例えそうでも。例えどんなにしっくりこなくても。私は今日から高校生だ。時計の針があと十分進んだら、私は出発しなくちゃいけない。私は洗面所に行くと歯を磨いて髪を結った。長い黒髪を母と同じように後ろで一本にまとめる。母は髪も瞳も真っ黒だが、私の目は薄茶色だ。父の瞳も真っ黒なので、この瞳の色はお祖母ちゃんかお爺ちゃん、はたまたご先祖様の誰かの色なのかもしれない。そんなことをぼんやりと考えながら目の前に目をやると、そこには鏡に映る不安そうな自分の顔があった。不安だろうと楽しみだろうと、行かなければ。私は自分にそう言い聞かせると、洗面所から出て鞄を持ち、玄関で靴を履いた。新しいローファーは、艶々して固かった。
 わざわざ朝食を中断した母がもぐもぐしながら玄関までやって来た。父もその後ろでぎこちない微笑みをうかべている。そんなに無理して笑わなくてもいいのに。
「きいちゃん、頑張ってね。何かあったらすぐ言うのよ」
母はそう言うと私のことをぎゅっと抱きしめた。まるで、何かの念を送るかのように。案の定、母が私の耳元で言った。
「きいちゃんの高校生活がうまくいくように、おまじないのハグ」
小学生じゃないんだから、そんなことしなくていいのに。誰が見ているわけでもないけれど、なんだか恥ずかしいし。
「痛いって」
私は笑いながら母の腕から抜け出したが、この時一瞬だけ、母の瞳が不安気に雲ったことに気がついた。私は短くため息をつくと、しっかりと鞄を持って母に笑いかけた。
「大丈夫だから。ほら、もう高校生になったことだし」
母はまだ不安で何か言いたそうだったが、父が肩に手を置いてくれたので安心したのか、ようやく微笑んでくれた。
「うん。そうだよね。行ってらっしゃい」
私が頷くと、父も頷いた。
「楽しんでな」
私は扉を開けて温かな空気の中に踏み込んだ。生まれ育った一軒家を後に道路へと出て、駅に向かった。途端に私の周りに、見えない壁ができた。この壁を、通り抜けてくれた人は、いない。

 駅に着くと改札を通り、電車に乗った。通勤ラッシュの中、同い年くらいの女子生徒が二人で楽しそうに話している。
「今日からだよ!今日からJKだよ!」
もう一人も頷く。
「やばいって!てか本当に同じ高校でよかった」
「ね!私ひとりだったらこんな電車、乗れてもなかったって」
「それな!」