精神年齢が低いと言われればそれまでだが、中学生からは友達のように慕われた。犬っちという愛称をもらい、休み時間は校庭で一緒にボール遊びをする。
 在学中に祭り上げられて出場したミスコンの伝統はいまだに続いているらしい。クラス代表の子が友達数人と放課後、衣装を吟味していた。その現場に居合わせてしまったことが、全てのきっかけだった。
「犬っち可愛いし、これ似合うっしょ」
 深夜アニメのヒロインのコスプレ衣装と、薬局で買いそろえたメイク道具を持った生徒たちの悪ノリに巻き込まれてしまった。
「いやいや、さすがにきついって!」
「またまたー、謙遜するなって! 錦先生から聞いたぞー、犬っちが元準ミスだって!」
「それ、七年前の話! 今はもう無理だって!」
 押しに弱いのはいつものことで、結局ピンク色のロングヘアのウィッグをかぶり、現実では見たことのない色相のセーラー服を着た。スカートはだいぶ短かった。
「可愛い! アリよりのアリ! よっ、元準ミス犬宮光!」
 ガラガラと教室のドアが開いて、鮫原先生が入って来た。よりにもよって一番見られたくない相手と目が合ってしまった。顔から火が出るとはまさにこのことだ。
「鮫ちゃん、犬っち可愛くない?」
「違うんです、鮫原先生!」
 何も違わないのだが、いい年をして恥ずかしくないんですかと軽蔑されるのが怖くて弁解を試みた。鮫原先生はポーカーフェイスを崩して心底驚いたような顔をしていた。しかし、直後に言われたのはあまりにも意外な言葉だった。
「あまり犬宮先生を困らせてはいけませんよ。それと、いいんじゃないですか、似合っていると思いますよ」
 初めて褒められ放心した。生徒たちの沸き立つ声が遠く聞こえた。

 その日、鮫原先生は最後まで職員室に残っていた。教育実習のレポートを提出しようとすると、ほかには誰もいなかった。
「犬宮先生、元準ミスだったんですね」
 コスプレの話を蒸し返され激しく動揺した。
「あのっ、お見苦しくてすみませんでした!」
「どうして謝るんですか? 似合っていたのに」
 鮫原先生は厳しいが、生徒の前で実習生を叱ることはしない。だから誉め言葉もリップサービスだと思っていた。二人きりでそんなことを言われれば、心臓が高鳴る。
「そういうこと言われると、勘違いしちゃいますよ」
 赤面したまま、ろくに鮫原先生の顔も見られずに言う。鮫原先生は、困惑も幼い恋心も全部見透かしたように唐突に耳元で囁いた。
「光」
 下の名前を呼ばれた。脳をわしづかみにされ、心臓をゆさぶられるような感覚が襲った。
「うちに来ませんか」
 あまりに刺激的な誘いだった。
 鮫原先生は家までの道のりで、初めて自分の話をしてくれた。教師になろうと思った理由は小中学校の時の恩師が素晴らしい人だったからだそうだ。