言葉は簡単に人を傷つけてしまうのは、痛いほどわかっている。

言葉には、どういう含みがあるのかとか、その人がどんな意味で言ったのかとか、受け取る側がきちんと背景を理解しなければ、簡単に誤解や軋轢が生まれてしまう。

そして、一度生まれた不信感は簡単に消えることはなくて、その不信感を抱えたままずっと過ごすことになる。それが、もう本当にしんどくて。

私はすぐに離れようとする。


けれど。


離れるという選択は、できるだけ最後の手段として残しておいたほうが良い。

一度離れたら、もう戻っては来れないのだから。



「私、曖瑠さんは明るくて良い人だと思っています」

「はっはっは!やっぱ明るい人だって思うかー」

「ちょっと憧れます」

「明るく振る舞っているだけだよ!戦略!」



再びきししと笑ったそれは、作り笑いだというのだろうか。



「あたしね、学生時代はすっごく暗かったんだよ。今じゃ想像できないくらいにさ」

「え……?」

「小さい頃に両親を亡くして、おばあちゃんに育ててもらってたんだ。でも、中学生の時におばあちゃんも亡くなって、一人になっちゃったんだ」

返す言葉が、見つからなかった。

この気持ちは、きっと曖瑠さんにも伝わっているのだろう。

曖瑠さんは、ゆっくりと、優しい声で話を続けてくれた。

「両親がいないことで哀れまれたり、必要以上に気遣割れたり、当時のあたしは、それが鬱陶しくてしょうがなくて、どんどん塞ぎ込んでいったんだ。なんで自分だけこんなに不幸になるんだって、目に見えるもの全てを恨んでいた。もちろん自分もな」

重ねてしまうことはあまりにも失礼だと思った。

でも、重ねずにはいられなかった。



「本当に気持ちが落ちたときなんて、何度も死ぬことを考えた。でも、結局私にはそんな勇気はなくて、余計に絶望したのも覚えている」



曖瑠さんはゆっくりと大きく息を吐いて、空を見上げた。



「でもさ、生きていると転機って訪れるのな。高一の時、ALTって言ったかな、英語の授業でカナダ出身の先生が来たんだ。その先生、すっごく明るくて、しょっちゅうあたしに声かけてきたんだよ。初めの頃は無視してたんだけど、あまりにもしつこいもんだから、とうとう根負けして言い返し始めたんだ。そしたら向こうのペースにつられたのかな、どんどん元気になってきたんだ」



きっと曖瑠さんは、その先生に出会うことで救われたんだ。

それがちょっと羨ましいだなんて、私は余計な感情を抱いてしまう。



「気が付いたらしょっちゅう話すようになってさ、次第にあたしが人生相談するようになったんだ。そしたら先生は『だったら世界一周しなよ』って言ってきやがったんだ。意味わかんねーよな」



は、はい。ちょっと意味がわかりません。ぶっ飛んだ先生だと思います。



「でも、当時のあたしは話を聞いてくれたことが嬉しかったんだろうな。先生のおふざけに付き合ってやろうって思ったんだ。それで次の日からバイトを探してさ、一年間お金を貯めて、高二の夏休みに世界一周したんだ」



ぶっ飛んだことをやってのける曖瑠さんもまた、ぶっ飛んでいると思います。



「一ヶ月くらいで世界一周なんて、できるものなんですか?」

「おう!超弾丸ツアーだったけど、できたぞ!」



曖瑠さんが私に向かってびしっとピースサインを決める。

胡座の上でうとうとしていたクロが一瞬びくっとしたけれど、何も起こらないことがわかると、またゆっくりと目を瞑った。



「あ!今、馬鹿だろこいつって思ったろ!」

「お、思ってません……!」

「でもな、ほんと行って良かったぞ!いろんな国に行っていろんな人を見ているとさ、自分の人生ってなんてちっぽけなものなんだろうって思うようになったんだ。で、その時何かが吹っ切れたんだろうな。少しずつ世界が綺麗だと感じてきてさ、この感じた世界をカタチにしたいと思うようになったんだ」

「それが、曖瑠さんが絵を始める、きっかけ……」

「そう。でも実際に描いてみると、当たり前だけど全然上手くいかねーの。そしたら、もっと上手くなりたい、納得できる絵を描きたいって思って、いつの間にかどこに行く時も、必ずノートと鉛筆を持ち歩くようになっていったんだ」

「海外に行ってから、大きく変わったんですね」

「うーん、根本的なものは変わってないと思う。やっぱりあたしは根暗でビビリなままだったから、意識してでも明るくするようにしただけ。海外では舐められることも多かったから、自己防衛の一環でもあったし」

「なんか格好良いです。私も曖瑠さんみたいになれたら……」

「だからあたしを目指してどーすんだよ。この可愛い奴めっ!」

「わっ!」

曖瑠さんは私の頭を悪戯っぽく撫で回した。

そのあとすぐに満足したのか、今度はクロの喉元を両手でわしゃわしゃと撫で回し始める。

「無理に憧れたり、なろうとしなくて良いと思う。時間がかかっても、沙希ちゃんは沙希ちゃんの生き方を探すんだ。もし迷ったら、いろんな人の話を聞いて、いろんなことやってみるんだ。そしたら、何が大事なのかが少しずつ見えてくるよ」

曖瑠さんはうーんと伸びをし、再びうとうとし始めたクロを抱き上げて立ちあった。



「さて、帰り道が無くなる前に戻るとするか!ほら!お迎えも来てるぞ」



潮が満ち始めてきたみたいで、干上がった道はもうほとんど水浸しになっていた。

完全に水没すれば私たちはこの岩場に取り残されてしまうから、早くここを離れた方が良さそうだ。

対岸の方に目をやると、誰かこちらを心配そうに見ていた。目を凝らしてみると、その姿がすぐにまやくんだとわかった。