10 デート、みたいなもの

「ったく……」

 去ってしまった夏を惜しむように空が泣いている八日金曜の放課後。傘は持ってきたものの、下は普通の靴で来てしまったので、独り言で不満を漏らす。

 ネイビーの傘を揺らしながら1階の廊下を歩いてシューズロッカーに行くと、ちょうど帰ろうと靴を履いている吉住慶と会った。

「よっ、アルト」
「慶、今帰り?」
「うん。たまには一緒に帰ろうぜ」

 ワックスをつけた短髪をいじりながら笑う慶に、「おう」と頷いて急いで靴を履く。

 小学校・中学校も一緒の学区だったので、ここから駅まで歩くのも、電車で降りる駅も、降りた後にファーストフード店がある交差点まで歩く帰路も全く一緒だった。

「イヤな雨だよな、降らないって言ってたのに。晴れてほしいよ」
「だよな。晴れてほしいぜ」

 シトシトと地面を濡らす雨の中、俺が愚痴ると、慶も同調した。俺の左肩の位置にある、曲線の急な慶の青い傘が歩くたびに揺れ傾き、俺の肩にワイシャツの肩に水滴をトトトッと落としそうになる。

「はあ、アルトさ、こんなときにテレポートが使えたらなあって思わない? 歩かないで乗る電車のホームまですぐ移動できるのに」
「……お前さ、テレポートするなら直接家帰ればいいじゃん」
「ダメだよ、そんな遠くまでの瞬間移動はズルいだろ! 日本テレポート協会が黙ってない」
「どういう法律と団体なんだそれは」

 くだらないやり取りを続けてにやりと笑う。普段頻繁に話してるわけじゃないのにこうしてすぐにお互いの調子が合うのは、小学校からの幼馴染ならではだろう。

「季南さん、だっけ? YourTube、順調なのか?」

 聞きあぐねていたかのように、彼はゆっくりと傘を持ち上げて、俺に視線を向けた。

「ああ、うん。千鈴が色々企画考えてくるから、ネタには困らないでやってるしな」
「おっ、名前呼びしてる。あっやしいんだ!」
「バカ、そんなんじゃないっての」

 目を思いっきり見開いて、好奇心たっぷりの表情で慶は俺の腕を肘でつついた後、「順調なら良かった」と安堵の溜息をつく。気にかけてもらっているのが心苦しくもあり、嬉しくもあった。

「……なあ」

 リラックスした今の状態で話題に出した方が良いと思い、慶に呼びかける。彼は上しかリムのないメガネの右端を雨粒で濡らしながらも、いつも通り「なんでも聞くぞ」というトーンで「ん?」と真正面を見ながら答えた。

「もし、もしだよ。よくあるドラマみたいに、仲の良い子が不治の病になったとしたら、もうそんなに長くないとしたら、どうする?」
 唐突で突飛な質問に、慶は目を丸くする。「何だよ、急にどうしたんだよ!」などと茶化されるかと思ったけど、彼は傘を持っていない右手であごを押さえ、少し考え込んでから「そうだなあ……」と俺に向き直った。

「ベタかもしれないけど、俺だったらその人と思い出を作るかな。忘れないように」
「そうだよな。向こうのこと忘れないようにしたいもんな」
「ううん、違う」
 前髪を濡らしたピッと払いながら、慶は俺の返事を打ち消す。

「こっちじゃなくて、相手が忘れないように。自分の体と心をギリギリまで使い切ったって、後悔なく思ってもらえるように、一緒に思い出を作るんだよ」
「……そっか。ありがとな」
「何だよ、変なヤツだな」

 慶の言葉がストンと腹落ちする。お礼を伝えると、照れ隠しなのか「相談料」と言って右手のひらを俺に向けた。

 不意に千鈴の顔が浮かんだ。生死に関わるわけじゃないけど、治らない病、声を失う病。
 千鈴の声は、動画で残る。だから彼女にも、楽しいことを話して、たくさん演じたと、記憶に残るような日々を過ごしてほしいと願う。

「んで、次はいつ撮影なんだ?」
「あ……週明けだな」

 明日、と言いかけてやめた。週末にも撮っていると話したら、さっきの冷やかしがまた加速しそうだったから。

「そっかそっか。やっば、雨強くなってきた。家帰る頃には靴がグショグショだな」

 アルファルトにぶつかるように勢いを増した雨音とふくれ気味に嘆く慶の声を聞きながら、俺はもう一度「早く晴れてほしいぜ」と呟く。
 明日の撮影場所はいつものレンタルスペースではなく、カラフル・パラディーゾだから。

 ***

 十月九日、土曜、朝七時前。部屋にあるタンスと小さいクローゼットを三往復して、着ていく洋服を決めた。

「変じゃない……よな」

 姿見に映る、いつもより気合いを入れた服装。普段つけないワックスをちょっとだけつけて髪を遊ばせてみた自分に言い聞かせる独り言。
 今日はいよいよ、千鈴とテーマパークで撮影する日だ。

「行ってきます」
 両親にどこに行くんだと詮索されないうちに玄関を飛び出す。いつも背負ってるリュックの代わりに肩から提げているバッグが楽しげに揺れる。
 道路は乾いていて、昨夜十時まで降っていた雨の痕跡はない。天候も気を利かせてくれたらしく、気温も寒すぎず、雲もほとんどない快晴だった。

 動画自体は三日前の水曜にも撮ったので今日が五本目の動画。でも、会議室で撮るのとは全然違う。
 だって、これって、その、デートみたいなものじゃないか。高校に入ってから女子と二人で出かけたことがあっただろうか。多分、初めてだと思う。

「うしっ!」
 気合いが声の塊になる。久しぶりすぎて緊張と興奮が同時に押し寄せ、駅に向かって走る速度はどんどん速くなっていった。

『降りた。ホームで待ってる』
『分かった! 私も今駅に向かってる!』

 チャットを送って、ベンチに座って待つ。目的地はここから電車で五十分。直接現地集合でもいいけど、どうせなら行きに撮影のことも話そうということで、彼女の最寄り駅で降りて合流することになっていた。

 スマホに目を向けるが、SNSもネットの記事も「彼女がやってくるのを見逃したくないな」と思うと大して頭に入ってこない。結局、連絡が来たらいつでも気付けるようにスマホを手に握りしめ、上の改札階から繋がっているエスカレーターをずっと見つめる。

 やがて、一人のよく見知った女子がカンカンとそのエスカレーターを駆け下りてきた。

「やっほー、お待たせ」
 結構走ってきたのか、千鈴は屈伸するような姿勢で膝に手を当てて肩で息をする。

「そんな無理に急がなくてもいいのに」
「いやいや……どうせなら開園前から行ってたいし!」

 快速間に合うでしょ、と電光掲示板を見上げた彼女は、平日の教室と変わらない笑顔を見せた。

 ホームに並んで電車を待ちながら、ちらと横を見て千鈴の服装をチェックする。
真ん中に英語がプリントされた長袖の白Tシャツに小花柄のネイビーのロングスカート、その上からベージュのダッフルコート。コートの袖はキュッと絞れるようになっているのがオシャレだ。

「有斗君もダッフルコートだ、お揃いだね」
「まあ俺のは普通の袖だけどな」
 着ているグレーのコートの袖をパシパシ叩く千鈴。「トグルって手袋してても留められるのがいいよね」なんて話をしているうちに電車が来て、彼女に続いて乗り込んだ。

「どのくらいで乗り換え?」
「三十分くらいだな」

 ちょうど二席空いていたので、隣同士で座る。車内には親子連れやカップルが多く、何組かは俺達と同じ場所に向かうんだろうと想像できた。

「あ、見て、入試の問題ある! えっと、五個の球が入っていて……」

 塾の広告に載っていた中学入試の算数の問題を一緒に見る。問題を読んでいると、横の彼女の顔がだんだん渋くなってきた。

「……何これ、難しすぎない? こんなの算数じゃなくて数学でしょ……」
「千鈴、数学苦手なんだっけ?」
「いや、公式の応用とかなら別に問題ないけど、こういうシンプルに『数字力』みたいなのは苦手かな……有斗君、あれ分かる?」
 脳内で少し考える。頭の中で球に数字を振り、ガラガラと動かす。

「問一は簡単だよな。偶数と五をかけたら十の倍数になるだろ? どっちかの箱には必ず偶数の球が入るんだから、そっちは十の倍数になって三点入るってことだ」

 きょとんとしていた彼女は、やがて新たな定理を思いついたの如く目を輝かせた。

「確かに! 有斗君すごい! 天才!」
「おだてるなおだてるな、何も出ないぞ。んなことよりさ、あの漫画持ってる?」
「ちょっと待って、問二以降は?」
「面倒なことはやらない主義だぜ。あの漫画、面白いぞ」
「『完全犯罪のカノジョ』でしょ? 面白いよね!」

 漫画の広告、車内動画のグルメ情報とミニクイズ、軽くケンカしながら駅を降りたカップル、そして千鈴が今年見に行ったミュージカル。話題は次々に移り、途切れることはない。

 実は電車に乗る前は、少しだけ不安もあった。普段は「YourTube」を共通の話題として話している俺達が、普通に話すことができるだろうか。クラスメイトの話を引っ張りだしても話題が尽きてしまって、お互い気まずいままスマホを眺めるだけになったらどうしようかと考えていた。

 でも実際はそんなことはなくて。快活な千鈴の性格にも助けられて、乗っている時間が短いと思うほどに、幾らでも話せる。彼女の好きな音楽、漫画、テレビ、お菓子、ゲーム、家での過ごし方、寝る時間、片付けが苦手なこと、次々と新しい千鈴の一面を知っていくにつれ、綺麗な果実の皮をゆっくり剥いているようなドキドキ感を覚えた。

 そして心の中で幸福を膨らませた俺は、ふと我に返ってゆっくりと深呼吸する。目の前の彼女は、俺を男子として見ているんじゃなくて、動画の撮影・編集担当として見ている。他に編集できるヤツがいたら、そいつが今の俺に代わっていただけた。そう思っておけば傷付かないし、万が一男子として見ていてくれたからといって、きっと何がどうなるわけでもない。


「到着!」

 一回乗り換えを挟んで最寄り駅に着くと、千鈴はいそいそと広い改札を出て「わあ!」と興奮の声を漏らした。目的地はここから歩ける距離にあり、この構内にもたくさんの看板が出ている。大勢の人の流れに沿うように駅を出て、ペデストリアンデッキを進んでいく。

「カラパラ、めっちゃ久しぶりなんだよね。有斗君は?」
「俺もだな。二年ぶりくらい」

 どんなアトラクションがあったっけ、と二人で記憶を探りながら、遠くに見える観覧車を目印に歩いていった。

 カラフル・パラディーゾはまだ出来て十五年くらいの比較的新しい屋外テーマパーク。絶叫系のコースターから、ただ鳥が上下に動くだけの子ども向けの乗り物まで、バランスよくアトラクションがある。敷地はやや狭いけど都心からアクセスの良い場所なので、親子で休日に遊びに来たり、カップルで程よい遠出のデートをしたりするのにはちょうどいい場所だった。

「パスポートは……あそこか」

 駆け足で先に売り場に並び、千鈴が後から隣に合流した。開園より結構前に着いたので、そんなに並ばずに入園できそうだ。
 料金は……ふむふむ、男女ペアだとカップル割があるんだな。ここは男子らしくスマートにきめたい。

「はい、次の方、どうぞ」
「えっと、カ、カップル割を一つ、あ、一組」
「はい、カップル割ですね」
 緊張で思いっきり噛んだ。大失敗。くそう、千鈴の前で、ちょっと恥ずかしい。

「はい、千鈴、パスポート」
「ありがと! 開園までもう少しだね」

 その場で二十分弱待っていると、遂にゲート前の大きな時計が九時を指す。アナウンスの後に開園となった。ドッと寄せる人の波に押されながら、ゲートをくぐって園内へ入る。レストランとギフトショップが並ぶ通りを抜けると、幾つものアトラクションが俺達を迎えてくれた。

「よし、まずは何から乗ろっか!」
「ちーすーずーさん、お目当てのショーの確認と撮影が先だぜ」
「あ、そうだった。普通に遊びに来たつもりになってた!」

 間違えたのがおかしくて堪らないというように、彼女は吹き出す。そして入口のゲートでもらった紙のマップを見ながら、目指す場所を指差した。

「ここ! ここのレストランの横のステージだよ。えっと、初回は……十時半だね。その前に撮影もしたいし、良い席で待ちたいからもう行こ!」
「おわっ」

 俺の腕を引っ張って走り始める千鈴。ぽっかりと浮かんでいる二つの徒雲(あだぐも)が、忙しなく動く俺達を見物するようにゆったりと風に揺れていた。

「ここかあ。ふふっ、ステージ楽しみだな」

 ログハウスのような見た目のレストランの横に、数人が乗って簡単なショーができそうなステージが組まれている。まだ開始まで一時間以上あり、陣取って待っている人はいなかった。

「千鈴の好きな女優さんがパラディーとかに混ざってショーするのか? ヒーローショーみたいな感じ?」

 パンフレットに乗っていたショーの案内を見ながら訊いてみる。パラディーはこの園、カラフル・パラディーゾのメインキャラクターだ。

「ううん、そこまで子ども向けじゃないみたい。何人か俳優さん出てきてちゃんとラブストーリーの演技するんだって。で、その途中でパラディーが出てくるみたいな」
「なんかすごいシュールだなそれ……」

 だよね、と彼女は口に手を当てて笑う。ショーの案内のページに載っている写真の女性が、千鈴の好きな若手女優らしい。テレビでは見たことがないので、舞台中心に活動しているのだろう。

「あ、ねえねえ、有斗君。あれ、SNSで見た期間限定のドリンクだよ。ちょっと気になるな」
「よし、これで撮影頑張れるなら俺が買ってやろう」
「え、ホント? 有斗君、ありがと!」

 エラそうな芝居をすると、彼女もまた演技がかって両手の指を絡めて組み、歓呼した。こういうシーンで男子の気が大きくなるというのは本当らしい。財布の残金など確認せず、カッコつけてしまう。

「お待たせしました、タピオカザクロスカッシュになります」
「有斗君、ホントに嬉しい! ありがとね!」

 千鈴はスキップのように跳ねて歩きながら一口だけストローで啜っている。透明なプラスチックの容器に入ったそれは、深い赤色の液体にタピオカがゴロゴロと沈んでいて、炭酸の泡が中で小さく浮かんでは弾けている。色鮮やかで組合せも面白いので、SNSで人気になるのも納得の商品だった。

「じゃあ千鈴、先に演劇ガールの撮影する?」
「うん、先に『これから行ってきます』って感じで撮って、ショー観た後にもう一回感想を撮ればいいよね?」
「ああ、ショーは撮れないからな」

 ショーを観た後に、観てないことにして前半部分を撮ってもいいんだろうけど、「ありのままの自分を届けたい」と言っていた彼女はそんなことはしないだろう。

「……あれ?」
 ふと、何かを探すのかように、千鈴がキョロキョロと辺りを見回す。

「そういえば、撮る場所ってどうしよう?」
「あっ、確かに……」

 外の撮影も過去に何回かやってきたのに、肝心なところを見落としていた。彼女の横で歩きながらスマホで撮るならまだしも、ある程度距離を取ってカメラを回し「こんにちは! 演劇ガールです!」なんて挨拶をしていたら、間違いなくギャラリーが寄ってきてしまう。衆目を集めることは、俺も彼女も望んでいないことだった。

「どこでやるかなあ。あのベンチ……は目立つよな。アトラクションの裏とかでこっそり撮れる場所があれば……」
「いや、なんかそれはそれで、ちょっと恥ずかしい……」

 顔をイチゴみたいな赤に染める千鈴。人目につかないところで男女二人で撮影しているのを想像した俺は、「ちゃんとした場所がいいよな!」と慌てて打ち消した。

「そうしたら、レストランで座って撮るか。ちょっとBGMとかうるさいかもしれないけど、それも外の撮影の醍醐味ってことで」
「レストランもちょっと人目がなあ…………あ、ねえ、有斗君、あれは?」

 彼女が斜め上、遮るもののない高い空を指差す。その先にあったのは、虹色カラーのゴンドラが幾つも回っている、大きな観覧車だった。

「なるほど、乗りながら撮影ってことか」
「揺れる、かな?」

 黙って考え込んでいた俺に、千鈴が不安そうに聞いてきたので「あ、いや、やってみようぜ」と慌てて返す。正直、撮影ができそうかどうかよりも、「女子と2人っきりで観覧車に乗る」ということで頭がいっぱいになっていた。
「私、カラパラの観覧車乗るの初めてだから楽しみ!」
「そっか、俺もだ」

 同調してみたものの、俺の場合はカラパラに限らず、これまで女子と観覧車に乗った覚えがない。どうやら人生初らしい、と頭が理解すると、隣の千鈴に聞こえそうなくらい、鼓動が加速していった。

「結構並ぶねえ」
 スマホでカラパラのサイトを調べながら、体を右に傾けて列の先を覗く千鈴の呟きを聞く。

「絶叫系除いたら一番人気のアトラクションらしいからな。それより一周一八分だってさ。ちゃんと話すこと考えておけよ」
「げっ、短い! カラパラの思い出とか話そうと思ってたのに」

 ちょっとずつ列を進めながら、彼女は下を向いてぶつぶつと練習し始める。至って真剣な表情だけど、漏れ聞こえる声が「お芝居、楽しんでますか? 演劇ガールです!」なんて内容で、そのギャップが面白かった。

「次の方、どうぞ。頭上に注意しながらお入りください」

 スタッフのお姉さんに案内され、バッグから出したカメラと三脚を腕に抱えて赤のゴンドラに乗る。向かい合って二人ずつ、四人は座れそうな大きめのゴンドラ。風もそこまで激しくないので、揺れも少ない。

 うん、これなら撮れそうだ。すぐに三脚とカメラをセッティングして、向かいの彼女にレンズを合わせた。撮影モードになると、さっきまでの緊張も解ける。この瞬間は「撮影者」と「YourTuber」の関係でいられる。

「有斗君、撮れそう?」
「大丈夫。そっちは?」
「ん、いける」
 最小限の会話。それは、お互い撮影に慣れてきた証でもあった。

「基本はいつもみたいに回しっぱなしにしてるけど、途中でちょっとカメラ動かして外の景色映すからね。じゃあ演劇ガール、張り切っていきましょう! 五秒前! 四,三……」
「皆さんこんにちは。お芝居、楽しんでますか? 演劇ガールです! 今日はなんと初めての屋外ロケです! カラフル・パラディーゾ、通称カラパラにやってきました!」

 わー、と自分で盛り上げながら小さく拍手をする。他の人の動画も見て研究しているのだろう。大分喋り方が板についてきた。

「早速脱線しちゃうんですけど、まずはさっき買った、ここでしか飲めない炭酸ジュースを飲んでみたいと思います。期間限定、ザクロタピュヨカ……有斗君ごめん!」
「カット! ち・す・ず・さーん!」

 商品名を思いっきり噛んだ彼女に、すかさずツッコミを入れる。「ごめんね!」と思いっきり両手を合わせて謝る彼女、「最初からいくよー!」と仕切り直す俺。時間がない中でも、この空間はなんだか楽しくて、二人ではしゃぎながら撮影を続けた。



 11 こんな風に始まる恋が

「というわけで、これから剣崎(けんざき)(しおり)さんが出ているショーを見てきたいと思います。その前に、栞さんのこれまでの舞台の中で一番好きな台詞を演じてみますね! 観覧車の中なので動きまではできないですけど……『ハイド&シークァーサー』より」

 作品名を口にして、彼女は目を閉じる。すうっと深呼吸して目を開くと、その表情は希望に満ち満ちたエネルギー溢れるものになった。

『自分に嫌気がさして、閉じこもってたの。でも、そのままだと世界って本当に何も変わらないから。ううん、違う。世界は変わらないから、自分を変えなきゃいけない。だから私は、たくさん自分に強く当たった分、今度は世界に体当たりできる自分になるの』

 言い終えると、また彼女は深呼吸して元に戻り、「いかがでしたか?」と言って作品の解説に入る。やはり演技というのはすごい。色んな人格を宿すことができる。でも、普段の彼女と演技の彼女が違い過ぎて、それは即ち、彼女が台詞の通りにポジティブに振り切れていないことを示してした。

「では、ショーを観てから感想動画撮りますね。まずは一旦ここまで、演劇ガールでした!」

 地上間近の観覧車の中。彼女が数秒間手を振るのを待ってから「オッケーです」と録画を止める。

「千鈴お疲れ」
「有斗君もお疲れ」

 三脚とカメラを急いで片付ける。バッグのチャックを閉めて一息ついていると、横のドアがガコンと開いた。

「はーい、ありがとうございましたー!」
 さっきのお姉さんが出迎えてくれる。あっという間の一周一八分だった。

「いやあ、本気出したら短時間でもできるもんだな。画面揺れもそんなになかったと思う」
「『多少ブレがあります』って注意つけておけばいいもんね。それにしても観覧車……あーっ!」
 突然叫び出した千鈴。続いてガックリと肩を落とす。

「どした?」
「全然外の景色見られなかった! せっかくだったのに!」
「……ぶはっ! 確かに!」
 そんな余裕なんて一ミリもなかったもんな。

「もう、笑いごとじゃないよ! 初めて男子と乗った観覧車なのに!」
「お、マジか。俺もだよ、初めて女子と乗った」
「二人で呑気に撮影なんかしてる場合じゃなかったよー!」
「でも観覧車で撮影するの提案したの誰だっけ?」
「私だけどさー!」

 千鈴は溜息をつく。彼女も乗ったことがなかったというのがちょっと驚きで、でもそんな「異性と初めて観覧車」という青春を二人とも動画の撮影で塗り潰してしまったのが面白くて、目が合った彼女と一緒に苦笑いした。

「よし、まずはショーを観よう。千鈴、終わった後は近くで撮るか?」
「うん、感想は短くていいと思うし、早く感動を伝えたいからどこかあんまり人目に付かないところでパッと撮りたいな」

 そのままステージの前で場所取りをして、ショーを観る。彼女の話していた通り、基本的にはコメディありのラブストーリーがメインのお芝居で、歌やダンスがない分、俺も気恥ずかしさを感じることなく観劇できた。途中で「キャラクターに変えられた人間」という設定でパラディー達が出てきたのも、なかなか面白い設定だった。

「ねえ、有斗君、さっきの見た? 今の栞さんの諦めたときの言い方、すっごく上手だったよね! 後ろの人にはほとんど見えないのに、ちゃんと表情作ってるのもプロだなあ!」

 千鈴はと言えば、すっかりこのショー、否、栞さんに夢中になっている。二十代前半くらいの若い女優さんだけど、確かに引き込まれるようなオーラを放っていて、舞台に引っ張りだこだという千鈴の解説も頷けた。

 ちなみにその後奥まった休憩スペースで木製ベンチに座りながら撮った感想動画の彼女のテンションは凄まじく、「すごい」と「カッコいい」をそれぞれ七回ずつは繰り返していたと思う。ともあれ、これで今日の撮影は無事に終了、まだお昼前の十一時半だ。

「有斗君、これからどうする?」
「んー、帰って編集かな」
「えっ?」

 冗談で言った一言に、びっくりするくらいの反射神経でこちらを振り向く。茶髪の髪がフッと揺れて、隠れていた左耳が露わになった。

「んなわけないだろ。せっかく来たんだし、お金がもったいない。次何乗るか決めようぜ。」
「……だよね! もう、有斗君いじわるだなあ」
「先にお昼の場所決めようぜ」

 お金がもったいないなんて下世話な建前を口にしたのは、素直になれなかったから。せっかく来たから二人でもう少し遊びたいなんて、真正面からは言えそうになかった。

 そして、まるでデートみたいな数時間が始まる。


「有斗君、絶叫系は大丈夫?」
「ああ、うん。問題ないぜ」
「じゃあまずはアレだね!」


「……ちょっと有斗君、大丈夫? ベンチで休む?」
「うぐ、気持ち悪……まさかあんなに急角度で落ちるなんて……」
「まったく、絶叫大好きYourTuberだったら失格だよ」
「そんなのにはならないよ……」

 ***

「次はどうする?」
「私、あれ……乗りたいかも」
「メリーゴーラウンドか!」
「高校生で変かな?」
「誰が見てるわけでもないし、いいんじゃない? 良かったら撮らせてよ、動画で一瞬使ったりしたら面白そうだ」
「ええっ、なんか恥ずかしい!」

 ***

「楽しかった! 次は……メリーゴーラウンドときたら、やっぱりコーヒーカップだよね。知ってた? カラパラのは自分達で回るスピード調整できるんだよ」
「へえ、そうなんだ。俺の三半規管に挑む気だな」

「それそれそれそれー! 回せ回せー!」
「ぎゃああああああああああ! 千鈴、ストップ、ストップストップ!」

 ***

「あ、パラディーだ! 踊ってる、可愛い!」
「さっきのショーでも思ったけど、着ぐるみにしては動きが俊敏だよな」
「ね、ね、スタッフの人に写真撮ってもらおうよ」
「じゃあ二人で挟もう。千鈴はそっちね」

 ***

 元気な千鈴についていく形でアトラクションを回り、一緒にビッグサイズのハンバーガーを食べる。お土産ショップのパラディー帽子を被って遊び、またアトラクションに乗る。

 まるでデートみたいな過ごし方だな、と思っていたけど、多分そうじゃない。
これは、デートそのものだった。

「あーもう夕方だね」

 一七時近くなり、園内に西日が射しこむ。陽光が彼女の左半身を照らし、頬をオレンジ色に照らした。

「そろそろ帰らないと」
「じゃあ最後に何か乗る?」

 んー、とあごに指を当てながら辺りを見渡していた千鈴は、動きを止めて口角を上げる。

「あれ!」
 彼女が指したのは、観覧車だった。

「朝はちゃんと景色見られなかったからさ。いいかな?」
「もちろん。よし、並ぼう」

 午前中はカメラを準備しながら並んだ観覧車に、今度は何も用意せずに向かう。撮影ではなく、外を眺めるために、景色を目に焼き付けるために、ゴンドラに乗りこんだ。

「うっ……わあ……」
「すごいな……」

 昇っていくゴンドラの中で窓に顔を近づけて、二人揃って言葉を失う。沈みかけの太陽、その光に包まれるビルと街、夜の支度を始めた紫色の上空。ただただ鮮やかな色に包まれた世界は、綺麗とか、美しいとか、そういう言葉すらちゃちに思えた。

「有斗君、今日、ありがとね」
「ああ、うん。俺も楽しかったから」

 眼下に広がる、雄大な絵画のような風景に見蕩れていると、横の彼女は子どもがガラスに絵を描く時のように、はあっと大きく息を吹きかけた。

「声が出なくなるまでに来たいなって思ってたから。だから嬉しいの」
 その言葉に、心は鉛が入ったかと思うほどズシリと重くなる。何と返事してあげればいいのか、たくさんの言葉が脳内を巡るうちに、人生経験の少ない自分に彼女を導くようなことは言えないのだと気付かされる。

「……色んなところに行こうよ」
「え?」
 やがて口から出てきたのは、慰めでも激励でもなく、提案だった。

「前に動画の中で演技してたじゃん。『ワタシね、この世界で与えられたものは、使い切った方がいいって思ってるの』って。体もらったんだしさ、使い切ろうぜ。あ、もちろん……声が出なくなっても色んなところには行けるんだけど、その、喉が大丈夫なうちの方がきっと千鈴も、もっと楽しいというか……」

 最後の方はしどろもどろになってしまった。ダラダラと長く、カッコ悪い返事だけど、伝わっただろうか。

「……ありがと。なんか、うん、もちろん『演劇ガール』で声のあるときの私の姿を動画で残すのが一番やりたいことなんだけど、他のところにも行きたいな」

 そう返事をした千鈴は、俺の方を見て優しい笑みを見せた。

「有斗君、優しいね」

 その表情に、体はバカ正直に反応して、鼓動が高鳴る。目を瞑るのも惜しくて、瞬きが極端に少なくなる。

 熱を持った体でしかし、頭だけは悲しいほどに冷静で、いつものようにもう一人の自分が脳内に現れる。諦めと嘲りを混ぜたような目つきで、「君は幸せな学校生活なんて送っていいの?」と呟きを漏らし、体の内側に響く。
 だから、俺の返事は至極そっけないものになった。

「……優しくなんかないよ」

 あれだけ彼女の顔を見ていたかったのに、こうして病気にもめげずに必至に生きている彼女を目の当たりにすると、自分がとても惨めに思えて、逃げるように視線を逸らしてしまう。

「何の役にも立たない動画作って。役に立たないどころか人を傷つける動画だよ。分別(ふんべつ)もつかないで、そんな人として最低なことを去年までやってたんだよ。俺は優しくなんかないし、優しい言葉をかけてもらっていい人間じゃないんだ。今手伝ってるのだって、罪滅ぼしみたいなものでさ」

 わざと自分を傷つけるようなことを口にする。言葉にしてみて、改めて自分の幼稚さに嫌気が差して、自嘲気味に眉を上げる。反省しているとはいえ、頼まれたとはいえ、俺が動画なんて作っていいのかとやっぱり考えてしまう。

 そして、虚勢も張れないボロボロの心の中で、「千鈴にどう思われるだろう」という不安が居座っていた。

 彼女も何も言わずに、時折ガコンガコンと音がするゴンドラは静寂に包まれる。暗がりが少しずつ広がる空、観覧車はまだ上昇を続けている。早く終わってほしい。気まずくて、長い間一緒にはいられない。


 更に時間が経って観覧車がてっぺんまで来たとき、千鈴が俺の方を見ているのが気配で分かった。

「……罪滅ぼしなんて思わなくていいよ。有斗君はやっぱり優しいもん」
どんな非難も罵倒も覚悟しよう、と考えていた俺に彼女が投げかけたのは、予想とは違う肯定の言葉だった。
「そんなこと……」

「人を傷つける動画を作っちゃってたかもしれないけどさ、そこから一年半くらいずっと後悔して、反省してる。反省の期間がどのくらいの長さならいいかなんて分からない。でもね、少なくとも私は、有斗君が今こうして私を手伝ってくれてることで救われてるよ」
「いや、救うなんて大袈裟なものじゃな――」
「ううん、救ってくれてるよ」

 俺の言葉を遮って、彼女がこちらにグッと顔を寄せた。重心が傾き、観覧車がぐらりと揺れる。

「声が出なくなる私の今の声を残してくれてる。私はこんな声でこんな話し方だったんだよって、みんなに紹介できる動画がもう四本も出来上がってるの。それがすごく嬉しい。有斗君たちが標的にしちゃった人数に対して自分一人じゃ釣り合わないと思うけど……それでもね、辛い思い出があることを知らなくて無理やりお願いしたのに、引き受けてくれて本当に感謝してるんだ。そういうところ、すごく優しくて素敵だと思う。ありがとうね」
「……こっちこそ」
 もう、一言返すだけで精いっぱいだった。


 彼女の一言で、俺のささくれ立っていた心は温泉にでも浸かったかのように落ち着いた。潤って溢れてきた水分が、上へ上へと昇り、目から零れそうになる。

 許されることじゃないと分かっていた。ずっとずっと責め続けていた。でもきっと、心のどこかで俺は、「大丈夫だよ」と誰かに言ってほしかったのだと思う。それで何もかもが許されるわけじゃないと知りつつも、苦しみを理解してくれる人を待っていた。

 言葉ってすごい。俺達が相手を刺すために使っていたその道具で、二年ぶりくらいに気持ちが安らいでいる。
 千鈴がいて良かったと、千鈴を撮る役が俺で良かったと、そんな風に思える。
ずっと蓋をしていたその感情の正体を、もう無視することはできなかった。


「はい、ありがとうございました!」

 地上に着き、こっちの事情を知らないお姉さんが、元気にガコッと入口を開けてくれた。
 沈みかけの夕日。もう少ししたら光は消え、空は暗く暗く、夜で塗りつぶされるのだろう。

「じゃあ帰るか」
「うん、帰ろ」
 ゲートに向かって歩き出す。引き留めるように、向かい風が吹いた。

「寒くなってきたな」
「ね、冬本番って感じ」
 手袋持ってきてたかな、と脳内でバッグの中を確認する。目線を下に落としたので、左を歩く彼女の右手が空いていることに気付いた。

 予定外のことを急に口にしたら、うまく伝えられない気がする。
 だから、言葉には頼らないようにして、手を近づけたい。

「…………っ」
 そんな風に想いを伝えて良いのか、動かしそうになった腕を止めた。

 いいのか。俺がこんなことをしていいのだろうか。拒絶されたら? 変な目で見られたら? もう動画には関わらないでと言われたら?

 勝率の低い賭けに、不安ばかりが募る。

 でも、それでも。

 この二年間、ずっと自分は、自分を否定することで過ごしてきた。あんなことをした自分が幸せになっていいはずがないと思っていた。もう何も要らないと、要らないから許してほしいと、そうやって世界と繋がるドアを閉じて生きてきた。

 さっきの千鈴の演技を思い出す。

『そのままだと世界って本当に何も変わらないから。ううん、違う。世界は変わらないから、自分を変えなきゃいけない。だから私は、たくさん自分に強く当たった分、今度は世界に体当たりできる自分になるの』

 もし違う世界を見たいと望むのなら、何かを変えないといけない。どこかで踏み出さないといけない。もし踏み出すなら、勇気を出すなら、その相手は季南千鈴が良かった。


 スッと、左手で彼女の手を柔らかく握った。振りほどいてもいいよ、と逃げ道を残すように。
 温もりが伝わってくる。千鈴の体温を感じる。

「…………あっ」

 千鈴は驚いたようにこっちを見た。俺は目を合わせるのが恥ずかしくて、まっすぐ前を見る。
 彼女は、手を振りほどかなかった。優しく握り返してくれた。

「まだちゃんと喋って二週間ちょっとしか経ってないのにな」
 俺がそう言うと、彼女は「関係ないよ」とゆっくり首を振る。

「時間なんて別にいいじゃん。お互い、秘密を握った仲だしね」
「……だな」

 そうだな。関係ないよな。こんなふうに始まる恋が、あったっていい。
 胸の中にあるのは、短い中でもゆっくり、確かに募っていった想いだから。

「千鈴」
「うん?」
「好き、だと思う」

 結局口にしてしまった。飾りも捻りもない、たった一言の気持ち。彼女と一緒にいたいという、ただそれだけ。

 数秒目が合った後、彼女は空いている左手を自分の頬に当て、「ふふっ」と幸せそうな声をあげた。

「私も。有斗く……有斗のこと、好きだなって思うよ」
「……そっか」

 熱が逃げないように、指と指を絡めて、しっかり手を繋ぐ。

 十月九日。こうして俺達は、恋人になった。