「……潮時かもな。年齢的に」
 衣装班、という仕事が嫌なのではない。舞台に欠かせない重要な役職、スタッフ同士の雰囲気も良いし仕事そのものに対して各人が誇りと情熱を持っていた。元来手先が器用ではなかったが、気付けば〝チーフ〟という地位までもらってしまっている。月日が経つのは恐ろしく早い。新人ぶっていた筈なのに、俺の下には大勢の後輩が出来ていた。
「ワイグナーさん」
「ん?」
「あそこ。グラッシュさん呼んでますよ」
 顔を上げれば、狭い廊下の奥が輝いている。比喩でもなんでもなくて、背の高いグラッシュの頭が周囲から一つ突き抜けていた。オーラというのか雰囲気と言うべきなのか、とにかく凡人とは違う存在感のおかげでで皆が廊下を振り返る。
「お前帰ったんじゃなかったのか?!」
「ワグくんとお話したい!」
「もうちょい待ってろ!」
「はーい!」
 大声で叫べば、大声で返事が返ってくる。この阿保みたいなやり取りはアイツが役者だった頃から行われており、俺たちの知らない間に『名物』と密かに呼ばれていたのを最近知った。たかが数メートルの距離なのだから近くまで行って普通に話せばいいのに、どういう訳か俺たちは声を張り上げる。深夜1時過ぎの酔っぱらいテンションが『素面』だった。
満面の笑みで手を振ってから。白く細長い身体がゆらりと揺れ、シンプルなデニムに収まった長い足が静かに去っていく。
「何笑ってんだよ」
「いえいえ?ワグさんが裏方で関わる舞台、いっつも観に来てるなーって」
「アイツが興味あるのは作風と脚本・演出だろ。評判が悪きゃ来ねぇよ」
「え?でも」
「いいから。さっさと片付けるぞ」
 見知ったスタッフは肩を震わせながらもてきぱき手を動かし。最近入ったばかりの若者は『なんだこのおじさん』と怪訝そうな目を向けていた。つくづく申し訳ない。
 たかが十数分で終わると思っていた作業は、忽然と姿を消した備品たちのせいで一時間近くもかかっていた。最後まで待ってくれていた搬出業者の方にお礼と、毎回恒例になった差し入れの飲み物を手渡し。上着と鞄と引っ掴んで劇場の外へ出ようとした瞬間、掴んだドアノブのあまりの冷たさに足が止まった。
「寒……え?寒くね?」