「あー…」
「沢多さん?」

気のせいかな。一瞬だけ視線が宙に浮いたような気がしたのは。
すぐにいつもの穏やかな表情に戻ったけれど、どうしたんだろう。

「そうなの。忘れちゃったの、ドジだよね」
「沢多さんでもそんなことあるんだ」
「あははー、あるよ。君は私を何だと思ってるのかな」

沢多さんはケロッとした様子で笑っていた。
でも、1日筆入れがないって不便だったよな。僕だったら、忘れ物をした日はテンションが下がってしまうけれど。


「そうだ、内装の準備もう少しで完成するんだよね? 残りのペンキ塗り、一緒にやろっか」


文化祭の準備期間がはじまってしばらく、教室の後ろの黒板には開催日までのカウントダウンがされるようになった。
放課後になると各々の班の作業が活発化する。

他のクラスでもかなり準備が進んでいるようだ。外装がもう完成しているクラスもある。他のクラスの制作物の出来栄えをみると、競争心が湧くものだ。

何組よりもこだわってやる、だとか。
僕ももちろん、ラストスパートをかけようとしていたのだったが、ここに来て沢多さんとともに作業をすることになった。


「ありがとう。室内だと汚れるかもしれないから、中庭でやろうかと思ってたんだ」
「それがいいね。運ぶの手伝うよ」


多分、沢多さんが僕のを手伝ってくれるのは、いつも1人で作業をしているがゆえの親切心だろう。
気配りができて、すごく優しい人だなと思う。


「東山くんってさ、こういうの得意だよね」
「そうかな?」
「絶対そう! クオリティが高いもん」
「そんなに褒められると照れるな…。でも、そう言ってもらえて嬉しい」
「さっき2組を覗いてきた時、完成度が高すぎて焦っちゃったんだけど、すごいね! これならぜんぜん張り合えるよ!」


中庭に移動してベニヤ板を芝生の上に並べる。
ホストクラブってどういうものか分からなかったけれど、自分なりに画像を検索してみた。

これまでそのようにクラスメートから褒められたことなんてなかったんだ。
だから、ドギマギする。


「だといいな。本当をいうと、勝手に2組と張り合ってたんだ」
「ははーん、東山くん、さては割と負けず嫌い?」
「勝負をする前に諦めちゃうことが大半だよ。情けない話、"僕なんか"って思うのが癖になっててさ。今回は、なんでだろうね」



赤色のペンキに筆をつけて混ぜながら、アハハ、と軽い笑みを浮かべた。

僕は決して負けず嫌いな方じゃないし、なんなら諦めぐせがついている方だ。そんな現状を特に打破しようとも考えていない愚か者。

自分でも情けなくて笑えてくるなあ。
顔を上げると、沢多さんは真剣な眼差しで僕を見つめてきていた。

え?



「あのね、僕なんかって思う必要はないよ」



向かい側に腰を下ろしている彼女に目を丸くしてしまう。
まさかそのように言われるとは思いもしなかったからだ。


「君は、君が思っている以上に偉いから。皮肉めいたことを口にしないし、考えてない。自分以外の人を妬んでないし、激しく自己嫌悪をすることもない」