いつの間に入って来たのか、ビスナントが私服のままこちらを見据えていた。アイツ独特の、人を喰ったように余裕のある不敵な笑みだ。
「たまには熟考してもいいだろ」
「ッはは!確かにザスさん、いつも即決ですもんね。演技指導もその日の昼飯も」
「こんな時間になしてる」
「お互い様じゃないですか。俺は何となく眠れなくて」
「相変わらず夜型なんだな」
「ザスさんこそ、本完成したらいっつもここに来る癖に」
 確かにお互い様としか言いようがなかった。書きあげたばかりの草案を持って俺は何をしにここへ来たのか。明日、現場でゆっくり確認をすればいい、実際に役者を立たせて動かした方が遥かに効率的なのに。わざわざこの深夜に劇場へ足を運んでいる時点でかなり間抜けだ。
「さっき完成した話、やる?」
「え、いいんですか?」
「どの役でもいいから読んでみて。感触を確かめたい」
 ビスナントは常に『自分自身にとっての最適な役』を選んでいく。言い方を変えれば、俺個人として『コイツにはこの配役が良い』と密かに考えている物を、毎回選んでいた。超能力でも使えるんだろうか。
 原稿をパラパラ捲り、冒頭ページにある登場人物一覧とあらすじを見て、それからまた最後の項まで一気に読み通す。
「監督」
「ん?」
「今回も最高です」
「読むの早すぎ」
「そっちが言ったんじゃないですか。『本は沢山読んでおけ』って」
「今使うか?その言葉」
「ってか煙草の匂いここまでしますけど?本数増えました?」
「ストレス溜まってるんだよ。誰かさんのおかげでな」
「俺?」
 正解でもあり不正解でもあるから答えなかった。沈黙は何にも勝る、ビスナントが肩を震わせてクツリと笑った。
 そして男は演じ始める。
観客一人、演者も一人。たった二人だけの劇場が呼吸をする。俺が触っている訳でもないのに、照明器具が舞台上の演技に誘発され勝手に動き出す。一人芝居じゃない、ある特定の人物の台詞しか紡いでいない場面が恐ろしく絵になり気付けば目で追っていた。書きながら脳内で考えた通りの、寸分たがわないシーンが目の前で再生されていく。他でもない唯一無二の輝きによって。