生命の収束に立ち会うのはこれで2度目だ。
1度目は祖母。
そして、今回は、愛猫だ。
「……すいません。祖母が危篤でして、どうしても一目見たいので今日は欠勤させてください。……はい。すいません。あのぉ、申し訳ないんですが、今日は有給扱いにするのは可能でしょうか? ……はい。よろしくお願いします。はい、失礼します」
会社に初めて嘘をついた。
独身女性の派遣社員が、猫を飼っていて、しかも、もうすぐ亡くなりそうだから、傍に居たいなんて理由がまかり通らないと思ったからだった。
「今日はずっと一緒にいるよ、スミ」
獣医から余命宣告をされてから、1週間。彼はほとんど歩く事が無くなった。10畳ほどのワンルームではあったが、彼が運動不足にならないように吟味して決めた物件だった。この広さも持て余すのかもしれないと思うと、寂しさが増してくる。
私は、か細い息遣いの黒猫を優しく撫でた。
毛はまだ暖かい。
艶やかさが自慢だった彼の毛は、少しずつごわついてきている。彼の下半身にはオムツが付けられている。それが猫には不釣り合いのもので、猫の介護という現実を突きつけていた。今日、このオムツはまだ使用してないようだ。
体温を保つ為に毛布をさらに深くかけてあげた。彼お気に入りの緑色の毛布だ。
よく気持ち良さそうに寝ていたのを思い出す。
彼との出会いは、祖母だった。
私の両親は仲が悪く、言い争いが耐えなかった。徒歩5分圏内に祖母の家があった為、こっそり祖母の家に行き、よくお菓子を貰っていた。それがとても嬉しくて、幼い頃の唯一の楽しみだった。
その後、両親は離婚し、私は父に引き取られたが、実際に私の世話をしてくれたのは祖母だった。
その祖母が脳梗塞で倒れたのは、私が高校1年生だった頃だ。近所の人がたまたま発見してくれて、一命を取り留めたが、入院を余儀なくされた。
仕事で忙しい父に変わって、入院の道具を揃えるため、祖母の家に行った時、祖母の家には今まで見た事がないキャットウォークやゲージがあった。
不審に思って、周囲を見回すと、部屋の隅に小さい黒い塊を見つけた。その黒い塊に綺麗に輝く緑の瞳と申し訳ない程度についている耳があり、はじめて猫であると認識することが出来た。
それからは、朝晩の猫のエサとトイレ掃除、そして祖母のお見舞いに向かうという生活になった。
後日、言語能力が回復した祖母から話を聞くと、猫はスミという名前だと言うことが分かった。半年前にゴミ捨て場のゴミ袋の中の隅っこの方で、生後1ヶ月くらいの猫が1匹で鳴いていたのだという。他に3匹の子猫がいたのだが、生きていたのはスミだけだった。祖母は猫を今まで飼った事は無かったが、不憫に思い、飼い始めたのだった。
4ヶ月後に祖母は退院する事になったのだが、右半身に後遺症が残り、右手足が上手く動かせなくなったのをきっかけに、私は父と私のご飯と、祖母のご飯作りを余儀なくされた。
父に同居を打診したが、祖母と関係があまり良くなかった父に拒否され、叔母には育児を理由に祖母の介助を拒否されてしまった。部活動をしようかと当初迷っていたが、それも叶わなくなった。友達とファミレスやファーストフード店で喋ったりすることもない。高校生の充実したモラトリアムはなくて、ただただ家族の為に尽くす窮屈な日々が過ぎ去っていった。
祖母は外出する事が好きだったが、後遺症のせいか引きこもるようになった。その為、スミが祖母の生きがいになっていた。祖母は、スミの世話だけは、何とか身体を動かしてしてくれていた。
最初はスミも私に怯えていたが、次第に慣れてきて、触らせてくれるようにまでなっていた。意思疎通は出来なかったが、触れるだけで癒しだった。
「ごめんね」
本当は大好きだったおばあちゃんに見届けてもらいたかったよね。
愛猫の瞳が徐々に光を失っていくのが分かる。私がしてあげられるのは、スミを撫でる事しか出来ない。
祖母もこうしてスミを撫でている時は右半身の痺れが和らぐのかとても穏やかだった。
私が高校3年生の春。
祖母は認知症と診断された。私の顔を見ても孫と認知されず、ヘルパーさんだと思うようになった。デイサービスを利用したが、それ以外は相変わらず私が1人で祖母を介護していた。
部屋の掃除、洗濯、料理もして、夜のトイレにも付き合うようになったせいで睡眠時間はほとんど無くなった。実家にはほとんど帰らなくなった。
そろそろ進路も決めないといけない時期なのに、祖母の世話に忙殺され、大学は諦めた。友達に遊びに誘われた事もあったが、断っていた。
孤独を感じて、辛くても、まだ気持ちを保っていられたのは、スミのおかげだ。
この時期になると、私にもお腹を見せてくれ、ゴロゴロと喉を鳴らす位までの信頼度まで上がっていた。スミの柔らかな毛に触れると今の辛い環境を忘れる事が出来る。
不思議な事に、祖母は私の顔を忘れてもスミの事は覚えていて、猫の世話だけは欠かさずしてくれる。
今日の日付も忘れ、自分が何歳かも忘れ、ご飯を食べたかどうかも忘れ、徐々に動物になっていく祖母に対しての不安感。
懐かなくて、警戒心が強かった動物が、徐々に分かりやすい愛情表現をしてくれて、家族になっていく多幸感。
将来ではなく、ただ現在を摩耗していくだけだった日々。
それが無くなったきっかけは、祖母の暴言だった。
ある日、ヘルパーの私が、お金を盗んだと騒ぎ立てたのだ。勿論、そんな事は無い。生活費を祖母の通帳から引き落としていたが、最低限の金額しか引き落としてなかったし、自分自身に使った事は1度も無かった。
それなのに、理由を言っても、「盗んだ!」「お前だ!」と一向に暴言を止めなかった。そんな時に、祖母の傍らにスミが擦り寄ってきてくれた。祖母はスミに気をとられる。その時だけ、穏和な祖母になり、私はその隙に家を飛び出した。
行くあては無い。
でも、初めて自由を感じた。
家族に縛られる事がなく、自分の選択肢で進む現実はいつぶりだろうか。
初めて全国展開されている喫茶店に1人で入って、大きなパフェを頼んだ。
それがあまりにも美味しくて、自由を食べているような気がした。
気がついたら2時間喫茶店を満喫していた。気分が晴れ、心が持ち直したら、祖母から離れてしまったという罪悪感にかられた。
急いで、祖母の家に戻ったが、その時には遅かった。
祖母は、お気に入りの高座椅子に座ったまま、息を引き取っていたのだ。
その膝の上にスミがいた。
緑色の瞳が、私を見つめてニャアと鳴いた。
彼の大好きなおばあちゃんが死んだのは、お前のせいだと言われた気がした。
「ごめんね」
さっきから、スミを撫でながらそれしか言っていない。スミが死ぬのいう現実は、猫の介護がこれで終わるという微かな安堵感と、家族がいなくなる強烈な虚無感が同時に訪れる。
ここ数日間は最前の措置をとるために、行きつけの獣医さんに行き、点滴を打ってもらっていた。
彼はこれ以上の延命を望んでいなかったかもしれないが、祖母に対して何も出来なかったから、せめて、スミにだけは納得出来る治療を行いたかった。
これは私のエゴだ。
「ごめんね」
苦しい思いが長く続いてしまっていることは分かっている。それでも生きていて欲しい。それだけだった。
でも、彼の状態は改善することは無かった。
彼に、ごめん以外の何かを伝えなければ。
「ありが、とう。スミ。おばあちゃんから、離れちゃって、ごめんね」
ごめん以外の言葉を呟いた瞬間だった。
スミが突然目を開けたのだ。
余命宣告されてから、明らかにやせ細った身体を持ち上げる。フラフラしながらも、私の目を見つめてくれる。
「ニャア」
スミは病気が治ったかのように、大きく鳴いた。
「スミ?」
一瞬の出来事だった。
まるで、おばあちゃんの事は許してくれたような反応だった。
スミはその一瞬が最期だった。
パタリと倒れ、そのまま息を引き取った。
私は、溢れ出る涙を押し殺し、電話をかける。
相手は会社だ。
「あ、お疲れ様。野上です」
「お疲れ様です」
「すいません、たった今、祖母が亡くなりまして、葬儀に立ち会う事になったので、申し訳ないんですが、あと2日ほどお休みを頂きたいんですが……」
「あ、そうですか。分かりました」
電話口の女性のシフト管理者は、同情がほとんど見えず淡白だ。
派遣社員で、家族の不幸を欠勤理由にして、ズル休みをする人がいるというのを聞いた事がある。自分もそれに該当するのではないかという不信感が何処かにあるのだろう。
その疑いは正しい。
本当に猫の事を正直に話さなくて良かったと心の底から思う。
「はい、よろしくお願いします」
スミがくれた休日だ。
今は少し休もう。
休んでこれからの事を考えよう。
空が驚く程、青かった。
1度目は祖母。
そして、今回は、愛猫だ。
「……すいません。祖母が危篤でして、どうしても一目見たいので今日は欠勤させてください。……はい。すいません。あのぉ、申し訳ないんですが、今日は有給扱いにするのは可能でしょうか? ……はい。よろしくお願いします。はい、失礼します」
会社に初めて嘘をついた。
独身女性の派遣社員が、猫を飼っていて、しかも、もうすぐ亡くなりそうだから、傍に居たいなんて理由がまかり通らないと思ったからだった。
「今日はずっと一緒にいるよ、スミ」
獣医から余命宣告をされてから、1週間。彼はほとんど歩く事が無くなった。10畳ほどのワンルームではあったが、彼が運動不足にならないように吟味して決めた物件だった。この広さも持て余すのかもしれないと思うと、寂しさが増してくる。
私は、か細い息遣いの黒猫を優しく撫でた。
毛はまだ暖かい。
艶やかさが自慢だった彼の毛は、少しずつごわついてきている。彼の下半身にはオムツが付けられている。それが猫には不釣り合いのもので、猫の介護という現実を突きつけていた。今日、このオムツはまだ使用してないようだ。
体温を保つ為に毛布をさらに深くかけてあげた。彼お気に入りの緑色の毛布だ。
よく気持ち良さそうに寝ていたのを思い出す。
彼との出会いは、祖母だった。
私の両親は仲が悪く、言い争いが耐えなかった。徒歩5分圏内に祖母の家があった為、こっそり祖母の家に行き、よくお菓子を貰っていた。それがとても嬉しくて、幼い頃の唯一の楽しみだった。
その後、両親は離婚し、私は父に引き取られたが、実際に私の世話をしてくれたのは祖母だった。
その祖母が脳梗塞で倒れたのは、私が高校1年生だった頃だ。近所の人がたまたま発見してくれて、一命を取り留めたが、入院を余儀なくされた。
仕事で忙しい父に変わって、入院の道具を揃えるため、祖母の家に行った時、祖母の家には今まで見た事がないキャットウォークやゲージがあった。
不審に思って、周囲を見回すと、部屋の隅に小さい黒い塊を見つけた。その黒い塊に綺麗に輝く緑の瞳と申し訳ない程度についている耳があり、はじめて猫であると認識することが出来た。
それからは、朝晩の猫のエサとトイレ掃除、そして祖母のお見舞いに向かうという生活になった。
後日、言語能力が回復した祖母から話を聞くと、猫はスミという名前だと言うことが分かった。半年前にゴミ捨て場のゴミ袋の中の隅っこの方で、生後1ヶ月くらいの猫が1匹で鳴いていたのだという。他に3匹の子猫がいたのだが、生きていたのはスミだけだった。祖母は猫を今まで飼った事は無かったが、不憫に思い、飼い始めたのだった。
4ヶ月後に祖母は退院する事になったのだが、右半身に後遺症が残り、右手足が上手く動かせなくなったのをきっかけに、私は父と私のご飯と、祖母のご飯作りを余儀なくされた。
父に同居を打診したが、祖母と関係があまり良くなかった父に拒否され、叔母には育児を理由に祖母の介助を拒否されてしまった。部活動をしようかと当初迷っていたが、それも叶わなくなった。友達とファミレスやファーストフード店で喋ったりすることもない。高校生の充実したモラトリアムはなくて、ただただ家族の為に尽くす窮屈な日々が過ぎ去っていった。
祖母は外出する事が好きだったが、後遺症のせいか引きこもるようになった。その為、スミが祖母の生きがいになっていた。祖母は、スミの世話だけは、何とか身体を動かしてしてくれていた。
最初はスミも私に怯えていたが、次第に慣れてきて、触らせてくれるようにまでなっていた。意思疎通は出来なかったが、触れるだけで癒しだった。
「ごめんね」
本当は大好きだったおばあちゃんに見届けてもらいたかったよね。
愛猫の瞳が徐々に光を失っていくのが分かる。私がしてあげられるのは、スミを撫でる事しか出来ない。
祖母もこうしてスミを撫でている時は右半身の痺れが和らぐのかとても穏やかだった。
私が高校3年生の春。
祖母は認知症と診断された。私の顔を見ても孫と認知されず、ヘルパーさんだと思うようになった。デイサービスを利用したが、それ以外は相変わらず私が1人で祖母を介護していた。
部屋の掃除、洗濯、料理もして、夜のトイレにも付き合うようになったせいで睡眠時間はほとんど無くなった。実家にはほとんど帰らなくなった。
そろそろ進路も決めないといけない時期なのに、祖母の世話に忙殺され、大学は諦めた。友達に遊びに誘われた事もあったが、断っていた。
孤独を感じて、辛くても、まだ気持ちを保っていられたのは、スミのおかげだ。
この時期になると、私にもお腹を見せてくれ、ゴロゴロと喉を鳴らす位までの信頼度まで上がっていた。スミの柔らかな毛に触れると今の辛い環境を忘れる事が出来る。
不思議な事に、祖母は私の顔を忘れてもスミの事は覚えていて、猫の世話だけは欠かさずしてくれる。
今日の日付も忘れ、自分が何歳かも忘れ、ご飯を食べたかどうかも忘れ、徐々に動物になっていく祖母に対しての不安感。
懐かなくて、警戒心が強かった動物が、徐々に分かりやすい愛情表現をしてくれて、家族になっていく多幸感。
将来ではなく、ただ現在を摩耗していくだけだった日々。
それが無くなったきっかけは、祖母の暴言だった。
ある日、ヘルパーの私が、お金を盗んだと騒ぎ立てたのだ。勿論、そんな事は無い。生活費を祖母の通帳から引き落としていたが、最低限の金額しか引き落としてなかったし、自分自身に使った事は1度も無かった。
それなのに、理由を言っても、「盗んだ!」「お前だ!」と一向に暴言を止めなかった。そんな時に、祖母の傍らにスミが擦り寄ってきてくれた。祖母はスミに気をとられる。その時だけ、穏和な祖母になり、私はその隙に家を飛び出した。
行くあては無い。
でも、初めて自由を感じた。
家族に縛られる事がなく、自分の選択肢で進む現実はいつぶりだろうか。
初めて全国展開されている喫茶店に1人で入って、大きなパフェを頼んだ。
それがあまりにも美味しくて、自由を食べているような気がした。
気がついたら2時間喫茶店を満喫していた。気分が晴れ、心が持ち直したら、祖母から離れてしまったという罪悪感にかられた。
急いで、祖母の家に戻ったが、その時には遅かった。
祖母は、お気に入りの高座椅子に座ったまま、息を引き取っていたのだ。
その膝の上にスミがいた。
緑色の瞳が、私を見つめてニャアと鳴いた。
彼の大好きなおばあちゃんが死んだのは、お前のせいだと言われた気がした。
「ごめんね」
さっきから、スミを撫でながらそれしか言っていない。スミが死ぬのいう現実は、猫の介護がこれで終わるという微かな安堵感と、家族がいなくなる強烈な虚無感が同時に訪れる。
ここ数日間は最前の措置をとるために、行きつけの獣医さんに行き、点滴を打ってもらっていた。
彼はこれ以上の延命を望んでいなかったかもしれないが、祖母に対して何も出来なかったから、せめて、スミにだけは納得出来る治療を行いたかった。
これは私のエゴだ。
「ごめんね」
苦しい思いが長く続いてしまっていることは分かっている。それでも生きていて欲しい。それだけだった。
でも、彼の状態は改善することは無かった。
彼に、ごめん以外の何かを伝えなければ。
「ありが、とう。スミ。おばあちゃんから、離れちゃって、ごめんね」
ごめん以外の言葉を呟いた瞬間だった。
スミが突然目を開けたのだ。
余命宣告されてから、明らかにやせ細った身体を持ち上げる。フラフラしながらも、私の目を見つめてくれる。
「ニャア」
スミは病気が治ったかのように、大きく鳴いた。
「スミ?」
一瞬の出来事だった。
まるで、おばあちゃんの事は許してくれたような反応だった。
スミはその一瞬が最期だった。
パタリと倒れ、そのまま息を引き取った。
私は、溢れ出る涙を押し殺し、電話をかける。
相手は会社だ。
「あ、お疲れ様。野上です」
「お疲れ様です」
「すいません、たった今、祖母が亡くなりまして、葬儀に立ち会う事になったので、申し訳ないんですが、あと2日ほどお休みを頂きたいんですが……」
「あ、そうですか。分かりました」
電話口の女性のシフト管理者は、同情がほとんど見えず淡白だ。
派遣社員で、家族の不幸を欠勤理由にして、ズル休みをする人がいるというのを聞いた事がある。自分もそれに該当するのではないかという不信感が何処かにあるのだろう。
その疑いは正しい。
本当に猫の事を正直に話さなくて良かったと心の底から思う。
「はい、よろしくお願いします」
スミがくれた休日だ。
今は少し休もう。
休んでこれからの事を考えよう。
空が驚く程、青かった。