だが思ったよりすっきりしない。七年間、鬱屈しながら勤め続けていた会社だ。そこから逃れる解放感はすさまじいが、思いのほかこみ上げるものがある。会社員生活の思い出がフラッシュバックしてきた。一か月の新人研修。大学・大学院時代にほぼ引きこもっていた僕は久しぶりの集団生活にアレルギー反応が出ていた。周りとロクに喋りもせず、休憩時間になってはトイレの個室にこもっていた。思えば中学時代もそんな生活をしていた。トイレが第二の実家だった。トイレで給食を食べたいくらいだった。TPOに合わせて第二の実家を駆使すれば意外と集団生活の片隅で生き延びることは可能だと知った。
 新人研修という苦行を経て配属された営業部。こんな僕を営業部に配属するとか、人事部のオウンゴールにも程があるが、意外とがんばっていた。あの手この手を使って結果を出すというのは嫌いでもなかった。
 うちの会社が関わりの強くなかった板橋で、商店街をあげてのキャンペーンを自分から提案して実行した。結果を残したいがために自分で提案してしまったが、本当に大変だった。商店街の各店舗との調整、自治体との調整、社内の調整。調整が大変すぎて土日も眠れなくなった。なんとか最低限の結果を残し、上司からは褒められたが、賞与の査定は特に変わりなかった。あの苦しみは何だったのだろう。なぜあそこまで頑張ったのだろうか。その出来事をきっかけに、頑張る意味がわからなくなり、そこから力をなるべく頑張りすぎないようにした。そうすると、やり過ごすだけの日々で、一気に仕事がつらくなった。
 会社とはムラ社会。ムラに属するには体力と精神力が要る。僕にとっては七年が限界ということだ。
 それにしても退職代行というのは素晴らしいサービスだ。誰しもが、会社は辞めづらい。愛着という名の犠牲心で定年まで勤めあげるのが日本人だ。そんな中で退職のために仲介してくれる彼ら。このサービスがあれば、日本の終身雇用はもっと先に終わっていた気がする。
 現代サービスの恩恵を受けて、僕は自由になったらしい。
「フリーだああああ!」と僕はまた叫んだ。もう周りの人は見向きもしない。最初は反射的に反応してくれたが、ヤバい人認定をされると、もう何をやっても反応されなくなる。東京という街はヤバい奴を呑み込むだけの包容力がある。