それに気がついたのは中学校の卒業式だった。自分の卒アルの寄せ書きを見て、やるせなくなった。周りにいた人はそれなりに書いてくれた。揃いもそろって同じような別れの言葉を。“楽しかったよ”、“元気でね”、“また遊ぼう”、“大好きだよ”そんな言葉がずっと並んでいた。書いてもらえた時はとても嬉しかった。皆同じ内容を受け取ったと思ったからだ。けれど中には友人同士でアルバムを交換したり、手紙を交換したり、一緒に写真を撮ったりしている子もいた。周りの皆が“クラスメイト”とは別に、それまでの“親友”や“グループ”との別れを惜しむ中、“クラスメイト”以上の存在をついに持てなかった私は、自分の席で卒アルを眺める事しかできなかった。自分が情けなかった。中学三年間、いや、小学校からの九年間、私は先生の言う事を聞いて、同い年の子達の思考や行動には付き合っていなかったのだ。先生が悪いとは思わない。先生だからではなく、大人がそうなのだ。大人もかつては子どもだったけれど、自分が見てきた影を秘密にする。その影の中を、子どもの手を引いて通るのではなく、そもそもその影を見せなかったり、ましてや無くそうとしたりするからだ。そして大抵の場合は、子どもを思っての行動だということも理解していた。その結果、私は普通に過ごせた代わりに、それ以下も、それ以上も、知ることができなかった。
 高校に入ったら“親友”や“グループ”を作る。その考えを持てなかったのも、それまでの自分のせいだった。私が友達だと思っていたのは、みんなの思う“クラスメイト”だったのだ。私には、友達が何かわからない。それに小学校も中学校も地元で顔なじみの子達で、気がついたら皆が“友達”という名の“クラスメイト”だった。高校ではどうしよう。自分からこう声をかければいいのだろうか。
“私と友達になって”と。