その日は朝から雨が降っていた。
 彼女は普段通り振る舞っていたが、その挙動に僅かな違和感があり、細い背中から声にならない悲鳴が聞こえてくる気がした。

 夜になり窓ガラスに写る彼女の横顔。
 ガラスに流れる雨粒が彼女の代わりに泣いているようにも見えた。
 みんないつも通りに帰っていき、彼女は残業があるようで事務所に二人だけになった。

「……なんかあったでしょ?」

 僕が尋ねると、彼女はおもむろに話し始めた。

 薬入れ替え事件は、ヘルパーの逆恨みによるものかもしれないが証拠がなくて言えないこと。
 前の職場の時に逆恨みで激務を課せられ、身体を壊して辞めたトラウマを思い出したこと。

 聞きながら、昔親父が面接の時に急に泣き出したと言っていたことを思い出していた。

「それでね……私が辞めた後に何人かの職員が辞めたから、合同の送別会に呼ばれたんだ……」

「私嬉しくて……先輩の誤解が解けたんだと思って行ったらね」

「みんな順番に色紙と花束を貰っていくんだけど……」

「私は最後なのかな~とか思ってたら……………………私だけ……なかったんだよね……」

 話しながら続けていた作り笑顔が消え、
 しばらく何かをこらえていた彼女は……

「………………っそんなに嫌いなら最初から呼ばないでよ!!!」

 今まで聞いたことのない声で泣き叫んだ。

 身体を壊す程に頑張った最後がそんな扱いでどんなにつらかったか……
 僕は言葉が出ず、彼女のそばにいることしかできなかった。

 どれぐらい経ったか……しばらくして少し落ち着くと、涙が残る目で遠くを見つめるように言った。

「その時ね……弟みたいに思ってたやつがいたんだけど最後にね……」

「……みんなの前で『今までありがとうございました』って大きな声で言ってくれたの」

「嫌われ者の私にそんなこと言ったって、後で嫌な思いするだけなのにさ~」

「…………悠希くん何となく…………その子に似てるわ……」

 たまらなかった。
 何度か彼女が泣いている場面に出くわしたことがあったが、泣き顔を見たのは初めてだった。

 本当は泣き虫でずっと隠れて泣いてきたのだろう。
 昔、雨が好きだと言っていたのは泣いているのを隠してくれるからでは……

 何とも言えない気持ちになった僕は、自分でも信じられない言葉を口にしていた。

「……抱きたい……」

 言った瞬間ものすごい恥ずかしさと後悔に苛まれた。

(断られる……)と下を向いて目をつぶり、赤面している僕に彼女は言った。

「…………いつか……ね」