この世界は、地獄よりも残酷で、天国よりも美しい。
 そんな世界で、私達は誰かを愛す。心から。

 四月。温かさに拍車がかかる頃、私は緑豊かな自然公園を歩いていた。私の通う高校は、この公園の先にある。この学校の生徒となった人間が言う事ではないかもしれないが、校舎はとても古い。築何年かはわからないが、あちらこちらにヒビがあるし、おまけに正面だけ真新しく塗り直された塗装が、校舎の古さとボロさを余計に引き立たせている。それでもこの高校を選んだのは、単純に家と私の頭に距離が近かったからだ。私は突然横切った野良猫にどきりとしつつ、そのきらきらした瞳と艶やかな黒い体にもう一度どきりとした。かわいい。こんなにかわいい子が不幸をまき散らすものか。そう自分を納得させた私は再び歩き出した。
 この地域では、桜の開花は卒業式には間に合わず、入学式には散っている。だから式の歌に出てくる“桜”という言葉や、入学式の絵に描かれた“桜”にも、あまりぴんとこない。大抵の人はきっと、桜と聞けばお花見や桜吹雪を想像するだろう。ロマンチストは初恋や切ない別れを思い出すというかもしれない。でも私は違う。“桜”そう聞いて思い出すのは、私の母だ。
 母の名前は八百瀬桜。父である八百瀬大地とは、娘の私から見ても仲睦まじく、所謂おしどり夫婦といったところだ。母は今年で四十五歳になるが、娘の私が呆れてしまうほど天真爛漫だ。いくつになっても好奇心旺盛で、毎日本当に楽しそうに生きている。今日も朝からオムライスを作り、はしゃぎながら私の分にケチャップで文字を書いた。
“祝!入学!”
母はとても器用で、ケチャップで書く文字もとても綺麗だった。
「なんか食べるのもったいないんだけど」
私が苦笑いをしながらそう言うと、母は自慢げにスマホを取り出した。
「データ化すれば永久に不滅だって」
そう言いながら母はパシャリとオムライスの写真を撮った。女子高校生じゃあるまいし、と首を振りながらオムライスを食べようとしたけれど、慌てて母に止められた。
「あ、ちょ、ちょ、ちょっとまって!ほら、きいちゃんも写ってよ!」
「えー。別に撮らなくていいって」
私は母に構わずオムライスにスプーンをさそうとしたが、母はスマホを胸に当てて足踏みをした。本当に子どもみたいだ。
「お願い!お母さん入学式出られないんだよ?制服姿の娘を写真に収めておきたいんだって!お願い!お願いお願いお願い!」
「はいはい、もう、わかったってば」
諦めてオムライスのお皿を母の方に傾けながら笑いかけると、母は、ありがと、と笑いながらカメラを向けた。母のお気に入りの水色のエプロンに、真っ黒な髪が垂れた。嬉しそうに目を細める母の向こうから、首筋を掻きながら父が現れた。父は背が高いので、いちいち少し屈まないとリビングへの入り口を取り抜けらない。父に気がついた母はさらに顔を明るくした。
「ほら、大ちゃんも一緒に写って!」
「ん。あ、ああ」
父はぼさぼさの頭を掻きながら洗面所に行こうとしたが、母が笑顔のまま力ずくで父を私の側に引っ張ってきた。
「いいから、二人とも笑って」
カシャ。シャッターを切る効果音が小さなリビングに響いた。母は撮ったばかりの写真を確認すると、満足そうに頷いた。
「ほら、いい写真がとれたじゃない」
「もう食べていい?」
私が母にそう聞くと、母も席に着きながら頷いた。
「もちろん!朝からわがままに付き合ってくれてありがとね。ほら、お礼にお母さんの分のイチゴもあげちゃう」
そう言いながら母は自分の皿からひとつ、ころんとした苺を私の皿に載せた。別にいいのに、と呟きながら、私は手を合わせてオムライスを口に運んだ。そんな私に母が言う。
「感謝と謝罪は即発送、よ」
これは母の口癖であり、母自身のモットーらしい。
 とろりとした半熟の卵に、甘酸っぱいケチャップの味がした。母の作る料理は、本当においしい。母は父の分のオムライスに♡を描きながら私に聞いた。
「きいちゃん、高校楽しみ?」
「それなりに」
「勉強、難しくてもそんなに気にしなくていいからね」
「気にはするよ」
「部活は決めた?」
「まだだって。でも、バスケ部とか、いいかも」
「お友達、いつでも家に呼んでいいからね」
「できたらね」
「彼氏できたら教えてね」
「できないって」
母親は、そんなことないわよ、と笑いながら父のオムライスを満足そうに見つめた。身支度を整えてスーツを着た父が席に着くと、母は嬉しそうにそれを渡した。
「あなたも仕事、頑張ってね」
顔を洗って目が覚めたのだろう、父は母からオムライスを受け取った。オムライスの真ん中にでかでかと描かれた♡を見て口元が緩んでいる。父は無口ではあるが、母のことを好きなのはばればれだ。朝っぱらから本当に仲がいいんだから、と呆れた眼差しを向けると、父がそれに気がつき、咳払いをした。
「さく・・・、母さんも、しっかりな」
それだけ言うと父はもぐもぐとオムライスを頬張った。頬は赤いし、ケチャップの♡は最後まで食べられないでいるし。行動一つ一つから、どれだけ母が好きなのかが伝わってきて、娘の私の方が恥ずかしくなる。いっそのこと愛してるってはっきり言ってやればいいのに。娘の私はそう思うが、他の人は違うらしい。不愛想。たまに父のことをそう言う人がいる。実際にそうかもしれない。でも単に口数が少ないだけだ。おかげで私は父親からとやかくうるさく言われたことはない。中学生の頃は、友達が父親の愚痴を言っているのをただただ聞いていた。父は私に関心がないわけではなさそうだが、昔から一定の距離を保っているように思えた。父親の威厳と言うものを保ちたいのかもしれない。でも何か違う、見守ってくれているけれど、触れてはくれない。そんな感じだ。
 朝食を食べ終えた私がキッチンで食器を洗っていると、目の前のダイニングテーブルから父がぼそりと言った。
「桔梗も今日から高校生か」
独り言なのかわからず、一応微かに頷くと、父は私の方をちらりと見た。オムライスを先に口にしようとしたが、手を止めて小さく咳払いをすると、またまたぼそりと言った。
「制服、似合ってるな」
「そうかな」
蛇口をひねると水が出て、泡が流れていく。
「楽しんでな」
汚れの落ちた皿が手の中に残った。私はそれを水切りかごに入れると、手を拭きながら言った。
「うん。ありがと」
紺色のソックスも、パリッとしたプリーツのスカートも、少し硬いワイシャツも、重いブレザーも、何度も調整し直したリボンも、全部私の体には合っていないように思った。
 例えそうでも。例えどんなにしっくりこなくても。私は今日から高校生だ。時計の針があと十分進んだら、私は出発しなくちゃいけない。私は洗面所に行くと歯を磨いて髪を結った。長い黒髪を母と同じように後ろで一本にまとめる。母は髪も瞳も真っ黒だが、私の目は薄茶色だ。父の瞳も真っ黒なので、この瞳の色はお祖母ちゃんかお爺ちゃん、はたまたご先祖様の誰かの色なのかもしれない。そんなことをぼんやりと考えながら目の前に目をやると、そこには鏡に映る不安そうな自分の顔があった。不安だろうと楽しみだろうと、行かなければ。私は自分にそう言い聞かせると、洗面所から出て鞄を持ち、玄関で靴を履いた。新しいローファーは、艶々して固かった。
 わざわざ朝食を中断した母がもぐもぐしながら玄関までやって来た。父もその後ろでぎこちない微笑みをうかべている。そんなに無理して笑わなくてもいいのに。
「きいちゃん、頑張ってね。何かあったらすぐ言うのよ」
母はそう言うと私のことをぎゅっと抱きしめた。まるで、何かの念を送るかのように。案の定、母が私の耳元で言った。
「きいちゃんの高校生活がうまくいくように、おまじないのハグ」
小学生じゃないんだから、そんなことしなくていいのに。誰が見ているわけでもないけれど、なんだか恥ずかしいし。
「痛いって」
私は笑いながら母の腕から抜け出したが、この時一瞬だけ、母の瞳が不安気に雲ったことに気がついた。私は短くため息をつくと、しっかりと鞄を持って母に笑いかけた。
「大丈夫だから。ほら、もう高校生になったことだし」
母はまだ不安で何か言いたそうだったが、父が肩に手を置いてくれたので安心したのか、ようやく微笑んでくれた。
「うん。そうだよね。行ってらっしゃい」
私が頷くと、父も頷いた。
「楽しんでな」
私は扉を開けて温かな空気の中に踏み込んだ。生まれ育った一軒家を後に道路へと出て、駅に向かった。途端に私の周りに、見えない壁ができた。この壁を、通り抜けてくれた人は、いない。

 駅に着くと改札を通り、電車に乗った。通勤ラッシュの中、同い年くらいの女子生徒が二人で楽しそうに話している。
「今日からだよ!今日からJKだよ!」
もう一人も頷く。
「やばいって!てか本当に同じ高校でよかった」
「ね!私ひとりだったらこんな電車、乗れてもなかったって」
「それな!」
キャッキャと嬉しそうに話す彼女たちの声を聞きながら、私はぴかぴかのローファーを見つめた。知らない人の足元の隙間で、なんとか居場所を見つけようとしている。けれど電車が揺れるたびに足はふらつき、決して誰の靴も踏まないようにと躍起になっているうちに、他の人が足を移動させて、私の足の置き場はあっという間に無くなった。結果、私はつま先立ちで何とか三駅分の道のりを耐えなければならなくなった。
「住福高校前―、すみふくこうこうまえー」
車内アナウンスが流れると、ドアが開いた。高校前なんて、降りる人は限られている。携帯や新聞、つり革を片手に握る大人の合間を縫いながら、私は焦りと一緒に出口に向かう。すみません通してください、私の小さな声に道を開けてくれる人も、舌打ちをしてくる人もいた。
「すみません」
私は何度もそう言いながら、閉まる直前のドアをすり抜けた。ホームでようやく息を吸うと、背中で扉が閉まり、電車が動き出した。誰もかれもがスーツを着て、ネクタイを締めている。そんな彼らを乗せて電車はどんどんと加速していった。
 私は改札を抜けて高校へと歩き出した。視界に、ちらりほらりと同じ制服を着た生徒が映るようになった。けれど私は自分のローファーだけを見つめて歩いた。友達なんて、作る気もなかった。だって、私には、友達が何なのか、わからないから。
 この頃には他の新入生も到着しており、下駄箱の前で自分のクラスと出席番号を確認したり、緊張しながら互いに挨拶したりしていた。それを見た途端、私は下駄箱の隅に身を隠した。当たり前ではあるが、見たことの無い顔や雰囲気の人ばかりだ。それにあの作り笑い。とてもわざとらしい。
「同じクラス!?え!?よかったー!」
「一緒に行こう!」
「よろしくね!」
彼らは警戒という言葉を知らないのだろうかと私は思った。相手はこの地球上で最も恐ろしい生き物だ。うっかり恨みや殺意でも植え付けてしまったら、何をされるかわからない。私が人を避ける理由それとは別に、またあった。人を傷つけたくないのだ。それが初めて出会う知らない人だろうと、嘘はつきたくなかった。その人は、果たして本当に“よかった”と言える相手なのか、“一緒に行こう”と思える相手なのか、“よろしくね”と誓える相手なのか。そんなこと、“同じクラス”というだけでは判断しきれないはずだ。
 友達を作るためとか、一人でいないためとかいう人もいるけれど、私はその考えも理解できなかった。“友達が欲しいから”、“一人が嫌だから“、そんな風に自分の欲を埋めるために友達を作るなんて、その相手に申し訳なくて仕方がないと思ってしまうのだ。
 小学生の時、先生が言った。“みんな同じように仲良くしなさい”と。それを馬鹿正直に鵜呑みにした私は、その通りにした。だから、親友なんて、いなかった。誰とでも仲良く。誰とでも同じように。特別親しい存在である親友は、その言葉に反する存在だ。でも、先生の言う事だからきっとみんなも同じように考えている。そう信じて疑わなかった。だから私は小学生や中学生の友人関係に、“グループ”や“カースト”があるなんてちっとも気がつかなかった。ただの能天気だったのかもしれない。誰にでも同じように話しかけていたし、誰とでも同じように遊んでいた。誰かを特別扱いなんてしなかった。けれど皆は違った。皆にはそれぞれ、特別な存在があった。いつも一緒にいる子達、いつも一緒に話す子達、そういう“いつもの子”が誰にでもあったのだ。でも私には、いなかった。
 大抵の場合、クラス替えや水面下の争いで友人関係は変化するらしい。それでも大抵の子には人間関係での居場所があった。私にも居場所がなかったわけではない。ただ、私は渡り鳥のような存在で、どこかの木に止まり続けることはなかった。のらりくらりとあちこちを移動する私を、引き留める人もいなかった。その人たちには、既に完成した輪があったから。だから誰から特別嫌われるわけでもなく、誰から特別、好かれるわけでもなかった。
 それに気がついたのは中学校の卒業式だった。自分の卒アルの寄せ書きを見て、やるせなくなった。周りにいた人はそれなりに書いてくれた。揃いもそろって同じような別れの言葉を。“楽しかったよ”、“元気でね”、“また遊ぼう”、“大好きだよ”そんな言葉がずっと並んでいた。書いてもらえた時はとても嬉しかった。皆同じ内容を受け取ったと思ったからだ。けれど中には友人同士でアルバムを交換したり、手紙を交換したり、一緒に写真を撮ったりしている子もいた。周りの皆が“クラスメイト”とは別に、それまでの“親友”や“グループ”との別れを惜しむ中、“クラスメイト”以上の存在をついに持てなかった私は、自分の席で卒アルを眺める事しかできなかった。自分が情けなかった。中学三年間、いや、小学校からの九年間、私は先生の言う事を聞いて、同い年の子達の思考や行動には付き合っていなかったのだ。先生が悪いとは思わない。先生だからではなく、大人がそうなのだ。大人もかつては子どもだったけれど、自分が見てきた影を秘密にする。その影の中を、子どもの手を引いて通るのではなく、そもそもその影を見せなかったり、ましてや無くそうとしたりするからだ。そして大抵の場合は、子どもを思っての行動だということも理解していた。その結果、私は普通に過ごせた代わりに、それ以下も、それ以上も、知ることができなかった。
 高校に入ったら“親友”や“グループ”を作る。その考えを持てなかったのも、それまでの自分のせいだった。私が友達だと思っていたのは、みんなの思う“クラスメイト”だったのだ。私には、友達が何かわからない。それに小学校も中学校も地元で顔なじみの子達で、気がついたら皆が“友達”という名の“クラスメイト”だった。高校ではどうしよう。自分からこう声をかければいいのだろうか。
“私と友達になって”と。
そんなの、言えるはずがなかった。自分が一人でいるのが嫌だから友達を作るとか、毎日を楽しく過ごしたいから友達を作るとか、“特別”がほしいから友達を作るとか。自分の欲を埋めるために誰かを利用するなんて、私には理解できなかった。そう申し込む相手に申し訳なくて仕方がないのだ。私は人に恵まれてきた。いじめられたわけでも、仲間外れにされたわけでもない。周りにいた人は、皆いい人だった。だからこそ、そんな風にいい人を、自分のために利用したくなかった。友達がいるから一人じゃない。友達がいるから毎日が楽しい。それは理解できた。けれどやはり、一人が嫌だから、毎日を楽しみたいから、親友を作りたいから、友達を作るというのは納得できなかった。友達がどうして必要なのか、どうやって作るのか、私はついに知らずに育ってしまったのだ。
 だから高校に入学した私は、一人だった。声をかけてくれた生徒もいた。けれどもう、どう接すればいいのかわからずに、どこか他人行儀になる始末だ。挙句の果てには相手も私に遠慮して距離を取るようになる。いつも一人でいる子。そう思われても仕方がない。誰かと一緒にいたいと思えれば良いのだろうか。友達が何かなんて気にしなければいいのだろうか。そんなことを考えなかったわけでもない。けれどやはり、打算的に友人を作る気にはどうしてもなれなかった。きっと、これからもそうだ。私を囲む見えない壁は、ずっとずっとそこにある。見えないから気がつかないだけで、触れればわかる。分厚い壁だ。
「きいちゃん、学校どう?」
夕食時に母がそう尋ねてきたので、私は中学生の頃を思い出して笑って見せた。そう、皆が“クラスメイト”ではなく“友人”だと思っていたあの能天気な頃を。
「楽しいよ」
友達ができたかどうか母が聞いてくる前に、私は話題を変えようとテレビに気を取られたふりをした。けれど母はどうしてか、私の高校生活の話題にはしつこく触れてきた。
「友達とかできた?」
「うん」
「本当!?いいなー。私も女子高生の友達ほしいー」
“友達ほしい”って何。私は心でそう呟きながら、漬物を食べた。けれど答える気がないとあからさまな態度をとるのは、高校生活がうまくいっていないと言っているようなものなので、私は母からの質問に適当に嘘も交えて答えていた。実際、友達ができないないことを除けば、その他のことは基本的にうまくいっている。勉強も追いついていけているし、近々バスケ部にも入部予定だ。一人でだって、生活できる。
 それでも毎回夕食の場で高校のことを聞かれると、いい加減私もうんざりする。どうして母がこんなに高校生活のことを気にしてくるのか私には理解できなかった。私に所謂反抗期が無いからだろうか。だとしても過干渉過ぎる。少しいらいらしてきた私は、つっけんどんに母に聞いた。
「じゃあお母さんが高校生の時はどうだったの?」
すると母は一瞬黙り込んだが、その後頬を赤く染めてにっこり笑った。
「でへへ。実は大ちゃんに出会ったのが高校生の時だったの。だから、ね」
と言いながら母は父にウィンクをした。父は、おう、と言うだけだったが耳が少し赤くなっていた。なるほど。母にはそういう素敵な思い出があるから、私にも同じようなことを期待しているという訳か。母も自分と父との馴れ初めを言えて満足したのか、その日からはあまり高校生活については言及してこないようになった。
 勿論それは私の悩みが解決したことにはならない。結局友達が何なのかなんてわからないし、このまま三年間ずっと友達がいないままでいいのかという自問にも自答できなかった。バスケ部に入部しても、その答えは一向に見つからなかった。自分の心のどこかで、“同じ部活だから”という理由で特別な存在を手に入れられると願っていなかったわけでもない。実際にそのチャンスも何度か転がっていた。けれどその答えがわからない私は、やはり手を引っ込めてしまうのだった。入部をすると、母は手を叩いて喜んでくれた。父はその日、よかったな、と頷いてくれただけだったけれど、翌日の夜にはバスケットボールのついたキーホルダーを買ってくれたらしく、私の机の上にそれがぽつんと置かれていた。
 そんなさなか、私は所謂“いじめ”というものを初めてこの目で見てしまった。ある日の昼休みに女子トイレに行くと、数人の女子が一人の女子を取り囲んでいたのだ。
「マジででしゃばんなよ」
「いい加減にしろよ」
「うぜーから」