僕はどこにでもいるような普通の中学生の男の子だった。僕の育った町は決して治安のいい街ではなかった。少し裏路地に入るとアウトロー系の人間がゴロゴロいた。家が隣だった幼馴染の小夜子にありきたりな初恋をした。小夜子の宝石のような瞳を見るだけで、荒廃した灰色の街も七色に色づいて見えた。
14歳の春、オリンピックの開催地が東京に決まって世間が浮足立っていた頃、小夜子に告白して付き合い始めた。まさか受け入れてもらえるとは思っていなくて夢ではないかと両方の頬を3回ずつ抓って現実であることを確かめた。
小夜子は年齢のわりに大人びていて、「人生2周目」なんて言われていた。同級生の非科学的な冗談は、博学な小夜子から見ればひどく幼稚だったのではないかと思ったが、小夜子はそれを聞くと楽しそうに笑った。
「前世の記憶がある人って実在するらしいわよ。私は違うけれど」
小夜子は何人か、「人生2周目」を自称する海外の映画俳優の名前を挙げた。僕にはその名前の羅列が魔法の呪文のように聞こえた。彼らは皆、前世は若くして亡くなったらしい。
「でも、もしソウちゃんと私が前世でも恋人同士だったら素敵ね」
小夜子の白く細い指が僕の頬をなぞった。僕の心臓の鼓動がうるさくて、どうか小夜子に聞こえていませんようにと願った。
「小夜子の前世はきっと、綺麗なお姫様だろうね」
精一杯背伸びして、陳腐ではあるものの子供なりに格好つけたセリフを吐いた。
「前世ではきっとソウちゃんが真夜中のお城に忍び込んで逢いに来てくれて、外に出たがる私を連れ出してくれたのかしら。御伽噺みたいね。私たちに記憶がないということはきっとおばあさんになるまで連れ添ったのでしょうね」
「僕は、小夜子の望みなら、何でも叶えるよ」
僕にはもったいないお姫様。彼女のためなら命だって賭けられる。
同じ高校に進学しても、一緒に登下校をした。手を繋ぐだけで心拍数が2倍になった。小夜子は僕の全てだった。僕の知らない詩集を読む横顔も、レコードから流れる異国の歌にあわせて歌う声も、富士山の剣が峰の雪のように白い肌も、この世のどんなものより美しいと思えた。
幸せな日々は長くは続かなかった。小夜子は病に倒れた。当時の医学では治療法がなく、手の施しようがなかった。
小夜子は日に日に痩せ細り、薬の副作用で自慢の長い髪が抜けた。小夜子は僕に自分の姿を見られたくないと言ったが、僕は小夜子の瞳を変わらず美しいと思っていた。
「諦めないで。僕が医者になって、小夜子の病気を治すから」
小夜子が病に倒れる前、僕は新聞配達をして大学進学のための学費を稼いでいた。その額は医学部に進学するには少し足りなかったが、借金をすればどうにかなると思った。
「間に合わないわ。私、もう長くないって言われているの」
小夜子はたびたび発作を起こした。あまりに苦しそうで見ているだけで心臓が張り裂けそうだった。
「殺して」
日に日にひどくなる発作。動かなくなる体。ある日、小夜子は息も絶え絶えに言った。
「ソウちゃん、お願い。私を殺して」
これが、小夜子から僕への初めてのお願いごとだった。
僕は将来のための貯金を下ろした。この町には裏社会の人間がたくさんいる。ヒロポン、密造酒、アヘン、密輸品、お金さえあれば何でも手に入る。僕は、刺青をした男から違法な買い物をした。
小夜子と付き合い始めて3年目になる記念日の深夜、僕は小夜子の病室に忍び込んだ。
「さらいに来てくれたの、王子様?でも、ごめんね。もう体が動かないの」
小夜子は力なく笑った。
「小夜子、今日は何の日か覚えているかい?」
「ええ。私とソウちゃんがお付き合いし始めた日よ」
小夜子がそれを覚えてくれていた。それだけで僕の身に余る幸せだった。覚悟を決めて、ポケットから取り出した錠剤を2つ口に含んだ。
「辛かったね。もう苦しまなくていいんだよ」
僕は小夜子を抱きしめて口づけをした。彼女の口の中にカプセルを1つだけ送り込む。眠るように、苦しむことなく死ねる即効性の毒薬入りのカプセル。
僕には小夜子を救えない。僕は王子様にはなれない。ならばせめて、死神としてお姫様を愛そう。
「小夜子、愛してる」
「ありがとう。私も愛してる」
小夜子はそれだけ答えると、ゆっくりと目を閉じた。彼女の瞳は最後まで綺麗だった。僕の腕の中で、小夜子は冷たくなった。彼女は死してなお、白雪姫のように美しかった。
14歳の春、オリンピックの開催地が東京に決まって世間が浮足立っていた頃、小夜子に告白して付き合い始めた。まさか受け入れてもらえるとは思っていなくて夢ではないかと両方の頬を3回ずつ抓って現実であることを確かめた。
小夜子は年齢のわりに大人びていて、「人生2周目」なんて言われていた。同級生の非科学的な冗談は、博学な小夜子から見ればひどく幼稚だったのではないかと思ったが、小夜子はそれを聞くと楽しそうに笑った。
「前世の記憶がある人って実在するらしいわよ。私は違うけれど」
小夜子は何人か、「人生2周目」を自称する海外の映画俳優の名前を挙げた。僕にはその名前の羅列が魔法の呪文のように聞こえた。彼らは皆、前世は若くして亡くなったらしい。
「でも、もしソウちゃんと私が前世でも恋人同士だったら素敵ね」
小夜子の白く細い指が僕の頬をなぞった。僕の心臓の鼓動がうるさくて、どうか小夜子に聞こえていませんようにと願った。
「小夜子の前世はきっと、綺麗なお姫様だろうね」
精一杯背伸びして、陳腐ではあるものの子供なりに格好つけたセリフを吐いた。
「前世ではきっとソウちゃんが真夜中のお城に忍び込んで逢いに来てくれて、外に出たがる私を連れ出してくれたのかしら。御伽噺みたいね。私たちに記憶がないということはきっとおばあさんになるまで連れ添ったのでしょうね」
「僕は、小夜子の望みなら、何でも叶えるよ」
僕にはもったいないお姫様。彼女のためなら命だって賭けられる。
同じ高校に進学しても、一緒に登下校をした。手を繋ぐだけで心拍数が2倍になった。小夜子は僕の全てだった。僕の知らない詩集を読む横顔も、レコードから流れる異国の歌にあわせて歌う声も、富士山の剣が峰の雪のように白い肌も、この世のどんなものより美しいと思えた。
幸せな日々は長くは続かなかった。小夜子は病に倒れた。当時の医学では治療法がなく、手の施しようがなかった。
小夜子は日に日に痩せ細り、薬の副作用で自慢の長い髪が抜けた。小夜子は僕に自分の姿を見られたくないと言ったが、僕は小夜子の瞳を変わらず美しいと思っていた。
「諦めないで。僕が医者になって、小夜子の病気を治すから」
小夜子が病に倒れる前、僕は新聞配達をして大学進学のための学費を稼いでいた。その額は医学部に進学するには少し足りなかったが、借金をすればどうにかなると思った。
「間に合わないわ。私、もう長くないって言われているの」
小夜子はたびたび発作を起こした。あまりに苦しそうで見ているだけで心臓が張り裂けそうだった。
「殺して」
日に日にひどくなる発作。動かなくなる体。ある日、小夜子は息も絶え絶えに言った。
「ソウちゃん、お願い。私を殺して」
これが、小夜子から僕への初めてのお願いごとだった。
僕は将来のための貯金を下ろした。この町には裏社会の人間がたくさんいる。ヒロポン、密造酒、アヘン、密輸品、お金さえあれば何でも手に入る。僕は、刺青をした男から違法な買い物をした。
小夜子と付き合い始めて3年目になる記念日の深夜、僕は小夜子の病室に忍び込んだ。
「さらいに来てくれたの、王子様?でも、ごめんね。もう体が動かないの」
小夜子は力なく笑った。
「小夜子、今日は何の日か覚えているかい?」
「ええ。私とソウちゃんがお付き合いし始めた日よ」
小夜子がそれを覚えてくれていた。それだけで僕の身に余る幸せだった。覚悟を決めて、ポケットから取り出した錠剤を2つ口に含んだ。
「辛かったね。もう苦しまなくていいんだよ」
僕は小夜子を抱きしめて口づけをした。彼女の口の中にカプセルを1つだけ送り込む。眠るように、苦しむことなく死ねる即効性の毒薬入りのカプセル。
僕には小夜子を救えない。僕は王子様にはなれない。ならばせめて、死神としてお姫様を愛そう。
「小夜子、愛してる」
「ありがとう。私も愛してる」
小夜子はそれだけ答えると、ゆっくりと目を閉じた。彼女の瞳は最後まで綺麗だった。僕の腕の中で、小夜子は冷たくなった。彼女は死してなお、白雪姫のように美しかった。