世界遺産バーチャルトラベルでのライブについては一旦保留しつつ、リセ引退ツアーは始まった。もちろん「引退」の二文字は公開されない、僕と彼女だけが知っている事実だ。
 突然のツアー開催に、ReMage全土が沸き立った。発表とほぼ同時に数百万枚のチケットが完売し、その数十倍ものユーザーが配信ライブの視聴予約をした。仮想空間であるReMageでのライブは、現実世界のそれとは異なり会場の物理的制約がない。サーバーに集中アクセス対策さえされていれば、会場に何万人でも何十万人でも収容できる。とは言え、僕は全ての会場で大規模コンサートをやるつもりもなかった。
 このツアーの目的は、リセのデータを取ることと、リセにステージに立つ楽しさを再実感してもらう事にある。それは、数十万人がファンが見守る巨大ステージのみで達成できる目的ではない。小規模ライブでは小規模ライブなりのデータが取れる。リセに駆け出しの頃の気分を思い出させるのも大事だ。だからツアー初日の、このオリオン街でのライブは観客を数十人に絞りごくごく簡素なステージで行うことにしていた。そう、あの時のように……

「何これ、あの時の再現ってこと?」

 リセも、僕の意図を察したみたいだった。

「僕らの始まりのステージだからね、開始場所はここしかないと思った」
「ふふっ、キミが好きそうな趣向だね。アタシも嫌いじゃないけど」

 そう言ってリセは、ステージに出ていく。映像は仮想世界全域に放送されるけど、この場所への参加が許されたのは、ファンクラブ会員2桁台までの超古参ファンたちだけだ。
 近世ヨーロッパの街並みを模したオリオン街の中央広場には「おかえりなさい」と書かれたオーロラ色に煌めく横断幕がはためく。この広場はリセと僕の始まりの場所であり、ファンの間でも聖地となっている所だ。つまりこれは、凱旋公演ということになる。

 フリー素材を組み合わせて作られた簡素なステージに立つリセを見て、僕はあの時のことを思い返す。

「来てくれたんだ!」

 5年前の記憶。前日に、言いたいことだけ言って僕に真っ新なアカウントを押し付けてきたプラチナブロンドの女の子は、僕を見つけて駆け寄ってきた。

「夢中にさせるなんて、大見得きったからにはそれなりのもの見せてよ?」

 僕はぶっきらぼうに答えた。

「もちろん! アタシの単独ライブ楽しんでって!」
「ライブ、君はアーティストなのか?」
「駆け出しの、ね。一曲目はキミの歌を歌うから」
「は、どういう意味?」
「それは聴いてのお楽しみ!」

 彼女はそう言うと、広場の中央に据えられたステージへと上っていった。そのときの記憶が今、目の前にある景色とシンクロする。
 昔ながらのファンに囲まれる中、リセはすうっと、深く息を吸う。一拍、間をおいた後。リセの口と喉は、透き通った音を出す優美な楽器へと変わった。

 心配ないよ
 私が連れて行く

 ああ、この曲だ。思い出の一曲。まだ現実世界に未練を持っていた僕を救ってくれた、大切な一曲。今の雨夜星リセは、ある意味ではこの曲がきっかけで誕生したんだ。

 キミの不安をすべて分かち合おうよ
 キミの恐怖の半分を引き受けるよ
 ボクがキミを連れていく
 キミのいるべき場所へ
 安らげる場所へ
 だからボクと一緒にいて

 初めてこの曲を聞いたときに、直感的に思った。「ああ、これは僕の歌だ」って。
 まるでオーダーメイドの洋服のように、余分なところも足りないところもなく僕の心に寄り添ってくれる、そんな感じがした。彼女の歌に耳を傾ける観客の中に、僕以上にこの歌が刺さっている人はいない。何故かそんな確信まであった。そのくらいこの歌に魅了された。現実世界で溜めてきた鬱屈した思い、仮想世界にも居場所を見いだせない焦り、そんな心の闇が浄化されていくような思いを、あの時の僕は味わっていた。

「お疲れ様。最初に歌った曲、すごく良かった。誰の歌?」

 5年前のあの時、ステージから降りてきた彼女に僕は尋ねた。すると、彼女は満面の笑みを浮かべた。

「アタシのオリジナル。キミのことを考えながら即興で作った歌だよ?」
「即興!? 今、アドリブで歌ったってこと? 歌詞も、メロディも?」
「言ったでしょ、キミの歌を歌うって」

 ありえない。いくら想像がそのまま創造となるLDRの世界とはいえ、あれだけ完成度の高い曲を思い浮かべるだけで作り出せるものなのか?

「まぁ、メロディについてはストックがあって、それをAIに呼び出してもらった感じだけどね。歌詞についてはさ、昨日あの後調べたから、キミのこと」
「どういう事?」
「ちょっとした推理だよ。キミが公開しているアクセス時間とか行動履歴を調べさせてもらった。何時から何時までReMageにいるとか、どんなところを回ってどんなサービスを受けているとか」

 僕は、電子の身体に流れているはずのない血が、かあっと熱くなるのを感じた。そういうのを調べるサービスがあるのは聴いた事がある。けど何の対策もしていなかった。闇AIを作るような規約違反をしておきながら、あまりに迂闊すぎだった。

「すぐわかったよ。リアルではどこにも居場所のない、くらーい青年なんだろうなーって」
「なっ!」

 ちょっと意地の悪い感じで彼女は言う。悔しいけど、当たっている。

「で、そこからキミの心情を想像した。想像して想像して……そしたら自然と言葉が溢れてきた。それをAIが詞にしてくれたの」
「嘘だろ……?」

 僕は絶句した。その話が本当なら、AIによる補完を完全に味方にしている。稀有な創造力の持ち主だ。
 一般的に、AIは創造的な仕事が苦手だと言われている。昔は、クリエイターの仕事が機会に奪われるんじゃないか、なんて話もあったらしいけど、現実にAIがゼロから絵画や小説を生み出すことはなかった。AIはものを考えているわけではなく、条件に合致する「それっぽい情報」を膨大な教師データの中から拾ってきて、考えているように見せかけているだけだからだ。
 AIはクリエイターにとって憎き商売敵とはならず、大切な商売道具として彼らに味方することとなった。特にLDR世界では、クリエイターの脳波を目に見え耳に聞こえる形へと変える、必須の商売道具だ。
 それにしても、ここまで高い次元でAIを使いこなす人間もそうはいない。頭に思い浮かべた感情を、歌詞とメロディに変えて僕の心へと的確に届ける、それができるシンガーなんてほんの一握りだ。

「でも、まだまだよ。もっと精度の高いAIがあれば、アタシのイメージをもっと的確に形にしてくれるアタシ専用のAIがあれば、アタシはさらに高く飛べる!」

 そして彼女は手を差し出した。

「だからさ、アタシに協力してよ」

 気がつけば僕はその手を握っていた。彼女なら、僕のどこかいるべき場所へ連れて行ってくれる。そんな気がした。