「東山若葉くん。私は」
「──待って」

やめてくれ。

「君のことが……、大好きでした」

無力すぎる僕の手は、願いとは裏腹に哀しくも空を切った。


沢多(さわた)さんっ……ダメだッ!!!!」


彼女は切なく微笑んだまま、宙に浮かんだ。僕は必死に走って手を伸ばした。喉を割くようにして漏れたのは、これまで出したこともないような声だった。

瞬きをした次の瞬間には、彼女の姿が視界からいなくなっている。それなのに、僕を取り巻く世界は彼女がいてもいなくても、何の違和感もなく機能していた。

聞こえてくるのは、キャンプファイヤーを楽しむ人々の笑い声と、陽気な音楽。それがなんと酷薄なのだろう。

へたり、と膝をつき、僕はその場で項垂れた。

どうして、嘘だ、なんで。誰でもいいから、これは悪い夢だったのだと、言ってくれ。


先ほどまで彼女が立っていた場所には、寂しげな風が吹いている。

沢多さんが、落ちた。

──…落ちた。

目の前が真っ白になる。呼吸が乱れる。震えが、止まらない。

自分から身を投げ打って、笑って飛び降りたのだ。

屋上から。

なんで、落ちた?

助けられなかった。助けられたはずだった。なんで。どうして。なんで。

嘘だ。

嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ──。


「うっ、ああああああ!!!」


涙をボロボロと流しながら、僕は何度もアスファルトを拳で叩く。

何故、手が届かなかったんだ。
何故、彼女を知ろうとしなかったのか。

──僕はいったい、今まで彼女の何を見てきたんだ。


『──只今より後夜祭のメインイベント、フォークダンスのプログラムになります。参加されるみなさまは、キャンプファイヤーのそばへお集まりください』


ふざけるな。

──返して、くれ。

こんな後夜祭なんて、どうでもいいから。彼女のいない世界なんて、どうでもいいから。


「沢多さんを、返せよ……ッ!!」


僕の叫びは、静かな夜に木霊する。

一緒に実行委員をした。一緒に肝試しをした。一緒に星空を見た。一緒にアイスを半分コした。一緒に、好きなものの話をした。

どう足掻いたって取り返しがつかないことだというのに、この日、僕ははじめて身を焦がすほどに天に願ったんだ。

もし、僕が過去をやり直せるのなら。

何度辛い思いをしたとしても必ず僕が、彼女を救ってみせるのに、と。




「──小僧。あの娘を助けたいと思うか?」



刹那、何処かから品格のある声が聞こえてきた。


──助けたい。


大粒の涙がこぼれ落ちる。


"──東山くん"

"君のことが、大好きでした"


もう一度、君の笑顔が見たいんだ。

今度こそ好きだ、と言いたいんだ。



「その願い、特別に妾が叶えてやる」



僕は、その夜、不思議な黒猫に強く願った。


チリン、チリン。

……チリン。

静かに鈴の音が、鳴った。