教育実習最終日、模擬授業は何とか成功した。生徒たちからは寄せ書きをもらった。鮫原先生は当然褒めてはくれない。それでも、今日も鮫原先生が好きだし、明日も好きだ。
僕達の非日常は今日でおしまいだ。学校生活も、秘密の時間も。僕は女性の格好をして先生を抱きしめる。今日の先生はいつもより甘えたような声だ。
「センセイ、子守唄歌ってくれる?」
昨日の下手な歌がもしかして聴こえていたのだろうか。僕はベッドに腰かけて先生の頭を撫でながら歌った。インターネットで検索しても出てこないよく分からない子守唄だが、僕はこれしか知らない。小学校の友達にも変だと言われた。
「羊が二匹 おやすみなさい」
先生と僕の声が重なった。先生は顔を腕で覆って泣いている。
「出身、鳥取か北海道だったりする? って、犬宮家の御曹司様だし違うか……」
嗚咽交じりの声で先生が呟く。
「子守唄って地域差あるんですかね? 僕はこのあたりの幼稚園出身ですよ」
僕は家庭で子守唄を歌ってもらった記憶がない。僕の中では幼稚園で聞いた歌だと自己解決していた。
「それより、大丈夫ですか?」
「別に、ちょっと懐かしい気分になっただけ」
「あー、ホームシック的な」
「幸せな家庭で育った人の発想だね。あいにく、私は温かい家庭とは無縁なものだから」
お気楽な道楽息子を演じてきたのは僕自身だ。だから先生の発言に対して怒りは感じなかった。けれども、反射的に反論してしまった。
「僕、家庭環境めちゃくちゃですよ」
親の離婚にまつわるあれこれを気づけば吐き出していた。錦先生に父親の温もりを求めていたことだけは言えなかった。
「僕、家に居場所がなかったんです。だから、学校だけが僕の居場所でした」
あの言い方をするということは、社長令嬢の鮫原先生も家庭に何か思うところがあるのだろう。
「でも、まさか先生も同じだなんて思わなかった」
「同じじゃない。私は、家にも学校にも居場所がなかったから」
先生は溜息をついた。
「鮫原社長と私は血が繋がってない。中学の時に母が結婚しただけの赤の他人。本当の父親は誰だか分からない」
先生は再婚とは言わなかった。僕が昼間に向けられている厳しい眼差しの何千倍も冷たい目と抑揚のない声。錦先生が、アイツは心の扉を閉ざしていると言っていたことを思い出す。
「学校では同級生からも教師からも水商売の子って後ろ指刺されてた。だから、基本的に教師って人種は今でも嫌い」
僕には想像がつかなかった。教師とは学校が好きだった子供がなる職業だと思いこんでいた。
「学校行きたくないって言ったら、母に教育支援センターに連れていかれたの。学校と違って給食費がタダだから、アンタがいじめられてくれて助かったってあの女は笑ったの」
不登校の子供のための支援施設。僕にはいい意味でも悪い意味でも縁のない場所だった。幸いにも不登校になるようなトラブルはなかったが、仮にあったとしても父はそんなところにいくなんて犬宮の名前に傷がつくと一蹴しただろう。
「支援センターのセンセイが、私の恩師。センセイみたいになりたかった」
その話題を出した途端、“生徒思いの鮫原先生”の優しい表情になった。
「実のお子さんがいても私を本当の娘みたいに大切にしてくれた。センセイだけが、私の名前を呼んでくれた。唯華ちゃんは悪くないよって言ってくれた。センセイだけが私の希望だった。本当にお星さまみたいな人だった」
いかにセンセイが素敵な人だったかを語り続ける。
「センセイが勉強を教えてくれたから高校に受かったのに、私の卒業式の三日前に亡くなってしまったの。通りすがりの子供をトラックから庇って。制服姿、見せたかったのに」
先生はそう言った後、しばらく泣き続けた。
「昨日、夢の中で懐かしい歌を聴いたの」
消えそうに小さな声で先生が言う。
「支援センターの宿泊行事の時にセンセイが歌ってくれた子守唄。センセイが本当に私のお母さんだったらよかったのに」
僕が歌っていたとはとても言えなかった。先生の耳は僕の声を認識しないし、先生の瞳は僕を映さない。
「僕はセンセイの代用品だったんですか?」
震える声で尋ねる。否定の言葉を心のどこかで望んでいた。しかし、無情にも先生は頷く。
「貴方の見た目がセンセイに似ていたから。頭の撫で方まで同じだとは思わなかったけれど」
先生は父の愛を求めて錦先生と付き合い、母の愛を求めて僕をここに連れ込んだのだ。先生は僕を利用した。しかし、僕を弄んだ先生を責めることはできない。僕たちは同じアダルトチルドレンだから。母に捨てられた僕は、年上の女性である鮫原先生に母の面影を求めたのではないかと問われれば、首を横に振れるだろうか。
「でも、貴方の中身はセンセイと全然違う。貴方は学校を逃げ場にするために教師の道を選んだだけ。まともな育ちじゃない人間がまともな教師になれるわけがない」
先生は残酷な事実を僕に突きつけた。図星で反論のしようもない。最後の一言は、先生自身に対しても刃を突き立てているかのようにも聞こえた。
「最後にもう一度言います。貴方は教師に向いていません。さようなら」
出会った日と同じ、教師という存在に対する壁を具現化したような口調で僕に告げた。
僕達の非日常は今日でおしまいだ。学校生活も、秘密の時間も。僕は女性の格好をして先生を抱きしめる。今日の先生はいつもより甘えたような声だ。
「センセイ、子守唄歌ってくれる?」
昨日の下手な歌がもしかして聴こえていたのだろうか。僕はベッドに腰かけて先生の頭を撫でながら歌った。インターネットで検索しても出てこないよく分からない子守唄だが、僕はこれしか知らない。小学校の友達にも変だと言われた。
「羊が二匹 おやすみなさい」
先生と僕の声が重なった。先生は顔を腕で覆って泣いている。
「出身、鳥取か北海道だったりする? って、犬宮家の御曹司様だし違うか……」
嗚咽交じりの声で先生が呟く。
「子守唄って地域差あるんですかね? 僕はこのあたりの幼稚園出身ですよ」
僕は家庭で子守唄を歌ってもらった記憶がない。僕の中では幼稚園で聞いた歌だと自己解決していた。
「それより、大丈夫ですか?」
「別に、ちょっと懐かしい気分になっただけ」
「あー、ホームシック的な」
「幸せな家庭で育った人の発想だね。あいにく、私は温かい家庭とは無縁なものだから」
お気楽な道楽息子を演じてきたのは僕自身だ。だから先生の発言に対して怒りは感じなかった。けれども、反射的に反論してしまった。
「僕、家庭環境めちゃくちゃですよ」
親の離婚にまつわるあれこれを気づけば吐き出していた。錦先生に父親の温もりを求めていたことだけは言えなかった。
「僕、家に居場所がなかったんです。だから、学校だけが僕の居場所でした」
あの言い方をするということは、社長令嬢の鮫原先生も家庭に何か思うところがあるのだろう。
「でも、まさか先生も同じだなんて思わなかった」
「同じじゃない。私は、家にも学校にも居場所がなかったから」
先生は溜息をついた。
「鮫原社長と私は血が繋がってない。中学の時に母が結婚しただけの赤の他人。本当の父親は誰だか分からない」
先生は再婚とは言わなかった。僕が昼間に向けられている厳しい眼差しの何千倍も冷たい目と抑揚のない声。錦先生が、アイツは心の扉を閉ざしていると言っていたことを思い出す。
「学校では同級生からも教師からも水商売の子って後ろ指刺されてた。だから、基本的に教師って人種は今でも嫌い」
僕には想像がつかなかった。教師とは学校が好きだった子供がなる職業だと思いこんでいた。
「学校行きたくないって言ったら、母に教育支援センターに連れていかれたの。学校と違って給食費がタダだから、アンタがいじめられてくれて助かったってあの女は笑ったの」
不登校の子供のための支援施設。僕にはいい意味でも悪い意味でも縁のない場所だった。幸いにも不登校になるようなトラブルはなかったが、仮にあったとしても父はそんなところにいくなんて犬宮の名前に傷がつくと一蹴しただろう。
「支援センターのセンセイが、私の恩師。センセイみたいになりたかった」
その話題を出した途端、“生徒思いの鮫原先生”の優しい表情になった。
「実のお子さんがいても私を本当の娘みたいに大切にしてくれた。センセイだけが、私の名前を呼んでくれた。唯華ちゃんは悪くないよって言ってくれた。センセイだけが私の希望だった。本当にお星さまみたいな人だった」
いかにセンセイが素敵な人だったかを語り続ける。
「センセイが勉強を教えてくれたから高校に受かったのに、私の卒業式の三日前に亡くなってしまったの。通りすがりの子供をトラックから庇って。制服姿、見せたかったのに」
先生はそう言った後、しばらく泣き続けた。
「昨日、夢の中で懐かしい歌を聴いたの」
消えそうに小さな声で先生が言う。
「支援センターの宿泊行事の時にセンセイが歌ってくれた子守唄。センセイが本当に私のお母さんだったらよかったのに」
僕が歌っていたとはとても言えなかった。先生の耳は僕の声を認識しないし、先生の瞳は僕を映さない。
「僕はセンセイの代用品だったんですか?」
震える声で尋ねる。否定の言葉を心のどこかで望んでいた。しかし、無情にも先生は頷く。
「貴方の見た目がセンセイに似ていたから。頭の撫で方まで同じだとは思わなかったけれど」
先生は父の愛を求めて錦先生と付き合い、母の愛を求めて僕をここに連れ込んだのだ。先生は僕を利用した。しかし、僕を弄んだ先生を責めることはできない。僕たちは同じアダルトチルドレンだから。母に捨てられた僕は、年上の女性である鮫原先生に母の面影を求めたのではないかと問われれば、首を横に振れるだろうか。
「でも、貴方の中身はセンセイと全然違う。貴方は学校を逃げ場にするために教師の道を選んだだけ。まともな育ちじゃない人間がまともな教師になれるわけがない」
先生は残酷な事実を僕に突きつけた。図星で反論のしようもない。最後の一言は、先生自身に対しても刃を突き立てているかのようにも聞こえた。
「最後にもう一度言います。貴方は教師に向いていません。さようなら」
出会った日と同じ、教師という存在に対する壁を具現化したような口調で僕に告げた。