未だかつてこの2人が言い争っているところなんて見たことがなかった。

ただ、中野さんは加藤くんのことが好きで、加藤くんは沢多さんのことが好きで、
沢多さんはそんな中野さんに気を遣っていただけだった。
そこからほつれた糸がぐちゃぐちゃになって解けなくなった。

沢多さんの心の闇を晴らすために、僕に何ができるのだろう。
ずっとそれを考えてきたけれど、この糸を綺麗な形に戻してあげたいと思ったんだ。


「…私、だって」


やがて、押し黙っていた沢多さんが震えた声を漏らした。

──頑張れ。

怖いと思う。本当の気持ちを人に打ち明けることはすごく怖い。
自分を曝け出すのには勇気がいるのだということを僕は知ってる。

大丈夫。
僕がいる。
頑張れ、沢多さん。


「私だって!! どうしたらいいか分かんなかったんだよ!! 本当のことを言ったら嫌われるかもって思うじゃん!! 瑛里香を傷つけてしまうかもって思ったから、遠慮した!!」
「だから、そういうのが、私は!!」
「知らなかったの!! 瑛里香がそんなことを思ってただなんて、そんなの言ってくれなきゃ分かんないじゃん!! 分かんないよ!! 分かるわけないよ!! なのに、クラスの皆を巻き込んで、私に嫌がらせをしてきてっ、本当はねっ、ふざけんなって言ってやりたかった!!」


学校の模範生徒。
キラキラした笑顔が似合う明るい子。
──違う。本当は僕と同じように人並みに怖がりだし、僕と同じように人とのコミュニケーションに悩んでいた女の子だった。



「加藤のことだって、どんなふうに接したらいいか分かんないし、普通に困ってたよ!! 2人とも友達だからっ、誰も嫌な気持ちをしてほしくないって思ってたけど、皆っ、自分の気持ちばっかりで……うんざりしてたっ!!」
「だったら言えば良かったじゃん!! 奈央ちゃんはいつも涼しげな顔をして一歩引いてた!! 心の底では何を考えてるのかも分かったもんじゃなかった!! 奈央ちゃんだって身勝手じゃん!!」
「うるさいっ!! なんで私がこんな目に遭わないといけないの!! 消えちゃえばいいなんて、なんでそんなことを言われないといけないのっ!!」
「ムカつく……!! ムカつくムカつく!! そうやってお高くとまってんじゃねぇよ!!」
「お高くなんて、とまってないっ……!!」
「とまってる!!」
「とまって、ないっ!!」


壮絶な言い合いをした2人は、掴み合いの喧嘩をした。
中野さんから平手打ちをされると、沢多さんも同様に彼女の頬を叩いた。

そりゃあもう派手な殴り合いだった。
ぐちゃぐちゃに揉みあって、泣きながら頬を引っ掻き合う2人。
僕を含めたクラスの皆がその光景を見ていた。



「──おい」
「加藤くん、今は多分、そういう時間なんだと思うから」


2人の間に割り込もうとする加藤くんを止める。
いや、本来なら止めるべきだと思ったけれど、今だけは違う気がして。

そして僕は、君に言わなきゃいけないことがある。もう部外者にはならない。


「僕は沢多さんが好きだ。誰にも譲りたくないと思ってる」
「……お前」
「地味だし、根暗だし、秀でていることなんてないけれど、この想いは──きっと負けない」


好きだ、という気持ちに自信を持つ。
加藤くんはすごくまっすぐな男の人だ。僕も、君みたいになれたらと思うよ。


「……だろうな。お前には、負けたわ」


力強く見つめると、加藤くんはフッと小さく笑った。


「え?」
「それに比べて俺はガキだった。気持ちが伝わってほしいあまりに、自分のことしか考えてなかったんだ。沢多や中野がどう思ってるかなんて考えてもなかった。お前にも酷いことを言って、悪かったな」
「僕は、べつに、なにも」
「沢多と中野がギクシャクしているのも、俺がなんとかしてやればいいって決めつけてたんだ。けど、軽薄だった」
「加藤くん……」


まさか、この僕が加藤くんと会話をしているだなんて思いもしないだろう。

沢多さんと中野さんはお互いに顔を腫らして泣きじゃくっている。
疲れ果てて床に寝転がっていた2人はやがてお互いの顔を見比べると、プハッと吹き出して可笑そうに笑っていた。


「龍樹たつきでいい。──いろいろとありがとう。若葉」