突然ドアに付けられている鈴が鳴った。どうやらお客さんが来店してきたみたい。
二人が声を揃えて「いらっしゃい」って言っているのを聞くと、また羨ましいと思った。
郁江さんが「ゆっくりしていってね」と私に声をかけると、お客さんのところに水を運びに行ってしまった。
広げ過ぎてしまったパソコンとカメラをカバンにしまい、代わりに夏休みの宿題についてのプリントに目を通す。
夏休みは別に忙しくないけれど、できれば宿題は早めに終わらせて、少しでも心の負担を軽くしておきたい。
それに宿題が早く終わったら、カメラを持ってネットで調べた『死ぬ前に一度は行きたい日本の絶景百選』に載っていたところに行ってみたいし、絵里ちゃんともお出かけもしたい。でも、これはあくまで希望であって、大抵は実行はしないことのが多いのだけれど。
とりあえず簡単に進められる漢字の問題集を少しでも進めてしまうことにした。
外は雨が止んで、雲の隙間から傾いた陽の光が差し込んできた。カウンターの上から吊り下げられたペンダントライトの光が暖色に変わってくると、店内に滞留する空気は、より一層ふわりとしてくる。
新しく入ってきたお客さんは、私と反対側のカウンターにいて、誠司さんと談笑している。
いつもは夕飯時に近付くにつれ、ちらほらとお客さんが来店してくるのだけれど、今日は来る気配がなかった。
問題集もキリの良いところまで進めたところで、私の集中力も切れ初めてきたから、部屋の奥にあるお手洗いへと向かう。
「ほう……一ノ瀬さんは北陸出身なんですね。関東の方だと全然雰囲気が違うんじゃないですか」
「いやいや、そんなことありませんよ。都内には大学生の頃から住んでいたので、反対にこちらの方がしっくりきますね」
あれ?今この人、一ノ瀬って言った?
今までなかなか苗字が一緒の人と出会うことがなかったから、ちょっとそのお客さんのことが気になってきた。
私は漢字の問題集を広げながらも、意識だけは誠司さん達の輪の中に混ざっていた。
「いやあ、行ってみたいなぁ。本場の古民家民宿なんてちょっと憧れるね!ふみちゃん」
「本当!一度お邪魔したいわ」
「ぜひいらしてください。と言っても最近手に入れたばかりで、まだ本格的に民宿としてのは稼働していないんですけどね」
「一ノ瀬さん一人で準備されているの?」
「いえ、すごく熱心に手伝ってくれる男の子が一人います」
「あら、お子さんがいたのね」
「あ、いえいえ、そうではなくて、同居人というか……」
ハキハキと喋っていた同じ苗字の一ノ瀬さんが、急に辿々しい言葉遣いになったのを私は聞き逃さなかった。私は思わず一ノ瀬さん達の方を見てしまう。
私と同じ苗字のお客さんは、お母さんと同じくらいの年齢くらいだった。顎髭が蓄えられているけれど、きちんと整えられている。Tシャツ一枚でかなりラフな格好をしているけれど、キリッとしている顔立ちをしているから、きっとスーツが似合うんだろうな、なんて余計なことを考えた。
「同居人?」
「あ、えーと、僕、割と仕事で都内に行くことが多くて、家を開けてしまうことが多いんですよ。だから部屋を貸す代わりに家のことをお願いしているというか……まあ偶然知り合った子なんですけどね」
「なるほど!居候というわけですね!」
誠司さんの頭には電球が光ったように見えた。
「一ノ瀬さん今から帰るの大変じゃない?」
郁江さんが心配そうにしている。
「大丈夫ですよ。今日は姉の家に泊めてもらうので」
「あら、お姉さんはこの辺りに住んでいられるのですね」
「はい。姉はもう少し街の方に住んでいまして、これからそこに向かおうかなと。もう数年前に会ったっきりなので、大分ご無沙汰なんですけどね。確か今年高校生になった女の子がいるはずです。沙希って言ったかな」
「沙希?あら、もしかして」
郁江さんと誠司さんが顔を見合わせた後、二人の視線が一気に私の方に向いた。目が合った私は少しだけビクッとしてしまった。
ここまで来ると、もう話の中に入らずにはいられない。誠司さんと郁江さんは、まるで宝くじが当たったかのようにはしゃいでいて、一ノ瀬さんは目を丸くしていた。
「あ、えと……私、一ノ瀬沙希と言います」
「ひょっとして……お母さんの名前は舞花かな」
「はい、私の母の名前です」
「本当に⁉︎すごい偶然だなあ!沙希ちゃん大きくなったねぇ」
大きくなったねえなんて言われると、一気に身内感が沸いてきた。
「えっと……お母さんの弟さんですか」
「そうだよ。久しぶり、いや、はじめましての方が良いかもしれない。僕は一ノ瀬茂と言います。沙希ちゃんの叔父さんです」
茂さんは律儀に私の方にペコリとお辞儀をして、柔らかい口調で自己紹介してくれた。
急に現れた叔父さんの存在に頭が追い付いていない私は、吃りながらも精一杯の反応をするように努める。
「……一ノ瀬…茂さん……はじめまして」
「叔父さんでも茂でもなんでも良いよ」
「で、では、茂さんと呼ばせていただきます」
「よろしく。今、近くの方に仕事で来ていて、君のお母さんのお家、君の家に一泊させてもらうことになってるんだ。あれ?その反応、もしかしてお母さんから聞いていない?」
スマホを開いてそれっぽいメッセージがあるかどうか確認してみたけれど、お母さんからは特に何もなかった。謎に絵里ちゃんからたくさんメッセージの通知があったけれど、今は開かない方が良さそう。
「えっと……聞いてません」
「え、そうだったの?僕がお邪魔しても大丈夫?もちろん嫌だったら断ってもらっても大丈夫だからね。近くでホテルを取れば良いだけだから」
「私は平気です」
せっかく遠くから来てくれたのに、私の都合で別のところに泊まってもらうのは申し訳ない。それに、茂さんはすごく丁寧に接してくれるから、大丈夫そうな気がする。
「ありがとう。沙希ちゃんはよくここに来るの?」
「はい、少し離れた高佐木町の方に学校があって、放課後によくここに来ます」
「常連さんなんだね。いつも一人で来るの?」
「たまに友達と来ます」
単に質問に答えてるだけで、会話が成立しているようには思えない。明らかにぎこちない返事をしている私に気付いたのか、誠司さんが助け舟を出すように写真の話題を振ってくれた。
「沙希ちゃんは写真を撮るのが好きなんだよね」
自分のことを話すのはまだちょっと抵抗がある。
「あ、はい。景色とか植物とかの写真を撮るのが好きです」
「へぇー!僕も写真を撮っていたりするから、写真仲間だね。そういえば、ここに来る前に街の景色を撮ってみたんだけど、見てみる?」
茂さんは足元に置いた大きなリュックの中から一眼レフカメラを取り出し、スイッチを入れる。画面には汐丘駅周辺の街並みや、通りから見える海の景色が映し出されていた。
今まで自分の撮った写真しか見ていなかったから、他の人が撮った写真はとても新鮮だった。と同時に、私の撮った写真はちっぽけなもののように思えてきた。
「すごい……茂さんはプロのカメラマンさんなんですか」
「いやいや、そんな大層なものではないよ。この写真はカメラの性能が良いだけ。仕事で取材をする機会が多いから、奮発してちょっと良いカメラを買ったね、これがびっくり。どう撮っても綺麗に映るんだよ」
「取材……記者なんですか」
「記者というより『なんでも屋さん』かな」
「なんでも屋さん……そんな働き方があるんですか」
仕事といえば、教師とか写真家とか、一言で説明できるものでなければいけないと思っていたから、茂さんは冗談を言っているのではないかと思った。
「もともと都内の広告会社に勤めていたんだけど、今は辞めてフリーで仕事をしているんだ。記者のように取材して記事も書くし、必要であればカメラマンのように写真も撮るし、何ならドローンを使って動画だって撮るよ」
なるほど、やっぱり『なんでも屋さん』という表現が合っているかもしれない。
「ちなみにさっき見せた写真は、この街の町長さんから依頼を受けて撮ったものなんだ。町長さんはこの街にもっと若者を呼びたいらしくて、最近街のサイトをリニューアルしたみたい。で、僕はそこに使う写真を撮ったり、街の良いところを紹介する記事をいてほしいと頼まれてここに来たんだ」
「え、でも、民宿も経営されているんじゃ……」
「もしかして僕たちの話、聞こえてた?」
「あ……えと、ごめんなさい」
ああ、私はなんて馬鹿なんだろう。盗み聞きしてしまったことを自分で言ってしまうとは。
「別に隠している訳じゃないから、気にしないで」
逆に励まされたから、余計に情けなくなった。
にこりと笑ったその顔は、やっぱりどこかで見たことがあると思ったら、もうしばらく見ていないお母さんのだと気がついた。お母さんと茂さんはやっぱり姉弟だ。
「今は地元で古民家を借りて、そこを拠点にリモートで仕事をしているんだ。借りた古民家が結構大きいから、空いた部屋を使って民宿にしようと思ってね。と言っても、今回みたいに取材の依頼があればそこに足を運ぶし、お得意さんとの仕事で都内に行くことも多くて、全然準備が進まないんだ」
「お忙しいんですね」
「まあ古民家民宿は趣味みたいなものだから、楽しみながら気軽に進めているんだけどね」
そう言って、茂さんはコーヒーを一口啜る。気がつけば、知らない人へ抱く警戒心は、もうすっかり無くなっていた。
「そういえば、沙希ちゃんも写真を撮っているんだね。もしよかったら見せてもらえない?」
「えぇ⁉︎そ……それは」
不意を突かれたように写真を見せてほしいなんて言われたから、びっくりして声が裏返ってしまった。
「もちろん無理にとは言わないけど」
どうしよう。茂さんに少しだけ私の写真を見てほしいって思ったけど、「どうせ」っていう考えが足を引っ張ってくる。
「せっかくだから見せてあげたら?ほら、さっき撮ってくれたケーキの写真なんかどう?」
誠司さんがいつまでもまごついている私の背中を押してくれた。
「じゃあ……本当に大した写真じゃありませんが」
受けるダメージが少なくなるように、期待値はなるべく下げておいた方が良い。
カバンの中からミラーレスカメラを取り出して電源を入れる。カメラの画面に写った何枚かのパウンドケーキの写真を確認してから茂さんに渡す。
どれどれと言わんばかりに画面を覗き込まれると、何だか自分の部屋を覗かれたような気がして無性に恥ずかしくなった。
「へえ!綺麗に撮れてるじゃん。構図もきちんと考えられてる。ケーキが一番美味しく見えるように考えて撮っているのがすごく伝わってくるよ。普段から写真を撮っている人にしかできない撮り方だね」
いやそんな褒めすぎですよ。ええとそうか、あれですか、褒め殺しですか。
「ぐ、偶然です。それに、この写真はレタッチしていますし」
「へえ!レタッチもできるんだ」
「一応……」
「凄いじゃん!沙希ちゃんに僕の仕事をお願いしようかな」
「いやいやいやそんな……」
「ほら!やっぱり沙希ちゃんにはカメラマンになれる素質があるってことだよ!」
誠司さんが嬉しそうに私の方を見て言ったけれど、私はブンブンと首を振る。いやいや、だからそんな簡単になれるわけないって。
ほかの写真も見せてほしいと言われたから、パソコンに保存している写真をもう二、三枚見せたけど、あっという間に恥ずかしさが絶頂を迎えたから「ご覧いただき、ありがとうございました」と半ば強引に強制終了し、自分の席に戻って問題集を広げた。
二人が声を揃えて「いらっしゃい」って言っているのを聞くと、また羨ましいと思った。
郁江さんが「ゆっくりしていってね」と私に声をかけると、お客さんのところに水を運びに行ってしまった。
広げ過ぎてしまったパソコンとカメラをカバンにしまい、代わりに夏休みの宿題についてのプリントに目を通す。
夏休みは別に忙しくないけれど、できれば宿題は早めに終わらせて、少しでも心の負担を軽くしておきたい。
それに宿題が早く終わったら、カメラを持ってネットで調べた『死ぬ前に一度は行きたい日本の絶景百選』に載っていたところに行ってみたいし、絵里ちゃんともお出かけもしたい。でも、これはあくまで希望であって、大抵は実行はしないことのが多いのだけれど。
とりあえず簡単に進められる漢字の問題集を少しでも進めてしまうことにした。
外は雨が止んで、雲の隙間から傾いた陽の光が差し込んできた。カウンターの上から吊り下げられたペンダントライトの光が暖色に変わってくると、店内に滞留する空気は、より一層ふわりとしてくる。
新しく入ってきたお客さんは、私と反対側のカウンターにいて、誠司さんと談笑している。
いつもは夕飯時に近付くにつれ、ちらほらとお客さんが来店してくるのだけれど、今日は来る気配がなかった。
問題集もキリの良いところまで進めたところで、私の集中力も切れ初めてきたから、部屋の奥にあるお手洗いへと向かう。
「ほう……一ノ瀬さんは北陸出身なんですね。関東の方だと全然雰囲気が違うんじゃないですか」
「いやいや、そんなことありませんよ。都内には大学生の頃から住んでいたので、反対にこちらの方がしっくりきますね」
あれ?今この人、一ノ瀬って言った?
今までなかなか苗字が一緒の人と出会うことがなかったから、ちょっとそのお客さんのことが気になってきた。
私は漢字の問題集を広げながらも、意識だけは誠司さん達の輪の中に混ざっていた。
「いやあ、行ってみたいなぁ。本場の古民家民宿なんてちょっと憧れるね!ふみちゃん」
「本当!一度お邪魔したいわ」
「ぜひいらしてください。と言っても最近手に入れたばかりで、まだ本格的に民宿としてのは稼働していないんですけどね」
「一ノ瀬さん一人で準備されているの?」
「いえ、すごく熱心に手伝ってくれる男の子が一人います」
「あら、お子さんがいたのね」
「あ、いえいえ、そうではなくて、同居人というか……」
ハキハキと喋っていた同じ苗字の一ノ瀬さんが、急に辿々しい言葉遣いになったのを私は聞き逃さなかった。私は思わず一ノ瀬さん達の方を見てしまう。
私と同じ苗字のお客さんは、お母さんと同じくらいの年齢くらいだった。顎髭が蓄えられているけれど、きちんと整えられている。Tシャツ一枚でかなりラフな格好をしているけれど、キリッとしている顔立ちをしているから、きっとスーツが似合うんだろうな、なんて余計なことを考えた。
「同居人?」
「あ、えーと、僕、割と仕事で都内に行くことが多くて、家を開けてしまうことが多いんですよ。だから部屋を貸す代わりに家のことをお願いしているというか……まあ偶然知り合った子なんですけどね」
「なるほど!居候というわけですね!」
誠司さんの頭には電球が光ったように見えた。
「一ノ瀬さん今から帰るの大変じゃない?」
郁江さんが心配そうにしている。
「大丈夫ですよ。今日は姉の家に泊めてもらうので」
「あら、お姉さんはこの辺りに住んでいられるのですね」
「はい。姉はもう少し街の方に住んでいまして、これからそこに向かおうかなと。もう数年前に会ったっきりなので、大分ご無沙汰なんですけどね。確か今年高校生になった女の子がいるはずです。沙希って言ったかな」
「沙希?あら、もしかして」
郁江さんと誠司さんが顔を見合わせた後、二人の視線が一気に私の方に向いた。目が合った私は少しだけビクッとしてしまった。
ここまで来ると、もう話の中に入らずにはいられない。誠司さんと郁江さんは、まるで宝くじが当たったかのようにはしゃいでいて、一ノ瀬さんは目を丸くしていた。
「あ、えと……私、一ノ瀬沙希と言います」
「ひょっとして……お母さんの名前は舞花かな」
「はい、私の母の名前です」
「本当に⁉︎すごい偶然だなあ!沙希ちゃん大きくなったねぇ」
大きくなったねえなんて言われると、一気に身内感が沸いてきた。
「えっと……お母さんの弟さんですか」
「そうだよ。久しぶり、いや、はじめましての方が良いかもしれない。僕は一ノ瀬茂と言います。沙希ちゃんの叔父さんです」
茂さんは律儀に私の方にペコリとお辞儀をして、柔らかい口調で自己紹介してくれた。
急に現れた叔父さんの存在に頭が追い付いていない私は、吃りながらも精一杯の反応をするように努める。
「……一ノ瀬…茂さん……はじめまして」
「叔父さんでも茂でもなんでも良いよ」
「で、では、茂さんと呼ばせていただきます」
「よろしく。今、近くの方に仕事で来ていて、君のお母さんのお家、君の家に一泊させてもらうことになってるんだ。あれ?その反応、もしかしてお母さんから聞いていない?」
スマホを開いてそれっぽいメッセージがあるかどうか確認してみたけれど、お母さんからは特に何もなかった。謎に絵里ちゃんからたくさんメッセージの通知があったけれど、今は開かない方が良さそう。
「えっと……聞いてません」
「え、そうだったの?僕がお邪魔しても大丈夫?もちろん嫌だったら断ってもらっても大丈夫だからね。近くでホテルを取れば良いだけだから」
「私は平気です」
せっかく遠くから来てくれたのに、私の都合で別のところに泊まってもらうのは申し訳ない。それに、茂さんはすごく丁寧に接してくれるから、大丈夫そうな気がする。
「ありがとう。沙希ちゃんはよくここに来るの?」
「はい、少し離れた高佐木町の方に学校があって、放課後によくここに来ます」
「常連さんなんだね。いつも一人で来るの?」
「たまに友達と来ます」
単に質問に答えてるだけで、会話が成立しているようには思えない。明らかにぎこちない返事をしている私に気付いたのか、誠司さんが助け舟を出すように写真の話題を振ってくれた。
「沙希ちゃんは写真を撮るのが好きなんだよね」
自分のことを話すのはまだちょっと抵抗がある。
「あ、はい。景色とか植物とかの写真を撮るのが好きです」
「へぇー!僕も写真を撮っていたりするから、写真仲間だね。そういえば、ここに来る前に街の景色を撮ってみたんだけど、見てみる?」
茂さんは足元に置いた大きなリュックの中から一眼レフカメラを取り出し、スイッチを入れる。画面には汐丘駅周辺の街並みや、通りから見える海の景色が映し出されていた。
今まで自分の撮った写真しか見ていなかったから、他の人が撮った写真はとても新鮮だった。と同時に、私の撮った写真はちっぽけなもののように思えてきた。
「すごい……茂さんはプロのカメラマンさんなんですか」
「いやいや、そんな大層なものではないよ。この写真はカメラの性能が良いだけ。仕事で取材をする機会が多いから、奮発してちょっと良いカメラを買ったね、これがびっくり。どう撮っても綺麗に映るんだよ」
「取材……記者なんですか」
「記者というより『なんでも屋さん』かな」
「なんでも屋さん……そんな働き方があるんですか」
仕事といえば、教師とか写真家とか、一言で説明できるものでなければいけないと思っていたから、茂さんは冗談を言っているのではないかと思った。
「もともと都内の広告会社に勤めていたんだけど、今は辞めてフリーで仕事をしているんだ。記者のように取材して記事も書くし、必要であればカメラマンのように写真も撮るし、何ならドローンを使って動画だって撮るよ」
なるほど、やっぱり『なんでも屋さん』という表現が合っているかもしれない。
「ちなみにさっき見せた写真は、この街の町長さんから依頼を受けて撮ったものなんだ。町長さんはこの街にもっと若者を呼びたいらしくて、最近街のサイトをリニューアルしたみたい。で、僕はそこに使う写真を撮ったり、街の良いところを紹介する記事をいてほしいと頼まれてここに来たんだ」
「え、でも、民宿も経営されているんじゃ……」
「もしかして僕たちの話、聞こえてた?」
「あ……えと、ごめんなさい」
ああ、私はなんて馬鹿なんだろう。盗み聞きしてしまったことを自分で言ってしまうとは。
「別に隠している訳じゃないから、気にしないで」
逆に励まされたから、余計に情けなくなった。
にこりと笑ったその顔は、やっぱりどこかで見たことがあると思ったら、もうしばらく見ていないお母さんのだと気がついた。お母さんと茂さんはやっぱり姉弟だ。
「今は地元で古民家を借りて、そこを拠点にリモートで仕事をしているんだ。借りた古民家が結構大きいから、空いた部屋を使って民宿にしようと思ってね。と言っても、今回みたいに取材の依頼があればそこに足を運ぶし、お得意さんとの仕事で都内に行くことも多くて、全然準備が進まないんだ」
「お忙しいんですね」
「まあ古民家民宿は趣味みたいなものだから、楽しみながら気軽に進めているんだけどね」
そう言って、茂さんはコーヒーを一口啜る。気がつけば、知らない人へ抱く警戒心は、もうすっかり無くなっていた。
「そういえば、沙希ちゃんも写真を撮っているんだね。もしよかったら見せてもらえない?」
「えぇ⁉︎そ……それは」
不意を突かれたように写真を見せてほしいなんて言われたから、びっくりして声が裏返ってしまった。
「もちろん無理にとは言わないけど」
どうしよう。茂さんに少しだけ私の写真を見てほしいって思ったけど、「どうせ」っていう考えが足を引っ張ってくる。
「せっかくだから見せてあげたら?ほら、さっき撮ってくれたケーキの写真なんかどう?」
誠司さんがいつまでもまごついている私の背中を押してくれた。
「じゃあ……本当に大した写真じゃありませんが」
受けるダメージが少なくなるように、期待値はなるべく下げておいた方が良い。
カバンの中からミラーレスカメラを取り出して電源を入れる。カメラの画面に写った何枚かのパウンドケーキの写真を確認してから茂さんに渡す。
どれどれと言わんばかりに画面を覗き込まれると、何だか自分の部屋を覗かれたような気がして無性に恥ずかしくなった。
「へえ!綺麗に撮れてるじゃん。構図もきちんと考えられてる。ケーキが一番美味しく見えるように考えて撮っているのがすごく伝わってくるよ。普段から写真を撮っている人にしかできない撮り方だね」
いやそんな褒めすぎですよ。ええとそうか、あれですか、褒め殺しですか。
「ぐ、偶然です。それに、この写真はレタッチしていますし」
「へえ!レタッチもできるんだ」
「一応……」
「凄いじゃん!沙希ちゃんに僕の仕事をお願いしようかな」
「いやいやいやそんな……」
「ほら!やっぱり沙希ちゃんにはカメラマンになれる素質があるってことだよ!」
誠司さんが嬉しそうに私の方を見て言ったけれど、私はブンブンと首を振る。いやいや、だからそんな簡単になれるわけないって。
ほかの写真も見せてほしいと言われたから、パソコンに保存している写真をもう二、三枚見せたけど、あっという間に恥ずかしさが絶頂を迎えたから「ご覧いただき、ありがとうございました」と半ば強引に強制終了し、自分の席に戻って問題集を広げた。