大学を背景にした楽曲と言えば、新井由実の『卒業写真』『いちご白書をもう一度』やガロの『学生街の喫茶店』、高校を背景にしたものでは、舟木一夫の『高校三年生』、ついでに中学を背景にしたものでは、森昌子の『先生』ぐらいしか思い浮かばない。舟木一夫の『高校三年生』と森昌子の『先生』はリリースした時の歌手の学年に合わせてある。作詞家はそういう制約があった方が、作詞しやすかっただろう。歌手本人も観客も感情移入しやすいという事務所の戦略だろう。レコード会社は仕掛ける側で、ファンは踊らされる側だ。歌手はレコード会社に踊らされ、ファンを踊らせる操り人形だ。
ワープロ・コピーのアジテーションビラが、汚らわしいヒステリックな文章を載せて、校庭や校舎の脇の小道に収集のつかないほどに散乱し、机と椅子が、並木道の入り口と、校内への入り口に積み上げられていた。ちょうど、マチュピチュの空中の楼閣のように。
きのう、二十四時間ストライキが学生大会で決議された。そして、今日の午後一時から、再び、叫喚の渦巻く中で、学生大会が開かれ、無期限ストライキに突入した。
高木さんや根津さんは、
「午後の授業をさぼって、学生大会に出るのだ」
と昼休みに言っていたけれど、彼女たちは、まるでカーニバル気分だった。彼女たちは、何かを期待していたのだ。三島由紀夫の『真夏の死』のように、一度、海で子供を失った母親が、ふたたび別の子供を海に連れてきて、その子供が溺死し、ふたたび自分に不幸が訪れ、日常生活のたがが外れることを期待するように。
わたしは、授業を聴講していた。並木道で行われているアジテーション演説の、まるで選挙前だけ頼みに来る候補者の車の屋根のラウド・スピーカーから漏れる連呼のような罵声が、教室まで聞こえてきた。学生の中には、途中から出て行く者もあった。授業の始まる前に、
「これから学生大会があるので、授業をやめてほしい」
といった学生もいた。そう言われた若い論理学の非常勤講師は、まったく要領を得ず、なぜ授業を行わなくてはならないのかという弁証もせずに芝居小屋の呼び込みのように、
「えー」
ワープロ・コピーのアジテーションビラが、汚らわしいヒステリックな文章を載せて、校庭や校舎の脇の小道に収集のつかないほどに散乱し、机と椅子が、並木道の入り口と、校内への入り口に積み上げられていた。ちょうど、マチュピチュの空中の楼閣のように。
きのう、二十四時間ストライキが学生大会で決議された。そして、今日の午後一時から、再び、叫喚の渦巻く中で、学生大会が開かれ、無期限ストライキに突入した。
高木さんや根津さんは、
「午後の授業をさぼって、学生大会に出るのだ」
と昼休みに言っていたけれど、彼女たちは、まるでカーニバル気分だった。彼女たちは、何かを期待していたのだ。三島由紀夫の『真夏の死』のように、一度、海で子供を失った母親が、ふたたび別の子供を海に連れてきて、その子供が溺死し、ふたたび自分に不幸が訪れ、日常生活のたがが外れることを期待するように。
わたしは、授業を聴講していた。並木道で行われているアジテーション演説の、まるで選挙前だけ頼みに来る候補者の車の屋根のラウド・スピーカーから漏れる連呼のような罵声が、教室まで聞こえてきた。学生の中には、途中から出て行く者もあった。授業の始まる前に、
「これから学生大会があるので、授業をやめてほしい」
といった学生もいた。そう言われた若い論理学の非常勤講師は、まったく要領を得ず、なぜ授業を行わなくてはならないのかという弁証もせずに芝居小屋の呼び込みのように、
「えー」