人生を折れ線グラフで表すと、ピークは小学生だ。
 あの頃は友達も多くて、自称人気者だった。おとなしめの地味な奴だったが、とにかく返しはうまかった。あらゆるボケを一歩上回る返しが出来ていた気がする。あと、発想力も豊かだった。友達が提案した遊びに一ひねりを加えて、一歩面白い遊びを作るのがうまかった。だから僕はやんちゃな子供たちからもよくモテた。一時期、真面目に同性のことが好きな奴だと思われていたくらい、人気者だった。でも、今思い出すと、具体的なエピソードは全然覚えていない。もやっとした記憶で、なんとなく楽しい思い出しか覚えていない。
 唯一覚えているのは、クラスで一番人気者だったイケメンの伊達くんが家に遊びに来ていたとき、クラスで一番可愛い山崎さんから電話があったのだ。
 祖母に告げられ、あの山崎さんが、と初めての事態に驚きながら電話に出ると、真っ先にこう聞かれた。
「伊達くん、いる?」
 一気に冷めた。
 受話器を叩きつけて粉砕しようかと思った。僕目当てじゃなくて、伊達君目当てだった。その瞬間に悟った。いくら同性に人気があろうとも、異性からモテるのとはまったく別なのだと。
 今となってはそんなエピソードしか思い出せない、我が小学生時代。
 それから中学、高校と生き永らえていったが、折れ線グラフは順調に下がる。
 慣性の法則で、速度を維持できればよかったのに、世の中には摩擦というものがあるのだ。すべての速度は減退する定め。いや、摩擦じゃ説明できないくらい、順調に失速していった。あの小学生時代の、天性の返しと発想力はどこへ行ったのだろう。才能は霧散した。というか、田舎の公立校で、周りが急速にやんちゃになっていった中、僕だけただのおとなしい眼鏡少年だったのだ。時代に乗り遅れた。同級生と喋るのに緊張するくらい乗り遅れた。とても奇抜な面白いことは言えなくなった。覚えたての中国語くらい、単語レベルでしか言葉を発しなくなった。その分、周りの言動を見て、心の中で天才的な返しをつぶやき、自分で笑っていた。僕は僕にとってのエンターテイナーであり続けた。周りからどう見られようと、自分が面白ければ人生は楽しいのだという境地に達した。女子からは、「和志くんって、いつも一人で笑っているね」と言われた。笑顔が絶えない愉快な人、という解釈で、誉め言葉として受け取っておいた。そんな思春期を過ごした。