校に入学したから、葉月は卒業をした。さらに進学をしたわけではなく、鬼遣いとしての任務を全うするつもりのようだ。そもそも彼女は勉強が好きではなかった様子。三年でこの高校を卒業できたのも、恐らく金の力が働いたのだろう、と氷月は思っていた。

「霜月、氷月。そろそろ君たちも、鬼遣いとして実戦に参戦して欲しい」
 高校に入学したその日の夕方、卯月から言われた。
「今まであの地味な訓練に耐えた君たちだ。間違いなく鬼を封じる力を身に着けているよ」

 卯月は白装束に身を包む二人を見回しながら、穏やかに言う。

「てことは、鬼の姿が見れるようになったってことでいいんだよな? 今までは気配は感じたけど、見ることはできなかったからさ」

 まるで遊園地に連れて行ってもらった子供のような笑顔をキラキラと輝かせ、霜月が尋ねた。

「そうだね。鬼の姿が見えるようになっているはずだ。今日は、私と焦月(しょうげつ)の鬼封じに同行してもらうよ。邪魔にならないように、隅で見ていなさい。だが、鬼の姿はしっかりと視えるはずだから」

 よっしゃぁと、霜月は喜んでいる。だが、氷月はそのような気持ちになれなかった。
 鬼を感じ、鬼を視て、鬼を封じる。それがどのようなものであるか、よくわからないからだ。鬼封じができるということは、やはり喜ぶべきところなのだろうか。

「では、八時にこの道場に集合。頼んだよ、二人とも」

 すっと立ち上がる卯月の所作は美しい。
「はいはーい」
「……はい……」
 明るく返事をする霜月とは真逆で、氷月の声は沈んでいた。
 さすがに三年もこの屋敷で生活をすれば、氷月のどんくささというのもいくらかは改善される。夕食の時間に遅れることも無くなったし、葉月に足を引っかけられて転ぶようなヘマもしなくなる。それが面白くないと思っている葉月は、他の手を使って氷月を転ばせようとするのだが、いつも転びそうになっても転ぶ一歩手前のところで踏ん張れるようになったのも、中学時代にみっちりと卯月にしごかれたせいだろう。基礎的な筋力はしっかりと身についていたようだ。

 約束の八時。
 道場にその姿を見せたのは卯月と焦月、そして霜月と氷月の四人。さすがにこの時間の活動に白装束を身に着けるようなことはしない。あれは大事な儀式のときにだけ身に着けるもの。
 氷月もジーンズにシャツ、その上にパーカーといった動きやすい恰好で霜月も似たようなものだった。同じような恰好をしても卯月は絵になる。そして彼の半歩後ろに焦月の姿。焦月に限らず、ここの男は卯月に従順だ。

「では、行こうか」

「卯月(にい)。行くってどこに?」

「ああ、今日は鬼の姿を確認するだけだからね。ゲームセンターだよ」

「ゲーセン?」
 つい、霜月は尋ねてしまった。

「そう。霜月の言葉で言うならゲーセンだね。どうやらそこに鬼憑きが入り浸っているようだという情報を仕入れてね。そんなところに入り浸るような鬼なら、大して強い鬼でもないだろうと。だから今回の君たちにピッタリな鬼だ、と。そう思ったわけだ」

「今日は鬼封じはしない。ただ、確認をするだけだ」
 焦月がボソッと言う。
「お前たちみたいな半人前以下を連れて、鬼封じは危険すぎるからな」

「こら、焦月。そういうことは口にすることではないよ。彼らだってこれからは鬼遣いとして鬼を封じていくわけだから。最初は誰だって初心者だ。私も君も、彼らのような時期があっただろう?」
 卯月にやんわりと言われた焦月は、ぎっと氷月を睨んだ。なぜ氷月が睨まれなければならないのか、氷月自身はわからなかった。恐らく、ただの八つ当たりなのだが。
 卯月が運転する車に乗り込んだ。とりあえず今日は鬼憑きを確認するだけ。実際に封じるのは、状況を確認し、条件を確認した後になる。餌を使って鬼()きを人気(ひとけ)のないところに呼び出し、周囲に被害が及ばないように結界を張って封じるのが一般的だ。この際、鬼に憑かれた人間の命の保証はしない。それが烏賀陽の鬼の封じ方。

「で、卯月兄。今回の鬼憑きってどんな感じなの?」
 後部座席の運転席側に座っていた霜月が、少し身を乗り出して尋ねた。

「焦月、説明してやってくれ」

「へいへい」
 気怠そうに返事をした焦月であるが、卯月の言うことには素直に従うようだ。

「今回の鬼憑きは安田(やすた)修一(しゅういち)、三十二歳、男、独身、会社員。鬼憑きが疑われたのは十日程前。特定女性への付きまとい、不特定女性への強姦」

 強姦、という言葉で氷月はピクリと身体を震わせた。

「被害者の女性は、相手が安田であることに気付いていない。鬼憑きだからな。記憶を操るのも造作ない」

「なあなあ、焦月(にい)。そいつが鬼憑きってどうやってわかんだ?」

「俺たちには協力者がたくさんいるんだよ。警察だってそのうちの一つだ。被害女性の話を聞いて、ピンときたらしいな。すぐさまこっちに連絡がきた。使い魔を飛ばしたけど、あいつらからの報告も間違いなく鬼憑きって報告だった」

「ふぅん」

 自分から聞いたくせに、興味が無いのか霜月は曖昧に相槌を打つ。それを聞いた焦月はちっと舌打ちをした。

「使い魔の報告は今まで間違ったことが無いからね。彼らがそう言うのであれば、その男は間違いなく鬼憑きだ。今日はその彼を確認することが目的。恐らく、君たちもすぐに感じると思うよ」

 運転をしながらも卯月の口調は落ち着いていた。

 使い魔――。それは鬼遣いが使役する生物たちのこと。使い魔の姿形は様々だ。主である鬼遣いによって異なる。卯月の使い魔はカラスの形をしているし、焦月の使い魔は蛇の形をしている。

「ああ? そういえばお前たちって、使い魔と契約を結んだのか?」
 思い出したように焦月が尋ねる。
「あー、そう言われるとしてない」
 霜月が即答したため、氷月の答える余地はなかった。氷月も霜月同様、使い魔との契約をしていない。

「ちっ。とろい奴らだな。使い魔との契約、さっさと済ませておけよ」

「だって、やり方わかんないもーん」

 霜月が言っていることは間違いではない。氷月も、使い魔との契約方法はわからない。

「悪かったね。私の失態だ。近いうちに時間を見つけて、使い魔との契約を行おう。使い魔が使えないと、不便で仕方ないからね」

「ほんと、卯月兄は下の二人に甘いよな。まあ、こいつら、まだお子ちゃまだから仕方ねーか」

 お子ちゃま、と言われた霜月は何かしら反論したそうであったが、ぐっと堪えたようだ。隣にいた氷月はそれに気付いた。この霜月でさえ、こうやって我慢している。氷月は誰にも気付かれないように小さく息を吐いた。この空間は息が詰まる。

 卯月の運転する車はゲームセンターの駐車場へと滑り込んだ。ゲームセンターと言っていたが、どうやら建物は複合型アミューズメントパークのようだ。この施設の一部がゲームセンターになっているのだろう。

「あ、お子ちゃまと一緒だから、今日は十時までに終わらせなきゃなんないのか。あと、一時間くらいしかないじゃないかよ」

 嫌味を言いながらも時間を気にするあたりが、焦月の人の好さを表しているのかもしれない。

「では、行こうか」

 卯月の言葉に促された三人は、彼の後ろをついていく。