飛行機の最終便で北海道へと発ち、夜行列車を乗り継いで、祖父母に教えてもらった母の眠る場所へと向かう。朝になってようやく霊園へとたどり着いた。「星家之墓」と刻まれた墓石を見ると、鼻の奥がツンとした。
 僕を愛してくれた人。僕に温もりをくれた人は目の前で眠っている。
「母さん、僕は貴女に愛されて幸せでした。ありがとう」
 僕は昔この人をママと呼んでいたのかお母さんと呼んでいたのか覚えていない。それでも、温もりは確かに僕の中にある。
「センセイ、貴女だけが私の先生で、お母さんでした」
 先生は大粒の涙を流しながら、深く頭を下げた。
「一度だけお母さんって呼んでもいいですか……?」
「呼んであげてください、きっと喜ぶと思います。それに、本来呼ぶべき僕が呼べなかったから」
 母ならきっと頷いて先生を抱きしめると思ったから、僕は勝手に母の気持ちを代弁した。
「お母さん、お母さん……」
 先生は子供のように泣きながら母を呼び続けた。
「お母さん、大好きです」
 最後にそう言った先生の顔は涙で化粧も崩れていたけれど、どこかすっきりしたように見えた。

 僕たちは黙って手を繋いで墓をあとにした。このまま本州に帰ったら、僕たちの関係はどうなるのだろう。
 僕たちをめぐり合わせてくれたのはきっと母さんだ。だから、この縁を終わりにしてはいけない。僕は勇気を出して先生の手を強く握った。
「姉さんって呼んでもいいですか」
 あどけない笑顔で、先生は答えた。
「いいよ、光」
 僕は鮫原唯華に恋をしていた。彼女を聖母として偶像崇拝していたのはほんの数日前のことなのに、遠い昔のことのように感じる。今は等身大の彼女を、同じ母を持つ弟として支えたい。
「姉さんはあの学校に絶対必要な存在だと思う。姉さんに救われた子、いっぱいいるから」
 歩きながら言葉を絞り出す。僕たちの母があまりにも偉大過ぎたゆえ、その星の前では霞んでしまうのかもしれない。けれども、鮫原先生だって確かに少なくとも一人の生徒の心を救ったのだ。
「それと、僕あの学校に六年いたけど、先生みんないい人だからさ、もうちょっと心開いてもいいんじゃない?」
 僕たちはもう愛を知らない可哀想な子供じゃない。だからもう世間から自分を守るための虚勢はいらない。
「随分と生意気になっちゃって。でも、善処する」
 苦笑されたが、その口調は柔らかかった。
「あのさ、姉さん。僕やっぱりあの学校で教師になるよ」
「いいんじゃない? 色々厳しいこと言っちゃったけど、A組のみんなは光との学校生活を楽しんでたよ。お姉ちゃんが保証する」
 生徒たちから貰った寄せ書きを思い出す。今なら僕は母校以外の場所が怖いからという理由ではなく、前向きな理由で教師を目指せる。
「僕も母さんみたいになれるかな?」
「一緒に頑張りましょう」
 僕らはもう必死になって居場所を探して迷わなくたっていい。愛し方も幸せも知った僕らはようやく誰かのために生きていける。
 だから今度は僕が今悩んでいる誰かの居場所になりたい。母が姉さんにとってそうだったように、暗闇に輝く一番星になりたい。

 爽やかな風が僕たちの間を吹き抜けていった。少し離れたところにある木の葉がふわりと舞った。
「姉さん、あの木まで競走しない?」
 子供のような僕の気まぐれに、姉さんはいたずらっぽい微笑みを返す。
「うん、負けないよ」
 ヨーイ、ドンの合図で、僕達は太陽の下を走り出した。