帰り際に晩御飯を買いに行こうとすると、生協前の自販機前で急に悪寒が走った。また、だ。一か月程前からよく起こるこの症状は、徐々に悪化していた。胸が痛くなり、息ができない。腕に力が入らず、カバンを落として荷物をばらまいてしまった。全身から血の気が引いて、膝から崩れ落ちた。
 誰かに助けを求めるつもりはないけれど、誰もが見て見ぬふりして通り過ぎていく。悠紫が言った

「周りの人間なんてみんな敵だ。水彩妃には俺だけいればいいし、俺は水彩妃だけいればいい」

 の言葉をぼんやりと思い出した。悠紫の言うことはいつだって正しい。

「大丈夫ですか?」

 先ほど私を誘った男子が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

「顔、蒼いっすよ。立てますか?」

 彼は私の私物を拾い集めて、自販機で水を買った。蓋を開けたペットボトルを私に差し出す。

「とりあえず、これ飲んで休みましょう」

 水を口に含むと、少し落ち着いた。何とか立ち上がって頭を下げる。

「ありがとうございます、助かりました」
「心配なんで駅まで送りますよ」
「家、この辺。電車使わないの」
「じゃあ、家の前まで」

 荷物を持ってくれた彼と歩き出す。

「山里水彩妃先輩っすよね?俺、一年の染谷慧佑って言います」

 彼はよくしゃべる。そして早口だ。アパートの前まで送ってくれた後、生協で買ったばかりのおにぎりまでくれた。

「メシ買いに行くのも作るのも大変だと思うんで、シャケとたらこ嫌いじゃなかったらこれ食ってください。あと、もしまた何かあったらマッハで来るんで。連絡先交換してもいいっすか」
「携帯持ってない」
「あちゃー、そう来るか。もしかして警戒されてます?治ったらブロックしてくれても構わないんで」
「そうじゃなくて、本当に持ってないの。悠紫がいらないよねって言うから」
「じゃあ、お大事に。もしまた体調悪くなったら救急車とかちゃんと呼んでくださいね」

 彼は苦笑したが、特に機嫌を損ねることなく手を振って去っていった。

 部屋に入って、畳に倒れこんだ。テレビもパソコンもない部屋にポツンと置いてあるラジオのスイッチを押す。私たちと同郷出身のラジオDJのハルトが自由にしゃべり倒すこの番組は悠紫がよく聴いていたことがきっかけで好きになった。

 思春期以降に見た娯楽作品は全て、元々悠紫が好きで勧められた漫画やアニメだ。それらはほんのりグロテスクなものが多くてあまり好きにはなれなかったけれど、ハルトのラジオは素直に面白いと思えた。

「続いて、ラジオネーム・ブレイドさんからのお便りです。こんにちは、僕は広島の小学三年生です。昨日学校の友達と話していたら……」

 ラジオを聴きながら万華鏡を覗きこむ。仰向けになって見上げる鏡の中の世界は、宝石がひしめき合うかの如く鮮やかな景色だ。

「……というわけで、僕は20歳になったらこの呪いのせいで死んでしまいます。友達だと思ってたのに呪いをかけるなんてひどすぎます。僕は死ぬのが怖いです。どうしたら死なないですむでしょうか?ハルトさん、助けてください」

 お便りは呪いで死んでしまうかもしれないので助けてくださいという内容だった。

「あー、大変だね。僕もブレイドくんの怖い気持ちとっても分かります。小学校の時に僕も呪いをかけてやるって面白半分で言われたことがあります。怖いよね。でも、その子は悪ふざけでやっただけでブレイド君が嫌いなわけじゃないと思う。さて、本題ですが呪いの解き方は……」

 ハルトが解決策を提示する前に、ラジオのスイッチを切る。狭い部屋に静寂が訪れた。

「ぼくらはー、のんびりー、たたかうよー」

 無音に耐え切れず、不安をかき消すように明るい歌を歌う。音程も歌詞もおぼろげな、未就学児の頃に好きだったタイトルも覚えていないアニメの主題歌。悠紫はその作品を知らないので私がこの歌を歌うことを嫌った。

「俺の知らない歌、歌わないで」
「俺の知らないアニメ見ないで」

 悠紫の声が脳内に響く。そのお願いに不満があったわけではないのに、目尻から涙が肌を伝って耳へと流れ落ちる。

「悠紫……」

 空っぽな私は空っぽな部屋で、帰ってこない悠紫を待ち続けて眠りに落ちる。