しばらくしてホームルームで席替えが行われ、僕の隣の席は姫花ではなくなった。木下とも席は離れたが、休み時間は時折僕の席まで遊びに来る。

「女子ってなんで細かい作業好きなんだろうな」

「僕に聞かれても困るんだが」

 木下の視線の先では姫花とクラスの女子たちがビーズアクセサリーを作っていた。手作りのビーズアクセサリーが女子の間では流行っているらしい。

「だって、せっかくアクセサリー作ったってうちの学校アクセサリー禁止だからつけられないだろ。つけられないもの作って楽しいのかねえ」

「だから僕に聞くなって」

 姫花は楽しいのだろうか。周りに合わせているだけではないのだろうか。今日も姫花は笑顔だが、その真意は分からない。

「ところでさあ、海藤って今週の日曜暇?ライブ行かねえ?俺、好きなバンドの布教活動中なんだよ」

 木下が見せてきたチケットは僕も大好きなロックバンドだった。行きたいと即答したかった。

「ごめん、塾があるから」

「了解。それにしても海藤は真面目だなー」

「そうか?特に自覚はないけど」

 僕は決して真面目ではない。親の操り人形なだけだ。でも、周りから真面目に見えていることは自覚している。息苦しくても弱音を吐くわけにいかない。兄たちは弱音なんか吐かなかったから。僕だけ駄目なやつだと思われたくない。

 本当はそのバンド、僕も好きなんだ。本当は塾なんて行きたくないんだ。誰か助けて。あっさり切り替えて他の友人を誘う木下の背中を見て、そんな言葉たちを飲みこんだ。

 隣の席じゃなくなっても、世界を壊したがる僕たちの同盟は解散せずに済んだことだけが救いだった。

「ヒメカ、は部活行かなくて良いの?」

 それでも未だに姫花と呼ぶことには慣れなかった。

「今日もお休みだよー」

 放課後、他に誰もいない教室で姫花は自分の鞄の中から何かをがさごそと探している。

「ていうか、ボクの名前呼ぶのそろそろ慣れてよー」

「悪かったな。コミュ障なんだよ」

 僕が口をとがらせると、姫花が笑った。

「コードネームだと思えば良いんだよ」

「コードネーム?」

「だって、ボクたちは世界を壊すテロリストなんだから。秘密

 組織にはコードネームが必要でしょ?」
屈託のない笑顔で放つ物騒な言葉はどこかロマンチックにも感じられた。

「栄介、お腹すいてる?」

「多少は」

「了解。ほれ、パス」

 姫花が小さな個包装のお菓子を投げてきたのでキャッチした。丸い地球の絵が描かれたパッケージに入った青いグミだった。

「ナイスキャッチ。これ食べるの、世界を壊してるみたいでなんかよくない?」

 うっとりした目で姫花が言う。いただきます、と行儀良く唱えると、姫花はパキッと音を立ててパッケージを割った。その音も、中の青いグミを食べる咀嚼音もとても甘美な響きだった。

 ごちそうさまでした、と目を閉じて手を合わせる姫花は何かを弔っているようにも見えた。僕の視線に気づくと、「君も食べたら?」と笑われた。僕は慌てて地球を割って口の中で噛み砕いて飲み込んだ。

「世界はボクたちのお腹の中です」

 姫花はれっと舌を出した。その舌は夏祭りのかき氷のブルーハワイ味を食べた後のように青く染まっていて、一足早い夏を感じた。

 窓の外の校庭の木の緑が日に日に濃くなり始めていた。開いていた窓から、初夏の風が吹き抜けた。