外崎隆典は上半身裸で乳首を星形のシールで隠した姿で、布団の上であぐらをかいている。平凡なワンルームのアパートの一室。カーテン越しに差し込む春の柔らかな日差しが、3月のごく平凡な1日の始まりを告げているが、隆典の仕事は平凡ではない。上は裸、乳首に星形のシール、そして下はニッカポッカで過ごすことが今週の隆典に課せられた仕事だ。
スマホから昔のヒット曲が鳴り響く。メールの着信を告げる曲だ。「今の時代にメールかよ。通話アプリじゃね? ていうかそれ以前にこれ何年まえのヒットだっけ?」と隆典は思いつつ枕元のスマートフォンを手に取る。


「栗林透子です。お久しぶりです。今週会えませんか」


会えない。絶対無理。今乳首見えてないけど見えてる方がマシって格好だからマジで無理。ていうか栗林ってあの栗林? 学校で1、2位を争うくらい成績優秀で、東大行ったって噂のあの栗林?そういえば、今週っていつまで?1週間の定義って月曜から日曜まで?でも水曜日から1週間だったら来週の水曜日までが1週間……。

スマートフォンのメール画面を見たまま、隆典は頭の中でさまざまな疑問を渦巻かせていく。返信をしようと指を動かした瞬間、スマートフォンの画面左上の時計表示に目がいく。9時39分。始業って10時?遅刻じゃね?

通勤ラッシュを過ぎた日比谷線の車内は空いていた。隆典はロングシートの座席の一角に居座り、ノートパソコンを弄っている。16ギガのメモリ、512ギガのストレージ、最新式のチップを搭載した今月買ったばかりのおニューのノートパソコンだが、隆典の月収だと後もう3ヶ月は3食もやしになってしまう。今絶賛遅刻中の隆典の手元はパソコンだが、口元はもやしだ。今日の会社の会議のドレスコードが漫画のコスプレなので、着替える間も無く上半身はほぼ裸。それが不審さを醸し出すのか、隆典が座る席の周囲には人はいない。乗客は皆、見えないバリアに弾かれるように遠巻きにしている。
パソコンの画面には朝の自分の姿を撮った画像がある。セーラー服姿の少女がパンを口に咥えてと走り出すという、学園もののアニメか恋愛シミュレーションゲームでお馴染みの光景。それのパンをもやしに、少女を上半身裸の隆典に変えただけ。そんな画像に「いっけなーい遅刻遅刻」という文字を入れている。ちなみにこの作業は隆典の今日の仕事とは無関係。遅刻でやけになっている。
駅名を告げるアナウンスが車内に流れると、隆典はノートパソコンを閉じて、立ち上がった。



暗闇の中に円形のテーブルがある。その中央部にドクロの形をしたライトが置かれている。テーブルには鎧を着ている男、頭からツノを生やした着流しの男、サングラスをかけたスーツ姿の男、大きなとんがり帽を被った女などなど、いかにも「悪の組織の幹部会」といった風情の連中が席についている。それぞれの席にはろうそくが置かれている。


「悟道はまだ来ないのか」
鎧の男が口を開いた。鎧の男の視線は、向かい側のろうそくだけの空席に向けられている。

「カザールに手こずっておるのか」
鎧の男の隣に座るサングラスの男が続けて喋り出す。カザールが誰なのか、突っ込んではいけない。

「ゲギョギョゲギョギョ」
頭からツノを生やした着流しの男は奇声をあげている。

「悟道は我ら5人会の中で最弱……」
大きなとんがり帽を被った女が、よく聞くセリフを喋り出した。それも、ドヤ顔で。満面のドヤ顔である。


突然、ドアが開かれ、暗闇に光が入る。
「すいません、寝坊しました」
もやしを咥えて上半身ほぼ裸の隆典が勢いよく入ってきた。


ここは東京中目黒にある株式会社ラッキーゾーンの会議室だ。会議に集まっているのは皆コスプレだ。
霊界大戦という最近人気になっている漫画がある。単行本が累計1000万部を超え、映画の興行収入も100億を突破しているという。隆典の仕事は「人は見た目が9割は本当か? 霊界大戦のキャラの格好で過ごしてみよう!」という企画だ。
そもそもこの株式会社ラッキーゾーンは、世の役に立つ真面目な記事を書く会社ではない。「いかに日本人に無駄な時間を浪費させるか」をコンセプトにしたweb記事を作るのが仕事の会社だ。
「世界一おいしい卵かけご飯作り機を作ろう」
「カップ焼きそばの湯切りの水で美味しい料理を作って水資源を節約しよう」
「料理を作る人が可愛かったら、料理は美味しくなるのか 裸エプロン美少女バーチャルユーチューバー VS 一流シェフ」
これらは株式会社ラッキーゾーンが持っているwebの自社メディア「ふぁーるちっぷ」に載っている記事の一部だ。タイトルだけで匂い立つバカバカしさとくだらなさである。


「今日はすかんくえいぷくんの送ってきた写真について議論しようか」
鎧の男が再び口を開く。この会社の社長の逢坂友也だ。「JRA難波園芸」というペンネームで活動している。すかんくえいぷというのは隆典のペンネームだ。社内で呼び合う時はペンネームで呼ぶことになっている。

「いや、難波園芸さん、今日は『人は見た目が9割は本当か? 漫画のキャラの格好で過ごしてみよう!』の中間報告ですよね」
口に咥えたもやしを食べ終えた隆典が口を開く。ちなみにJRA難波園芸は長くて呼びづらいので皆、「JRA難波」か「難波園芸」と呼んでいる。難波園芸はある会社の名前だが、この会社の皆の頭の中では「難波園芸=社長」の図式が出来上がってしまっている。

「いっけなーい、遅刻遅刻か。面白かったら、遅刻のペナルティゼロだったんだけどね」
頭からツノを生やした着流しの男、緑川半平太が喋り始める。緑川半平太は本名だ。武市半平太が好きな父親が名付けたらしい。「半ペーター」というペンネームで活動している。

「うーん、100点満点で言ったら50点かな」
とんがり帽子の女、中村明日香、ペンネーム林田モジャラも顎に手を当てて喋り始める。この会社は、遅刻は「面白かったらチャラ」みたいな風潮がある。無論、場合にもよるが。

「100点のボケだったら許したんだけど」
「でも、すかんくえいぷくんのその飽くなきボケへのチャレンジ精神は評価したいな。50点だけど」
半ペーターと林田モジャラは笑い合っている。

「すいません」
サングラスをかけたスーツ姿の男、津田清義がおもむろに手を上げた。ペンネームはなすびの良いち、この会社の副社長だ。
会議室の窓には暗幕を張り巡らせ暗闇を演出しているが、暗幕と暗幕の隙間から中途半端に外の光が漏れ出している。四角の形に漏れ出た光を背になすびの良いちはこう言い放った。

「暗闇にサングラスなんで、暗くて誰が何喋ってるかわかんないっす」

それわざわざ挙手して言うこと? 会議室中に爆笑が広がる。
「まあ、そういうわけで、すかんくえいぷくんには遅刻へのペナルティとしてもう1週間コスプレ続けてもらうとして、本題入ろうか」
笑いを堪え半ば涙目になったJRA難波園芸が言い放つ。

「この会社ブラックだ……暗闇だけに」
すかんくえいぷこと、外崎隆典は思ったが口には出さずにいた。『上手いこと言ったつもりかよ』とツッコミの集中砲火を浴びせられたあげく、更にペナルティが追加されそうだからだ。



隆典のアパートの部屋は、布団の他にちゃぶ台が一つと、ソファがある。仕事を終えた後も相変わらず上半身裸にニッカポッカ、乳首に星形のシールという姿でソファに座る隆典は、朝スマホに来たメールを眺めていた。

今朝、メールをくれた栗林透子は、隆典が通っていた高校のクラスメイトだったが、隆典とはほとんど接点がない。高校時代の隆典は、クラス内でバカをやっていた。透子はそんな隆典に対して、関心があるのかバカにしているのかよくわからない感じだった。いつも教室の端っこで、英単語帳か文庫を読んでいた。そんな彼女が卒業から6年は立つであろう今、なぜメールを自分によこしてきたのか。さらにまたよくわからない。

もしかして自分に気があるのだろうか。これは、「彼女いない歴=年齢」で24年間彼女のいない俺に彼女のチャンスなのか。はたまた、俺にツボを売りつけようとしているのか。
「ツボだよ、幸福になるツボを売りつけられるぞ!」という隆典の中の天使の姿をした理性からの警告が始まった。なぜかその理性の天使は、ツボを持って腰を振って踊っているのだが。
「いいや。無視で」そう思ってメール画面を閉じようとした矢先だった。

「でかいう○こ見つけた!!」

至極どうでもいい無料通話アプリの通知が画面上部に現れた。隆典はスマートフォンの画面に冷たい視線を送りながら、通知から通話アプリの画面に切り替えた。あろうことか、通話アプリの連絡は社長のJRA難波園芸からのものだった。画面には大根と見紛うばかりの太さのう○この写真が載っている。隆典は「すごく……大きいです」とぞんざいに返信して通話アプリの画面を閉じた。

「仕事とプライベート分けろよ……」
隆典は思わず大きなため息をついた。夜のアパートの一室でテレビを消して一人でいると、侘しさが倍増する。う○こに一喜一憂。しかも社長が。こんな感じの毎日で彼女ができるのか。いや、できない。実家の母親から「早く彼女作って!」とメールが来たりするが、できないものはできない。林田モジャラさんは女性だけど、彼氏がいる。他にも女性はいるが、う○こに一喜一憂する社風では社内恋愛には発展しそうにない。彼女見つけるには社外しかない。
隆典はスマートフォンのメール画面を開き、「久しぶり。今週の土曜日でどう?」と透子宛のメールの文面を書いた。10分ほどして、「いいですよ。待ち合わせはどこにしますか」という返信のメールが透子からきた。



喫茶店「ジマイマ」は中目黒にあるラテアートが自慢のおしゃれなカフェだ。店内にはシックな色合いの英国風のテーブルや椅子が置かれていて、落ち着いた雰囲気を醸し出している。そんなカフェの壁際の席で、例によって隆典は上は裸、乳首に星形シール、そして下はニッカポッカという霊界大戦のキャラクターの姿で、ラテアートの施されたカフェラテを啜っている。今の隆典の姿は、普通は入店を拒否されてもおかしくない。だが、ここ中目黒はラッキーゾーンが本社を構えているということもあり、多少おかしな行動をとっていても許してもらえる土壌がある。

「外崎くん、だよね」
低めの女性の声がする。
会社内ではペンネームで呼び合うのが通例となっているせいか、隆典の中で一瞬現実感が飛んだ。
Tシャツにカーディガン、ジーンズという姿の栗林透子が隆典のテーブルのそばに立っていた。
「久しぶり」
「ここ、座ってもいいかな」
「どうぞ」
お決まりの会話の応酬だ。


エプロンをつけた店員が透子の分のカフェラテをテーブルに置いた。隆典と透子は無言だ。
仲が格別いいわけではない相手との会話は続かない。隆典はラテアートがすっかり崩れたラテを啜りながら、頭の中で考えを巡らす。隆典の前に座った透子もまた下を向いている。何考えてるのかわからないような表情を見ると、隆典は余計に口を開きづらくなってしまう。どうすればいいんだ? 近況聞く? 俺の近況から話すべきか? そういえば、今俺裸……なんで裸か言ってないな。メールで言ったか? でも改めて説明する方がいいか? よし、説明しよう。
決心した隆典が口を開くのを遮るように透子が口を開いた。

「私、後半年で死ぬの」

隆典は口を半開きにして硬直した。現実感が再び吹き飛ぶ。アトハントシデシヌノ。映画か。ドラマか。わりとありがちな設定の気がする。そうだ、余命半年という設定の映画やドラマが日本国内にいくつあるのか数える企画なんてどうだろう? ちょっと面白いな。
隆典の思考は目の前の透子の存在を無視してどんどんあらぬ方向へ飛んでいく。

「外崎くん、大丈夫? 話聞いてた?」
「ああ、大丈夫大丈夫」
隆典の中で現実感が戻る。

「白血病らしいの」
「ああ、若い奴が死ぬ病気。テンプレだ。よくあるよくある」
透子が吹き出した。笑っている。そう言えば栗林が笑うとこなんて初めて見た気がする。いつも真面目で、俺のおふざけなんて「目から真面目ビーム」でロクな反応なんてしてないと思ってたのに。
「ほんとよくある話だよね。外崎くんのところで余命半年の設定の映画とかドラマとか小説がいくつあるのか数えたら面白いかも」
「俺の心読んだ?」
「まさか同じこと考えてたの?」
俺と同じこと考える。栗林にそんなことがあるのか。隆典は透子の顔をまじまじと見つめる。だが、疑問が浮かぶ。
「だったら尚更、なんで俺なんかと会ったりしたんだ。病気の治療とか、色々しないといけないだろ」
隆典は誰もが思い浮かべることを口にしたが、それに対して透子は独創的な答えを言った。

「時間を無駄にしたいの」

「時間を無駄にしたい? なんだそれ」
隆典は思わず透子の言葉をオウム返ししてしまった。
「そもそも、余命半年って、嘘や冗談じゃないんだよな」
「本当よ。だから外崎くんに話したの」
「だったら逆になんでだよ」
「普通のまま死にたくない。死んだ後で『あいつバカなことしたけど、バカすぎて忘れられない』って言われたい。お涙頂戴だと、きっとすぐに忘れられちゃう」
その考え方、ありか……ていうか『白血病治療したい』じゃないのか。諦めすぎだろ。

「人間はいつか死ぬ。ただ遅いか、早いかだけ。それに、短い人生なら、できるだけ長く皆の記憶に残りたい」
隆典にとって透子の言葉は、少しエゴイストのような気もするが、正しい気もした。彼女にとって、がんを治そうとして右往左往することは、永遠の命を探した挙句、水銀を飲んで自ら中毒死した秦の始皇帝のように愚かに見える事なのかもしれない。だが、次に続く言葉は隆典を仰天させた。

「だから私は、自分の鼻の穴を写真にとって、毎日ブログにアップしてるの」

「なんだそれ」
「言ったでしょ。時間を無駄にしたいって。だから、いかに時間を浪費するかを研究しているの」
「一体なんのために?」

「誰もやらないから。バカすぎて誰もやらないことをやると、人間はそれに注目するものなの。普通のことなんてしても、みんな無視するだけよ」

おバカな発想を突き詰めていくと、正論になることがある。
透子を通じて隆典はそれを思い知った。
でも、何かおかしいって指摘したい……すごく。
「もしかして、今日俺に会ったのって、俺の会社に勤めたいってこと?」
「話が早くて助かるわ」
「コネか。コネ入社を狙ってるのか。余命半年なのにコネ入社か。鼻の穴くらいじゃ入れないぞ」
「だから畳の目を数えたりもしてるのよ」
「そういう問題じゃない」
カフェの壁際で押し問答が続く。だが、それは突然断ち切られる。

「話は聞かせてもらった」

サングラスをかけ、スーツ姿の『なすびの良いち』こと津田清義が、これまたお決まりのセリフを吐いて隆典と透子の座るテーブルの横に立っていた。
「誰?」
透子が疑問を口にする。
「俺の会社の上司。なすびの良いちさん」
「なるほど、その格好も仕事というわけなのね」
「ちなみに良いちさん、話というのはどこからどこまで……」
「すかんくえいぷ君が喫茶店に入っていくのを目撃したからな。普通、その格好で喫茶店なんて入らない。何をするのか気になったから後をつけたら、君たちの話を終いまで聞いてしまった」
「なら、私の入社を考えてくれるんですか」
透子は期待を込めた高めのトーンで喋り出した。それを受けたなすびの良いちは視線を少し落とした。
「どうだろうね……ライターというのは過酷だよ。ウチでやってることは一見バカみたいで楽しそうなのかもしれないけどね。企画が通るまで、産みの苦しみを味わうんだ」
「そんなの百も承知です」
「いや、分かってない。ウチのライターは皆、『泣けないピエロ』なんだ」
「泣けないピエロ……」
透子にとっては初めて聞く言葉と感覚。だが、『なすびの良いち』こと津田清義と『すかんくえいぷ』こと外崎隆典にとってはよくわかる感覚だ。
「余命半年。そんなの茶化せないし笑えない。みんな、腫れ物に触るような感じになってしまう」
「だったら、余命は伏せます」
「体調不良とかで、誤魔化せなくなるだろう」
「う……」
透子は言い返せない。
「余命半年という爆弾は、真剣なネタすぎる。酷な言い方になるが、ある意味ではウチの会社にとって最大の営業妨害だ」
透子は無言で視線をカフェラテに落とした。届いたばかりの時は泡がしっかり乗っていたカフェラテから泡が消えている。
「よく考えた方がいい」
なすびの良いちは身を翻した。透子はその背中に声をかける。
「待ってください」
なすびの良いちが立ち止まる。

「ラッキーゾーンさんって、今経理のアルバイト募集してるんですよね? 私簿記とか経理関係の資格持ってるんですけどそれでもダメですか?」

なすびの良いちは身を再び透子の方に向け、
「採用」
右腕をあげ、右手の親指を力強く上げた。「グット!」のリアクション。
隆典は椅子からずり落ちそうになっている。よく考えた方がいいのは、アンタじゃないのか……