「わぁ、すごいお屋敷」
「さすが妖狐のご当主が住んでるところね。絶景絶景」
 鬼龍院本家の屋敷に負けぬ厳かな雰囲気の和風のお屋敷で、和風は和風でも、まるで平安時代にタイムスリップしたかのような気分に陥る景観だ。
 あまりの広さに迷子にならないか心配になってくるところは本家と変わらない。
 気のせいだろうか。門の中に足を踏み入れた途端に空気が澄んだように感じた。
 清浄な風がどこからともなく吹いてくるよう。
 その感覚は車から下りて、家人に案内されて屋敷の中を進むごとに強くなる。
「ねぇ、透子。なにか感じない?」
「なにが?」
 なにと問い返されても困ってしまう。
 だがなにか不思議な感覚がした。
「まさかまたなんかあるの?」
 透子が心配そうに聞いてしまうのも仕方がない。
 柚子は他の誰にも感じなかった龍や過去の怨念の存在にただひとり気がついたりと、その直感を無視できない経緯がある。
「また変な怨霊が出てくるんじゃないでしょうね」
「いや、そんな悪いものじゃなくて、もっと神聖な感じ? 私もうまく説明できないんだけど……」
 どうやら透子には感じられていない様子。気のせいかと思っていたところ──。
『それならば、この敷地のどこかにある社のものだろう』
 柚子の袖からにゅっと飛び出してきた龍に、柚子と透子はぎょっとする。
「うわっ!」
 透子は思わず後ろにのけぞってしまい、柚子も思わず大きな声が出た。
「なんでいるの!?」
『にょほほほほ。柚子が車に乗り込んでいる隙にこっそり袖の中に隠れたのだ。気付かなかったであろう? 霊力を最小限まで抑えていたから、運転手も気付かなかったようだ。我とてやればできる!』
 龍はご機嫌に笑いながらうにょうにょするが、柚子は困ったことになったと焦る。
「今日は花嫁以外の参加は駄目だって言ったでしょう!」
 ぷいっと顔を逸らせる龍の態度に、柚子は半ギレる。
 龍を鷲掴んで袖から引きずり出すと、グルグルと回した。
『ぬおぉぉぉ!』
「柚子、ヤバいんじゃないの?」
「透子、どうしよう!?」
 龍を回してお仕置きしている場合ではないと離せば、龍はほっと息をついている。
「どうしようって言っても来ちゃったものは今さら帰せないし……」
「あああ~。ご当主になんて言えば……。先に桜子さんに相談できないかな」
 柚子は頭を抱えた。
 散々ついてきては駄目だと忠告したのに、この龍ときたら自由がすぎる。
 仕方なく龍がどこかに行かないように捕まえたまま、家人の後についていくことに。
 案内された二十畳ほどの和室の部屋には、撫子の花が飾られており、華美さはなくとも品のよさが伝わる和室の雰囲気に合うテーブルと畳用椅子が並んでいる。
 椅子の数からいうと、呼ばれているのは十人ほどなのだろうか。
 主催者である沙良と妖狐の当主。手伝いだという桜子を入れると、柚子の予想より少ない人数だった。
 すでに沙良と桜子は部屋におり、他にも花嫁と思われる数名のご婦人が座っていた。
 柚子の姿を見ると沙良が立ち上がって笑顔で近付いてくる。
「柚子ちゃん、よく来てくれたわね」
 桜子も沙良より一瞬早く椅子から立ち上がって柚子に向けて一礼すれば、それを見た他のご婦人まで倣うように椅子を立つ。
 すると、微かにご婦人たちの声が聞こえる。
「もしかしてあの方が?」
「そうみたい。鬼龍院の花嫁の……」
「まだお若いわね」
 どうやら柚子の顔を知らないらしい。
 これでも一応様々なパーティーや集まりに玲夜と出席しているのだが、柚子も彼女たちは知らなかった。
「柚子ちゃんの隣はお友達の透子ちゃんね。披露宴で挨拶したから覚えてるわよ」
「この度はお招きくださいましてありがとうございます」
 かくりよ学園で身につけた礼儀作法を遺憾なく発揮して綺麗な礼をする透子を見て、柚子も慌ててお辞儀をする。
「そんなかしこまらなくていいのよ。今日はうるさい男たちはいない女だけのお茶会ですもの。無礼講よ」
 あやかしのトップに立つ鬼龍院当主の妻でありながら、そう感じさせない気さくな人だと柚子はほっこりする。
 透子も最初こそ緊張した顔をしつつも、少し表情が緩んでいる。
 これはもう沙良の人柄ゆえだろう。
 千夜も似た雰囲気だが、どうやらふたりの人当たりのよさは玲夜に微塵も受け継がれなかったようだ。
 とはいえ、千夜の場合は見せかけだけで、玲夜の父親だと納得の黒さを時折垣間見せるので、密かに柚子の要注意人物に指定されていたりする。
 空いた席を見るに、どうやら撫子はまだ来ていない様子。告げるなら今しかない。
「あの、お義母様。ちょっと不測の事態がありまして」
「あら、なぁに?」
 柚子は鷲掴んだ龍を申し訳なさそうに見せた。
 ぶらーんと、沙良の前に突き出された龍はに、沙良も目を丸くする。
『なんという雑な扱い。我って結構すごい霊獣なのに……』
 龍がなにやら不満を口にしているが、誰ひとり聞いていない。
「ついてきちゃ駄目って念を押してたんですけど、いつの間にか潜り込んでたみたいで……」
「あらまあ」
 近くに寄ってきた桜子も「どうしましょう」と困ったようにしている。
「大人しくさせときますので、一緒でもいいですか?」
 そんな会話をしている間も続々と招待客が訪れ席が埋まっていき、未だ立ったままの柚子たちを不思議そうに見ている。
「一応花嫁だけのお茶会だから……」
 沙良はうーんと唸りながら、頬に手を置いて部屋の中を見回す。
「霊獣さんだけ別室で待機してもらおうかしら」
 後は撫子の訪れを待つばかりとなった状態で、早く対処せねばと気が焦る柚子は迷わず頷いた。
 しかし……。
「いや、一緒でも問題なかろうて」
 部屋の入り口から聞こえてきたしっとりとした声にはっとすると、集まっていた花嫁たち全員が立ちあがって深く頭を下げた。
 柚子も慌てて礼をした相手は、妖狐の当主、狐雪撫子だ。
 波打つ白銀の髪は美しく輝いており、妖艶な顔立ちと雰囲気に、女性ですらドキリとしてしまう。
 彼女の存在感は強く、一気にその場の空気を支配してしまう。
 立っているだけで周りに自分を注目させてしまうそのカリスマ性は、玲夜も持ち合わせているものだ。
 シンプルな着物の上に色打ち掛けを羽織っており、撫子が歩くたびに衣擦れの音がする。
 柚子が結婚式で着た色打ち掛けも華やかで綺麗だったが、撫子のものは華やかさだけでなく色気と品を感じさせる。
 これは着ている者の違いがそう感じさせるのかもしれない。
「よいよい。皆面をあげよ」
 言われるままに頭をあげて姿勢を正す。
 撫子に対して頭を下げなかったのは沙良だけだ。
 あやかしの頂点にいる千夜の妻なのだからそれもおかしくないが、それ以上に沙良は撫子に対して親しげに話しかけた。
「でも撫子ちゃん、花嫁のお茶会だしぃ」
「それを言うならば桜子とて花嫁ではないじゃろ。相手は誇り高き霊獣。なにか問題を起こすわけでもなし、そう厳しくせずともよかろう。皆はどうじゃ? 霊獣がともにしてもよいかえ?」
 撫子にそう問われて嫌だなどと言える強者がいるはずもない。
「私はかまいませんわ」
「ええ。私も」
「私もです」
 なんだか無理やり言わせてしまったような気がしないでもないが、怒られずに済んで柚子は心の底から安堵した。
「ありがとうございます」
 柚子はまず撫子に頭を下げ、次に他の花嫁たちにも同じように礼を言った。
『むふふ、さすが妖狐の当主だけあって懐が大きいではないか』
 偉そうな口をきく龍を、とりあえず締めあげて黙らせることにした。
『むぐうぅぅ、むがぁぁ』
 普段は子鬼たちに龍の世話を任せていたが、かなり骨が折れる仕事のようだ。
 今さらになって子鬼の苦労を理解する。
「お願いだから大人しくしてて! でないと、帰ったらボールに縛りつけて、まろとみるくの前に転がすからね」
『う、うむ。分かった! 我はいい子にしておる』
 不安を残しながら始まった花茶会。
 本来ならば沙良か撫子が上座に座るのが常なのだろうが、今回ばかりは新参の花嫁ということで、柚子と透子が主賓として上座に座らされる。
 当然それとなく遠慮したが、花茶会に初めて参加する花嫁には恒例なのだそう。
 沙良や撫子を差し置いて上座に座ると思うと冷や汗が止まらなくなるが、隣にいる透子はもっと顔色が悪い。
 なにやらブツブツ「ヤバいヤバいヤバい」と言っているのを隣にいる柚子だけが聞こえたが、恐らく五感の発達したあやかしである沙良と撫子と桜子には聞こえているのだろう。
 桜子が透子を見て不憫そうにしていた。
「では始めよう。今回はふたりの花嫁が新たに加わった」
 撫子の開始の言葉とともに視線が柚子と透子に集まる。
 撫子の後に続くように沙良がふたりを紹介する。
「龍を連れているのが私の新しい娘になった柚子ちゃんで、その隣が猫又の花嫁になった猫田透子ちゃん。ふたりとも新婚ほやほや、ラブラブ真っ只中よ~。はい、拍手~」
 パチパチと柚子と透子に向けて拍手がされる。
 披露宴を行うよりなんだか気恥ずかしい気がする。
 皆、歓迎するように微笑んでくれていたが、中には憐れみを含んだ眼差しで見てくる者もいて気になった。
 今度は新参者の柚子たちに対して、沙良がここのいる花嫁の紹介を端からしてくれる。
 人数が少ないとはいえ、顔と名前を一致させるのはすぐには無理そうだ。
 それでもできるだけ覚えるべく、真剣に耳を研ぎ澄ませる。
「花茶会では下の名前で呼ぶのが決まりだから、ふたりとも覚えておいてね」
「はい」
「承知しました」
 全員の紹介が終わると、お昼時とあって、茶菓子ではなく料理が運ばれてきた。
 目にも鮮やかな松花堂弁当が運ばれてくる。
 使用人ではなく桜子が汁椀をそれぞれに運んでくれていたので、柚子は桜子だけにさせるわけにはいかないと手伝おうとしたが、やんわりと席に戻される。
「これは私のお役目ですから」
 有無を言わせぬ力があり、柚子は大人しく座り直した。
 すると、ふたりの様子を見ていた沙良がふふふと笑う。
「桜子ちゃんはもともと玲夜君の婚約者だったでしょう? だからね、いずれは私の代わりに花茶会の主催者の役目を引き継いでもらおうと、桜子ちゃんにお手伝いに来てもらっていたの」
「なるほど」
 花嫁しか出席できないはずの花茶会に、花嫁でも主催者でもない桜子が参加している理由を知る。
「でも玲夜君には柚子ちゃんという伴侶ができたし、桜子ちゃんも高道君と結婚したでしょう? 今後どうしようかと悩んだんだけど、桜子ちゃんは人をまとめるのがとっても上手だから、柚子ちゃんの補佐としていてくれたら柚子ちゃんも心強いかなってね」
 にっこりとした笑顔でとんでもないことを言い出し、柚子は焦る。
「えっ! 補佐ってそれはどういう意味ですか?」
「いずれはこの花茶会を柚子ちゃんに任せたいのよ。だって鬼龍院の次期当主である玲夜君の奥さんだもの。ねっ?」
「ねって急に言われても……」
 今日始めて参加するお茶会を任せられても困る。
「大丈夫よ。花茶会のことは桜子ちゃんがよぉく知ってるし。私と撫子ちゃんが現役のうちはちゃんと私たちで主催するから。なにせ私たちが始めたことだし、急に全部柚子ちゃんに押しつけたりしないわよ」
 先を促すように沙良が撫子の方を向けば、撫子もゆっくりと頷いたので、柚子もわずかに安心する。
「沙良にとってのそなたや桜子のように、妾には任せられそうな者がおらぬでな。妾たちが始めたものをふたりで続けていってくれると嬉しいよ。花嫁たちのためにも」
「花嫁の……」
 ぐるりと見渡せば、花嫁たちの切望する眼差しが柚子を突き刺す。
 無言の圧力を与えられて、柚子は気圧される。
 こんな場面で嫌と言える勇気は柚子にはない。
「わ、分かりました」
「ほほほ。期待しておるぞえ。基本不定期に開催して、参加者も毎回変わる茶会じゃが、次からは勉強のためにも桜子と一緒に必ず参加しておくれ」
「はい……」
 なんだかうまく丸め込まれたような気がしないでもないが、今さら嫌とも言えない。
 隣から向けられる透子の気の毒そうな眼差しが痛い。