「楡」

「なんすか、命預かってるんで余裕ないんですけど」

「ありがとって言いたくなっただけ」

「はい?」

「──よし、これで絶交するときも悔いはないな。わたしのほうが全然いいやつで終われる」

「なに勝手に絶交しようとしてんじゃい」



まあいいや、いきますよ。楡はやれやれといったぐあいで漕ぎ出す。耳鳴りがした。この耳は、いつかよくなるんだろうか。ストレス性の難聴、と聞かされたとき、はあ、という声がいちばんに出た。聞こえるから実感がわかなかったんだ。



確かに、聴力検査の最中は低音はしないんだっけな、と思っていたけれど。高音はばっちり聞こえていたしそういうもんだっけな、聴力検査ってな、みたいな。



ストレス性のものだと、低音域の聴力が落ちるのが特徴的なんです。お薬出しますので、飲んでください。そんなにひどいものでもないので、気にしないでくださいね。気にするほど──、はい。めまいがひどくならなければ、通院の必要もないので。



難聴、とはいえ、悪化しないかぎり薬をちゃんと出されただけ飲めば大丈夫らしい。



それでも続く、耳鳴り。とらわれてるみたい、と、楡の背中で目をつぶった。



いまなら、思うことがある。



わたしはこのことを、楡にも少ししか話していない。ずっと発熱とめまいとで休んでいたから、かるく難聴になってるみたいで、とわらって話した。だけ。過呼吸を毎晩引き起こして眠れないのも、まわりからのプレッシャーに擦り切れそうなのも、絶対言わない。言ってない。これからも、言わない。一生それでいたい。



ゆらちゃんのことも言っていない。


言いたくない。


認めたくない。



気をつかわないと、と、思わせてしまうかもしれない。なんて。これはわたしの話ではなくてゆらちゃんが主語の話だからちがうかな。