――ウオオオオオオオオオオオオオオン‼
凄まじい大音声の遠吠えが、剣の谷に響き渡った。ただひと吠えしただけにも関わらず、あまりの衝撃に崖が少し崩れる。
「ホニャアアアアアアア⁉」
「ンヒイイイイイイイイ⁉」
レベル30そこらのネコ族が、フェリスのとてつもない殺気を浴びせかけられようものなら、当然のことながらひとたまりもない。こと対峙した者に本能的な恐怖を与えるという点に関して言えば、蒼氷狼フェンリルを超える魔物は存在しないだろう。
「アブ……アババババババブブブブ……」
「こ、降参します……だからどうか……食べニャいで……」
こうして俺たちは剣の谷の住人、ネコ族たちを武装解除することに成功した。とはいえやりすぎたのか、話ができる状態になるころには、日はすっかり傾いていたが。
正式に客人となった俺たちは、谷で一番大きな族長の屋敷へと通された。
「ふう、落ち着いたか?」
「うるせえ、ニンゲンと話すことニャんかねえ」
族長のシュリは相変わらずこんな感じだったが、こちらへの敵意はともかく、襲ってくるようなそぶりはない。他のネコ族たちは、谷へと案内してくれたネコ忍者のミッケが取りまとめてくれた。
「さて客人よ。ワレワレがお前の仲間(ニャカマ)から奪ったホクホクカブの件だが」
「見たところ、この谷には食料が不足しているようだからね。 ホクホクカブについてはそのまま持っていてくれて構わない。ただ馬は返してくれ。こうして君たちと話ができている時点で俺としては儲けものだから、この件はそれで手打ちってことで構わない」
「すまニャい、恩に着る」
そう言うと、ミッケはすぐさま部下たちに指示を出した。何匹かのネコが頷いて部屋を出ていった。しかしさすがはネコの谷。右を見ても左を見てもネコだらけだ。ただ、みんな沈痛な面持ちを浮かべているのが気になる。そんな俺の考えを察してか、ミッケがため息交じりに語り始める。
「客人、すでにその目で見て、肌で感じて勘づいているだろうが。この谷は、ある大きな問題を抱えている」
「風だな」
一拍を置いて、ミッケは重々しくうなずいた。
「その通りだ。かつてこの谷にはいつも風が吹いていた。ワレワレの一族は、その風を利用して、細々とではあるが、過不足のない生活を送っていた。だがちょうど、先代の族長が亡(ニャ)くニャったころだった」
ミッケはその大きな目をスッと細める。
「パタリと止んでしまったのだ、風が。それ以来このありさまだ。生活を支えていたあらゆるものが絶え、いまや自分たちでは、十分な食料の生産もままならない」
「なるほど、それで商隊を襲って食料だけを奪っていたのか」
「ああ、ワレワレは見ての通りの獣人。ニンゲンから見れば魔物の一種だ。ゆえに、金銭的価値のある交易品は、奪い取ったところで卸す先が無(ニャ)いからニャ」
合点がいった。彼らにとって食料品を積んだ馬車は、狩りの獲物だったのだ。原始人がマンモスを狩ったように、食べられる部分の多い獲物を狙うというのは道理だ。盗賊行為は、立地的にも種族的にも孤立した彼らにとって、自給自足の手段だったのだ。
「それなら、ソラリオンに来ればいい。うちは見ての通り、人と魔物が共存できる街を目指している。無理にとは言わないが、悪くない提案だと思う」
「その申し出は願ってもニャい。……と言いたいところニャのだが」
ミッケはまたひとつ大きなため息をつくと、窓際でふてくされている族長、『剣神』のシュリに目を向けた。
「この際だ、はっきり言おう。この谷はもう死んでいる」
「まだ死んでねえ!」
「……とまあ、このように。現実を受け入れられニャいやつらも多いというのが現状だ」
なるほど、彼らはこの谷で生きることに、こだわりを持っているようだ。シュリはテコでも動かないといった具合に、どっしりとあぐらをかいている。彼のような考えを持つ者も、けして少なくはないのだろう。
「ワレワレは、地下水のくみ上げも、織機を動かすのも、炉に空気を送るのも、すべて風車の力を借りていた。この谷の名産品である剣も、錆びるいっぽうだ。このままでは早晩、狩りも盗賊稼業も立ち行かニャくニャる」
「それならば、風さえ吹けばいいということではありませんか?」
話を真剣に聞いていたフウカが、首をかしげる。たしかに、フウカが持つスキルには【疾風迅雷】の他にもうひとつ、強力なスキル【気候操作】がある。それを使えばこの澱んだ谷に風を送り込むことは可能かもしれない。
「試してみる価値はありそうだな。フウカ、任せても構わないかい」
「お任せくださいませ! このわたくし、他の方々のように力も強くなければ、体もそれほど大きくはございませんが、ただのビリビリする鳥ではございませんのよ!」
フウカは勇み足で屋敷を飛び出すと、不死鳥の姿へと姿を変え、天をあおいで翼を広げた。それを見ていたネコ族たちは一様に目を丸くする。
「さあご覧くださいませ。このわたくし、不死鳥だけに許された超絶奥義。雲よりこぼれる雨粒ひとつとて、大空にあってこのわたくしに御せないものはございませんのよ」
相変わらず長々とした口上ののち、不死鳥は空高くへと飛び立った。そして谷を見おろすほどの高さまで飛び上がると。
【気候操作】
谷から見える空に雲がかかりはじめ、あっという間に荒れ模様になる。降り始めた雨が家々の屋根を叩く音は次第に大きくなり、数十秒もしないうちにオーケストラを奏で始める。嵐による横風が、谷を吹き抜けた。いったいどれほど動いていなかったのか、ギギギと軋む音を響かせながら、谷を埋め尽くす風車が回り始める。
「おお、やったぞ。成功だ!」
「当然ですわ。なにせこの【気候操作】はわたくしとお兄様にのみ許された奇跡! そしてこの嵐は、わたくしどもが初めて出会ったあの日の輝かしき思い出! いわばわたくしとお兄様の愛の結晶そのものですわ!」
「それはたぶん違うけど、すごいぞフウカ!」
その後もペラペラと講釈を垂れ流しながら、フウカは谷底の屋敷へと降りてくる。そして翼を折りたたんで着地した、まではよかった。
「あら、変ですわね?」
フウカが翼をたたむと同時に、雲間から光が漏れ、雨があがる。風も、やんでしまった。
「おかしいですわ。わたくしの【気候操作】に、ぬかりはございませんのに」
試しに俺も【気候操作】を使ってみる。谷の上空でぐるぐると雲が渦巻き始めるも、風が吹き抜けるほどの嵐にはならない。
「そうか、谷底だからだ」
【気候操作】は『視界内の気象』を操るスキルだ。フウカのように谷の上空まで飛び上がるのらまだしも、谷の底から発動した場合、見える範囲の少なさから、その力を存分に発揮できないのだ。
「うーん、上手くいったと思ったんだけどなあ。それにフウカか俺のどちらかがこの谷に常駐する、ってわけにもいかないからな」
「わたくし、お兄様のそばを離れるつもりは毛頭ございませんわ」
ずぶ濡れになったフウカの髪を拭きながら屋敷の中に戻ると、室内のあちらこちらで豪快に雨漏りしていた。
「このあたりはあまり激しい雨は降らニャいからな。それにいまの嵐で家がいくつか倒壊したうようだ。一瞬風が吹くとはいえ、ワレワレの谷にすべての家を建て替えるほどの余力は無(ニャ)い……」
「それはなんというか、申し訳ない。そうだ嵐にも耐える家を建てれば……」
俺はすぐさま代替案を練る。いまのところ自然現象として風を生み出せるスキルは【気候操作】以外にないわけで、それを基軸に考えるとすれば家の補強は必須だろう。かなり無理があるように思えるが、この谷でそれを実現する方法はあるはずだ。俺にはまだ【錬金術】のスキルがある。諦めるのはまだはやい。そんな考えを巡らせていた。そのとき。
「もういい! よそ者がこれ以上でしゃばるニャ!」
族長、シュリが叫んだ。
「よさニャいかシュリ。客人はワレワレのことを案じ、こうして解決策を練ってくれているのだ。お前の態度は無礼が過ぎるぞ」
「無礼ニャのはどっちだ!」
シュリがミッケに食って掛かる。
「この谷をそこまでごっそり変えちまって、それで全部まるっと元通りだって言えんのかよ! じいちゃんが大好きだった『剣の谷』だって、胸張って言えんのかよお前!」
「現実を見ろ、シュリ。じいさんはもういない。残されたワレワレが、この谷でこれからも生きていくためには、変化を受け入れるしかニャいんだ」
「そんニャ変化だったら、こっちから願い下げだ! オレはこの谷とともに死ぬ!」
シュリは一気にまくしたてると、あぐらを組んでおいおいと男泣きを始めた。死ぬとまで言われてしまっては、ミッケも俺たちも、なにも言い返せない。どうやら、良かれと思ってやったことが、裏目に出てしまったようだ。俺の力では、変化を生み出す【錬金術】では、この谷を救えない。これまでソラリオンでは経験したことのなかった無力感を、いま俺は強く感じた。
「お兄様、わたくしは……」
フウカがおろおろと、俺の服の袖を引っ張る。
「大丈夫だ、君はなにも悪くない。俺が足りなかったんだ、力も、配慮も」
俺は死にゆく谷の改善を焦るあまり、そこに住まうネコ族たちの気持ちを置いてけぼりにしてしまっていた。親切心という大義を振りかざし、彼らの生き方をねじ曲げようとしていた。これが傲慢でなくて、なんだというんだ。
俺は肩を震わせて涙を流すシュリに近寄ると、膝を折った。
「そんな顔で、いまさらニャんだ、ニンゲン……オレを笑いたければ笑えばいいだろう」
「これまでの無礼な振る舞いを謝らせてほしい。すまなかった」
「ニンゲン……?」
「君たちの生き方を選ぶのは、俺じゃない。他の誰でもない、君たち自身だ。それが当たり前のことだっていうのに、手を貸すのが当然だと、思い込んでいた。迷惑をかけて、本当にすまなかった」
慎重に言葉を選ぶ、しかし嘘は言わない。
「だけどその上で、それでも俺は、君たちに協力させてほしいと思っている。誰かが苦しんで死んでいくのを、ただ黙って見ているだけだなんて、俺にはできない」
俺の、ありのままの本心を伝える。夢のような理想を掲げる俺は、きっと傲慢な王様なのだろう。だが自分の心に嘘をつく王にはなりたくない。悪魔の森を出たあの日、外の世界の風が頬をなでたあのときから、この世界を満喫すると、そう決めたんだ。
「………………」
シュリはしばらく黙っていたが、そのうちえかねたかのように、口を開いた。
「……お前にできるのか」
重い、重い一言だ。俺はシュリの言葉を真正面から受け止め、答える。
「できるよ。俺が、そうしたいと思ってるから」
俺は、腹をくくった。お節介だろうが、偽善だろうが、知ったことか。必ずこの谷を救ってみせる。いや、救う。
「やれやれ、君というやつは、救いようのない救世主だ」
この谷に入ってから、ずっと押し黙っていたエルダーリッチが口を開いた。彼女は髪を少しかき上げると、まるで出来の悪い弟を諭すような目で、俺に微笑みかける。
「君には理想を現実にする力がある。いや、現実を理想に『作り替える力』とでも言うべきかな。君の意思こそが、その力の正体だ。【錬金術】のスキルはその一助にすぎない」
相変わらず難解なことを言う。しかしそんなものどこ吹く風と言わんばかりに、エルダーリッチ、かの大魔術師ヴァージニア・エル=ポワレは胸を張る。
「力とは、気高き意思のもとに集うものだ。数多のスキルしかり、この私しかり」
「……ということは、まさか」
俺はエルダーリッチの目をまっすぐ見つめた。彼女の目は、いつも通り、自身に満ち溢れている。
「ああ、この谷に風を取り戻すための手段について、すでに見当はついている」
* * *
ネコ族たちが住まう、死にゆく集落、剣の谷。ある日突然やんでしまった風を、取り戻す決意を固めた俺に、エルダーリッチ、古の大魔術師が微笑みかける。
「風を取り戻す方法は、すでに見当がついている」
そう自信ありげに話すエルダーリッチに、みんなの視線が集中する。
「なんと、それはいったいどういう……」
「教えろ! いや教えてくれ、頼む!」
ミッケとシュリをはじめ、谷じゅうのネコ族たちが、食い入るようにしてエルダーリッチの言葉を待つ。
「その前に、ひとつ確認させてもらいたい。風が止んでしまったのは、先代の族長が亡くなったころ、というのは間違いないかね?」
「はい、その通りです。じいさん……あ、いえ、先代族長がこの谷を仕切っておられたころは、まだこのような事態にはニャっておりませんでした」
エルダーリッチはふむ、とうなずくと、ネコ族たちの顔を見回す。
「ならば〈魔石〉があるはずだ」
それを聞いて、俺は合点がいった。
「なるほど、そういうことか!」
「ヒントを与えすぎてしまったかな」
俺は風が自然に吹いていたものだと考えていた。だがもし、風そのものが、先代の族長により人為的に生み出されていたものだとしたら。それはスキルによるものに他ならない。
そしてもうひとつ、先代族長は言わずもがな、ネコ族だろう。つまり魔物だ。ならばその死に際し、必ず〈魔石〉が遺されているはずだ。ならば俺がやることはひとつ。〈魔石〉から風を発生させるスキルを《抽出》する。だが当然、これには問題がある。
「〈魔石〉からスキルを手に入れたとして、それだと俺がここに駐留しなきゃいけないことにならないか」
「それは心配には及ばない。君は私の最高傑作、アジ・ダハーカを覚えているかね」
邪龍アジ・ダハーカ。俺たちが悪魔の森を脱出する際、大迷宮の最後の障壁として立ちはだかった、無敵のドラゴン。その正体は、大迷宮の守り人エルダーリッチによって作り出されたゴーレム、すなわち無機物生命体だった。リュカたち悪魔の森の最高戦力をそろえてなお、ギリギリの戦いを強いられた相手だ、忘れるはずもない。
「その顔は、私がやろうとしていることに気づいたようだね」
「無機物に、スキルを転写するのか。転移水晶の加工に使った【破壊光線】みたいに 」
「ご名答。もっとも、この場合は 少々複雑な手順を踏むことになるがね」
およそ不可能に思われた谷の復興が、俺の【錬金術】とエルダーリッチの技術により、現実味を帯びてきた。
「じいさんの〈魔石〉を使えば、ワレワレの谷に、再び風を取り戻すことができるのか」
「元の谷の姿を取り戻すという点では、これ以上ない方法だと思う。もしよければ、先代族長の〈魔石〉が安置されている場所に、案内してくれないか」
ネコ族の忍者、ミッケはしばし考えこむと、覚悟を決めたようにうなずいた。
「わかった、ついてこい」
ミッケのあとに続いて、剣の谷を奥へ奥へと進む。先へ進むにつれて、谷は狭く、細くなっていく。川が流れていないところを見るに、やはりここは自然と作られた谷ではないように思えた。その終端までたどり着いたとき、ミッケが足を止めた。
「ここだ」
そこには小さな祠があった。ささやかな墓碑も建てられている。谷の底にぽつんと佇む祠のまわりには、たくさんの白い花が咲いていた。
「見て、ソラ。〈魔石〉よ!」
リュカが祠を指さす。台座を模した祠の上、暗い谷底にあって、その石は見間違えようもない輝きを放っていた。これが、先代族長の忘れ形見。この谷を救うための、唯一の鍵。
ネコ族たちは一様に、悲しそうな目で〈魔石〉の輝きを見つめていた。みんなが押し黙る中、ミッケが口を開く。
「ワレワレの族長は、偉大ニャ剣士だった。だがそれ以上に、ワレワレは彼を、一族を導く長として敬愛していた」
「ミッケ、まどろっこしいこと言ってんじゃねえ。じいちゃんはじいちゃんだ、それ以上でもそれ以下でもねえ」
彼ら一匹一匹が、ここに眠る者に、それぞれ想いを抱えているのだろう。ネコ族たちがなぜ苛酷な境遇にさらされながらも、この谷を離れようとしないのか。それがようやく理解できたような気がした。
「ふむ……やはり、そうか」
〈魔石〉を見たまま、しばらく押し黙っていたエルダーリッチが口を開く。
「私の推察が正しければ、ここに眠っている族長の名は……『アラン』ではないかね」
その一言に、ネコ族たち、そして俺も目を丸くして驚いた。
剣神アラン。かつてこの世界で活躍した四人の英雄がひとり、大魔術師ヴァージニア・エル=ポワレの口から語られるその名は、たったひとつの意味しか持たない。その剣のひと 振りで大地を裂き、百万里の奈落から、太陽さえも切り裂いたと語り継がれる、『人類』の大英雄。いや、俺を含め、後世の者たちが勝手にそう思い込んでいたにすぎない。
「は、はい。おっしゃるとおりです……」
「ちょっと待ってくれエルダーリッチ、それじゃあここは、君のかつての仲間が築いた谷だっていうのか」
「そういうことになるな」
俺は『魔術師の町』で、大魔術師ヴァージニア・エル=ポワレがどれほど敬われ、崇め奉られていたかを知っている。しかし目の前の、この小さな祠が、あのヴァージニア・エル=ポワレと肩を並べる英雄の墓だとしたら、ささやかに過ぎる。それになにより、気になることもある。俺は思った疑問を率直に尋ねてみた。
「エルダーリッチ、いったい、いつから気づいていたんだ?」
彼女は目を伏せながら、答える。
「確信を持っていたわけではない。まずは私が、アランの正体を知る数少ない者のひとりであること。そして彼らの剣さばきから、街道で襲われた時点で、なんらかの関係があるだろうことは疑っていた……いや、違うな」
いつもの自信は影を潜め、エルダーリッチは声のトーンを落とした。髪をかきあげるしぐさにも、少し力が無いように思う。
「私のかつての仲間たち三人のうち、アランだけは、その死に際についての記載がなかったからな。彼は魔物で寿命も長い。正直に言うと、ひょっとしたら世界のどこかでまだ生きているかもしれないという、甘い期待があったんだ」
エルダーリッチは祠に歩み寄った。その目は物言わぬ墓碑に注がれている。だが視線の先にはきっと、かつての思い出の日々が映し出されているのだろう。
「そうか、君も逝ったのか」
その場にいる誰もが、黙ってエルダーリッチの小さな背中を見守っていた。俺自身も、彼女にかける言葉を持たなかった。一度味わった離別とふたたび向かい合う。その苦痛を分かち合えるほど、俺はまだ、彼女の背中に、追いつけていない。
* * *
剣神アランは魔物の身でありながら、人々を守るため剣を取り、強大な魔物たちに立ち向かった。彼らは死闘の末、大魔術師ヴァージニア・エル=ポワレの身と引き換えに、脅威を、悪魔の森へと封じ込めることに成功した。それがエルダーリッチの知る、物語の結末だ。だが遺された者たちの物語は続く。
かつて俺がいた世界には、狡兎死して走狗烹らる、という言葉がある。兎を追い詰めるのに役立つ猟犬も、兎が死んだあとは用済みになって鍋の具材にされてしまう、というものだ。人類の脅威たる魔物が封じられた後の世界で、英雄でありながら魔物でもあった剣神アランがたどった運命は、想像に難くない。この『剣の谷』と、目の前の墓がそれを物語っている。かつての英雄が、世の目を忍んで興した、同族たちによる集落。それがこの谷の正体だ。
今なら理解できる。ネコ族がなぜ、あれほどまでに人間を毛嫌いしていたのか。人と魔物の共存という理想を拒絶したのか。
「さて、ここからが、問題だ」
長い惜別を終え、エルダーリッチが、ようやく俺たちに向き直る。その顔はふたたび自信に満ちている。しかしその自信はどこか、悪役の仮面を被っているように見えた。
「ニャにか問題があるのか。教えてくれ、可能な限り協力させてもらう」
最初にそう応えたのはミッケだ。しかし、エルダーリッチは首を横に振る。
「君たちがするのは、協力ではなく、決断だ」
エルダーリッチがなにを言おうとしているのか、俺にはすぐ理解できた。そう、〈魔石〉からスキルを抽出し、この村に再び風を取り戻す。その計画には、乗り越えねばならないひとつの大きな課題があった。
「《分解》……だな」
俺の言葉に、エルダーリッチは静かにうなずく。ネコ族たちも最初は戸惑っていたようだが、そのうちに、俺の言葉の意味を理解できたようだった。
「改めて説明しよう。この工程にはソラが持つ【錬金術】のスキルが必要不可欠だ。ソラは〈魔石〉を《分解》することで、スキルを《抽出》することができる、つまり」
みんなが固唾をのんで、エルダーリッチの言葉を待つ。ある者は覚悟を胸に、またある者は、見たくない現実から目をそらせずに。
「《分解》された〈魔石〉は、当然のことながら、失われる」
それはネコ族にとって、敬愛する者が、この世から完全に消滅することを意味していた。
最初に口を開いたのは、現在の族長、シュリだ。
「じいちゃんの〈魔石〉が、無(ニャ)くニャっちまうってのか……?」
「そういうことだ」
「み……認められるか、そんニャもん! じいちゃんの形見ニャんだぞ!」
こういう反応になるだろうことは、予想できていた。俺たちにとってはただの〈魔石〉だが、彼らにとってそれはモノ以上の、なにものにも代え難い価値を持つ。それこそ、この谷を離れられないのと同じぐらいに。
「シュリ、お前の気持ちはわかる。ワガハイだって同じ思いだ。だが同時にこうも思う。こうして彼らがこの谷を訪れたのも、じいさんが彼らを呼んだからじゃニャいかと」
「そんニャの偶然だ!」
「この客人は、じいさんのかつての仲間(ニャカマ)だ。偶然でこのようなことが起こるものか」
「認めニャいニャーっ!」
それでも首を横に振り続けるシュリに、ミッケがつかみかかる。
「形見を守ってこの谷と一族を滅ぼすつもりか。たとえ形見を失ってでも、この谷と一族を守るのがお前の役目だろうが。いまの族長はお前ニャんだよ、シュリ!」