「先輩に呼ばれました」
あの場所、坂の上で陽の光に目を細めたままかろうじて言った「虹島くん?」の声に、「そうです、俺が何を隠そう虹島です」と彼は宣った。
驚いたのは彼が、二十年前、サークルで夏バテの末にベンチで休んでいた私に声をかけたあの日と、全く変わらない容姿だったことだ。一瞬わるい夢を見ているのだ、と錯覚した。人間だ。人間であれば普通、どんな見た目だって老いて、変わる。それがなんだ。虹島くんは何一つ変わっていなかった。
隣同士で歩いていては、まるで息子と母親だ。歳は実際、二つしか変わらないはずなのに。
「呼んでない、よ」
「いいえ、先輩が呼んだんす。だから来ました。転々と、最近までペンシルバニアにいたのに、もう大変すよ、軽率に呼ばんでください、地球の端っこからでもひとっ飛びしなくちゃならない、マジ疲労」
「…ごめんなさい、何が何だか…」
「ああ、いいですよ、理解されたいと思ってません。たぶん理解出来んので」
はいルイボスティーどうぞ。
そう、自分の家のように振る舞う彼は、私の家の中にいる。畳ともう一つの部屋があるだけの狭くて小さなアパートの一室に、息子ほどの男の子、後輩だけれども、が、いる。謎の光景だ。
卓上テーブルに置いたりんごの入った袋に手をかけて、今日のりんごケーキの予定が変わってしまったことに嘆いていたらふいに虹島くんが私の前に座り込んだ。
ルイボスティーの入ったガラスコップに口をつけながら私を正面からじっと見て、そして、更に前に出る。
「、ちょ」
両頬を掴まれて、顔が傾く。目を閉じるとこじ開けられ、網膜を眺めながら顎を持ち上げて見下げるように私を見た。
「ほうこれは。もう間もなく夜ですね」
「………」
「俺の顔はかろうじて見えていますね? よかった、間に合ったみたいだ。そして俺もようやく任務を遂げられる」
「………あの、さっきから何が何だかわからないし、出来るのなら帰って欲しいのだけれど」
「だめですよ先輩が呼んだんだもん」
「だもん、って」
「助けるんで、俺の呪いもついでに解いてくださいよ」