チリン。
「──はい、東山くんにも飴あげる」
賑やかな教室。
9月10日(水)日直:東山・沢多 と書かれた黒板。
2時間目の授業が終わった休憩時間に小説を読んでいると、セーラー服の"白"がいきなり視界に飛び込んでくる。
空いている窓から吹き付けてくる風にのって、カーテンがヒラヒラと揺れていた。
窓際の席はいっそ清々しい。一面の空の青の中に浮かぶ積乱雲は、山々をはるかに超えて天高く伸びている。
今年は残暑だと言われているが、まさにその通りだった。
9月だというのにも関わらず、まだ蝉の鳴き声が聞こえてくる。
「あははっ、お前マジやめろって!」
「スーパーサンダー、ラリアットォォ!」
ミーンミンミン。
……ミーンミンミン。
クラスの雰囲気はまだ夏休みであるかのように、依然としてどこか浮き足立っていた。
ふざけ合っている男子がガタン、と机にぶつかる。
「ちょっとぉー、男子ぃ? さっきからうるさーい!」
「あー? なんだようぜぇー」
「もう少し静かにできないの? これだから男子は……」
「そういう女子こそネチネチしてて無理なんだけど」
真ん中の席で数人、集まっていた女子たちが迷惑そうに眉を顰めているのが見えた。
──そんな光景を、どこか他人行儀に見つめている僕は、再び目の前にいる彼女へと視線を向ける。
「ちなみにそれ、数量限定のモーモーミルクキャンディだからね? よぉーく味わって食すように!」
「モーモー……? あ、えっと、ありがとう」
沢多さんはクラスの人気者的存在。
対してパッとしない僕。当然これまでもまともに会話なんてしたこともなかったからドキリとしてしまった。
パッケージに牛のイラストが書いてある飴をひとつ貰ったが、それをすぐ口の中に入れるか入れまいか迷った。
沢多さんって誰にでもフレンドリーなんだな。思えば休み時間にお菓子を分けてもらうなんてこと、これまでにしたことがなかったかもしれない。
2学期に入ってからの席替えで、クラスの人気者である沢多奈央さんが僕の前の席になった。
窓際の一番後ろの席が僕の席。その前が沢多さん。
まっすぐ胸の上まで伸びている黒髪。
はっきりした目鼻。
半袖のセーラー服から伸びている白い腕に目があったところで、慌てて視線を逸らした。
「ねえ、それ何の本?」
沢多さんが不思議そうに問いかけてくる。
「え?」
「東山くんって休み時間もずっと本を読んでるよね」
「ああ……変、かな」
どこを見て喋ったらいいものか。綺麗な瞳を直視することができず、僕は俯いたまま口を開いた。
「あはは、そんなこと言ってないじゃん。ただ純粋に面白いのかな〜って思っただけだよ」
どうやら、椅子に座ったまま後ろを向いている沢多さんが、僕の机で頬杖をついているらしい。
ど、どきどきする!
どうして僕の机に頬杖を?
なんせ、僕はこれまでに女子とこんな距離で話したことなんてないのだ。しかも相手があの沢多さんなのだと思うと、ことさらに緊張してしまう。
「で、なんていう本?」
沢多さんは、僕の顔を覗き込むようにしてくる。
なんだかとても視線を感じる。僕みたいな陰湿な人間が読む本のことなんて、沢多さんみたいな子が気になるものなのか。
恥ずかしくなりながらも、僕は意を決した。
「コナン、ドイルの…"バスカヴィル家の犬"って、本だよ」
「へえ〜コナンドイル? どんな話なの」
「どうって、よっ、よくある……推理小説だけど…」
「推理小説!? すごーい!」
そ、そんなにすごい?
推理小説を読んでいるだけで?
快活な女の子は、推理小説なんかよりもSNSや動画アプリが好きなんじゃないのかなと思っていたから、沢多さんの反応は意外だった。
すっかりどこまで読んだかも分からなくなってしまった小説に、栞を挟む。
この桃色の──…桜の柄の栞は、人からもらったものだ。
「なんか、推理小説ってワクワクしてカッコイイよね」
ちらり、勇気を出して視線を上げると、きらきらした宝石のような瞳があった。
「さ、沢多さんもよく読むの?」
僕がぎこちなく問いかけると、沢多さんはケロッと笑う。
「ん〜、私は読まないけどっ」
「なっ、なんだ、よ、読まないんだ」
「でもコナンドイルって有名でしょ? だから飽きずに読めそうかも」
そんな沢多さんを見て、僕もうれしくなってしまった。
……そうなんだよ!
時間も忘れて没頭してしまうんだ!
「コナンドイルは面白いよ。話の中に緻密な伏線が張り巡らされていて、それが終盤にかけて綺麗に回収されるのが素晴らしい。分かりやすく翻訳されている小説もあるからそれを読むといいと思う」
つい、僕は食いつくように反応した。
「ていうか、ナナの彼氏がこの前ぇ〜」
「えぇー! それマジ? ありえなくない?」
依然、教室の中は賑やかだった。
少年漫画の最新話がどうだった、と白熱している男子や、恋バナというもので盛り上がっている女子。
そんな中で、沢多さんはその誰にも混ざることなく何故か僕と会話をしていた。