《最後の日記》
○年○月○日
もしかしたら明日、私は死ぬかもしれない……
と思ったら急に悠希くんに関する昔の出来事を書いておきたくなった。
だから私は今日、何十年間分の日記をまとめて書いている……
その場にいるようにはっきりと思い出せるのは、ぬいぐるみのクマ達のおかげだ。
子供が生まれてから悠希くんのことを忘れようとしたけれど……
自然と悠希くんに関する出来事の日付は覚えてしまっていた。
なぜなら嬉しい思い出も悲しい思い出も宝物だったから……
二つのクマが揃うことで、悠希くんのクマがいない時のことも鮮明に思い返せるようになった。
○年11月1日……
全てはそこから始まっていた。
天井裏の奥から日記と思い出のクマを見つけた日。
悠希くんのクマを握り締め、会いたいと願った瞬間……
走馬灯のように浮かんだ、その場にいるような鮮明な音とはっきりと見えた光景……
二人で残業したあの雨の日に戻った時のこと……
『戻りたい瞬間に意識だけ飛ばしたんだ』という誰かの声……
あの日……悠希くんが初めて真っ直ぐな好意を口にした時、
本当にびっくりしたけれど……
もしかして私はずっと、その瞬間を……
悠希くんが素直になってくれた、その瞬間を……
待っていたのかもしれない。
それなのに、なぜ私はあんなことを言ってしまったのだろう。
私があの時と別の答えを言っていたら……その瞬間に戻れたら……
と願っていたら、時間は戻り、悠希くんはあの時と同じことを言った。
今度こそ言おうと思った瞬間……
私は気付いてしまった。
もし悠希くんの元にいってしまったら、大好きな娘が生まれなくなることに……
結局私は、あの時と同じことを言っていた。
目を覚ました後、私はもう一度彼に会いたくなって出会った日に戻ろうとしたができなかった。
戻ろうとした日が、あの日より前だったから……
ある仮説を元に日記を読み返してみたら、今までの全てが繋がった気がした。
二人で映画を見た日……
結婚式……
台風の日……
最後のカラオケ……
最後のお花見……
返したいものを届けに行った日……
……そして二人で残業した、あの雨の夜……
私は気付いた。
なぜか涙が出る……
未来が分かっているかのような言葉は……
悠希くんのクマが見せてくれた、時間を越える不思議な力によるものだった。
デジャブに近いもので、悠希くんのクマが近くにある時にしか見えないらしい。
人形には思いの強さによって不思議な力が宿るという。
「今度はちゃんと捨てたって言うんだよ」と言う前に私が見ていた光景は……
悠希くんのクマが見た記憶だった。
過去に戻った時に私が聞いた声は……
悠希くんのクマの声だった。
「過去の記憶は未来にいき……今の記憶は過去の自分に流れ込む……」
そのことに気付いた瞬間……
私の中に未来の記憶が流れ込んできた。
私は年老いていて、公園のベンチに座って今までの人生を振り返った後……
悠希くんのクマを握った手で心臓を押さえながら、苦しそうに呟いていた。
「私は彼に一生会えないまま死んでいくんだ……ありがとうやおめでとうも言えないまま」と……
未来のこの日の出来事を見なければ……
『まだ間に合う』という悠希くんのクマの声を聞かなければ……
私は手紙の最後にあんな文章を書くことはなかっただろう。
50年後の約束が叶うなんて有り得ない……
でも遠い未来の約束をすることで、
ほんの一部でもいい、彼の生きる希望になりたかった。
僅かでいいから、彼とまた会える可能性を残したかった。
手紙を書いて戻ってきたあの日、
もしもこの日記を見たら、家族は悲しむかもしれない……
そう思って私は、この日記帳とお揃いのクマ達をある場所に埋めることにした。
家から遠い場所で誰にも見つからない所……
昔から代々伝わるお墓の敷地内に、小さなお地蔵様がぽつんと立っていた。
幼い時から不思議と親近感があって、お墓参りの度に柄杓を口のところに当ててお水を飲ませてあげていた。
なぜだか分からないけれど、そのお地蔵様の前になら、缶を埋めることを許されている気がした。
そしてその時が来るまで……
夫に添い遂げた、その時が来るまで開けることのないように……
仏壇に自分にしか分からない暗号を残して、ビニールで密封した缶をその場所に埋めた。
仏壇の中なら滅多に見ることはないし、一周忌のお墓参りで許しを得てから開けようと思ったから……
だからこそ初孫が生まれ、夢に出てきた男の子の名前とお墓に建てられていたお地蔵さまの意味を知った時は本当にびっくりしたけれど……
私は深く深く穴を掘り、誰にも見つからないように思い出を埋めた。
そしていつか作った歌のように、もうこれ以上遠くならないよう願わないと決めた。
その時まで思い出すことがないように。
目の前にいる家族がずっと幸せでいられるように。
最近心臓の発作がひどくなってきている……
そして明日は七夕……
約束の日まで、あと1年……
その時まで生きられるだろうか?
もしも間に合わなくても、
せめて明日、あの場所に行こう……