8 彼女の強さ

「ねえ、北沢」
「どした、三橋?」

 初投稿から二日経った九月二九日、水曜日。休み時間に廊下にあるロッカーに日本史の資料集を取りに行くと、三橋から声をかけられた。

「この前話してたチーちゃんの動画、ちゃんと撮れてるの?」
 チーちゃんとは千鈴のことだ。親友のことが気にかかるのだろう。

「ああ、この前集まって撮ったよ」
「そっか。話してるとチーちゃんが前より元気になってて嬉しいんだよね。北沢のおかげかな」
「俺はカメラ回してるだけだけどな」

 でも、そうやって三橋達とも楽しくやれているなら、俺のサポートも少しは役に立っているのかもしれない。

「なんか急に演劇部もお休みすることになったみたいでさ、調子悪いのかなって心配してたから」
「……考えすぎだって。撮影のときピンピンしてたぞ? この前なんか、『おばあちゃんに見てもらうんだ』って言って文化祭でやったヤツの演技しててさ……」
 本当のことは言えなくて、表情を変えずに嘘をつく。千鈴もこんな風に色んな人に誤魔化していると思うと、胸の奥が寒さに耐えるかのようにキュッと縮んで締め付けられた。

 ***

「そういえば有斗君、一本目のやつ、再生数が百回いったの!」

 その日の放課後。一昨日も来たばかりの渋谷のカフェで、千鈴が小さく拍手をしながら報告してくれた。茜色の空が、彼女の明るい茶色を更に明るくオレンジに染め上げていく。

 前回のレンタルスペースがまだ期間限定セールをやっていたので借りて撮影した後、編集のためにまたこの店に入った。前回と同じテーブルに座っているので、店員さんに変な高校生だと顔を覚えられていないかちょっと気になる。

「俺も一応チェックしてるから知ってる」
「え、そうなの!」
 目を丸くする彼女に、「一緒に作ったんだし、そりゃ気になるよ」と苦笑で返した。
 
 初投稿から一日開けてすぐさま二本目の撮影なので、割とタイトなスケジュールだけど、どうせなら見てくれた人の熱が冷めないうちに新作をアップしたかった。それは千鈴も一緒だったようで「早く次のやろうよ!」と急かされ、急遽今日の撮影になったというわけ。
 ちなみに、今回は演劇部の発声トレーニングを紹介すると言って、急にその場に寝転がって腹筋を始めたので、俺は笑いを堪えながら、彼女に頼まれて一分間でやれた数を数えていた。

「なんかさ、アップする前は再生数なんて別にどうでもいいって思ってたんだけど、いざ数字が出ると欲が出ちゃうし、百回とかいくと嬉しいね」
「まあ確かにな、結構嬉しいかも」
「結構なんてもんじゃないよ!」

 今回は撮影がスムーズに進んで退出時間まで余裕があったので、千鈴は制服に着替えた。肩のラインがズレてしまったブラウスを直しながら、ずいっと俺に顔を近づけてハイテンションに声を張る。やっぱり叫んでも聞き取りやすい声だ。

「だってさ、私が演技したり演劇トークしたりしてるだけの動画を百人が見てくれてるんだよ? 一人で何回も見てる人もいるかもしれないけど、それはそれで楽しんでくれてるってことだから嬉しいよね」

 俺も三回見たぞ、と冗談交じりに言うと、千鈴は「私は五回!」と張り合ってきた。動画のページに行くと「再生数 百十三回」と表示されているので、俺達を除いても百回以上は再生されているようだ。

「それにコメントもついてるの! 『私も演劇やってますけど、リライト&リトライ、面白そうです! 次にやる作品の候補に加えます!』って。これってすごくない? 私が顔も知らない誰かに影響を与えることができたんだよ」
「ああ、分かる。そういうの、結構感動するよな」

 初めて誰かに再生されたとき、初めて再生が十回、百回を超えたとき、初めてコメントがついたとき、共感してもらえたとき。俺も仲間と一緒にハイタッチして、コーラとスナックで乾杯した。

 千鈴は、俺の後ろからその一連のできごとを追体験している。俺自身の、この喜びを共有できるのは幸運なことで、胸の奥がジンと熱くなった。

「季南、学校の誰かに見つかったりしてない?」
「うん、大丈夫、バレてないみたい。有斗君がうまくサムネ作ってくれたおかげかな」

 動画をクリックするきっかけになるサムネイル。そこに千鈴の顔が堂々と載ってたら見つかってしまうかもしれないので、顔がギリギリ見えないようにした。千鈴が顔を出せば再生数が上がるだろうけど、彼女が望んでいるのはそんなことじゃないから。

 自然なトーンで口にした「バレてないみたい」という言葉に、胸の奥を毛先の固いブラシで撫でられた気分になる。動画のことはもちろん、病気のことだって、彼女は誰にもバレてない。

 こうして普通に喋っていて、痩せ細ってるわけでも、点滴の管を繋いでるわけでもない彼女は、四ヶ月後、一月には声が出なくなるという。事情を知っている俺ですらにわかには信じられないようなことが、他のクラスメイトに知られるわけがなかった。

 千鈴は、強い。こんな状況で、こんな風に普通でいられるものだろうか。気丈に振る舞っているようにも見えず、驚嘆を通り越して感心してしまう。ひょっとしたら、それも彼女の「演技」なのかもしれないけど。

「でもさあ、やっぱり数字見てると欲が出ちゃうねー」

 彼女はニシシと笑う。どうやら、もっとたくさんの人に見てもらいたいという気になっているらしい。

「まあ、私は体張ってまでは再生数稼ぎたくはないけどね」
「確かに、過激なことやりがちだからな。激辛の食べた後に演技してみた、とか」
「あー、ありそう。あとはコスプレして演技してみました、とか」
「……確かにな」

 想像して頬が熱を持っているのが分かり、目線を逸らした。棚に並べられたタンブラーを見るふりして誤魔化したものの、多分すっかりバレているだろう。

「あ、赤くなってる! 和服着て、昔の人の役やったりするだけだよ。有斗君、今変なコスプレ考えてたでしょ?」
「うっせ」

 千鈴に声をかけられてから、今日でちょうど一週間。これまでほとんど関わりのなかったクラスメイトとこんなに仲良くなるなんて、先週の自分には想像もつかないだろう。

「再生数増やすなら、なんか方向転換する? 女子高生が五十個の質問に答えてみました、みたいな特別企画とか、色々できるとは思うけど」
 彼女は斜めを見上げながら「んー」とひとしきり唸った後、両方の手のひらを上に向けて肩をすくめてみせた。

「ううん、しない。やりたいことだけやりたいから」
「なんかいいな、今の。名言っぽい」
「お、ホント? でも演技ってテーマは縛りにして、企画っぽいことやりたいな。一つの台詞を色んな感情で言い分けしてみるとか……」

 取り出したノートにペンを走らせる千鈴。ノートには他にも動画に関するメモがたくさん書いてあって、ただ「声を残す」ためのものではなく、楽しい趣味の一つになっていることが窺えた。

 だからこそ、彼女の言葉が悲しく響くこともある。

「あーあ、ホントはずっと演劇やりたかったな」

 ひょっとしたら治るかも、なんて根拠のない期待も持たせられない。かといって、話せない役者を目指してみたら、と無理やりポジティブな方向に持っていくのも違う気がして、何も言えなくなってしまう。困らせていることを向こうも知っていて、「ごめんね」と申し訳なさそうに謝った。


「じゃあ、俺の方で後半の編集進めておくよ。それ終わったら前回みたいに音選び頼むな」
「うん、任せて。新しいフリー音源サイト見つけたから、そこからも効果音とか探してみる」

 こうしてまた夜まで作業し、「演劇ガール」二本目の動画をアップしたのだった。

 ***

「有斗、明日予定ある?」

 金曜の昼休み。弁当をかき込んでいると、友人の水原が田邊と一緒にやってきた。

「いや、今のところないけど」
「じゃあ映画いこうぜ! 『ドラゴン・イン・ザ・ダーク』」
「あ、あれか、いいな!」

 3Dじゃなくていいかな、逆に2Dの方がいいだろ、なんて議論しながら映画館の場所と上映時間を確認する。今日は予定があったから、明日で良かった。

 今日から十月。通り過ぎるコンビニやSNSでも「ハロウィーン」の文字をたびたび見かけるようになった。まだ気温が高い日もあるけど、あと一、二週間もすれば本格的な秋が残暑を追い出すだろう。

 ブレザーのポケットにしまったばかりのスマホがブブッと通知を告げる。ちらりと見て、チャットの中身を確認する。

「じゃあ有斗、集合時間とか夜相談しようぜ」
「おう、よろしくな」

 明日は映像を見る側、今日は作る側だ。



「有斗君、ごめんね!」

 放課後、月曜と水曜の撮影で使った渋谷の隣駅、恵比寿の西口バスターミナルで待っていると、彼女が風を切って走ってきた。

「今日話すこと整理し直してたら遅くなっちゃった。大丈夫?受付時間、間に合う?」
「ああ、近いから問題ないよ」

 バスターミナルから大通りを渡って店が並ぶ通りを真っ直ぐ歩く。チェーン店と個人商店が入り混じるその通りは、都心とはいえ肩肘張らずに歩ける。奥まった道に入るとすぐに野良猫を見つけられそうな住宅街になるのも、賑わう繁華街とはまた違った気楽さがあった。

「こんなところにもレンタルスペースあるのね」
「マンションが数室空いてればどこでも出来るんだろうなあ」
 スマホで地図を確認しつつ、千鈴の数歩先で「こっち」と指差しながら歩いた。

「うわ、なんかオシャレ!」
 マンションの四階、ワンルームに入ってすぐ、千鈴が嬉しそうな声をあげる。
 ここ二回で使った渋谷のレンタルスペースと同じような作りかと思いきや、内装は少し違っていた。白い壁紙に、接写した花の写真のポスターが何枚も飾ってある。木目の綺麗なダイニングテーブルのような机に、背もたれに柔らかいクッション材が使われている椅子が置かれ、「会議室にも使えます」と書かれていたものの、「誰かの家」という印象の方が強い。千鈴の家にお邪魔してしまったかのようで、やや緊張してしまう。

「これなら俺達で壁紙貼ったりしなくてもそのまま撮れそうだな」
「だね! 準備しよ!」
「じゃあ俺向こうで準備するから」

 リュックを持ってキッチンの方へ出て行き、カメラと三脚を用意する。その間に、千鈴はリビングで制服から私服に着替える。三回目の撮影ともなると、、準備の手筈もスムーズになっていた。

「お待たせ」

 呼ばれて部屋に入り直すと、彼女はすっかり普段着の女子高生に変身していた。白のTシャツにエンジ・ライトブラウン・白・黒のマルチストライプのスカートが鮮やかに映える。

「オシャレなスカートだな」
「んーん、実はこれワンピースなの」
「え、マジで?」
「ほら、ここ、くっついてるでしょ?」

 腰のあたりを見せてもらうと、確かに上下一体になっている。「最近買ったんだ」と自慢げに言いながら、千鈴はレンガ色のジャケットを羽織った。

「似合う、かな?」
「ん、秋っぽくて良いと思うよ」

 真正面から「似合う」と返すのが照れくさくて、少し言い換える。それでも彼女は上機嫌になり「ありがと」と小さくピースしてみせた。

「場所、この辺りで良いかな?」
「えっと……もう少し右だな」

 飾られている花の写真のポスターが半分だけ入るように、座る場所とカメラの位置を合わせていく。彼女は座りながらノートをジッと見ているものの、初回のような緊張はなく、リラックスして臨んでいた。

「準備いいか?」
「うん、有斗君のタイミングで大丈夫」

 ニッと口角を上げて、右手でオッケーマークを作る。それは、張り付いた笑顔ではない、自然なものだった。

「いきまーす! 五秒前、四、三……」
「はい、こんにちは! お芝居、楽しんでますか? 演劇ガールです! 今日は前回とは違う場所で撮影してます。見てください、ポスターが貼ってあって結構オシャレな部屋ですよね。うちもこういうポスター貼りたいなあ。季節によって桜とかヒマワリとか変えたりして。
 さて、演劇関連のチャンネルということで、最近知った演劇ネタを一つ。舞台照明で、上空からの斜めの光を交差させることを『ぶっちがい』って言うんですけど、これ、漢字だと打つに違うって書いて、『打っ違い』って書くのを初めて知ったんですよね。十字形にななめに交差させることを指すみたいで、『角度を違えて打つ』って考えるとなるほど意味は通るなって思いました」

 身振り手振りを交えながら、つっかえずに淀みなく話していく。話す内容は事前に教えてもらっていないので初めて聞く内容だけど、結構面白い。動画というかラジオっぽい感じで、声のトーンも話すスピードもちょうどいいので、ついつい聞き入ってしまう。

「それでは今日は、最近見返した大好きなお芝居の脚本を持ってきたので、今の自分の心境にピッタリなシーンを朗読してみたいと思います。劇団ジョーカーさんの『不完全な少女の完全燃焼』、どんな話かは後で話すんですけど、終盤のシーンの台詞を聞いてください」

 椅子から立ち上がってカメラに近づき、これですよー、と脚本の題字を映す彼女。カメラ越しとはいえ、こんなにアップで顔を見ると胸のポンプがドクドクと動き、一気に脈拍が上がっていく。座り直してページを捲っている様子も、ファインダーの中でずっと覗いていた。

 『ワタシね、この世界で与えられたものは、使い切った方がいいって思ってるの。それは時間であれ、能力であれさ。人生でもらったものは使いきりたいし、たとえ使い切れなかったとしても、そういう覚悟でいたいな、とは思うんだ』

 朗読を聞きながら、俺はまっすぐに彼女のことを考えていた。

 千鈴は、こんな状況でも、大好きな演劇と向き合いながら懸命に前を向いている。俺がこの動画を作り始めて日々楽しいと思えているのは、久しぶりに動画に触れたからじゃない。千鈴と一緒にいるからだ。

 この想いの正体に、心はとっくに気付いているはずなのに、それ以上を求められない。「自分なんかが恋愛する資格なんて」と去年までの自分が暗い目で睨んできて、そこでおしまい。そもそも向こうだって動画を作るために俺の手を借りてるだけだ、と上手い言い訳を作っては、感情に蓋をしてしまう。

 そして、全く別の感情を呼び起こすことで、頭を切り替える。
 クラスでも楽しそうにおしゃべりしていて、カメラの前でもこんなに流暢に話したり朗読したりできる彼女が、声を奪われる。もし本当なのだとしたら、神様ってヤツに怒髪天を()きたいほどの怒りが湧く。

 なんで彼女だったのか。もっと、もっと他にいなかったのか。声を奪ったって良さそうな人間が、それだけのことをされても仕方ない人間が、世界中に溢れているはずなのに。
 逆宝くじ、悪魔のルーレット。まだ十日くらいしか一緒にいないけど、季南千鈴にそれが当たったことを恨めしく思っていた。

「それでは、皆さん、また次回お会いしましょう。演劇ガールでした!」

 数秒間手を振っているのを見ながら、録画ボタンを止める。俺はさっきのモヤモヤを脳からゴミ箱につっこみ、「オッケーです!」と叫んだ。



 9 外へのお誘い

「よし、撮影終了」
「わー、お疲れ様です! 有斗君、今日もありがとう」

 千鈴が制服に着替え直した後、レンタルスペースを出て、編集できる場所を探す。近くにあったカフェは生憎満席だったので、そこから数分歩いたところにあったファミレスのソファテーブル席に座った。

「有斗君、ドリンクバー取ってこようか?」
「ああ、うん、適当に炭酸ほしいな」
「任せて!」

 喜んでマシンに小走りしていく千鈴を見ながら、パソコンの準備をする。手早くカメラを繋いで撮影したデータを移していると、彼女はグラスを二つ持っていそいそと戻ってきた。

「はい、どうぞ」
「これ、何だ……? あ、え、美味い!」

 驚いた俺に、千鈴は得意げに鼻を擦ってみせる。さすが演劇部、こういう芝居がかった仕草もお手の物だ。

「最近ハマってるドリンクバーのミックスなの。白ブドウの炭酸にジンジャーエール混ぜて、最後にレモンティーに使うレモンのポーション入れるんだ」
「スッキリしててめっちゃ美味いなこれ!」
「でしょー! 普通のブドウの炭酸でも作ったことあるんだけど、ちょっと甘すぎちゃうんだよね。あと、レモンポーションをもう少し減らすと……」

 部活でよく来ていたからだろうか、ブレンドの豆知識を嬉々として話してくれる。どんどん溢れてくる彼女の言葉を、もっと聞いていたくなる。

「……本当に、声、出せなくなるのか」

 思わず、口をついて出た問いかけ。目の前でこんなに明るく喋っている彼女の数ヶ月後を、とても想像できない。

「ん、そうみたい。残念だなあ」

 前と同じように、他人事のように彼女は言った。顔をやや強張らせて口を変な方向に曲げた苦笑は、自分で決めたことではない運命を淡々と受け入れる準備をしているかのよう。自分で訊いたくせに、俺は返す言葉に迷って「そっか……」と相槌を打ち、二人の間を泥のように重たい空気が流れる。

「っと、ごめんごめん、編集しないとだよね」
 沈黙を破ったのは、千鈴の言葉とパンと両手を合わせる音だった。

「有斗君、編集の仕方もちゃんと覚えたいから画面見せながら作業してもらえないかな?」
「え、ああ、いいけど」

 向かい合って座っているので、彼女に見えるようにパソコンを横にしながら編集を始める。
 といっても、完全に真ん中に置いてしまうとうまく作業できず、やや斜めで俺の方に傾けているので、どうしても彼女には見えづらかった。

「えっと、今のは動画を一部分だけ切ったの?」
「ああ、ここの部分だけスピード速くしようと思ってさ。ほら、よくあるだろ? チャカチャカチャカって動きが早回しになるやつ」
「あ、あるある!」

「途中で出てきた、通学路にいる犬の話、千鈴はカットしていいって言ってたけど、ここだけ再生速度を速めて『脱線中』とかテロップ入れたらいいかなって」
「なるほど、そういう使い方もあるのか! ねえ、もう一度やり方見せてくれない?」

 手早くノートにメモを取った後、向かいの席からちょっと辛そうな体勢でぐっと身を乗り出している。

「……隣来る?」
「え、いいの?」
「見にくいだろ、それだと」

 そう言うと千鈴は、おやつを出された子どものようにぱあっと微笑んだ。

「じゃあ、お言葉に甘えて!」

 俺のリュックを彼女がいる場所に置いてもらい、千鈴は俺の左隣に移動してきた。ファミレスに男女二人で来て隣同士なんて、カップルでもやらないんじゃないかと思うと気恥ずかしくなる。ミルクチョコレート色の髪からアールグレイの紅茶のような香りがふわりと漂い、俺は自分が汗をかいてないか不安になりながら、説明を続けた。

「で、ここでこうやってテロップを被せる。テロップをくるくるって回転させながら出すこともできるけど、アニメーション付けすぎるとダサいし、見てる人も気が散っちゃうからオススメはしないかな」

「うん、確かに普通に出した方が良さそうね。有斗君さ、二、三行あるテロップを順番に出すにはどうすればいいの?」
「それぞれの行を別々のテロップとして作って順番に登場させるしかないな。一行目の三秒後に二文目とか」
「ふむふむ、なるほどね」

 シャーペンの墨色で塗り潰されたページを捲り、またメモを書き足していく。よく見るとページの上部に「撮影・編集」とタイトルが記されていた。

 彼女が俺の視線に気付く。淀みのない澄んだ目を俺に向け、ノートを持ち上げて見せてくれた。

「お願いするの、今日で終わりのつもりだからさ。ほら、もともと三回か四回の予定だったでしょ?」
「ああ、そっか」

 三、四回だけならいいよ、と確かにそういう約束だった。今日で、彼女との撮影も終わり。

「私ちょっと調べたんだけど、有斗君が使ってるソフトって結構高いんだね! 安いのもあるけど、どれも似てるのかな?」
「うん、動画の切り貼りしたり、音やテロップ入れたりするのはどれでもできると思うよ。高いとCGとか入れられたりするんだけど、普通の動画なら要らないしね」
「そかそか、分かった。じゃあまずは安いの買って試してみようっと」

 意気込む千鈴だけど、その表情には少しだけ不安が見え隠れする。その後も彼女からの質問に答えながら編集を終え、三本目の「演劇ガール」動画をアップロードした。

「有斗君、今回もありがと! 最後にさ、撮影の注意について聞いてもいい?」
「撮影か……スマホで撮るのか?」
「うん、スマホ用の三脚買って、まずはそこからかな」

「分かった。三脚あれば動画がブレることはないけど、ずっと同じ構図で撮ると見てる方も飽きちゃうから、一本の動画の中でもカメラ置く場所をズラしてアングル変えたり、アップで撮ったりした方がいいよ。あと、部屋でやる場合は明るさとピントに注意ね。休日の昼間に撮影して窓の外の光にピント合ったりすると、思いっきり暗い部屋に見えちゃうから」
「そっかそっか。一人でやるときは私が座った状態でカメラのチェックできないから、一回テストで録画してみた方がいいんだね」

 シャッシャッとシャーペンが紙に擦れる音を響かせる千鈴。何度も見ている、少し右上に傾いた綺麗な文字が次々と生まれていく。

 この質疑応答が終わったら、彼女とはまた、ただのクラスメイト。せいぜい動画をたまに見て、感想を送るだけの関係になるだろう。
 多分、それでいい。動画の作成をするだけの友人なんておかしいし、今以上の関係なんて望まない。

「良かった、これで一人でできるかも! また何かあったら教室で少し教えてもらうかもしれないけど。ありがとね、有斗君!」

 パソコンをしまう俺の隣で、千鈴は席を立ちながら挨拶する。
 その瞬間、俺は「千鈴」と名前を呼んでいた。

「俺、もう少し手伝うよ」
「え?」

 バッと顔を上げて、驚いた表情を見せる千鈴。深くお辞儀する彼女を見ていたら、その言葉が自然と口をついて出ていた。

「いや、でも……」
「いいから。なんだかんだ、撮影とか編集楽しいしさ」

 このままだと彼女が下手な動画を作ることになるかもしれない、という罪悪感や責任感で言ったわけじゃない。撮影や編集が面白いというのももちろん本当だったけど、「動画の作成をするだけの友人」でも良いと思えた。彼女が声が出せなくなるまで、近くで支えたいと思った。

「だから、またどっかで次の打合せするぞ」
 立ったまま遠慮がちに体を縮こめていた彼女も、嬉しそうに口元を緩める。

「……じゃあ、お願いしようかな。もう一回お言葉に甘えて!」
「おう、良い動画作っていこうぜ」

 握手もハイタッチもないけど、お互いの決意は伝わる。もう少し、このタッグで一緒にやっていく。

「そしたらさ、実はちょっと諦めてた企画があるんだけど、有斗君がいるならやってみたいな」
「お、何だよ。言ってみ?」

 向かいに座り直した千鈴は、俺がそう訊いた途端、「んんー」と小さく唸り、祈るようにして合わせた手を何度も擦る。顔もどこか赤いし、視線もキョロキョロ左右に動いていて、やや挙動不審だった。

「あのさ、カラフル・パラディーゾあるでしょ?」
「カラパラ……って、あのテーマパークだろ」
「好きな女性の舞台役者さんがあそこでキャラクターとお芝居するんだって。それ観に行っての様子を撮りたいんだけど……」
「…………へ?」

 それは、屋外での企画だった。