チリン。
月光によって足もとを透明にしている黒猫が僕の前でしっぽを振る。
闇世の中で輝く黄色の瞳が、すうと細められた。

──なんなんだ。
冥界?

僕は、いったい何と会話をして。


「まったく。300年ほど前であれば、黒猫は魔除けや幸福を引き寄せる縁起の良いものとされていたのだがな。近頃はただ散歩をしているだけだというのに、薄気味悪いものでも見るようにしてくるのだから世知辛くて仕方がないと思っていた」
「き、君は、いったい」
「──妾は結びの神。冥界にたどり着いていないものであれば、なんでも結び寄せることができる」


何故、君が僕の前に姿を現してくれたのか。
よほど哀れに感じたのかもしれない。
何もできない非力な僕を見ていられなくなったのかもしれない。

まるで幻覚を見ているようだ。
いや、沢多さんのことで混乱をして気が狂ったのかもしれなかったが、僕はこのおとぎ話のような黒猫の神様を食い入るように見つめてしまった。

──それはこの世のものとは思えないほどに幽玄であったのだ。


「いつからか人は星空を見上げなくなった。街の明るさにばかり目移りをし、スマートフォンなどという文明機器ばかりを見下ろして、ろくに前方すら見ようとしない。そのような人間が多い中で、この世の神秘を未だに享受しようとする者がおるのだと思ってな」
「…っ、沢多さん、はっ、」
「──娘に会いたいか。声が聞きたいか。その後悔を、晴らしたいか」


チリン。
チリン。
静かな夜に、鈴の音が響く。
満月のような瞳が妖しく光った。


「会い、たいっ……。声が、聞きたくてしょうがないっ……、彼女を救って、1人じゃないと、言ってあげたい! どんなことをしても、傷みから、悲しみから、彼女を僕が守ってあげたいっ! 絶対に、死なせたくないっ…!」


大粒の涙がこぼれ落ちる。


"──東山くん"

沢多さん。


"君のことが、大好きでした"


沢多さん。

沢多さん。沢多さん。沢多さん。沢多さん。沢多さん。


──会いたい。

もう一度、君の笑顔が見たいんだ。
今度こそ好きだ、と言いたいんだ。



「よかろう。ではその願い、特別に妾が叶えてやる」


僕は、黒猫に強く願った。



チリン、チリン。
……チリン。


静かに鈴が鳴る。

徐々に視界が白く霞み、キャンプファイヤーの明かりが見えなくなっていく。
ともすれば、僕の手足が煌々と光り出した。

──…チリン。
音に合わせて僕の身体が宙に浮き、意識が曖昧になっていく感覚。
瞬きをしたその一瞬で、目の前に広がっている風景が無数に並んでいる鳥居へと変わっていった。

僕は宙に浮いたまま、その中を猛スピードで駆け抜けていく。
現実味のない光景を目にしていたとしても、僕はただひたすらに沢多さんのことだけを考えていた。


──会いたい。
会いたい。
会いたい会いたい会いたい。
会いたくて──仕方がない。


「東山若葉と沢多奈央の縁を──…今一度、結びなおそう」


視界がブラックアウトする。

チリン。
意識を飛ばすと同時に、鈴の音色が聞こえてきた。