「──はい、東山くんにも飴あげる」


賑やかな教室。
9月10日(水)日直:東山・沢多 と書かれた黒板。

白くかかったモヤが晴れていき、視界が鮮明になる。
遠くから聞こえてくる声に──ドクリ、と胸が跳ねた。


「聞いてる? ぼーっとしてどうしたの?」


僕の目の前には、眉を下げて困ったように笑っている少女がいた。
真っ白な夏服のセーラー服。
艶のある黒髪。
大きな宝石のような瞳。


「え、なになに。お化けでも見たような顔をしちゃって」

──沢多さん、だ。

沢多さん。
沢多さん、沢多さん。

沢多さん…!

動いている。
息をしている…!
それだけでカッと目頭が熱くなった。
そんな、まさかあり得ないと思う。だけど実際にあり得ないことが起きているのだ。

何がどうなっているのか分からない。夢を見ているのか? さっきのものがむしろ悪夢だったのか?
先ほどまで学校の屋上にいたはずなのに、何故、僕は真昼の学校の教室にいるんだ?
理解が追いついていないままだけれど、目の前にいる純白の彼女が偽りのもののようには見えなかった。


「……さわ、たさん、沢多さん」
「うん。私だけど。どうしたの東山くん」


口もとが震えた。
彼女の耳触りの良いクリアボイスが聞こえる。

空いている窓から吹き付けてくる風にのって、カーテンがヒラヒラと揺れていた。
窓際の席。
一面の空の青の中に浮かぶ積乱雲は、山々をはるかに超えて天高く伸びている。開いている窓の外から蝉の鳴き声が聞こえてきた。


「あははっ、お前マジやめろって!」
「スーパーサンダー、ラリアットォォ!」


ミーンミンミン。
……ミーンミンミン。

ふざけ合っている男子がガタン、と机にぶつかる。


「ちょっとぉー、男子ぃ? さっきからうるさーい!」
「あー? なんだようぜぇー」
「もう少し静かにできないの? これだから男子は……」
「そういう女子こそネチネチしてて無理なんだけど」


周囲のことなどどうでもよかった。
無我夢中で、飴を差し出していた彼女の手を取った。

──温かい。
ちゃんと、温かい。
生きている。
まだ、生きてくれている。


「東山くんっ、ちょっと、」
「──会い、たかったっ……」


もう離さない、とばかりにきつく手を握った。
ずっと手を握っていられれば、彼女がまた屋上から飛び降りることはないのだろうから。人前であろうとかまいやしなかった。


「ほっ、本当にどうしたの」
「会い、たかったっ……本当に、心から」
「えっ……と、あはは、大袈裟だなあ」
「願いが叶ったんだ。僕は、君との縁を再び手繰り寄せた」


そこでようやく、クラスメートたちの視線がこちらに集まってきた。

"え、東山何してるんだ?"
"奈央ちゃんの手ぇ握ってるよ!"
"いつも本ばっか読んでると思ったけど、ついにトチ狂ったか?"

どうでもいい。
なんとでも思え。
もう僕は後悔をしたくない。



「沢多奈央さん。──僕は君が、好きです」