烏賀陽氷月、この四月から中学一年になった。
この烏賀陽一族は鬼遣いと呼ばれる一族らしい。兄弟は表月の他に十一人もいる。
女は睦月を一番上として、如月、弥生、皐月、葉月、そして一番年下の氷月で六人。
男は卯月、焦月、蘭月、詠月、大月、霜月の六人。
今は六男六女の十二人の子供たち。だが、母親は異なる子供たち。全ては烏賀陽一族の血を残すためと言われている。
その中でも霜月は氷月と同い年で、何かと氷月を気にかけてくれる義兄でもある。
「氷月。今日は、鬼遣いの一族について教えてやる」
口調は偉そうだが、それでも優しい。あの姉たちより数百万倍も優しい。
お迎えの車がやってくるまで、氷月は中学校の図書室でその鬼遣いについて霜月に教えてもらっていた。
放課後の図書室に人はまばらである。大抵の者たちは部活動に勤しんでいる時間帯なのだ。
図書室の一番奥の窓際の席。それが二人の指定席でもあった。ここから外を見下ろせば、迎えの車が来たことがすぐにわかる。
「いいか? そもそも鬼遣いというのはな……」
鬼遣い。それは鬼と呼ばれる異形の物を封じることができる力を持つ者たちのこと。この鬼遣いと呼ばれる力を持つのが烏賀陽一族。氷月の兄弟たち。
異形の物と呼ばれる鬼。鬼は気、気は鬼――。
鬼は知らないうちに現れ、知らないうちに人々を蝕んでいく。
鬼に蝕まれた状態のことを、鬼憑という。その鬼憑の人々を救うのが鬼遣いの任務。つまり、烏賀陽一族の存在意義でさえもあった。
その烏賀陽一族の頭領の座に君臨しているのが十二人の子供たちの父親である烏賀陽朔。
あの日、小学校の卒業式の日に、氷月を迎えに来た男だ。そして氷月から前の名を奪い、氷月に氷月という名を与えた男である。
(お父さん?)
本当にこの男が自分の父親であるのか。氷月にはわからなかった。
母親と共にいたときに感じたあの安らぎを、この男から感じることはできなかった。だから、本当に父親なのか、という疑いもあった。
「おい、氷月。オレの話を聞いていたのか?」
霜月に声をかけられ、はっと顔をあげる。
刈り上げにしてある髪型は清潔感に溢れているが、髪の毛がバサバサと動かなくて楽だからと霜月本人は口にしていた。
「あ。はい。真名と呼ばれる名前について、ですよね」
「そうだ。真名は本当の名。親につけられた名前のこと。オレたち鬼遣いにとっては、けして他人に教えてはならない名前のことだ。それを他人に知られ、その名で呼ばれてしまえば、相手の命を拒めなくなる。だから今、氷月は氷月なんだ」
「はい……。ですが、その、私。本当の名前、わからないんです」
「氷月は鬼遣いになったばかりだからな。恐らく、父さんが氷月の真名を奪ったんだと思う。他の者に真名を知られないように。鬼遣いとして一人前になったら、真名を思い出すはずだ」
「その。霜月兄さんは、真名を覚えていらっしゃるんですか?」
「オレ? もちろんだ。オレは五歳の時から霜月だったからな」
ふんと、自信ありげに胸を張って答えている。
(五歳……。そんなに幼い時から、鬼遣いとして?)
表月は眉間に皺を寄せた。
「あ、氷月。そんなに小さい時からって思っているな」
「あ、へ……。あ、はい……」
心の中を当てられてしまった氷月は、一人で百面相をしてしまう。このすぐ上の義兄はなかなか鋭いところがある。
「とりあえず氷月は、まずは鬼遣いのなんたるかを知ることが先だな」
そう言って、霜月は口調に似合わない笑顔を振りまく。それから、図書室の外に視線を移した。
「どうやら迎えが来たようだ。帰るか」
霜月が学校指定鞄を乱暴に掴んで立ち上がった。
氷月もそれに倣って鞄を手にする。そして窓の外を見下ろせば、黒光りしているいかにもという車が、待機所に止まっていた。
(帰りたくない……)
あの屋敷は、自分の家ではない。自分を閉じ込めておくだけの空間のような気がしている。
「あの。霜月兄さん。その、本の貸し出し手続きをしてから帰ってもいいですか?」
「んあ? ああ。かまわない。けど、迎えが来てしまったからな。早くしろよ」
「はい……」
あの屋敷にいるときは、一人で本を読んでいる時間が一番幸せである。その幸せな時間を作るために、氷月は図書室の書架から適当に二冊選んだ。貸し出しは一度につき二冊まで、一週間。それがこの中学校の図書室のルールらしい。
カウンターにいた図書委員の女子生徒にその本を手渡せば、ジロリと睨まれた。恐らく、氷月が霜月と共にいることが面白くないのだろう。手続きを済ませた本を、彼女は無言で氷月に手渡す。
「おい。氷月、帰るぞ」
その霜月の一言が、氷月のこの学校での立場を余計に悪くさせていることなど、この義兄は気付いていない。
チクリと胸に針で刺されたような痛みが走った。
この烏賀陽一族は鬼遣いと呼ばれる一族らしい。兄弟は表月の他に十一人もいる。
女は睦月を一番上として、如月、弥生、皐月、葉月、そして一番年下の氷月で六人。
男は卯月、焦月、蘭月、詠月、大月、霜月の六人。
今は六男六女の十二人の子供たち。だが、母親は異なる子供たち。全ては烏賀陽一族の血を残すためと言われている。
その中でも霜月は氷月と同い年で、何かと氷月を気にかけてくれる義兄でもある。
「氷月。今日は、鬼遣いの一族について教えてやる」
口調は偉そうだが、それでも優しい。あの姉たちより数百万倍も優しい。
お迎えの車がやってくるまで、氷月は中学校の図書室でその鬼遣いについて霜月に教えてもらっていた。
放課後の図書室に人はまばらである。大抵の者たちは部活動に勤しんでいる時間帯なのだ。
図書室の一番奥の窓際の席。それが二人の指定席でもあった。ここから外を見下ろせば、迎えの車が来たことがすぐにわかる。
「いいか? そもそも鬼遣いというのはな……」
鬼遣い。それは鬼と呼ばれる異形の物を封じることができる力を持つ者たちのこと。この鬼遣いと呼ばれる力を持つのが烏賀陽一族。氷月の兄弟たち。
異形の物と呼ばれる鬼。鬼は気、気は鬼――。
鬼は知らないうちに現れ、知らないうちに人々を蝕んでいく。
鬼に蝕まれた状態のことを、鬼憑という。その鬼憑の人々を救うのが鬼遣いの任務。つまり、烏賀陽一族の存在意義でさえもあった。
その烏賀陽一族の頭領の座に君臨しているのが十二人の子供たちの父親である烏賀陽朔。
あの日、小学校の卒業式の日に、氷月を迎えに来た男だ。そして氷月から前の名を奪い、氷月に氷月という名を与えた男である。
(お父さん?)
本当にこの男が自分の父親であるのか。氷月にはわからなかった。
母親と共にいたときに感じたあの安らぎを、この男から感じることはできなかった。だから、本当に父親なのか、という疑いもあった。
「おい、氷月。オレの話を聞いていたのか?」
霜月に声をかけられ、はっと顔をあげる。
刈り上げにしてある髪型は清潔感に溢れているが、髪の毛がバサバサと動かなくて楽だからと霜月本人は口にしていた。
「あ。はい。真名と呼ばれる名前について、ですよね」
「そうだ。真名は本当の名。親につけられた名前のこと。オレたち鬼遣いにとっては、けして他人に教えてはならない名前のことだ。それを他人に知られ、その名で呼ばれてしまえば、相手の命を拒めなくなる。だから今、氷月は氷月なんだ」
「はい……。ですが、その、私。本当の名前、わからないんです」
「氷月は鬼遣いになったばかりだからな。恐らく、父さんが氷月の真名を奪ったんだと思う。他の者に真名を知られないように。鬼遣いとして一人前になったら、真名を思い出すはずだ」
「その。霜月兄さんは、真名を覚えていらっしゃるんですか?」
「オレ? もちろんだ。オレは五歳の時から霜月だったからな」
ふんと、自信ありげに胸を張って答えている。
(五歳……。そんなに幼い時から、鬼遣いとして?)
表月は眉間に皺を寄せた。
「あ、氷月。そんなに小さい時からって思っているな」
「あ、へ……。あ、はい……」
心の中を当てられてしまった氷月は、一人で百面相をしてしまう。このすぐ上の義兄はなかなか鋭いところがある。
「とりあえず氷月は、まずは鬼遣いのなんたるかを知ることが先だな」
そう言って、霜月は口調に似合わない笑顔を振りまく。それから、図書室の外に視線を移した。
「どうやら迎えが来たようだ。帰るか」
霜月が学校指定鞄を乱暴に掴んで立ち上がった。
氷月もそれに倣って鞄を手にする。そして窓の外を見下ろせば、黒光りしているいかにもという車が、待機所に止まっていた。
(帰りたくない……)
あの屋敷は、自分の家ではない。自分を閉じ込めておくだけの空間のような気がしている。
「あの。霜月兄さん。その、本の貸し出し手続きをしてから帰ってもいいですか?」
「んあ? ああ。かまわない。けど、迎えが来てしまったからな。早くしろよ」
「はい……」
あの屋敷にいるときは、一人で本を読んでいる時間が一番幸せである。その幸せな時間を作るために、氷月は図書室の書架から適当に二冊選んだ。貸し出しは一度につき二冊まで、一週間。それがこの中学校の図書室のルールらしい。
カウンターにいた図書委員の女子生徒にその本を手渡せば、ジロリと睨まれた。恐らく、氷月が霜月と共にいることが面白くないのだろう。手続きを済ませた本を、彼女は無言で氷月に手渡す。
「おい。氷月、帰るぞ」
その霜月の一言が、氷月のこの学校での立場を余計に悪くさせていることなど、この義兄は気付いていない。
チクリと胸に針で刺されたような痛みが走った。