スポーツをしている人は
何かとても、キラキラしている。

それは、私にはない、キラキラ。



「じゃあ今日の日直、これよろしく。」

そう言って手渡された日誌。
名簿順で回ってくる今週の日直は、私と前川さん。

チラリと前川さんを見れば、彼女は同じバスケ部の子達と練習の相談をしていて。

聞き耳を立てるつもりはないのだが、
どうしても彼女たちの会話が耳に入ってきてしまう。

「よし、ごめんちょっと先行ってて。」
「なんで?」
「わたし今週日直なの。」

相談をし終えた後そう言った前川さんに、「ええ~、大会近いのに。」なんて文句を言う聞こえてきて、心臓が大きく跳ねた。
 
ごめんごめん、と謝る前川さんの声が聞こえて、そしてその足音が私に近づいてくる。

「ごめん三上さん、遅くなった!」
「全然。」

ひときわ高い身長に、短くそろえられた髪。
前川さんは強豪女子バスケ部のエースで、キャプテンで。

「日直ってめんどくさいよねえ。」
「ほんとにね。」

早く部活に行きたいのだろう、お世辞にも綺麗と言えない字で前川さんは日誌に書き込んでいく。

「みさき、先行ってるよ。」
「はーい。」

教室から出ていく他のバスケ部員たちは
足早に体育館へと向かって行って。
忙しいんだろうなあ。

「…前川さん。もしあれだったら、私残り日誌書いとこうか?」
「えっ‥」
「部活忙しそうだし。」
「いやでも‥前回もほとんどやってもらっちゃったし。」
「いいよ全然。最後の大会近いんでしょ?」

私の言葉に前川さんは少し考えてから、
「お願いしていい?」と申し訳なさそうに日誌を差し出す。

全然だよ、と笑えば
彼女はごめんね!と手を合わせて。

そんな彼女に手を振って、
1人日誌と向き合った。



「…ごめーん、遅くなった。」

教室に一歩踏み入れれば、
感じる絵具のにおい。

決していい匂いじゃないけど、
でもやっぱ、大好きなにおい。

「遅かったじゃん。どうしたの?」
「今日日直でさ。」

同じ美術部員であるみっちゃんの隣に私も腰掛けて、自分の筆と絵の具を取り出す。

不意に窓の外を見れば、
校庭では運動部が走り回っていて。

「‥すごいねえ。」
「ね。私運動できる人本当尊敬する。」

みっちゃんの言葉に大きく頷く。

・・今現在高校3年生の初夏。
最後の夏へ向けて、追い込み真っ盛り。

運動は昔から苦手で、
体育の授業もあんまり好きじゃない。

だからああやってスポーツに打ち込める人は
なんだかキラキラしていて、眩しくて。

一転美術室は静かだ。
少ない部員と時々お話をしながら、自分の描きたいものを描く。
特別絵を描く才能があるわけじゃないけど、
私はこの部活が好きだし、この空間が好きだ。

私達ももうすぐ最後のコンクールがあって、最後の夏、
けれどなんとなくそれを口に出せなくて。

そんな自分が嫌になったりも、する。




「大丈夫?」

提出ノートを持っていくのを忘れてしまっていた私は、
1人進路室への階段を上っていて。

少し重たくてゆっくり歩いていた私の手の上のノートを誰かが半分以上とってくれる。

「あ、ごめん、ありがとう。」

横を向けばそこにいたのは同じクラスの男の子、星野くんで。

「部活中?」
「そう、今休憩時間なんだ。」

星野くんは強豪サッカー部の一員。
着ているユニフォームには所々砂がついていて。

「ごめんね折角の休憩なのに、ありがとう。」
「全然。なんか三上さん、前も一人で日誌書いてなかった?」
「・・前川さん、顧問の先生に呼ばれて忙しそうだったから。」

・・・駆け足で部活に向かう前川さんの背中を思い出す。

「まあ私は美術部で、前川さんはバスケ部だし。」

どういう顔をしていいか分からなくて、
へらりと笑ってしまった私の目を、
星野くんは真っすぐ見て。


「いやでもさ、
三上さんにとっても、最後の夏じゃん。」

思いもしなかった言葉に、
息が詰まった。

「俺なんか変なこと言った?」
「いや…だって私運動部じゃないし・・」
「そんなの関係ある?」
「だってなんかやっぱスポーツとかとは重さが違うしさ、」
「違わないよ。ていうか重さってなに、」
「なんかこう‥青春!みたいな感じのやつ。私の部活にはあんまりないし」

私の言葉になにそれ、と
星野くんは少し笑う。


「文化部だろうと運動部だろうと関係ないでしょ。」


「この夏が一生に一度きりの、大事な大事な最後の夏じゃん。」


なにいってるの、みたいな顔で、
当たり前のような口調で、星野くんがそう言うから。

「‥まって何で泣くの!?」
「…っ」

嬉しくて思わず涙がこぼれてしまって。
そんな私に星野くんはあたふた。

「なんか俺変なこと言った!?」
「違う‥ごめん、嬉しくて・・・」
「なにそれ。」

私の言葉に今度は少し困ったように笑って、
気付けば着いていた進路室の前の机に、ノートを置く。

「まあよくわかんないけどさ。…俺、三上さんの絵好きだよ。」

そう言ってはいこれ、とハンカチを私に渡して、彼はまたねとその場を後にした。




「じゃあ日直、あとよろしくな。」

担任の先生はそう言って教室を出ていく。
日直は一週間続くから、今日の日直も前川さんと、私。

相変わらず前川さんは忙しそうで、
すごいスピードでシャーペンを走らせている。

何本かの指に貼られている絆創膏、
足にも腕にも巻かれているテーピング、
本当に、頑張っているんだろうなあ。

「あれ、みさきまだ行ってなかったの?」

廊下から私たちの教室をのぞくバスケ部であろうその子は、私の方をちらっと見て。

「あれ。三上さんて美術部、だよね?」

ああ、駄目だ私、察してしまう。
また負けてしまうのかもしれない。

結局私は何も言えないまま、
自分の大切なものを大切だと言えないまま。

自分の弱さに泣きたくなって、
顔をそむけたくなって、
窓の外を見れば。

「…っ‥」

そこに、彼がいた。

強い日差しが差す校庭で、
砂埃に身を包まれながら、
汗を流して、必死にボールを追いかける。


『文化部だろうと運動部だろうと関係ないでしょ。』

『この夏が一生に一度きりの、大事な大事な最後の夏じゃん。』


ああ、やっぱり眩しいなあ。

でも、私だって、
私にだって、大切なものなんだ。

息を大きく吸い込んだ。

「…ごめん!!」

その言葉に、2人が驚いたように私を見る。

「わ、わたしも最後なんだ!次のコンクール!」

その言葉に、前川さんが少し息をのんだのが分かった。

「どうしても描き上げたい絵があって!
わたしも、早く部活に行きたくて!」

声が震えてしまっているのが自分でも分かる。
それを出来るだけ抑えて。

「全然絵が上手い訳じゃないけど、皆みたいにキラキラしてなくて、
眩しくもなれないんだけど!」

「‥わたしにとっても、美術部にとっても大事な最後の夏だから。」

何とか絞り出したその言葉。
言い終えた後、俯いたまま顔を挙げられなくなってしまった。

沈黙が私たちを包んで、
最初に口を開いたのは、前川さん。

「ごめん、先行ってて。」

その言葉で前川さんの友達が歩いて行ったのが分かった。
教室には私たち2人。

「三上さん。」

名前を呼ばれて体が強張る。

「本当にごめん!!」

「…え?」

予想外の謝罪に反射的に顔を挙げてしまった。
そこには深々と頭を下げる前川さんがいて。

「ごめん!私いつも三上さんに甘えてた!」
「ちょっ‥」
「それに時計何回も見たりとか、本当に感じ悪かったよね!」
「前川さん!あの‥」
「あーもう当たり前だよね!誰だって部活が大切なのに!私本当最低!」
「あの、だから、」
「本当にごめんなさい!!」

そんなに謝られると思ってなくて、
驚いてしまって。

「違うんだよ、全然謝ってほしいとかじゃなくて。」
「いやでも・・」
「私に勇気がなかったの。
勝手に察しちゃって、自分の思ってる事ちゃんと言えなくて。」

頑張っている前川さんは本当に素敵で、
力になりたいとも心から思っていて。

・・でも。

「・・・私も美術部が好きなんだ。」

私の言葉に、
前川さんはまっすぐ目を見つめて頷く。

そして再び日誌に向かい合って、
さっきよりも少し綺麗な字で、文字を書く。

日誌を書き終えた彼女は、
もう一度私に謝って。

「さっきさ、なんか眩しいとかキラキラしてるとかさ、言ってたじゃん」
「うん。」
「私運動は得意なんだけど、勉強とかは全然だめで。」

ご存じの通り、と前川さんは恥ずかしそうに笑う。

「絵をかいたりとかさ、そういうのも苦手なの。
だからさ、好きなものをそうやって表現できるのってすごいなって思ってて。」

ひょいっとカバンを担いだ前川さんは、
私の方を振り返る。


「私からしたら、三上さんの方がキラキラしてるよ」


へへっと少し恥ずかしそうに笑った前川さんは、
また明日ね、と教室を後にした。




「あれ、三上さんだ。」

すっかり暗くなった放課後。

下駄箱で誰かに声をかけられたと思ったら、
その声の主は星野くんで。

「あ、練習お疲れ様。」
「ありがとう。そっちも部活終わり?」

疲れたあ、と息をつく星野くんの服は
今日も砂だらけで。
‥頑張ってるんだなあ。

でも、
でもね、わたしも。

「・・・星野くん。」
「ん?」
「わたしもさ、最後の夏なんだ。」

ずっと自分で言えなかった言葉を、声に出す。

「わたしもね、この夏が、今年の夏がすっごく大切なの。」

私の言葉に、
星野くんは一瞬きょとんとした顔をして。

「俺もそう。きっとみんなそうだよ。
皆にとっての、大事な夏だ。」

そう言って、
キラキラした笑顔で、笑った。


「‥なあ。」
「ん?」
「来週から、予選始まるんだけど。」

校門を出たところで星野くんはそう切り出して、
そこまで言ってから少し顔を背ける。

「応援来てよ。」
「…!」
「ゴール、決めるから。」
「…100本くらい?」
「アホか。」

頷いた私に星野くんは少し恥ずかしそうに笑って、
じゃあな、と手を振った。

そんな彼の後姿を眺めて、
ああやっぱキラキラしてるな、なんて思った。




夏が来る。

皆にとって、誰にとっても大事な夏が。

『キラキラ』なんて小さい子みたいな形容詞だけど、でもそれがなんか一番的確な気がして。



星野くんも、前川さんも、わたしも。
夏に一番、眩しくなれますように。