冷気をまとう手のひらが、閃いた。
――パァンッ
フェリスは、グルーエルの頬をはり倒した。雨に濡れた石畳に、グルーエルが転がった。
「ムーッ! ムーッ!」
見ると、グルーエルの口元は完全に凍りついている。
「覚えておけ、これが魔物のやり方だ」
騎士が慌てて馬を降りようとしたが、俺が剣の柄に手をかけると、動きを止めた。こちらの実力は知っているらしい。
フェリスが振り向いた。
「ソラが我慢していたのはよくわかっている。交渉を台無しにして、すまない」
「いや、俺がやりたいことを、君はやってくれたよ」
俺はグルーエルの前に進み出る。
「どんな条件を出されようと、サレンは絶対に渡さない。サレンは俺たちの、大事な仲間だ」
グルーエルは、憎々しげにこちらを睨みつけている。俺は、その目を睨み返した。
背後で雷光が弾け、俺の影が倒れたグルーエルに覆い被さる。
「お前たちがそうやって魔物を見下している限り、一切の交渉は受け付けない。国王にはそう伝えておけ」
グルーエルはふらつきながら立ち上がった。口元の氷は、雨で溶け始めていた。
「必ず……後悔するぞ……」
グルーエルはよろよろと馬車に戻り、騎士と共に走り去っていった。
「サレン、もう大丈夫だぞ」
さっきからサレンが木の陰に隠れているのを、俺は知っていた。
「俺は、あんな奴らに君を引き渡したりしない。怖い思いをさせたね」
「………………」
サレンは黙ってこちらに走り寄ってきた。石畳の上で滑りそうになりながら、俺の胸に抱きついた。
雨脚はいよいよ酷くなり、俺たちの体を芯まで冷やした。
* * *
我慢、できなかった。
私を魔王と知りながら、それでも庇ってくれた。
我慢、できなかった。
私を仲間だと言ってくれた。
我慢、できなかった。
「もう、大丈夫だぞ」
我慢――できなかった。