……あ、つい、調子にのってしまった。
気まずくなって押し黙る。ちらちらと目を向けると、沢多さんはニコニコと微笑んでいた。
気持ち悪かったよな。
普段はどもっているくせに、急にペラペラと喋り出すなんて。
やってしまった……と僕は猛烈に後悔をした。
沢多奈央さんが光なのであれば、僕は影であるような気がする。
1学期には、クラス内総投票数の約90%を獲得してクラス委員長に抜擢されていた。
高校3年の夏の大会で陸上部を引退したそうだが、彼女は文武両道でもあった。
定期テストの成績上位者表彰ではいつも沢多さんの名前が呼ばれる。
また、部活動の表彰の方でも彼女は壇上に上がっていたのだから、多分、この学校で沢多さんの名前を知らない人はいないと思う。
すらりと華奢な容姿。人懐っこい笑顔。
男女問わずに人望が厚い彼女とは、これまでには特に接点もなかったんだけれど、これはどういう状況だろう。
今日は僕と彼女が日直の当番だからか? それで……それで、なんだ? つまりどういうことかは分からない。
「ふーん、今度買って読んでみる」
「も、もしよかったら、貸してあげるよ」
「ほんとー? やったぁー」
ああ、しまった、また調子に乗った。
貸してあげるとか、沢多さん相手に完全に出過ぎたことを言っていることに気づいた。
僕なんかが烏滸がましい。急に恥ずかしくなって慌てて訂正をしようとするが、ずい、と沢多さんが顔を近づけてくる。
──え。
「絶対、貸してね。──絶対、だよ?」
前のめりになってまっすぐ視線を合わせてくる彼女に、まるで言葉をなくした。
なんの変哲もないクラスのワンシーンの中で、僕たちだけが切り取られたような。がやがやとした喧騒が遠くから聞こえてくる。
"絶対"という単語。
綺麗な彼女の瞳の奥に、覇気のない僕の顔が映っていた。気の知れた友達すらいないような冴えない僕。自慢できることといえば読書量だけ。
現代文や古文は得意だけれど、理系科目については、からきしダメだし。
そんななんの取り柄もないような僕に向けて、沢多さんは妙に力強い引力のようなものが感じられる瞳を向けてくる。
「う、うん……分かった。そんなに読みたかったんだね、驚いたよ」
「読みたかったよ。今度こそ、絶対に読んでおきたいって思ってるから」
「……今度、こそ?」
ふわり、カーテンが靡く。突然のコミュニケーションにどぎまぎして、上手い返事ができなかった。
緊張しながら顔を上げると、沢多さんの艶やかな黒髪が風にのって流れていた。
その、ほんの一瞬。
彼女の表情が笑っているのに、何故か泣いているように見えたんだ。
──……あ、れ?
どっくん、
僕の心臓が鈍い音を立てた。
「君の好きなものを、たくさん知りたい。だから、もっともっと教えてよ」
「好きな、もの……?」
これは、まだ夏が居座る9月のこと。
僕にとって忘れられない時間が、やってくる。
流行りの韓国ドラマの話。
ゲーム実況者の配信の話。
好きな歌手や俳優の話。
好きな人や付き合っている人の話。
昨日読んだ漫画の話。アニメの話。
そんな教室の喧騒の中で孤立している僕と、その中心にいるはずの彼女の話だ。
「約束。私とお友達になってよ。東山くん」
視界に映る沢多さんは、やっぱり泣きながら笑っていた。