命姫~影の帝の最愛妻~

 ときはメイジ。帝都トウキョウにまた春が巡ってくる。

 ねぇ、知ってる? 

 春は……死の季節なのよ。

 初々しくほころぶ花々、健やかに伸びゆく若木。その圧倒的なまぶしさの陰で、ひっそりと朽ち、忘れられていく無数の命がある。

 人間だって同じこと。どんな栄華を誇ろうと、いずれ舞台を去る日が来る。

 あぁ、なんて無情なのかしら。

 でも、だからこそ春は美しいの。屍たちのなけなしの生命力を吸い尽くし、艶然とほほ笑む。人々はその残酷な美に魅了され、陶酔する。
 
「おい、ネコ」

 自分にかけられた声に、私はついと顔をあげる。サービス精神で「にゃあん」という愛らしい声もつけてあげた。

 そう、吾輩は猫で――。

「小賢しい。猫のモノマネなどするな」

 彼は精緻に作られた彫刻のような顔をゆがませて、ふんと鼻を鳴らした。

 艶やかな黒い髪、男の色香がにじむ切れ長の双眸。抹茶色の和服は、麗しい美貌を持つ彼にとてもよく似合う。

 東見(さきみ)雪為(ゆきなり)、現在の東見家当主だ。顔立ちは極上だけれども、愛想のないおもしろみのない男。けれど、異形を視る妖力はずば抜けている。

 なにせ、何十人と見守ってきた歴代当主のなかで、私の正体を見破ったのはこの男だけなのだから。
 柔らかな春風にのって、ふぅわりと薄紅が舞う。

 東見家自慢の一本桜が今年も見頃を迎えていた。門からでは全貌がわからぬほどに広い敷地に建つ、武家造りのお屋敷。

 手入れの行き届いた庭には大池があり、そこらの娘子よりはるかに高価な鯉たちが優美な姿を見せている。

 東見がこの地に屋敷を移したのはエドの初期。その前はキョウに、さらに昔はカマクラに居を構えていたこともあった。

 彼らはまるで影のように、時の権力者にぴったりと寄り添い続けてきた。

 東見の歴史は長い。

 将軍家など目ではなく、ややもすれば帝室よりも古くまで、その血筋をさかのぼることができる。

 それだけの時間をかけて、東見は莫大な財産と権力を蓄えてきた。

〝影の帝〟

 誰が呼びはじめたのかは知らないけれど、なかなかに核心をついたよいふたつ名だ。

 決して表舞台に出ることはないけれど、この国を根底からひっくり返すほどの力を彼らは持っている。

 その力の源は、東見の当主に代々宿る不思議な能力。

 東見は、もとは〝先見〟の字を当てていた。
 文字どおり、未来を予知する一族だから。

 もっとも、顧客がそう信じているだけで、実態は少し違う。

 彼らは未来が視えるわけではない。できることは、この世ならざるもの、異形たちの声を聞くこと。

 異形たちの無数の目を通して過去を知り、未来を推測しているに過ぎない。

 それでも、東見の予言は必ず当たると評判で、家が傾きかねないほどの大金を積んで視てほしいとやってくる客は引もきらない。

 冷たい視線を投げてよこす雪為の前で、私は音もなく、すぅと青白い煙に姿を変えた。

 そう、私自身もこの世ならざるもののひとつ。

 もっとも、これが本体というわけでもないけれど。

 何者にもなれるけれど、何者でもない。

 それが、私。

 人間に姿を見せたいときは猫という生き物に擬態している。

 あぁ、誤解しないでよね。決して人間に愛でられたいからじゃない。

 自由気ままにゆうるりと生きる猫という存在に強いシンパシーを感じるの。犬はダメね。あの必死で懸命で健気な生き物は、私とはとても相容れない。

「念のため言うが、ついてくるなよ」

 険しい顔で一本桜をにらみつけながら、彼は言った。

 私たちは会話をしようと思えば、おそらくできる。でも、実際にしたことはない。

 必要性を感じないから。視線の動き、息遣い、そんなものから、私は簡単に人間の心中を察することができる。

 なるほど、これから彼の妻となる女の家にあいさつに行くようだ。

 雪為は女にも結婚にもさして興味はない。ただただ面倒なイベントだと考えているらしかった。

 大門のほうから彼を呼ぶ声がする。当主が出かける準備が整ったのだろう。

 雪為はちらりとそちらに目を向けたかと思うと、吐き捨てるように言った。

「馬鹿らしい。人間などどうせ死ぬときはひとり。結婚などなんの意味がある」

 それはまるで呪詛のように、彼の足元に黒煙となってまとわりつく。

 さっと踵を返して雪為が立ち去る。私のもとに、匂いとも気配ともつかぬものを残してーー。

 あぁ、覚えがあるわ。幾度も感じた空気だもの。

 彼は長くない。命の火はもってあと数年といったところか。

 東見の当主はみな短命だ。彼の前も、その前も、もっとはるか昔も。

 莫大な財と強大な権力を維持する力は、文字どおり命を削って生み出されているのだ。
「にゃあん」

 雪為の背を見送った私は、また猫の姿を取って、音もなくすべるように走り出す。もちろん、彼の妻とやらをこの目でしかと見るためだ。

 私は人間の命などもらわなくても、永遠(とわ)を有する最強の異形だけれど……だからこそ退屈で仕方なかった。死へと向かう人間を観察すること以上の娯楽は、今のところ見つからない。
 
 ふむふむ、なるほど。

 東見との縁談が持ちあがるだけのことはある立派な家だった。

 紫道(しどう)という華族らしい。

 庭で日向ぼっこをする猫に擬態して、私は彼らの様子を眺めている。

 雪為の妻となる女はすぐにわかった。(とき)色の着物に身を包む若い女がそうだろう。
 ぱっちりとした二重瞼の、どちらかと言えば西洋風な顔立ちで、なかなかの美人だ。

 でも……残念ながら、外れ。

 ――お気の毒さまねぇ。

 私はニヤニヤと雪為を眺めている。

 彼は退屈しきっていた。気に入られようと、懸命に媚びを売る女を興味なさげに一瞥し、あろうことかあくびを漏らした。

 だが、そんな態度を取られても女はめげない。東見の名と財産にはそれだけの価値があるから。
 私は遠い過去に思いをはせる。

 当たりを引いた当主は、はたして何代前だったか。エドの中期だったか、センゴクの世だったか……。

 ごくごくまれに、当主の寿命を延ばせる女がいるのだ。そして、その当主の代、東見は決まってこれまで以上の栄華を極める。

 そんな幸運の女神を、東見の人間は〝命姫(みことひめ)〟と呼ぶ。  

 命姫と出会いさえすれば、雪為もあるいは――。

 雪為のがうつったのか、私も「くあぁ」とひとつ、大きなあくびをする。

 周囲では小鳥がさえずるように、異形たちがペチャクチャとおしゃべりをしている。

『あの男が……憎い、憎い、憎い……』
『かかさまはどこ? どこにいったのかな? ねぇ、知らない?』
『我ほどの男が、どうしてあのような最期を? わからぬ、わからぬな』

 ひとくちに異形と言っても、いろいろな者がいる。

 私のように人畜無害な者もいれば、怨念にとらわれ人間に悪さばかりする者も、はたまた悪意なく人間の生命力を奪ってしまう者も――。

 共通項は総じておしゃべり好きなことだ。異形は暇を持て余しているから、雪為のように話を聞いてくれる人間のもとに集まってきやすい。

 彼のいる空間はいつも賑やかだ。

 ん――?
 突然に、場がシンと水を打ったかのように静まり返る。異世界に飛ばされた気分だ。

 騒がしかった異形たちが白い繭に包まれた状態で沈黙していた。

 私の目の前にも、すりガラスのような壁がある。

 前足を伸ばしたつもりが、身体はぴくりとも動いていない。

 しまった、油断した!

 永遠のときを過ごしてきたが、私自身が命姫の繭にとらわれてしまったのは初めてのことだった。

 どれだけ強大な力の持ち主なのかと、瞳だけを動かして周囲を見渡す。

 拍子抜け。そう、その言葉が一番しっくりくる。

 庭に現れた人間はひとりだけ。

 ゴボウのようにガリガリの身体をしたみすぼらしい少女だった。

 下働きの娘だろう。からし色をした格子柄の着物はあちこち擦り切れていて、なんとも貧しそうだ。

 私はじっと彼女をにらむ。勝負を挑むように。

 すると、私を包んでいた繭がぐにゃりと溶け、自由の身になった。私の妖力が彼女のそれに勝ったのだ。

 といっても、彼女のほうは自分の力を意識してもいない。そんな相手に勝ったところで、ちっともうれしくはない。

 わたし以外の異形たちも次々と彼女に勝負を申し込むが、勝利できたのは私だけ。

 それはそうだろう。この程度の有象無象の異形に負けるようでは、命姫の役割は果たせない。