あまりに寒い。顔面を殴られたような衝撃が全身を駆け巡った。震えた肩を咄嗟に両腕で抑えこむ。だがここで二の足を踏んでいても始まらないので、意を決して扉を開けた。
銀河の星々を一つずつ摘まめるほどの深い青い夜、ナイフのような風が高い空の中を時折吹き抜けていった。冷え切った灰色の石畳上で枯れ葉が踊る。観客たちが持ち寄ってきた数時間前までの熱気と、棺桶のような現在気温の落差も相まって。この瞬間の劇場全体は一層寂しいものに感じられた。廃墟になった遊園地のようだ。
「おそーい」
「悪い」
 何か手渡そうと思ったが劇場前に軒を連ねていたワゴンはとっくに撤退している。この周囲にめぼしいカフェすらない。ふと、劇場がもう少し発展するためには周辺エリアの飲食店を開拓すべきなんじゃないか、と考えがよぎる。
「コーヒー買っておいたよ。たぶん冷めてるけど」
「気が利くな」
「ワグが利かなさすぎるんだよ」
「おっさんが拗ねても可愛くねぇぞ」
「はぁ?!まだ35だからね?!そっちと二つしか違わないじゃん!」
 とっくに冷めきった缶コーヒーを手の中で弄ぶ。それだけの時間をグラッシュが寒空で過ごしていたんだと、どうしようもなく謝りたくなった。かつての大スター、女性からのファンレターが今でも届くような人気者が。冴えないアシスタントのために時間を費やしているなんて。笑えない冗談だ、意味が分からない。
「ザスさんにも挨拶しようと思って探したけどいなかった。相変わらずっていうか」
「年中忙しいからな、あの人」
「確かに」
「脚本書いて演出指導にちょっと入ってくれて、あとは全部助演さんがやるってスタイルは変わってないな。さっきも久しぶりに来たーって思ったら別現場に行った。ま、千秋楽に顔出してくれるだけでもありがたいか」
「俺たちは稽古期間中に普通に話したり飯にも行ったことあるけど。あの人業界の中ではそこそこの有名人らしいよ?」
「へぇ」
「ザスさんの舞台、いっつも面白いからすぐに分かるよ。『あ、この脚本書いたのはザスさんだ』って」
 作品に滲み出てくる創作者の個性。主役は観客なのだから作り手の主張は不要だ、と良い顔をしない人間もいるだろうが。俺はザス監督に憧れていた、あの人のような劇作家になりたいと。日々戯曲を読み込み、オリジナルの脚本を書き続けてはボツにする勉強の日々だ。
「まだ引き摺ってるのかな」