スマホはいらないパパ 
  思いを送信して
  既読がなければ
  嫌いとすぐわかるの 答えが見える
   つまんないミステリー 
   どうなるかドキドキしない
   だれが好き スタンプ押す
   それでみんなわかるの
  だれがだれを好きか みんなわかる 
  つまらない だれがだれとわかるゲーム

   こんなところで会えた 
   そんなことがないから
   すぐにあきる人ばかり
   わからないで ドキンしたいの 
  スマホはいらないのパパとママ

 連中は教科書も筆記用具も持っていない。みんな大学ごっこをしているのだ。そして、
「原発阻止に向けて、絶対にスト権を確立すべきだ」
というビラも手渡された。中には、
「中近東に平和と安定を!中国に民主主義を!」
というビラもあった。膚を守る衣服を身に纏い、飢え死にする心配もなく、銃弾に倒れる危険もなく、突然官憲に連行されることもないこのわたしと何の関係があるのだろう。中近東の戦禍とこのわたしと何の拘わりがあるのだろう。
「集団的自衛権の導入で戦争に巻き込まれる」
と嘯く者もいた。起こりもしない戦争、得られもしない恒久平和、知りもしないし、知る必要も、必然性もない憲法改正と、このわたしと何の繋がりがあるのだろう。
 自治会のストライキ支持派、どうでもいい無関心な連中、
「ストライキを回避しよう」
というストライキ派の影のようなグループ。これらの三者が、一向にかみ合わない歯車のように、互いに噛み合わない三つ巴を演じている。かれらは本当は何を求めて集まっているのだろう?本当に純粋に原発と戦禍と民主主義への関心からなのか?
 答えは、
「ノン」
 それでは、シャルル・ピエール・ボードレールが彷徨し、アルチュール・ランボーが逍遥したフランス革命の幻想を追っているのだろうか?それとも、ウラジーミル・イリイチ・レーニンが労働者大衆を率いたロシア革命の楼閣を宙に描こうとしているのか?それともエルネスト・ゲバラがプロメテウスのように共産主義の火をつけたキューバ革命の幻影を求めているのだろうか?革命は起こるのだろうか。パニックは起こるのだろうか?そこで『みんなのうた』のような歌が生まれる。曲と映像がなければ、バカみたいな歌詞だ。

  大変だ 大変だ
  大変だったら 大変だ
   何がなんだか分からない