鮫原先生は生徒にはすこぶる優しいが、教育実習生には毎年厳しい。これを恩師の錦先生から事前に聞いていなければきっと心が折れていた。
「犬宮先生は教師に向いていませんね」
 初対面でそう言い放った人間に恋をするだなんてどうかしている。それでも好きになってしまったのだから仕方がない。鮫原先生の生徒を見守る眼差しがあまりに美しかったから。
 一流国立大学卒で父親は数年前に上場した鳥取のベンチャー企業サメハラ電機の若き創業者。授業は分かりやすく、生徒からの人望は厚い。丁寧な口調と真摯な態度から、保護者からの信頼も絶大なものだ。大して偏差値の高くない自称進学校にはもったいないほどのカリスマ教師だ。
 人として、教師としての尊敬心と、淡い恋心の境界線は非常に曖昧だが、とにかく鮫原先生の全てに心を奪われた。
「なぜ教師になりたいのですか?」
 全てを見透かすような冷たい目で見つめられて質問をされた。
「学校が楽しかったからです」
 いつもこう答えてきた。学校にしか居場所がなかったことをオブラートに包んで伝えるとこうなる。
 なまじ実家が裕福だと、多少家庭環境が複雑でも弱音を吐けば甘えだと言われてしまうのが怖かった。物心つく前に両親は離婚した。実母にそっくりらしい顔立ちのせいで父の後妻に良く思われていない。七歳年下の異母弟には実母に捨てられた子だと見下されている。実母は離婚後しばらくして亡くなったと随分経ってから聞かされた。
 別れた女の子供より跡取りの弟の方が大事なようで、父からも邪険にされた。しかし、中高大と私立に通わせてもらい、大学院まで入れてもらえたのだから贅沢は言えなかった。世間から見れば“自由にさせてくれるいい親御さん”なのだから。

 愛されなくてもせめて嫌われないように人の顔色をうかがうことは生きていくうえでの必須スキルだった。お気楽な道化を演じていれば、のびのびした校風の中では何とかやってこられた。
 学部の頃に就活も考えたが、面接はことごとく失敗した。親との関係もまともに築けないのに、知らない大人とうまくいくわけがなかった。途方に暮れて中高の恩師である錦先生に相談しようと思ったところで、母校にならば居場所があると気付き、大学院に進学した後に教師になる道を選んだ。
「教師という職業を舐めていませんか?」
 もしかしたら、こうして誰かに叱ってほしかったのかもしれない。
「はっきり言ってくれてありがとうございます」