「ねえ、水彩妃が浮気したら、俺自殺しちゃうよ」
 私が男性と会話をするといつも、悠紫はカッターを手首に当ててそう言った。私が謝れば、その刃が実際にひかれることはなかった。


 慧佑に勉強を教えている最中、悠紫の言葉がよぎって思考停止に陥った。頭の中をごく採食でぐちゃぐちゃな景色がぐるぐるとまわる。

「水彩妃さん?大丈夫ですか?」

 慧佑の声で我に返った。

「あ、ごめんなさい。ぼーっとしてた」
「いや、歌ってる水彩妃さんの声めっちゃ可愛かったんでOKです。今度カラオケ行きません?」

 うつろな目で、またあの歌を小声で口ずさんでいたらしい。友達と呼べるほど親しい人はいないが、知り合いによく分からない音程の外れた歌を呟くように歌っていることがあると指摘されたことが何度かある。それは決まって、悠紫の束縛にふと疲れた瞬間だ。この間心理学で習った幼児退行の一種なのかもしれないと他人事のように思った。

「ウーパー戦隊ルーパーマンっすよね?うーうー、ぱーぱーってやつ」
「わかんない。私が三歳くらいの時のアニメだけど」
「じゃあ、それで絶対正解っすよ。てことは、水彩妃さんもしかして地元近いですか?」

 彼曰く、「ウーパー戦隊ルーパーマン」は宮城県でしか放送されていないローカルアニメで、しかも人気低迷のためすぐに打ち切りになったらしい。

「仙台だよ」
「俺もっす!じゃあ、高校は松大路高校っすか?俺、竹原第二っす!」

 松大路は県下トップ高校。竹原第二はそれよりワンランク低い。

「西梅森だよ」

 竹原第二より更に偏差値が低い母校の名前を出して訂正する。

「マジっすか?もったいないって言われませんでした?俺は水彩妃さんと出会えたからラッキーですけど」

 高校も大学も悠紫のレベルに合わせて選んだ。通常一人ずつ行われる進学面談に悠紫も同時に呼び出されるという異例の事態が起こった。教員は私を説得することを諦め、悠紫の説得を試みた。

「本当に好きなら恋人の将来をちゃんと考えてやるべきじゃないのか?お前に縛り付けておくのが本当の愛情か?」
「お前らに水彩妃の何が分かるんだよ」

 そう言って悠紫は面談室で暴れ、私を連れ出した。教員は匙を投げた。放任主義の親は特に反対しなかった。

「褒めても何も出ないよ」
「お世辞じゃないっすよ。入学してすぐ水彩妃さん見かけてから、ずっと目で追ってましたもん。彼氏がいたのはショックですけど。あと、水彩妃さん前期の最後の方授業出てなかったじゃないですか。あの時も貴重な目の保養がなくなってへこんでました」

 慧佑はいつも饒舌だ。

「見た目の話ばっかりしちゃったけど、水彩妃さんくらい頭良かったらマジで何にでもなれますよね。そういう女の人かっこいいって思います」
「女は家庭に入るから、職業なんてどうでもいいって悠紫は言ってたよ」